日誌 第五百十日目
僕は椅子に腰を下ろすと目の前の老人に目を向ける。
いや、正確に言うと老人らしきものだろうか。
霊体となった場合、年齢とか関係あるのかわからないものの、姿形は老人となっているし、高齢で亡くなった以上、老人でいいのかもしれないな。
そんなことを思っていると、背中と右側から痛い視線を感じた。
恐らく東郷大尉と三島晴海の二人からだろう。
二人にしてみれば、なんでという気持ちが強いのはわかる。
ここフソウ連合は、僕がいた日本と同じで、宗教や呪術が深く交じり合った生活をしているのが今までの生活でよくわかる。
そして彼女らの常識としては、禁呪に対しての嫌悪感や法を犯した者に対しての強い非難と軽蔑がある。
魔術や宗教、習慣に関しては特に強い。
元々そう言ったものは、危険だからとかきちんと理由があることが多い場合も多いし、すべてとはいかないが昔の知恵やそう言った決まりは尊重し守るべきだと思う。
僕も基本的には規則は守られるためにあるという考えだし、規則を破った者はそう言った扱いを受けても仕方ないと思う。
確かに情状酌量の余地はあるかもしれないが、法的国家ならばそれが当たり前だ。
フソウ連合も日本も法的国家なのだから……。
ただ、人は感情の生き物だ。
それ故に今の日本なんて甘くなりがちで、やれ可哀そうだとか人権がとか言って法をなし崩しにしかけている部分がある。
それはあってはならないことだ。
法は法という前提があっての若干の情状酌量という事ならいいのだが、感情ばかりが先行し、法を蔑ろにしてしまっていることがあったりするわけだ。
マスコミが可哀そうだと書きたて、人権家が権利ばかりを主張して、法を破っても仕方ないという流れにもっていく。
周りを見渡せば、よく見かける光景である。
あそこまでなってしまうと考えものだが、ある程度の柔軟性は見せるべきだろう。
それに、話し合いに応じること自体は悪い事とは思わない。
相手の事情は知るべきだし、それが判らなければ何も始まらない。
いがみ合っているだけでは、何もできないのだから。
ただ、相手ばかりに譲歩しているようだと思われてもつまらないので一言言っておくことにした。
「禁呪を行ってまでやりたいことがある。その意思を尊重してお話は聞きます。ですが、その内容によっては、会談をすぐに終了することもあり得ると思っておいてください」
僕がまず最初にそう言うと、老人、いやラチスールプ公爵の口の周りにある整えられた髭が震える。
楽し気に笑っているのだ。
三島さんの強い視線がラチスールプ公爵に向けられるが、それを受けても彼は笑っていた。
そして、微笑んで口を開く。
「あなたは、本当に面白い人だ。聞いた話とはまた違っていたが、実に好ましい性格をしておられる」
「好ましい?」
「そうよ。私の耳には、フソウ連合を統括する独裁者という話やとんでもない先を見据えたリーダーという話、それに相手を丸め込む口のうまい男といった話が来ていて、そこからもっとガチガチの人間か浅知恵の回るずるがしこい男を想像しておった。だが、実際に会ってみた印象は大きく違う。規則を尊重する事は大事だとわかってはいるが、それでも相手の事情を知り、少しでも相手の立場を考えようとしている。今までの態度と発言から貴方は実に人間味のある人であり、王国の小僧や共和国の嬢ちゃんが信をおくのも納得できるというものよ」
そこまで言われ、僕は頭をかく。
いや、そんなすごい人ではないです。
ただ、僕は自分の思ったように行動しているだけで、そんな褒めてもらえるようなことはしてないんだけどなぁ。
それともこれは交渉を進めるためのお世辞なのだろうか。
そんなことを思ったが、どうやら困ったような表情になっている僕を見るとラチスールプ公爵は苦笑して言葉を続けた。
「そして、この国、フソウ連合も素晴らしい。ここまで魔術と技術、そして生活がうまくかみ合っている国はどこにもありませんよ」
その言葉には、ラチスールプ公爵の感心と強い思いが込められていた。
その言葉に、ちらりと横を見ると三島さんの表情が少し和らいでいるのが目に入る。
それはそうだろう。
今まで必死で、それも長い間一族で守ってきたものを褒められたのだ。
うれしいくなっても仕方ない。
「しかし、帝国は違う。帝国では、魔術師は異端者として迫害の対象であり、軽蔑される対象であった。利用はするが、それだけの存在であった。もちろん。貴族の中にも魔術師はいた。だが、それでも裏で侮蔑と軽蔑を受けるのは変わらん。そして、王国は、魔術と技術を切り分けた。その結果、工業的発展は大いに遂げ、強大な武力を得たが反対に魔術は衰退していった。共和国は、人民革命で魔術を異端なものとして切り捨てることで魔術師ではなく、タダの人としての権利を得る道を選んだ。連盟は、商業や経済を主におく事で経済という力を手にする事は出来たが魔術は衰退していく形となった。そして教国は宗教を選択して世界に強い影響を得たが、その反面、魔術を異端として弾劾するものが多くなっていった。つまり、世界中探してもここまでの国は皆無なのですよ」
そこまで一気に話した後、ラチスールプ公爵は少しうらやましそうな表情を浮かべて言う。
「私が理想としている国がここにあった」
その言葉に、フソウ連合とアルンカス王国だけしか行った事のない僕としてはなるほどと思ったのだが、三島さんはまだ固い表情のまま口を開く。
「お褒め頂きありがとうございます。ですが、この形になったのは、私たち一族だけでなく、多くのフソウの民が願ったからこそ成ったものです。私らの手柄ではありません」
「ふむふむ。その通りですな。私は、そこまで考えていなかった。トップが変われは、流れも変わる。そう思ってやってきた。その結果があの様よ」
ラチスールプ公爵はそう言うとため息を吐き出し、苦笑を浮かべた。
確かに今の帝国の分裂と混乱を生んだのは、意のままに操る為に愚人を担ぎ上げ、一人が一気にやろうとした結果と言えなくもない。
確かに担ぐ神輿は軽い方がいいとは言うものの一人で出来る事ではないし、一気にやれることは少ない。
大体、大規模な改革は大きな変化をもたらす。
それがうまくいったらいいものの、そうそううまくいくことは稀だ。
何某らのトラブルが発生し、その結果、どうしても何某らの反動が生まれる。
そして、それはまとまっていたはずの仲間や同志の思いさえも崩し去っていく。
だからこそいざという時に決断でき、皆をまとめれるリーダーは必要なのだ。
恐らく、ラチスールプ公爵はそれを実感しているのだろう。
その言葉には説得力があった。
「それで、そんな愚痴を言いに来たのですか?」
だが、そんな言葉を聞いても三島さんの言葉は冷たい。
或いは警戒しているといった方がいいだろうか。
第三者から見たらなんでと思うかもしれないが、僕としては味方として実に頼もしいと思う。
それは開いても感じたのだろう。
ラチスールプ公爵はニタリと笑う。
「さすがは……。おっと、いかんいかん。ついつい愚痴っぽくなってしまっていかんな。では、本題に移りましょうか……」
そういうと、ラチスールプ公爵は表情を引き締める。
自然と僕も顔が引き締まった。
部屋の中の緊張が高まるのが感じられる。
そんな中、ラチスールプ公爵は僕の方を見て、口を開いた。
「我々の希望は、ジュンリョー港沖に展開する機雷の除去です」
ジュンリョー港。
旧帝国東方艦隊の母港であり、幾度となく敵の侵攻を防いだ天然の要塞である。
またその規模の大きさから、帝国東部最大の港であり、その経済規模もかなりのものであった。
だが、『夜霧の渡り鳥』作戦の時に、敵艦隊を港に逃げ込ませないためにジュンリョー港沖に機雷の設置を行い、完全な閉鎖に成功。
聞いた話では、一気に衰退し、施設は放置され、寂れてしまったという事だ。
そんな情報を思い出しつつ、予想外の言葉に僕は驚く。
てっきり物資や武器の援助とかだと思ったのだ。
だが、援助ではなかった。
何を考えている?
思考を回転させて聞き返す。
「機雷の除去と言いましてもかなりの時間が必要ですし、それに何より今ジュンリョー港は連邦領です。危険な目にあいつつ除去作業は無理です。それに我々に何のメリットがありますか?」
僕の言葉に、ラチスールプ公爵はカラカラと笑う。
「確か、講和の際に将来的にはジュンリョー港の一部借用を提案されていましたな」
なるほどそこを突いてきたか。
『IMSA』の今後の展開であった方がいいと思って、確か駄目元で追加して却下されたんだよな。
「ええ。そういう事もありましたね。ですが、それが何か?」
そう言ってみる。
もっとも通用するとは思っていない。
恐らく無理だろう。
しかし、少しぐらいは抵抗してもいいだろうし、それにうまく誤魔化せたらそれはそれでいい。
だが、そんな僕の言葉もラチスールプ公爵はニタリと笑って伺うように言う。
「あんな話が出たという事は、あの機雷を何とか出来るという算段がおるからと見ましたが……」
ですよね。
そう判断しますよね。
くそっ。言わなきゃよかったがもう遅い。
今更過去には戻れないのだから。
仕方ない。
ガシガシと頭をかき、口を開く。
「ええ。直ぐにというわけではありませんし、ある程度の時間はかかりますが方法はありますね」
その言葉に、ラチスールプ公爵の目つきが鋭くなった。
「では、お願いしても?」
「ええ。構いません。ですが、危険な事には変わりはありません。そこまでして我々が行うメリットはあるのですか?」
僕の言葉に、ラチスールプ公爵は目を細めた。
それはまるでずるがしこい狐を連想させる。
やりにくいな……。
さすがに、年の差、経験の差は大きいのだろう。
僕としてはやりにくさが感じられて、主導を握られている印象だ。
しばしの思考の後、ラチスールプ公爵は口を開く。
「では、こうしましょう。ジュンリョー港及びその周辺地域を開放した暁には、ジュンリョー港の一部を『IMSA』に提供すると。そして帝国は正式に『IMSA』に参加するともね」
つまり、僕が『IMSA』の為にジュンリョー港の使用を考えていた事は筒抜けだったという事か……。
しかし、『IMSA』に参加を表明とかかなり言い切ったな。
確かに、インパクトはあるだろうし、他の二国への牽制にもなる。
うまい手だと思う。
だが、それは逆効果を招くこともあり得る。
今の混乱の中で、帝国が三ヵ国の中で一番ジリ貧であるという現実から考えれば、そうなる恐れがないとは言えない。
一瞬、はったりか?とも思ったが、そんな感じはしない。
それはつまり、秘策があるという事か……。
或いはこっちがつかんでいない戦力があると見るべきかもしれない。
確かに海軍力だけなら、帝国と公国はかなりいい勝負をするだろう。
もっとも、数だけを見ればだが……。
それに将来的にはいつかは撤去しなければならないと思っていた。
それが早まったと思った方がいいのかもしれないな。
だが、それでも聞き返す。
「いいのですか?」
「ええ、構いません。それに、解除の報告を受ければ、帝国海軍が一気に動きます。それに、連邦内でも協力してくれそうな勢力の目星も立ちましたから……」
つまり、ほとんど戦力のないジュンリョー港を占領し、反対勢力と協力して一気に連邦の東側から攻撃を仕掛けるという手はずか……。
確かにこれなら、膠着している国境付近で被害を出して進むよりも遥かにうまくいくだろう。
そして、『IMSA』に加盟し、港の一部とはいえ『IMSA』に提供するという事は、ジュンリョー港を攻撃することは、『IMSA』加盟国を敵に回しかねないという事態になる可能性は高いと判断するだろう。
なかなかよく考えている。
それにこの作戦、うまくいく可能性はかなり高いと思う。
また、危険とは言ったが、恐らく連邦に機雷除去作業を妨害する海上戦力はほとんど皆無だろうし、こっちの被害はそれほど考えなくてもいいからやって損はないか……。
だが、それが本当かどうかはわからない。
だから僕は聞き返した。
「そんな事を話してもよかったんですか?」
「構いませんとも。この作戦は、フソウ連合が動かねば実施できませんし、実際に動いた場合、失敗するより成功した方がメリットがありますからわざわざ相手側に情報を漏らすようなことはしないでしょうからな」
すっかりこっちの考えを読まれている。
参ったな……。
僕は苦笑して言い返す。
「確かにその通りですね。ならば、その作戦、実施の際はもちろんこちらにも詳細な情報と経過をお知らせいただけるんでしょうね?」
その言葉に、今度はラチスールプ公爵は苦笑した。
「いいでしょう。フソウ連合の協力を得る為なら、文句も出ますまい」
そう言うと手を差し出した。
それに合わせる様に僕も手を差し出す。
合意したという証の握手だ。
霊体のはずなのに、手を握っているという実感があった。
もっとも、ひんやりと冷たかったが……。
細かな事は後日調整して連絡するとなったがも、こうしてナベハラ支港での会談は終了する。
それは今までジリ貧で後手後手に回っていた帝国の初の反抗作戦の始まりであり、フソウ連合が帝国に協力する事の始まりでもあった。
いつも誤字脱字のチェックをして下さる皆様。
本当にありがとうございます。
感謝感謝です。




