帝国からの使者
鍋島長官は報告書を読みほっと息を漏らした。
サネホーンとの交渉にある程度の形が見え始めたからだ。
先の事はどうなるかわからないが、まずは通商条約辺りを締結して経済と文化の交流を行いつつ、『多国籍による国際海路警備機構(International Maritime Security Agency)』略して『IMSA』と『国際食糧及び技術支援機構(International Food and Technology Assistance Organization)』、通称『IFTA』の二つに参加してもらって世界的な貢献を示すことで国際社会の信頼を培う事となるだろう。
今の所、それが最善の着地点だ。
その考えは他の幕僚や政府関係者との調整も終えて交渉に当たる青島大尉に伝えてある。
もし、サネホーン側が蹴らない限りは、あと数回の交渉で決定して三月頃には正式に世界に発表する形になるだろう。
そうなると世界中で大騒ぎになるのは目に見えている。
もっとも、王国と共和国、それにアルンカス王国には発表前に伝えておかなければならないな。
しかし、アッシュやアリシアはどんな顔をするだろうか。
もっとも彼らの事だ。
サダミチならやると思ったとか言い出しそうだ。
だが、サネホーンやルル・イファンの『IMSA』と『IFTA』への参加はある意味、いい宣伝になると言える。
きちんと条件さえ満たせば、受け入れてくれるという実績になるからだ。
次は、王国か共和国から独立した植民地あたりが参加すれば、ますます国際的な組織としての地位は高まるだろう。
しかし、それと同時に参加国の権利の確保や利権の公平さなど問題も増えていくだろう。
文化的違いなんかも参加国同士の摩擦になりそうだ。
やはり、各国から人材を出すだけではなく、組織の為の人材育成も行う必要性はあるな。
あくまでも中立の立場である人材が……。
かなりの難題だが、すぐに形にする必要はない。
少しずつ土台を作っていけばいいだけのことだ。
急ぎすぎはよくない。
そのいい例が、現在のフソウ連合だ。
実際、フソウ連合は一気に大きくなりすぎだ。
その歪みは至る所に現れ始め、その修正も急がなくてはならない。
それに、国際社会で通用する人材育成も急務だろう。
国際的組織を作ったはいいが、その関係者にフソウ連合の関係者が参加出来なければ意味がないし、フソウ連合の常識や認識が世界共通というものでもないだろうし……。
それに、なにより人が増えると意思統一が難しくなっていく。
それは、組織として大きくなればなるほど切り捨てていかなければならない部分がより出てくるという事なんだろう。
出来ればそういった事は考えたくないんだが、そうも言ってられないしな……。
そんなことを思いつつ、鍋島長官が報告書に印を押し、処理済みの書類の山に載せたときだった。
インターホンのブザーが鳴り響き、鍋島長官はボタンを押してマイクに話しかける。
「どうしたんだい?」
マイクは、長官室の手前に設置してある秘書官のデスクに繋がっており、そこに座って仕事をしている東郷大尉がすぐに返事を返す。
「すみません。長官、緊急報告です。伝令の方が来られていますが、今、大丈夫でしょうか?」
本当なら自分で持ってきたいのだろうが、確か東郷大尉も今は仕事の山に埋もれていて中々難儀しているはずだ。
だから、諦めたのだろう。
残念そうな声色でそう言われてしまって鍋島長官は慰める様に優しい声で答える。
「ああ、構わないよ。直ぐに通していいから……。」
鍋島長官がそう声をかけると、すぐにドアが開いて伝令の兵が入ってきた。
伝令の兵は一歩入室すると足をそろえてきちんと敬礼する。
「失礼します。北部方面部司令の野辺少佐より緊急連絡がありました」
そう言うと、伝令の兵は鍋島長官のデスクに近づくとまた敬礼をしてボードを差し出した。
それを受け取り目を通す。
そして視線を伝令の兵に戻しつつ声をかけた。
「内容は間違いないのだな?」
「はっ。間違いございません」
「わかった。至急対応すると野辺少佐に伝える様に」
「はっ。直ぐに」
そう言うと伝令の兵は敬礼して退出していった。
その後姿を見送った後、鍋島長官はデスクに残ったボードに視線を落としてため息を吐き出す。
「せっかくある程度落ち着いたと思ったんだけどねぇ……」
それは独り言であったが、鍋島長官の本心でもあった。
サネホーンやルル・イファンの件も目途が立ち、連邦にはもうフソウ連合に向けて侵攻するための海上戦力はない。
国際組織として立ち上げた『IMSA』と『IFTA』もうまく機能している。
他にもいろいろ問題はあるものの、フソウ連合の行き先を大きく揺るがすものではない。
少しは息抜きが出来るか……。
そんなことを考えた矢先である。
ため息や愚痴が出てしまうのは仕方ないことかもしれない。
そして恨めしそうにボードにはさめられた紙に書かれている文字を再度読む。
そこには『帝国からの使者が入国を要求。また、代表者の方との対談を希望』と書かれていた。
帝国とは以前の対談で和平の講和を結び、それ以降音沙汰なしの状態で、裏で公国を支援しているフソウ連合としてはそれでよかったんだけどなぁ。
それに、他国の内情にあまり深追いしたくないという事もあり、現在の公国との交渉はポランド・リットーミンとリットーミン商会に任せてある。
まぁ、行き過ぎないようにある程度の監視や抑制は必要だが、ポランドならばうまくやるだろうと鍋島長官は思っていた。
また、連邦、公国、帝国の三ヵ国の力関係は、大きく傾きつつあり、恐らくだが公国が統一するだろう。
ならば、わざわざ帝国と繋がりを作る必要性はあまりない。
だが、使者を無視するわけにはいかないし、繋がりがなかったために後手後手になってしまった連盟の件もある。
それに和平交渉で一応中立という立場を表明している建前もあるしねぇ……。
仕方ない……。
鍋島長官は、少し困ったような顔をして頭をかいた後、インターホンのボタンを押した。
直ぐに東郷大尉の声が響く。
「どうされましたか?」
「忙しいところすまないが、緊急で会議を行う。今すぐ対応できる幕僚と外交部の幹部だけでいいから会議室に招集しておいてくれないか?」
「了解しました。直ぐに手配します。それとこの後の長官のスケジュールもキャンセルでよろしいでしょうか?」
「ああ頼む。恐らく北部基地に向かう事になりそうだしね」
その言葉に、少し間があった後、東郷大尉の返事が返ってきた。
「わかりました。移動の方も手配をしておきましょうか?」
「ああ。頼む」
そう言った後、鍋島長官は労わる様に言葉を続けた。
「本当に忙しい時にすまないね」
その言葉に、今まで事務的だった東郷大尉の声が嬉しそうなものになった。
「いえ、仕事ですから。それに、私、あなたの事を支えていきたいと思っていますから、苦になりません」
その言葉に、鍋島長官は照れたように言う。
「本当にありがたいな。助かってる。これからもよろしくね」
「は、はいっ」
そしてインターホンは切れた。
だが、隣の部屋で喜びの奇声が微かに長官室に響いたのは東郷大尉の名誉のために秘密にしておきたいと鍋島長官は苦笑を浮かべて思ったのであった。
フソウ連合海軍北部方面司令本部のあるカリイシ港から少し離れた島にあるナベハラ支港の端の一角は厳重な警戒が実施されていた。
周りには警備の兵が何人も警戒し、その一角には一隻の船だけが停泊している。
全長150m、総トン数11000トン前後という事から、この世界の基準では大型に分類される。
形はフソウ連合が使用する貨物船や客船よりも古臭いというか洗礼された感じはしないものの、質実剛健といった印象だ。
そんな船の甲板では一人の男が港の埠頭を警備するフソウ連合の兵士達を楽しげに見ている。
周りに人影はなく、ただ一人だけのはずだった。
しかし……。
「いやはや、実に素晴らしいな、この国は……。魔術と機械文明がうまく溶け込んでいるのが感じられるぞ」
「ええ、その通りでございます。私もあの結界にはびっくりいたしました。その上、あの飛行機なる飛行物体の敏速な対応……」
なぜか二人分の声が微かに響く。
その音は実に小さく、かなり近づかねば聞き取りないほどであり、月明かりによってできた陰で男の顔は黒く塗りつぶされてしまっていた。
「そうよ。そうよ。実に素晴らしい。さすがは東方の魔女の血族達が創りし国よ」
「なぜ、マスターが滅ぼさねばならぬと言っていたのか、それが理解出来ました。敵となれば、間違いなく強大な壁となるでしょう」
「ああ、そう思っていた時期もあったが、実際に見てみて考えが変わったぞ」
「どのようにでしょうか?」
「まだこの国の代表者であるナベシマという人物と会ってからはっきりはさせたいが、今はもうこの国を滅ぼそうとは思わんよ。それどころか、この国を見本として我が国の立て直しをしたいとさえ思っておる」
「おおお。そこまで……」
「まだ、はっきりとそう決めたわけではない。だが、ナベシマという人物を見てからはっきりさせたいと思っておるのは間違いではないぞ」
「ふふふ。あの皇帝の時のように……ですか?」
「応よ。あの時は実に楽しかったぞ。まさかあの女があれほどの器だったとはな」
「ええ。私も一皮どころか、大きく変わったと思っております」
「やはり、あの銀の小娘が妨げになっていたといったところか」
「ですが、今や二人は敵同士」
「うむうむ。だが、銀の小娘は王の器ではないと見ている。あれは王才の器よ」
「だから、皇帝を支援なさるのですね」
「その通りよ。祖国託せると私は見込んでおる。だが、フソウのナベシマ……。あれもどういった人物かによって先を考えねばならぬ」
「その割には楽しそうですな」
「ああ。楽しいぞ。私が残せる最後の事だからな。わくわくしておるわ」
「では楽しみですな。ナベシマ様に会うのが……。ですが、彼は会うでしょうか?」
「会うだろうよ。その為の布石はやっておる。それに東方の魔女の血族が黙ってはおらんだろうからな」
そういった二人の会話のようなやり取りの声が響いた後、男は船内に戻っていく。
そして、月の明かりでちらりと見える男の顔には満足そうな表情が浮かんでいた。
そして翌日の夕方、対談が実施される。
そこには、鍋島長官だけでなく、巫女服に身を固めて真剣な表情で後ろに付き従う三島晴海の姿があった。




