連邦崩壊 その5
イヴァン自らの号令の下、国の立て直しが行われた。
真っ先に白羽の矢が立ったのは、軍である。
外敵からの侵攻が進んでいる今、軍の立て直しと防衛及び反抗の為の準備は急務であった。
それは保守的な思考の多い軍にとっては大きな変化ではあったが、これからの功績で今までの罪を帳消しにするというイヴァンの言葉に、不祥事だらけの軍の関係者は飛びついた。
勿論、上だけではない。
下の方も似たようなものである。
連邦という軍の組織自体が大きく腐敗していたのだから。
そして、まともな者や常識のある者は除隊か、最前線送り、それがますます軍を腐敗の温床とさせてしまっていた。
しかし、だからこそ、オイシイ餌を吊り下げられて、ここまで大きな変化にも対応できたのであろう。
もっもと最前線に送られたまともな者や除隊した者にとっては何を今更といったところだろうが……。
ともかく、彼らは必死になって動いた。
今までとは雲泥の差で……。
その結果、わずか数日で軍は立て直しがうまくいきつつある兆しを見せつつある。
しかし、反対に国内の内政は酷いものであった。
あまりにも水増しされた報告が多すぎ、どこまで信用していいのかわからなくなってしまっていたのである。
「正確な数字は、現在の時点ではわかりません」という報告に、イヴァンは絶句し、それでも大体でいいと言って聞いた数値に唖然とした。
全盛期の実に三割程度まで落ちていたのである。
確かに領土は失ったものの、余りにも酷い落ち込みであった。
そして、その原因が、国民動員法と先のフソウ連合との戦いにおいて大量に失われた海運力によるものであった。
その結果、人は足らず、人心は荒み、物流は回らず、一部の者達を除くと以前の帝国の時代よりも国民たちは貧しくなっていたのである。
いや、国民だけではない。
国自体が大きく衰退してしまっていた。
その報告に、以前のようにヒステリックに怒鳴り散らかすこともなくイヴァンは心の中でため息を漏らす。
それ程までに追い詰められていたのかとそちらの方のショックの方が大きかったためである。
そして何より問題は、軍のようにある程度の立て直しがすぐに出来そうにない事とすぐに結果が出ないという事であった。
どうしても時間がかかる。
そう判断したイヴァンは、まずは侵攻してくる公国軍と帝国軍に対しての防衛と戦線の押し戻し、それに時間稼ぎに集中せざるをえないと判断したのであった。
「東部戦線に展開する帝国軍に関しては、以前帝国が使用していたマギラナ防衛ラインを活用して足止めとするか……。なるほど。確かに面白い」
東部戦線の帝国に対して提案してきた軍部の作戦案に、イヴァンは機嫌よく頷く。
その反応に、説明している軍関係者たちは、ほっとした表情を見せる。
彼らにしてみれば、以前のヒステリックに怒鳴り散らすイメージが強すぎたために、どうなる事かと戦々恐々していたのである。
「それで首都に向かってくる公国に対してはどうするのだ?」
いろいろ書き込まれた地図を見ながらイヴァンが聞いてくる。
その問いに、慌てて公国に対しての作戦案を用意した担当の者が説明を始めた。
「は、はっ。公国が進むこのリンチ地域は、地形的な部分とこの時期は気象関係の問題もあってある程度の数の部隊が動ける街道は多くありません。そこで、この狭まっている場所を中心としていくつもの陣を用意して防衛ラインを形成します」
「なるほどな。確かにそれなら足止めとして十分であろう。だが、東部と違い、長い足止めや戦線の維持は難しいのではないか?」
「はっ。その為、この地域で足止めしつつ南部にある戦力を北上させて進行してくる公国軍の側面にぶつけます」
そこまでの説明を受け、イヴァンは少し眉を顰めて地図を見直す。
その様子は真剣そのものであり、以前を知っている者達にとって今までと全く違って見えた。
そして何かわかったのだろう。
驚いた顔してイヴァンが告げる。
「そうか。東部の帝国の侵攻を止めるこの防衛ラインは、帝国の侵攻を抑えるだけでなく、南部の部隊を北上させるためのルートも兼ねているのだな?」
「さすがですな。その通りでございます」
「おべっかはいい」
イヴァンは照れくさそうにそう言ったが、説明している軍関係者としては、そこまで理解してもらってありがたいと思っており、おべっかではなかった。
実際、そこまで理解していないためにかなり何度も説明を繰り返さなければならない上層部や幹部も結構いたのである。
それに比べれば、イヴァンは優秀であった。
だが、すぐにイヴァンの表情が曇る。
「だが、これでは公国の侵攻を止める事は出来ても、追い払うまでにはいかないのではないか?」
実際、連邦の戦力は大きく失われていた。
確かに国民動員法によって兵の数は多かったが、素人に毛の生えた程度の練度に十分な武器や装備品がいきわたっていない有様で、すぐに戦える戦力として計算できる状態ではなかったのだ。
その為に、戦線に投入できる数は限られており、きちんとした報告でイヴァンもその数字を把握していたから出た言葉である。
「はい。おっしゃる通りでございます。今の我々ではこれが精一杯かと……」
その言葉に、イヴァンの表情が曇る。
「では、最前線で取り残された部隊はどうするのだ?」
「我々としては、自力で敵公国軍の防衛ラインを突破して欲しいとは思っております。そうすれば、挟み撃ちにでき、勝利はより確実になりますし、奪われた町や港を取り戻せる可能性が少しは上がると思ってはいます」
「だが、それが可能か?」
「恐らく無理かと……。最前線からは、最終手段として降伏も視野に入れたいと言ってきておりますが……」
「何と返した?」
「連邦の誇り高き軍人ならば、国の為に尽くし戦えと……」
「ふむ致し方ないか……。ならば、侵攻してくる公国軍の背後からの攻撃命令を出せ。死して祖国に貢献せよと」
「了解いたしました。直ぐにでも命令を送ります」
命令を受けた関係者が頭を下げて、すぐに部下に伝言を伝えている。
恐らく、言葉通りにすぐに命令を下すのだろう。
それが終わったから、イヴァンは口を開いた。
「それでだ。この作戦はいつから始める?」
その問いに、それぞれ各方面の作戦を説明した担当官は互いに顔を見合わせる。
それはどうしたものかと迷っている様子ではあった。
「どうした?きちんと報告せよ」
その言葉に、担当官の一人が恐る恐るといった感じで返答する。
「実は……すでに一部の部隊には動くように指示を出しております」
「ほう……。なぜだ?」
イヴァンのまつ毛の端がひねりあがる。
その変化に、担当官は震えあがった。
しかし、それでもきちんと理由を述べる。
「い、今は少しでも時間が無駄に出来ません。わずかな遅れが作戦の致命的なミスにもなりかねない。それで特に重要な拠点やポイントを押さえる部隊にはもう指示を出したのです」
その言葉に、以前のイヴァンなら怒鳴り散らかすだろう。
しかし、今や追い詰められているという現実を知っている以上、そう判断した部下に対して文句を言う事は出来なかった。
それどころか、それだけ祖国に対して貢献し役に立とうとしているではないか。
そう判断したイヴァンは笑みを浮かべると口を開いた。
「確かに独断専行と言ってもおかしくない。だが、今回は仕方ない……というより実にいい判断である。ここで長々と許可を持つ間も相手は侵攻をしているのだからな。実に素晴らしい状況判断と言えるだろう」
まさか褒められるとは思いもしなかったのだろう。
担当官たちは驚いた表情を浮かべた後、ほっとしたため息を吐き出す。
その様子を見つつ、イヴァンは機嫌よく声を出して笑う。
「いいか。君らの貢献が祖国を守るのだ。これからも期待しているぞ」
その場にいた者たち全員がイヴァンに敬礼する。
それは恐怖や威圧によって引き起こされたものではなかった。
ただ、自然と出た敬礼であった。
それを見つつ、イヴァンは満足そうに頷くと立ち上がった。
そして部屋の外で待っている秘書官に次に向かう先を告げる。
こうして、イヴァンは軍務省の建物を後にする。
もちろん、次の目的に向かうためだ。
今までのように議会にいては、改善されないと判断したイヴァンは、各省を回って現場に近い人間から話を聞き改革を進めようと考えたのである。
「次はどこだったかな?」
「はい。次は運輸省です」
「そうか。次も気合を入れなければならないな」
現在、鉄道網は回復しておらず、海運も大型中型の船舶のほとんどを失い小型船で細々やっているという有様で、陸運に至っては治安の悪さの為に街道での輸送が滞っているという。
まさにあらゆる点でうまくいっていないと言ってもいいだろう。
だからこそ、かなりの改革が必要となる。
なにかいい案が出て円滑に進めばよいが……。
そんなことを考えてしまったが、その甘い考えをイヴァンは心の中で強気否定した。
軍ではうまくいったが故に期待しすぎていると判断したのだ。
これからが修羅場である。
そう思って気を引き締める。
そして街中を見る。
ぽつんぽつんと人が歩いているが車の行き来はまばらだ。
それは首都でありながらあまりにも奇妙な光景だった。
活気がないのだ。
あまりにも……。
そして、それは現在の連邦の有様を鏡のように映し出している。
普段の決まった時間に送迎されていたころの何台もの車による護衛付きの移動では見る事もなかった光景だ。
つまり、今まで真実をずっと知らなかった事という事になる。
確かにそれは寂しいし、悔しい。
怒りもまだある。
だが、それでもイヴァンの心の中ではそれ以上のものがあった。
連邦で最高指導者となって以降、感じる事のなかったもの。
組織を立ち上げ、仲間と共に苦労していくときに味わった達成感と充実感だ。
だからだろうか。
一緒に乗り込んでいる秘書官が恐る恐るといった感じではあったが聞いてくる。
「イヴァン様、うれしそうですね」
「そうか?」
そう答えた後、イヴァンは笑って言葉を続けた。
「そうか……。嬉しそうか……。ふむ。そうだな。うれしいのかもしれんな……」
そう言って言葉を続けようとした時だった。
しかし、言葉は続かなかった。
一台の速度を上げた車がイヴァンの乗っていた車に突っ込んできたのだ。
普段なら周りは護衛がつくし、乗っている車も装甲の保護のついた特別車で、例え速度を上げた車が突っ込んできたとしても護衛の車が間に入ってぶつかることはないだろうし、特別車ならば衝撃はあるだろうが、少し車体が歪んだ程度で済んだだろう。
だが、今、イヴァンは護衛どころか、普通の車に乗っている。
急な移動という事で、護衛の準備も間に合わず、いつも使っている特別車も整備の為に使えなかったためだ。
もちろん、SPは何人か同じ車に搭乗していたが、突っ込んでくる車に対してはあまりにも無意味であり、無防備であった。
そして、何より突っ込んてくる相手の車の動きに迷いがない。
これだけガラガラの道なのに、ブレーキを踏んだりハンドルを動かすようなことはせず、イヴァンの乗っている車、それもイヴァンが乗り込んでいる後部座席めがけてアクセルを踏み込んで突き刺さる様に突っ込んでいったのだ。
そんな突撃を受け、普通の車が無傷で済むはずもなく、後部座席のドアは簡単に凹んだだけでなくそのまま猛スピード突っ込んて来た車の勢いと共に中の人を押しつぶした。
ぐちゃり。
まさにそんな擬音が当てはまるかのように後部座席に乗り込んでいた人がただの肉片へと変貌していく。
血と肉片が飛び散り、人がただのモノとなっていく。
何人もの肉片が交じり合い、一つの塊のように圧縮される。
もちろん、イヴァンもその中に含まれていた。
だが不思議なことに、潰された肉体の中で唯一原形をとどめていた顔は、満足そうな笑みのままであったという。
その時、彼は何を思い、何を考えて死んだのかはわからない。
ただ言えるのは、いきなりの死で、苦しみも感じになかったのではないかという事だけだ。
こうして、ただの事故とは思えないことが重なり、連邦の最高指導者は人気のない俳優が降板するかのようにあっけないほど簡単に表舞台から姿を消した。
しかし、それはある意味、イヴァン・ラッドント・クラーキンという人物にとって幸せだったのかもしれない。
この後、イヴァンという唯一の柱を失った連邦は立て直しに失敗し、混乱の中、瓦解していく。
自らが建国した国の最後を見なくて済んだのだから……。




