日誌 第四百五十一日目
翌日の朝、目を覚ました僕を襲ったのは、かなりきつめの頭痛だった。
それでも何とか着替えて身だしなみを整えているとドアがノックされた。
「長官、そろそろお時間です」
声の主は東郷大尉だ。
時計を見ると七時三十分を過ぎた辺りだろうか。
八時三十分には業務につかなければならないから、朝食を食べて一息ついてと考えればちょうどいい時間帯だ。
「ああ、少し待っていてくれ。そうだな、三分かな……」
「はい。わかりました。このままお待ちしております」
一旦戻る時間はないと判断したんだろう。
東郷大尉は廊下で待つことを選択したようだ。
先に食堂で待っていてくれてもいいんだけどな。
そんなことを思いつつ身支度を済ませてドアを開けた。
「すまない。待たせたね」
僕がそう声をかけると「いえ。問題ありません」と笑顔で返事が返ってくる。
だが、すぐにその笑顔が心配そうなものになった。
「大丈夫ですか?お顔の色が……」
「ああ、ただの二日酔いだから。心配しなくていいよ。どうも、昨日は飲みすぎたようだ」
苦笑してそう答えると、東郷大尉は少し安心したような顔つきになった後、困ったような表情で苦笑する。
「昨夜はすごかったですからねぇ……」
「帝国の人が酒が強いとは聞いていたけど……、あれほどとはねぇ……」
「アルコール度が高いお酒を飲みなれているらしいですから……」
そんな会話をしながら朝食を食べるために食堂に向かう。
「しかし、どっちにしても喜んでもらえてよかったよ」
「ええ。『久々にハメを外してたのしませてもらいました』と言ってましたからね」
昨日は、会談の後、アルンカス王国の首都にある行きつけの居酒屋でルル・イファンの代表者たちと夕食会を行ったのだ。
場所はアッシュやアリシアの夕食会でも使った居酒屋『松次郎』である。
急な頼みだったが、店長は「国際的な関係者の食事会で使われるなんて名誉なことですよ」そう言いうと笑って二つ返事で貸し切りを承諾してくれた。
フソウ式の居酒屋は初めてだったらしく、ルル・イファンの一行は最初こそ緊張した面持ちだったが、すぐに形式ばらない気軽にお酒と食事が楽しめれる場所だとわかったらしい。
乾杯の後はリラックスした感じで酒と食事を楽しんでくれていた。
特に、マックスタリアン商会のパウエルはフソウ式の料理や酒に興味深々で、店員が料理や酒を運んできた際にはその度にいろいろ質問をしていた。
もちろん、うちの優秀な秘書官である東郷大尉が通訳してからだが……。
また、残りの二人は初めての酒と料理を楽しんでいる様子だった。
なお、フソウ連合からは、僕に東郷大尉、後は樫木特務大佐が参加している。
そして三十分ぐらいたっただろうか。
かなり酔いが回ったマックスタリアン商会のパウエルの口から、代表者と同行の女性が帰国後に式を挙げるという話が出てからが大変であった。
それは実にめでたいという事で店長が張り切ってちらしお寿司で作ったミニケーキみたいなものを出したり、その話から代表者が帝国出身という事がわかり、酔った樫木特務大佐が『帝国出身者は酒が強いと聞く。ではどの程度か見極めてやろう』とか言い始めて代表者と飲み比べを始めたりといった感じになってしまったのである。
また、代表者の方も彼女が見ているという事も手伝ってかかなりハイペースで飲み始め、僕としては飲み比べは勘弁と思って距離をとったのだが、その余波を食らってついつい飲みすぎてしまったのである。
「しかし、昨日のは本当にすごかったですね」
再度思い出したのだろう。
苦笑を浮かべて呟くように東郷大尉は言う。
確かに昨日はすごかった。
もちろん内容も量もすごかったが、何より支払う金額もすごいものになったのは言うまでもない。
なお、飲み比べだが、樫木特務大佐の大敗となっている。
生きているかな……、彼は……。
そんなことを思ってしまうが、自業自得なのでそれ以上は考えないようにした。
しかし、一つだけ言えることがある……。
当面、酒はいいや……。
頭痛のする頭を抱えてそう考えたのであった。
朝食を済ませた後、僕と東郷大尉は、アンパカドル・ベースの特別執務室に向かう。
ほとんどの場合、フソウ連合から離れない僕だが、唯一の例外がアルンカス王国だ。
外国の要人との会合や条約締結といった外交関係、それに輸出入などの打ち合わせなどの諸外国との経済関係についての話し合い等は、今やアルンカス王国で行うことが多く、滞在期間も長くなりがちとなっている。
そこで、急遽、アンパカドル・ベース内に執務室と住居が用意された。
執務室はアンパカドル・ベースの基地本部の地下に、住居は上級軍人用の宿舎にとなっている。
なお、執務室が地下になったのは、元々フソウ連合海軍本部の長官室が地下にあったのと、窓からの狙撃や襲撃に対して対応するためにという事らしかった。
まぁ、現状のアルンカス王国のフソウ連合に対する対応はそんなことはあり得ないという感じだが、それが絶対ではないと幕僚関係者は思ったらしい。
まぁ、外の景色が見れないのは残念だけど、それだけ僕の身を案じてくれていると考えれば、それはそれでうれしいものだ。
本部とほとんど変わらない感じの作りの執務室に到着すると、本日の予定を確認していく。
今日も忙しそうだな。
そんなことを思いつつ、ふと気になったので東郷大尉に聞いてみた。
「そういや、お客様の方はどうなっている?」
お客様とは、言わずもがなルル・イファンの関係者の事であり、加盟の正式発表があるまでの滞在をお願いしている。
まぁ、組織関係者との本格的な交渉や細かな調整とかもあるからね。
もっとも、今日、明日あたりはそういった予定もない為、のんびりと過ごせると思うが……。
「今日、明日の二日間は、アルンカス王国の首都と主港を中心にいろんな場所を見て回りたいという話でした」
「そうか」
「後、映画にとても興味を持たれていたので、チケットの方もお渡ししています」
その話に、僕は興味を惹かれて聞き返す。
「へぇ、映画に……」
「はい。帝国にはそういった感じの庶民の娯楽はありませんでしたし、連盟やルル・イファンにもなかったそうなので……」
そう言えば、以前、アルンカス王国で会った際に、アッシュやアリシアからも映画を見たいと言われてチケットを手配した記憶がある。
つまり、僕の世界と違い、どうやら映画産業自体が世界にそれほど浸透していないらしい。
面白いな……。
もしかしたら映画産業をうまく使えば、かなりいろいろなことが出来るのではと考えてしまう。
映像のインパクトは大きいし、影響力もあるからな……。
そんなことを考えていると東郷大尉が怪訝そうな顔で僕を見ていることに気がついた。
「えっと……、何かな?」
慌ててそう言うと、東郷大尉は困ったような顔をした。
「何か変なこと考えてません?」
変なことではないが、どうやら何か企んでいる風に見えたらしい。
いつものと変わらない顔をしていたはずなんだが、どうやら東郷大尉には僕の仮面を見破るスキルをゲットしている様子だ。
だから誤魔化すために口を開いた。
「そういや、今こっちでは何を公開しているのかな?」
そう聞かれて、東郷大尉は少し思い出すような素振りをする。
「えーっと……。確かロングラン上映の『南の国で…』と『馬鹿殿ぶらり旅』ですかね……」
『南の国で…』は、チャッマニー姫と木下喜一のアルンカス王国での話をベースに脚色された恋愛映画で、『馬鹿殿ぶらり旅』は馬鹿な殿様と家来たちが行く先々で騒動を起こすお笑い映画だ。
そう言えばアルンカス王国ではお笑い映画が人気で、今まで公開されている映画の収益ベスト3の内、2つはコメディ映画だ。
なお、もう一本は未だにロングラン上映している『南の国で…』で、ぶっちぎりの一位の地位をより不動のものにしている最中である。
「そうか……。楽しんでくれるといいな」
僕の言葉に、東郷大尉も微笑んで頷いたのであった。
そして、その夕方。
そろそろ宿舎に戻ろうかという時間帯に東郷大尉が書類をもって入室してきた。
「どうしたんだい?」
僕がそう聞くと、東郷大尉は書類を差し出すと、報告を始めた。
「王国、共和国の大使館から報告か入りました」
「ほう。早いね」
「はい。課題はすべて終わったと……」
「そうか……」
僕は無意識のうちにそう呟くと腕を組む。
課題、今回の場合は、ルル・イファンの加盟の根回しの事になる。
僕の予想では、二・三日かかると思っていた。
しかし、ここまで早いという事は、王国も共和国も僕が承認する事をある程度予想していたことになる。
要は、今後の植民地支配からの脱却と新しい関わり方の見極めを兼ねてというところだろうか。
中々したたかだが、植民地支配の脆さや将来のなさを指摘したのは僕だから、それはそれでいいと思うしかないだろう。
ともかく、これで二・三日中に『IMSA』や『IFTA』の関係者に本国から指示が入り、本格的に交渉と調整が始まる。
そして、早ければ一週間、遅くても十日中にはルル・イファン人民共和国の二つの組織への加盟は公式に発表されることとなるだろう。
そうなると、連盟の反発は間違いなくあるだろうし、フソウ連合だけでなく、二つの組織との争いの火種になる恐れも高い。
だからこそ、最初に強力な圧力をかける必要性がある。
「昨日頼んでいた事の返事は来ているかい?」
「はい、フソウ連合海軍本部と外洋艦隊司令長官真田少将から準備は出来ているとの報告が来ています」
「なら、すぐに動かすように伝えておいてくれ。発表後すぐでも対応できるように」
「了解しました。すぐに連絡をいれます」
そう言って敬礼して退出していく東郷大尉。
その後姿を見つつ、僕は椅子に身体を預けて呟いていた。
「ふーっ。これで連盟が引き下がってくれればいいんだけどね」




