ランバルハ事件 その1
サネホーン首都に最も近い主港の一つであるランバルハ軍港。
ここは軍司令本部が置かれており、その規模と重要性からサネホーンの中核となる軍港である。
もちろん、基地だけでなく、側には空港や工業地帯、それに造船所もある。
ある意味、フソウ連合で言えば、海軍本部のあるマシガナ本島に近い存在だろう。
用途用途で区画が分かれており、かなり厳重な警戒と警備が行われている。
それ故にある程度位の高いものでも、例え友人に会うといった事だけでも移動には何度も厳しいチェックが設けられていた。
この日も一人の男がバックをもって軍港の方へと向かうためにゲートに来ていた。
「おいっ。そこで待て」
二重になっているゲートの外側の入り口にいた三人の警備兵のうち、隊長らしき男がその男を呼び止める。
軍服を着ていることから軍人とはわかってはいたが、それでもチェックは必要なのだ。
すでに何十人と対応してきたのだろう。
疲れと同じ事の繰り返しの為か、警備兵の対応は雑でぶっきらぼうだ。
だが、すぐにぴしっと背筋を伸ばし、慌てて言い直す。
「すみませんが、止まっていただけますか」
なぜ、そんな対応に急に変わったのか。
理由は簡単だ。
男の階級が自分達より上だったからだ。
パンピラッドム・リッキント・キュラックス。
それが男の名前で、階級は少将である。
ある意味、警備兵にとっては雲の上の存在と言っていいだろう。
呼び止められてキュラックス少将は素直に指示に従った。
そして近づいてきた警備兵に身分証を見せる。
それを受け取り、隊長は確認しつつ恐る恐るといった感じで口を開く。
「閣下、申し訳ございませんが規則ですので移動の目的をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
その問いにキュラックス少将は淡々とした口調で答える。
「この地を離れることになったのでね。友人に最後の挨拶をしに来た」
「わかりました。すみません。お荷物を確認させていただいても?」
「ああ……」
キュラックス少将は自らバッグの蓋の部分を開く。
中には高級そうな酒のボトルが数本入っているようだった。
恐らく、別れの盃といったところだろうか。
実際、軍人であれば何があるかわからない以上、親しい人との別れとして共に酒を飲みあかすことは多い。
それが判ったのだろう。
隊長はちらりと見ただけで「もう結構です」と言って蓋を閉めるように促した。
バッグの蓋を留めるとキュラックス少将が聞き返す。
「よろしいかな?」
「ええ。問題ありません」
そう言って隊長が身分証を返そうとした時だった。
部下の警備兵の一人が隊長に近づくと耳元で囁くように言う。
「もしかして……」
その言葉に、隊長は困ったような顔をして小声で言い返す。
「わかってる。黙っていろ」
そう言った後、キュラックス少将はゲートを通された。
警備兵の一人がもう一つのゲートの方に電話で報告を入れる。
その間に囁いた兵に向かって隊長は困ったような顔で言い返した。
「お前は本当に空気を読まないやつだな」
「しかし……」
「俺だって、ランザだって気が付いていたよ」
そう言って隊長はもう一つのゲートに電話している兵に視線を送る。
電話している兵士は報告しつつ、首を縦に動かした。
つまり、わかっていたという事なのだろう。
「相手は上官だ。わかっていても黙っておいた方がいいってこともあるんだ。覚えておけ」
そう言われて、囁いた兵は申し訳なさそうな顔をした。
「す、すみませんでした」
「わかればいい」
そして、囁いた兵がもう一つのゲートに向かうキュラックス少将の後姿を見つつ呟く。
「あの人が不祥事を起こして提督の座を剥奪された人か……」
その呟きに隊長がため息を吐きつつ言葉を続ける。
「恐らく、もうあの人は終わりだな。これからいくら階級があがろうと提督の身分剥奪は大きいからな。ずっとついて回る。ある意味、敗者の烙印と同じだからな」
「もったいないですね」
「ああ。エリートコースから大きく外れてしまうから、これからの出世も厳しくなるだろうよ」
そこまで言った後、隊長は話はこれでお終いとばかりに手をぱんぱんと叩く。
「まぁ、俺らはそんな雲の上の事なんか関係ないからな。さっさと仕事に戻るぞ」
「はい……」
そう返事をすると囁いた兵はもう一度だけ歩いていくキュラックス少将の背中を見た。
それはさっきの会話のせいかとても疲れているかのように見えていた。
そして、その二人の会話は、離れていくキュラックス少将の耳にも届いていた。
だが、キュラックス少将の表情は変わらない。
何を考えているのかわからないあいまいといった感じの表情を浮かべているだけだ。
ただ、はっきり言えるのはとても友人との別れの盃を交わす為に来たという雰囲気ではなかった事だった。
「相変わらずせいが出るねぇ」
ノックに対して「どうぞ」と答えて開かれたドアの隙間からひょっこりと顔を出してそう言ったのはペーターだ。
相変わらずニコニコと笑顔を浮かべている。
確かに笑顔を浮かべてはいるが、彼はいつも笑顔を浮かべている為に裏を返せば何を考えているのかわかりにくい。
書類から視線を上げてそんなベータの顔を見てフッテンは少しうんざりしたような顔になった。
大量の書類業務でかなり疲れており、その上、腹の探り合いのような事をしなければならない相手との会話はごめん被る。
まさにそんな感じなのだろう。
これがルイジアーナだったら、また対応は違ったかもしれなかったが……。
ともかく、疲れている今は会いたくない相手ではあった。
それが判っているのだろうか。
ベータも少し困ったような表情を浮かべた。
「大丈夫だって。邪魔しに来たんじゃないんだから」
そう言いつつ、フッテンの執務室に入ってきた。
彼はトレイを持っており、そこには湯気の立っているコーヒーがあった。
「珍しいな……」
フッテンが驚いたような表情を浮かべる。
今まで結構な付き合いがあるが、ベータが息抜きの為にコーヒーを用意してくれたことなどほとんどなかった。
それ故に漏れた言葉だった。
「ここ最近は忙しそうだし……。結構遅くまで残ってやってるでしょ。だから、ま、偶にはね。」
そう言って笑うベータ。
そしてフッテンのデスクにコーヒーの入ったカップを置いた。
「すまんな。頂こう」
フッテンはそう礼を言うとコーヒーカップを手に取って口に運ぶ。
鼻の奥にコーヒーの香りが流れ込み、それだけで幾分か気分が安らいだような気になった。
コーヒーを口に含むと、苦みの強いコーヒーの味が口に広がる。
その味は、普段出されている無難なコーヒーの味とは違っていた。
この後も残って書類業務をすると考えて恐らく眠気防止の為に少し苦みが強い銘柄にしたのだろう。
人に対しての気配りは相変わらずだな。
もっとも、偶にしかしないのだが、今回は偶々なのだろうな。
そんなことをフッテンは思ってコーヒーを飲んでいると、そんなフッテンをニコニコの笑顔を浮かべて見ていたベータが口を開いた。
「フッテン、相変わらずだね」
「何がだ?」
「いつも一人でなんでも背負っちゃう癖の事だよ」
「そんなことはないぞ」
「そうかな……」
そう言った後、ベータが口調を変えた。
表情は笑顔のままで……。
「強い反対を無理やり押し切ってまで、それほど重要だったの?」
その言葉に、ピンときたのだろう。
フッテンのコーヒーカップ持つ手の動きが一瞬だが止まった。
だが、すぐに何でもないように手は動き出して言う。
「なにがだ?」
そこでしらばっくれる?
そんな感情が読める表情を浮かべてじーっとこっちを見るベータ。
さすがに不味かったかなと思ったのだろう。
フッテンは直ぐに謝罪すると言い直した。
「フソウ連合とのことだよな?」
「もちろん」
そして、ベータは壁にかかっている地図に視線を向けると言葉を続けた。
「とてもじゃないが、そこましてやるべきことかなって思っているんだ。自分としてはね……。だからフッテンに聞いてみたかったんだ。どうしてそこまでやるのかってね」
その問いにフッテンは苦笑を浮かべた。
そう言う事か。
だからコーヒーなんかも用意したのか……。
だが、その考えをフッテンは直ぐに振り払った。
いや。そうじゃない。
コーヒーはそう言った会話にもっていくための小道具として用意したんじゃない。
本当に気を利かせといったところだろうな。
ついつい裏があるのではといった感じの思考になりかけるのを止める。
悪い癖だな。
疑ってかかるというののは……。
そんなことを考えつつも、フッテンはベータの問いに答える。
「世界は今大きく変わろうとしている。フソウ連合という嵐によって。そしてその世界秩序が変わり切った時、我々は取り残される。そして世界中を敵に回すだろう。それは亡国のピンチであるが、そうなる前にうまくやればチャンスとなる。だから、その嵐の目であり、新しい世界秩序の基礎を作り出そうとしているフソウ連合と繋がりを持てば我らも変われる。私はそう踏んだ。だから、今のままでは駄目だと思っているグラーフを巻き込んで強引に進めて今に至るというわけだ」
「チャンス……ねぇ……」
呟くようにそう言った後、ベータは言葉を続けた。
「自分にはそういった事は全然わからないよ。目の前の事だけで精いっぱいだからね」
意外な言葉に、フッテンは少し驚く。
いかにもって表情をしている時が多かったから、秘めて色々考えていると思ってしまっていたのだ。
その思考が判ったのだろう。
ベータはケラケラと笑った。
「僕は見た目だけさ。本当は何も考えていない。そんな感じだね。考えるのは、フッテンや兄貴に任せてるしね」
その言葉に、本当か?って感情を浮かべてフッテンはベータを見る。
その視線を受けて苦笑を浮かべたままベータは飲み終わったフッテンのコーカップを回収した。
「困ったな。本当の事なのに……」
そう言った後、ベータは楽し気に笑う。
「まぁいいや。今日はフッテンと話が出来たから良しとしようかな……」
「そうか」
「うん、そう言う事」
そこで、終わりのはずだった。
しかし、フッテンは思わず聞く。
「それで、お前はどっちだ?」
ついつい聞いてしまった。
そんな感情がその言葉には滲み出ていた。
「なんかフッテンらしくないね」
そう言った後、ベータは少し考えこんだ後、笑った。
「わからないや。どっちも言う事は一理あるしね」
「そうか……」
しばしの沈黙が辺りを支配する。
しかし、それはベータの言葉でかき消された。
「じゃ、無理しないで……」
「ああ。そうしたいんだがな。だが、無理は出来るうちにしとくのが私の信条なんでな」
その言葉に、ベータは困ったような笑顔を浮かべる。
そこにはフッテンらしいなという感情が見えた。
そして、ベータはそのまま退室していった。
その後姿を見送った後、フッテンは伸びをする。
そして再び書類に向き直ったのであった。
暗がりの部屋の中で一人の男が二つのグラスに酒を注ぐ。
そして一つを床に、もう一つを手に持って呟くように言った。
「始めようか……」
そしてグッと煽るように一気に飲むとマッチをこすって火を灯す。
その部屋は、なにやら木箱や砲弾らしきものが積み上げられており、壁には火気厳禁と書かれている。
そしてそのわずかな光に浮かび上がった男の顔。
煤などで汚れてはいるが間違いなくパンピラッドム・リッキント・キュラックス少将であった。
その顔には笑顔が浮かんでいる。
だがただの笑顔ではない。
狂気が支配する微笑みだ。
「全ては、神の為に……」
そう言葉を続けるとキュラックス少将はマッチにともった火を床に落とす。
床は何かの液体で塗れており、まわりには空になった酒の瓶が転がっている。
油臭い匂いが辺りを支配し、落ちた火はその液体と触れることで大きな炎となった。
炎の中で笑いが響く。
「これは、神罰なのだっ」
燃え上がった炎は一気に広がっていき、積みあけられていた木箱や砲弾の方に流れていく。
炎がまるで蛇の下のような動きを見せて……。
そして、爆発が起こった。
「さて、そろそろ宿舎に帰るか……」
フッテンはやっと書類業務に区切りをつけると片づけを始める。
そろそろ日付が変わるか……。
時計を見てそんなことを思う。
だが、間もなくフソウ連合との長い交渉は終わり、一息つける。
もう少しだ。
そう自分に言い聞かせて立ち上がった時だった。
巨大な爆発音が響き、建物が揺れる。
それと同時に腹部にとんでもない激痛が走り、胸にこみあげてくるものがあった。
フッテンは我慢できずデスクに手を付き胸を押さえつける。
しかし、それでも痛みは和らぐどころかこみあげてくるものは抑えきれない。
そして、ついに吐き出した。
吐き出したもの……。
それは血だ。
真っ赤な鮮血。
それが大量に吐き出され、デスクにある書類だけでなく、フッテンの前方にあるものを紅く染め上げていく。
「な……なんだっ……。まさか……」
ふらふらという感じの歩みでなんとか窓に取りつくとフッテンはカーテンを開こうとした。
しかしそこで力尽き、カーテンを待ったままフッテンは倒れ込む。
だが、目的は達成された。
倒れ込む際に、カーテンの隙間から見たかったものが見えたのだ。
そして悟る。
そうか……。
そういう事か……。
そしてフッテンの思考は止まった。
永遠に……。
間もなく日付が変わろうとしている時間帯。
それはいきなり起こった。
軍港全てに響き渡るかのような爆発音。
そしてその爆発から生じた衝撃と振動。
それらがびりびりと建物を震わせる。
そして耐え切れなかった窓や壁、それに屋根さえも吹き飛ばした。
静まり返った軍港。
その為、寝ていた者さえ跳ね起き、何事かと思っただろう。
そして彼らは目にする。
巨大な火柱を上げて真っ二つに折れて沈みゆく大きな船の影を……。
その巨大な船の名前は、フッテン。
サネホーンが誇る超々弩級戦艦の一隻だ。
そして、サネホーンはこの日、海賊国家と呼ばれるこの国を支える柱の一つともいえる戦力と付喪神を同時に失ったのであった。




