日誌 第十八日目
トントン。
ドアがノックされ、僕は声をかける。
「どうぞ。開いてますよ」
その言葉の後、ドアが開いた。
「あら、珍しいわね…」
そう言いつつ長官室に入ってきたのは三島さんだった。
「何がですか?」
書類を読みながらそう言うと、三島さんはくすくす笑いつつ答える。
「東郷ちゃんがいないじゃない」
「ああ、彼女は今日は休みですよ。昨日、ご両親が来られたから、今日は休みを取る様にいいましたからね。ご両親孝行してもらいたいですから…」
その言葉に、三島さんは苦笑しつつ、僕のデスクに積まれている書類の山に持って来た書類を追加する。
けっこうな分厚さの書類だ。
それをちらりと見てうんざりした表情が出ていたらしい。
「ふふふっ。大変そうみたいね」
僕は顔を上げて苦笑する。
「おかげで、いかに東郷大尉が優秀で、手助けされていたかよくわかりましたよ…」
僕のこの言葉に、三島さんは意味深な表情を浮かべた。
「それがわかっただけでも収穫よね…」
「えっ…どういう意味です?」
「ううん。こっちの事よ。それで、私に聞きたい事があったんじゃないの?」
そう言われてわざわざ三島さんを呼び出した事を思い出す。
「あっ、そうでした。すみません」
区切りがいいところで書類を終わらせると、立ち上がってソファに移動する。
それにあわせるように三島さんもソファの方に移動して先に座った。
もし東郷大尉がいるのなら、長官より先に座るなんてとか言いそうだが、僕としてはそういうのはあまり気にしないのでそのまま僕も向かい合わせになるようにソファに座る。
そんな僕を三島さんがくすりと笑った。
「本当に、飾り気がないというか、立場を理解しきれていないというか…」
「おかしいですかね?」
僕の言葉にますますくすくす笑って三島さんが答える。
「おかしいわね。普通は、高い地位にある人ほど格式とか形式にこだわるからねぇ」
その言葉に、僕は笑って言い返す。
「僕に長官とか代表とかの肩書きは似合わないというか、自覚出来ないんですよ。自分がそういうのに相応しいとは思っていないですからね」
その僕の言葉に、三島さんは実に楽しそうに笑う。
「本当に面白い人ね、あなたは…」
なんかこのままからかわれて話が進まないと思ったので、そろそろ僕は用件を切り出すことにした。
「えっと、それじゃあ、本題に移っていいですかね?」
「ええ。どうぞ」
「ではまず一つ目なんですけど、これは地区代理責任者としてです。学校街の件どうでしたか?」
そう言いながら思い出す。
マシナガ地区と他の地区の教育機関の差を…。
マシナガ地区は、士官学校だけでなく、地区の領民の子供には学校で勉学を学ぶ権利が与えられており、ほとんどの子供達が学校に通う。
そして、より詳しい技術や知識を得る為の教育機関も存在する。
その為、マシナガ地区ではほとんどの領民がある一定の養育を受けており、教育レベルの平均は高くて専門的な知識や技術を持つものも多い。
しかし、他の地区には簡単な初等養育の機関があるだけであり、より高度な教育機関はほとんどないといっていい。
一応、シュウホン島に、中等教育機関やある程度の専門教育機関はあるものの、入れる人数は微々たるもので、金持ちは家庭教師などを雇って自分の子供達には英才教育を受けさせるのが常であった。
その為、教育レベルの底辺と上との差がとてつもなく大きい。
しかし、それではいけないと思う。
領民だけでなく、フソウ連合全体の国民の教育レベルの底上げはこれからの事を考えれば必要なのだ。
そう思った僕は、学校がいくつも集まった学校街を作ってみてはどうだろうかと各地区の責任者に提案してもらうように三島さんに頼んでいた。
「そうね。作る分には文句はないみたいね。そこでまとめて専門的な知識や技術者を育成するって言う事は、そこの卒業者が戻ってくる事で他の地区にもプラスになるからね」
「なら進めていいってとこかな…」
僕がそう呟くと、三島さんが乗り出してきて聞く。
「ところで…何で学校街なんて作ろうと思ったのよ?」
「いや。うちの地区の学校を増築して当ててもいいかなとも思ったんですけど、より幅広い知識と技術を教える機関としては力不足だと思いましたからね。まぁ、即効性はないですし、効果が出るのは学校卒業者がある程度の地位につくころからですけどね」
「それでも、フソウ連合の未来には必要ってことかしら?」
「ええ。必要だと思いますよ。富国強兵の基礎的な部分として必要ですから」
「ふーん。色々考えてるのね…。で、次は?」
「次は、魔術師としての件ですね。実は結界について聞きたいことがあったんですよ」
結界という単語が出た瞬間、三島さんの顔に苦笑が浮かぶ。
昔はともかく、今や結界は相手を排除するという役割をあまり果たしていない状況だ。
だからこそ、結界の件に関しては、魔術師としての三島さんにとっては耳が痛い話で、それが表情に出てしまうのだろう。
「ふう…それで。何が聞きたいのかしら?」
「そうですね。結界の解除は可能でしょうか?」
僕の問いに迷うことなく三島さんは答える。
「ええ。それは簡単だわ。魔術回路を締めてしまえばいいだけだからね。ただし、一度でも締めてしまうと、再開に時間と膨大な魔力が必要となるわ。下手したら何年かかかる恐れもあるわね」
「では、結界の種類を変える事は可能ですか?」
僕の質問に少し考え込んだ後、三島さんは「可能ね。ただし…効果発生の魔術プログラムを変更することになるから、締めるだけよりもはるかに難易度は高いけどね」と答えた。
「なるほど…。なら…」
僕はそこで一旦言葉を止めると確認するように言う。
「結界の機能を感知とか警戒の機能だけにする事もできますよね?」
僕の言葉に少し考え込んだ後、三島さんは頷いて口を開いた。
「もちろん、可能よ。それだけの機能ならかなり消費魔力も少なくなるし、変更も簡単になるわね」
こういった後、彼女は僕の心を覗き込むかのように見上げる。
「だけど…それ、他の地区の責任者がどういうかしら?」
「いずれはそうしなきゃならなくなると思うんですけどね」
僕は頭をかきつつそう言うと、多分、三島さんもそれはわかっているのだろう。
複雑そうな表情になる。
魔術師として、地区責任者の補佐として…。
彼女はいろいろな立場を持っている。
僕とは違ってその立場に長い間関わっている以上、その重みをしっかりとわかっている。
「そうよね。でもね…。この結界があるという事実は、領民にとっての安心になっているのも事実。それが例え効果がないとしてもね…」
そう言われてしまえば、僕はこう言うしかない。
「海軍が結界の代わりに、領民の…フソウ連合の国民の安心になる存在にならないと駄目ってことですね」
「そういうことよ…」
今までのうれしそうな、楽しそうな笑いではなく、そして苦笑でもない笑み。
それは労わる様な優しい笑みだった。
そして、しばしの沈黙が流れる。
ずっとフソウ連合を守っていた嵐の結界。
それと同じような安心を持たせる。
それは並大抵の事ではない。
だが、僕にはやるという選択肢しかない。
だから、僕は口を開く。
「なるべく早くそうなるように努力はします…」
その言葉に満足そうに頷くと話題を変えるように三島さんが聞いてきた。
「…それで終わりかしら?」
「そうですね。後は近々艦の付喪神についての実験をやりたいと思っています」
「実験?」
「確か、付喪神が憑くのは未完成でも計画だけでもいい、ともかく実際に人の思いが込められた場合のみと言われましたよね?」
僕の問いに怪訝そうな顔をして頷く三島さん。
「なら、模型を作ったのは、僕じゃない場合はどうなるんでしょうか?」
その言葉に三島さんはしばし考え込む。
そして口にした事は「わからないわ」と言うことだけだった。




