配置換え
ランバルハ事件の前日……。
ランバルハ軍港の一角に、二人の人物が歩いている。
海賊国家サネホーンの交渉官であるリンダ・エンターブラと彼女の直接の部下であり、忠犬と噂されているパンドット・リチカーラル少尉だ。
なお、リンダは日傘なんてさしつつ何も持っていないが、リチカーラル少尉はかなりの手荷物を持っており、完全に荷物持ちとなっていた。
ちなみに、荷物の九割は、リンダの荷物、もちろん今回の交渉とは関係のない私物である。
普通ならあり得ない事なのだろうが、二人ともそれが当たり前なのだろう。
いつも通りの、それが当たり前のような感じで指定された港の一角に到着した。
「あら、今日はパッキンネ大尉ではないのね」
港で出迎えてくれた人物を見てリンダはそう口にする。
それはそうだろう。
今までフソウ連合との会合には、装甲巡洋艦リンパークラを旗艦とする小規模な艦隊、装甲巡洋艦三~四隻程度であったからだ。
それはリンパークラが情報収集能力に長けているという事もあったが、あまりにも意味のない大規模な艦隊を派遣してフソウ連合に警戒を持たれても問題ではないかとサネホーン側が考慮した結果でもあった。
しかし、今、リンダの前には、重戦艦一隻、戦艦二隻、装甲巡洋艦六隻が停泊しており、まるで海戦でも行うかのような物々しい緊張感に包まれている。
その雰囲気にうんざりした表情を浮かべているリンダに、重戦艦ムンタカ・ヘクラバの艦長であり、この艦隊を任せられているリンペイラン・ハンパルト・モンスチーナ提督は微笑む。
「ええ。今回は我々が皆さんをお守りいたしますよ。なんせ、何かあれば今後のフソウ連合との関係に大きなことになりかねませんからな」
そんなモンスチーナ提督に胡散臭い目を向けつつリンダは口を開く。
「別に縁起を担ぐつもりはありませんが、なんか、ありそうな物言い止めてくれませんか?不吉です」
「これはこれは、失礼しました。それよも我が艦隊はいかがですかな?」
そう聞かれて、一瞬リンダの顔にうんざりした感情が浮かぶ。
もっともすぐにいつもの営業スマイルに切り替わったのでモンスチーナ提督は気が付かなかったようだが……。
「そうですね。常にいつも糸が張り詰めるいるみたいにピーンとしている雰囲気です」
リンダ的には実に面白みもない融通の利かない必要以上にカチカチになってしまっている堅物というイメージで皮肉を込めて言った言葉だが、相手にはその言葉を緊張感のあるという意味でとったのだろう。
モンスチーナ提督は気持ちよく笑う。
「そうでしょう。そうでしょう。私は『常在戦場』を部下にも徹底させております故」
「『常在戦場』?」
「ああ、失礼。お嬢さんには難しかったですかな?『戦場にいる感覚で、いつも気を引き締めて行うべきである』という意味です」
「聞かない言葉ですね」
「なんでも、サネホーン創設の方が常に口にしていたという言葉らしいですな。私も常にそうありたいと思っており、使わせていただいておるのですよ」
そういうと豪快に笑う。
その笑い顔を見つつ、心の中でリンダはため息を吐き出した。
確かに緊張は必要だが、人は常に緊張状態を保てない。
故に適度に緊張を解き、肉体的にも精神的にも開放する必要がある。
そう思っていたのだから、根本的な部分であわないと判断する。
どちらかと言うとフッテンみたいな人よね。
神経質そうな顔が頭の中に浮かび、心の中で苦笑する。
これは行く間にのんびりって雰囲気じゃないわね。
せっかく買った新しい水着着れないじゃないの……。
いつもやりたい放題のように思われるリンダではあったが、雰囲気を読むし、許されると思っているからやっているのだ。
提督の物言いと艦隊の雰囲気からこれは駄目だと判断したのである。
そんなリンダに構わず、思い出したかのように提督は言葉を続けて駄目出しを行う。
「そうそう。言い忘れましたが、艦隊航行中は、こっちの指示や規則に合わせての行動をお願いしますよ。貴方は自由奔放な方と聞いていますので……」
その言葉に、リンダはなんとか笑みを浮かべたが、心の中では提督の評価を最低に位置付けする。
もう、これじゃフッテンの方が遥かにマシよ。
あの人、いろいろ言ってくるけど、それでも私の意見に耳を傾けてくれたし、何より私の希望を叶えようとしてくれたもの。
リンダにとって、フッテンは小うるさいがそれでも話の通じるいい人であった。
だが、今目の前にいる人間はそれ以下の自己中心主義者でリンダが最も嫌うタイプであると判断したのだ。
だから、これはいくら話しても時間の無駄だと判断して会話を切り上げる事とした。
親睦を深める価値もないと……。
「では、交渉現場までよろしくお願いいたしますね」
「ええ。貴方を送れること、光栄に思います。なんせ、フソウ連合との関係において歴史に残る舞台なのですから……」
「そうね。そうなるわね。しかし貴方も運がいいわね」
「ええ。神の導きの結果ですよ」
その言葉に、リンダは心の中で眉を顰める。
別に相手の信仰をいろいろ言うつもりはないが、今の言葉になにか狂信的な感情を感じたのだ。
それに、リンダはこういった宗教に頼り切った言い方が嫌いでもあった。
何でも神の導きがあって生きているなら、意味がないと思っている。
自分の意思で自分が選択し、自分が歩いてきた道だ。
それこそ、運頼みの時は神に祈るが、それは何も出来なくなった時だけだと思っている。
自分の人生は、自分のものだ。
それが彼女の考え方だった。
だから、聞かなかったことにしてスルーする。
「ともかく、サネホーンの未来の為に頑張りましょう」
その言葉に、モンスチーナ提督はニヤリと笑った。
「勿論です。サネホーンの未来の為に……」
その笑いに内心うんざりしながら、ああツマラナイ旅になりそうね……。
そうリンダは思いつつ、部屋への案内を頼んだのであった。
出港から三日後、艦隊はフソウ連合との交渉場所であるムバナール群島に到着した。
のどかで透き通るかのような蒼い空とエメラルドグリーンのような色合いの海。
まだ季節的には冬でありながら、高い湿度と気温が身体にまとわりつく。
常に南国と言われるこのあたりの地域では当たり前だ。
だからこそ、交渉の度に水着を新調し、海水浴や日焼けにといった感じで、リンダにとって航海中は交渉に関しての英気を養うという意味合いもあり楽しみにしていたが、今回の航海は最悪であった。
ろくに蒸し暑い部屋から出る事も許されず、食事は最悪に不味くて、まともに何もできない有様であった。
だから、到着したと聞いた時には、やっとこの牢獄から解放されるとほっとしたほどである。
すでに『ランバルハ事件』は発生していたが、戒厳令が敷かれており、艦隊に対して連絡はいっていなかった。
実際、航海中に無線を使ってのやり取りがあったのは一回のみで、それもモンスチーナ提督への何やら指示のみであり、リンダには何もなかった。
それ故に、イライラしっぽなしであったが、島に到着したという報告と、離れた島の沖合に見慣れた軍艦を見てほっとしてする。
見慣れた軍艦、それはすでに到着しているフソウ連合の軍艦である。
フソウ連合の分類では、駆逐艦に該当するその艦の名前は『シマカゼ』という。
フソウ連合随一の速力を持つらしい。
そのスマートな艦体とバランスよく配備された砲や艦橋などの艦上構造物。
もし、シマカゼが人間であるとするならば、かなりの色男と言っていいだろう。
確か軍艦フェチな知り合いが写真を見てそう言っていたが、そう言った趣向のない私も本当に同意するしかない。
スマートでありながらバランスの整った体型。
おそらく、顔とかも整っているだろう。
まさに面食いのリンダにとって理想のいい男である。
そして、そんなイメージがある男性と重なった。
あの人もいい男よねぇ
長い交渉期間の間、フソウ連合の代表として常に交渉を続けた相手だ。
それはまさに真剣勝負の対戦相手と言ってもいい人物。
青島勝大尉。
実は外見はかなりリンダの好みのタイプであった。
整った顔立ちと意志の強さを感じさせる眉と唇。
贅肉もなく、引き締まった身体と長い脚。
そして何よりリンダを夢中にさせたのは、きりりとした表情の中に時折見せる優しい微笑み。
最高だわ。
私生活ならば、ずーっと惚けて見ていたとさえ思ってしまう。
もっとも、そんな自分の欲情や私情は関係ない。
今まで通り、いやそれ以上に交渉は交渉として割り切ってやっている。
たが、そんな交渉の際の会話の端々や態度、それに交渉以外での会話等なども含めて、より自分の好みの男性であることがはっきりとしてしまう。
それに二週間ごとにしか会えないというのもある意味お預けを食らったようで不味いのかもしれない。
恐らく、仕事でなければそのまま食事でも誘って、それであわよくば……という流れにもっていきたいほどになってしまっている。
つまり、リンダは今でいう肉食女子であった。
だが、彼との関係は恐らく今回の交渉で終わるだろう。
こんなに思う相手との繋がりをこのままで終わらせたくはない。
そんな思いがあるためだろうか。
或いは堅苦しい航海のせいでうっぷんが溜まっていたという事もあるかもしれない。
だから普段なら思いつかないようなことを思いつき、そして実践してやろうなんて考えてしまったのだ。
本当はいけないことだけど、どうせ上陸するのは護衛の兵士二人とうちの部下だけだもの。
うまく口裏合わせれば、少しぐらい羽伸ばしても罰は当たらないわよね。
それに帰りもあの堅苦しい生活が続くんだもの。
いいわよね。
そんな言い訳をしつつ、リンダは島に持っていく荷物の中に水着を入れる。
ふふふっ。アオシマ、どんな顔するかなぁ……。
そんなことを思いつつニヤけるリンダ。
どうやらかなりのストレスをため込んでいる様子であった。




