合衆国の現状 その2
「ふーっ……」
書き上げた原稿を前に、アーサー・E・アンブレラは首を回しつつ背筋を伸ばす。
気持ちいいほどの音が辺りに響き、それはかなりの長時間前のめりで原稿を書いていたことを本人に知らせた。
ある程度、肩や首、関節がほぐれると完成した原稿に再度視線を落とす。
かなり要点をまとめたが、これで説得できなかった時は、どうやっても無理だ。
そう思えるほどのものが出来たと思う。
ちらりと窓に目を向けると、すでに外は真っ暗にっていた。
そして、やっと執筆以外に意識が動いたためだろうか。
グーッ。
腹の虫が鳴いた。
そう言えば、二時間程度仮眠を取った後に、朝食を食べてから十時間以上も何も食べ物を口にしていないことを思い出す。
まぁ、コーヒーだけは切らさないようにしていたから、机の周りにはコーヒーカップとコーヒーが入っていた魔法瓶が三本転がっている。
この魔法瓶は、フソウ連合に滞在したているときに使われているものを見てほれ込み鍋島長官に頼み譲ってもらったものだ。
熱が冷めにくく温かいままで維持できるという事で、今や執筆中にはなくてはならないものになっていた。
「ふむ。腹も減ったし、追加のコーヒーを頼む必要があるな」
魔法瓶を振って全部空になっているのを確認すると、そう呟きつつ部屋の中にある電話機に手を伸ばす。
まぁ、普通の客室には電話などは置いてないものの、今いる部屋はVIPルームに近いものだ。
だから、部屋は広いし、部屋の位置も建物の中でもっとも高いところにある上に備え付けられている家具もかなり豪華なものだ。
もっとも、家具が豪華だろうがあまり関係ないのだが……。
それに、この電話にしても別に外にはつながっているわけではない。
ホテルのフロントに繋がっており、ルームサービス等のサービスを頼むときに使われているだけだ。
まぁ、便利だはあるがなくてもそれほど不便ではないか……。
そんなことを思いつつ受話器を取って横にあるステックを何回か回すと、ガチャリという音が鳴って声が聞こえた。
「こちら、フロントでございます」
丁寧な男性の声だ。
どうやら夜間は、男性しかいないらしい。
何故わかるかというと、昨日も夜間になると男性しか出なかったからである。
まぁ、そりゃこの部屋に入ってからの二日間、目覚ましやルームサービス、それに伝言、後はコーヒーの魔法瓶への補充といった事で何回もかけているからこそわかる発見であった。
「ああ、何か食べるものを。それとコーヒーの魔法瓶への補充も頼みたい」
「わかりました。それで、どういった感じの食事になさいますか?」
最初聞いたときはどういった意味か分からず聞き返したが、このホテルではできる限りお客様に沿った料理を提供したいと思っているらしい。
要は軽食とか、しっかり食べたいとか、料理の種類の希望だったり、そういった事を聞きたいという事だった。
「そうだな。腹が減ってるからがっつり食べたいと思っている。どんな料理が用意できるかな?」
「そうですね。少し時間がいただけるのであれば、蒸し鶏料理とサラダ、スープ、それにパンといったものがご用意できます」
「ふむ。それでいい。それら一人前頼もう。それとは別にサンドイッチも……」
「はい。サンドイッチの具の方は?」
「そうだな。定番のやつでいい」
「あと、アルコールの方は?」
「いや、結構だ。それと食事の後、タイプライターを使うが大丈夫かな?」
その言葉に、電話の向こうのボーイらしき人物がクスリと笑う。
「大丈夫でございます。そちらのお部屋は、ダンスパーティを行ったとしても問題ないほどの防音と振動対策が施されておりますので」
もちろん、さすがにダンスパーティは無理だとわかるがかなり騒音とか振動に対策を施されていることを強調したいのが感じられた。
「ならいい。これで周りを気にせず打てるな」
「はい。ごゆっくりどうぞ。食事は三十分程度でそちらに運ばせますので……」
「ああ。頼む」
そう言うと、アーサーは受話器を戻した。
そしてソファに座ると原稿を手にする。
さあ、料理がくるまで原稿の見直しでもするか。
そう思っての動きであったが、五分もしないうちに入口の呼び鈴が鳴らされた。
もしかしたらコーヒーを先に用意したのかもしれない。
そう思いつつドアを開けると、人が一人入れるほどのワゴンを押したメイドが入ってきた。
目が細く少しきつめの感じだが、顎のラインに合わせたかのように切りそろえられた茶色の髪とすらりとした贅肉のないスポーツ選手のような身体。
かなりの美女と言っていいだろう。
だが、いくら一流ホテルとはいえ、おかしくないだろうか……。
その姿に違和感が沸く。
確か深夜のような時間帯の営業は男性だけのはずだ。
以前夜に頼んだルームサービスを持ってきたのは男性であった。
だから、微笑んでいる彼女がワゴンごと部屋に入ってきたときに思わず聞いてしまった。
「本当に、ルームサービスなのか?」と……。
その言葉を発した瞬間、彼女の微笑みが一瞬だが強張ったように見えた。
だが、それでも彼女は微笑みを浮かべたままアーサーの方を見ている。
そしてゆっくりと右手をワゴンの下から出す。
出された右手には何やら細長い筒状のものがとりつれられた拳銃が握られている。
「なんでわかったのかしら?」
微笑んだままメイドはそう聞いてきた。
じりじりと後ろに下がりつつアーサーは不敵にニヤリと笑う。
「なあに、頼んでから来るのが早すぎるっていうのもあるが、事前にこのホテルは夜間は男性しかいないと聞いていたからね」
「もしかしたら、特別とは思わなかったの?大統領やあなたの友人の粋な計らいとか……」
そう言われて、アーサーは苦笑した。
「ああ、誕生日とかだとそういうこともあるかもしれない。でもね、こういった政治が絡む場合は、二人は絶対にそんなことはしないのさ」
そう言い切るとアーサーは机の影に飛び込んだ。
その後を追うように、プシュッ、プシュッと圧縮した空気音が微かに響き、机に穴が二つ出来上がる。
武器は今手元にはない。
しかし、それでも何とか反撃のチャンスはないかと思考を回転させる。
そして、相手を動揺させるためだろうか。
アーサーは言葉を続けた。
「それにだ。君はあまりにも美人すぎるしな」
その言葉に、メイドは一瞬動揺したような素振りを見せる。
それは罠かもしれなかったが、武器らしいものがない以上、チャンスとしか思えなかったアーサーは机から飛び出すとメイドに飛び掛かる。
軍を辞めてから鍛えていなかったとはいえ、その動きはなかなかのものだ。
その動きにとっさに反応したメイドであったが右手の武器を叩き落され、床に押さえつけられるような形になりかける。
しかし、それも一瞬だった。
よし。抑えた。
そう思った瞬間には、アーサーは足をすくわれて反対に床にひっくり返った。
そして、メイドがマウントを取るように上に乗り両足でアーサーの腕を押さえつけられる。
それでも反撃しようと身体を動かそうとしたところで左手の袖から仕込み式の小型拳銃が飛び出し握られると顔面に突き付けられた。
絶体絶命である。
いつ殺されてもおかしくない状況ではあるが、それがかえってアーサーを落ち着かせる。
そして思わず余計なことを想像してしまって苦笑してしまった。
それはそうだろう。
第三者から見れば、美人の女性に上にのしかかれてある意味迫られているような格好に見えるだろう
そして両腕を両足で抑えるため大きく開かれ、スカートはたくしあがった状態で中身が丸見えとなっているので益々そう言った考えを連想させてしまいそうになる。
目の前に見えるのは、黒のガーターストッキングに包まれた太もも、そして太ももの三分の二程度の所で白い奇麗な素肌が続き、奥まったところには動きを優先するためかきわどい形のレースで縁取られたパンティ。
それは男としてはなかなか刺激的な光景だ。
「これは……また……」
思わずアーサーの口からそんな言葉が漏れる。
そんな言葉からアーサーの考えていることが判ったのだろう。
「あらこんな時に……」
そう言ってメイドは呆れたような表情になった。
だが、アーサーはニタリと笑って見せる。
ある意味、生死の選択が相手に握られている以上、どうにでもなれという気持ちが強かったのかもしれない。
「いやいや。君みたいな美人とこんな状況になったら、どんな男でも思ってしまうだろうさ」
アーサーの言葉に益々呆れ返ったような表情をしたが、すぐにメイドは微笑むと隠す素振りを見せるどころか見せつける様にしながら言う。
「あら、ありがとう」
そしてその言葉の後に圧縮した空気音が二つ続いた。
アーサーに反対派からの暗殺の手が伸びているという情報がもたらされるとアカンスト合衆国大統領アルフォード・フォックスはすぐに信頼できる軍の一部をホテルに向かわせる。
しかし、間に合わずにホテルから撤収しようとしていた撃者達との銃撃戦となって襲撃者は全員射殺され、アーサーは行方不明となっていた。
「くそっ。後手に回ったか……」
そう呟くように言うと大統領執務室のデスクを強くたたく。
それほど大きな音ではなかったが、静まり返っている部屋に響きはわたらせるには十分な大きさだった。
そんな大統領を慰めるかのように副大統領のデービット・ハートマンは口を開く。
「まだ、殺されたと決まったわけじゃない」
それは限りなく低い確率でありあくまでも希望でしかなかったが、そうでも言わねば彼自身もやってやれないのかもしれなかった。
そんな二人を国務長官であるマルキッド・エルドンフォントが気の毒そうに見ている。
彼は二人とアーサーが親友と言える関係を持っている事を知っているだけに何を言ったらいいのか迷っているのだろう。
しばしの沈黙が大統領の執務室を包み込む。
そして、数分が経過しただろうか。
大統領の視線がデスクに乗っている分厚い報告書に向けられる。
「デビー……、やるぞ……」
それは呟きだった。
「え、何をだ?」
そう言いながら副大統領の視線がデスクに動き、そして表情が強張る。
「まさか……」
「ああ。もう後手に回るのは沢山だ」
短くそう言うと、大統領は国務長官に命令を下す。
「非常事態宣言を出し、軍を動かす」
その言葉に国務長官は狼狽したように聞く。
「本気ですか?」
「ああ。もちろんだ」
「わかりました。大統領がその気なら、我々は指示に従うだけです。それで、どういたしましょう?」
「関係者を拘束、そして背後関係を洗い出せ」
「わかりました。それはもちろん……大統領補佐官もですよね?」
「無論だ」
二人で進んでいく話に、副大統領が慌てて口をはさむ。
「おいおい、早計過ぎる。それにだ、罪状はどうするんだ?」
その質問に大統領は何でもないかのように答えた。
「クーデター未遂だ」
「しかしだ……」
だが、そんな副大統領に大統領は言い切る。
「証拠は揃っている。それにだ、これ以上後手に回ると国が乗っ取られる恐れがある」
その言葉に、副大統領は言葉を失う。
それは副大統領も今のままだとありえると考えている最悪の事態であった。
「それにだ。何かあった場合は、私が責任を取る」
それは決心であった。
もう何を言っても無理だと悟ったのだろう。
副大統領はため息を吐き出した。
「わかった。付き合うよ」
「すまんな……」
そして命令が下された。
「すぐに実行に移せ」
「はっ」
国務長官が敬礼し退出していく。
その後姿を見送った後、副大統領はデスクに置かれた分厚い書類に恨めしそうに視線を落とす。
その書類のタイトルには大きくこう書かれていた。
『反フソウ連合派による合衆国乗っ取り計画の全貌と進行状態に関して』と……。




