火種 その2
アントハトナ・ランセルバーグは、円卓会議から屋敷に戻ってくるなり自室に向かう。
そして自室に入ると、今までたまっていたものを爆発させた。
「あの愚か者どもがっ!!」
そう叫ぶと手に持っていた杖を大きな鏡に投げつける。
恐らく庶民では数年分の給料をつぎ込んでも買えないような豪華な飾りのついた人より大きな一枚鏡が派手な音を立てて割れ、ガシャンという音が辺りに響く。
もちろん、ある程度の防音はされてはいるものの完全ではないため、怒りの叫びと破壊音は廊下にも聞こえていた。
それらの音に、飲み物を台車で運んでいた若いメイドがびくりと震え歩きを止めると後ろについて来ていた執事に視線を向ける。
その表情は今にも泣きそうなもので、完全に怯えきっていた。
下手なことをして怒りを買いたくない……。
それは執事もわかったのだろう。
仕方ないといった表情をするとメイドに別の指示を出す。
「ここは私がやっておきます。あなたは入浴の準備をしておきなさい」
その指示に、若いメイドは感謝の表情を浮かべ頭を下げてその場を離れていった。
まだまだ入って間もない子ですからね。
また辞められても困りますし……。
主人の怒りを買って先月も若いメイドが辞めたのだ。
いくら給料がいいとは言っても、ここ最近はこんな調子で怒りに荒れることの多い主人の側で働きたいとは思わないだろう。
以前はどちらかというとこんなことはなかったんですがねぇ……。
だから、以前から働いている者は一過性のものだとわかっていたからいいが、新しく入った者はそれが判らない。
それ故にすぐに辞めてしまうのだ。
我が主は今でこそ荒れていますが、いい主だと思うんですが。
そんなことを思いつつ執事は苦笑を浮かべてメイドを見送った後、表情を引き締めて主人の自室のドアをノックした。
「失礼いたします」
「あ、お前か、アルフレッド」
「はい。お飲み物を用意いたしました」
そう言って、飲み物をのせた台車を押して部屋に入る。
「メイドはどうした?」
「主の癇癪に恐れをなしたようで……」
執事がしれっとそう言うとアントハトナは気まずそうな表情になった。
長年仕えている執事の言葉に、我に返ったといったところだろう。
「それは済まないことをしたな。きちんと言っておいてくれ」
「もちろんでございます」
そう返事をすると執事は紅茶を用意する。
その様子を見ながら、アントハトナはソファに身を沈めた。
かなりいいソファなのだろう。
まるで包み込むような座り心地で、アントハトナのお気に入りだ。
そしてそれを待っていたかのように、アントハトナり前に紅茶が差し出される。
ほんのりと漂う香りに、アントハトナはおや?といった感じの表情をする。
「ほほう……。初めての香りだな……」
執事はその問いに、ニコリと微笑む。
「さすがですな。今日は最近見かけた新しい茶葉を使ってみました」
「ほう……」
そう口にすると、アントハトナは紅茶を口元に寄せる。
紅茶の香りがくすぐるかのように鼻の奥に広がっていく。
そして、ゆっくりと紅茶を口に含む。
「変わった味と香りだな……。しかし、これは……すっきりして飲みやすい」
「はい。リットーミン商会がここ最近仕入れている茶葉でございます」
「ほう……。あの若造のか?」
「はい。最近、王国の間で流行っているものだそうです。フソウ連合産だそうで……」
そう言われて、アントハトナは驚いた表情をして紅茶をまじまじと見る。
「ふむ。悪くはない……。しかし……、紅茶がここまですっきりと飲めるとはな……」
ここ最近はどちらかというと我の強い茶葉が持てはやされているおかげでそういった茶葉こそいいものだという傾向だったが、そんな考えを吹き飛ばすほどのインパクトのあるもといえる。
そして、そんな茶葉を自分の知らない間にリットーミン商会が流通させ始めているといった事にアントハトナは驚く。
なかなかやるではないか、あの若造め。
アントハトナはニタリと笑うと目を細める。
「これで少しは気が紛れましたかな?」
執事にそう言われて、アントハトナは苦笑した。
「そうだな。あの若造に関しての怒りは収まったな」
アントハトナが怒っていたのは、ここ最近の連盟の円会議の酷さであった。
以前は月に一回程度であったものの、今は植民地対策やルル・イファン対策、そして不景気に関する対策といった感じで、話し合う内容が多すぎ連日会議が続いているという有様であった。
そして、そんなに頻繁に話し合うものの、結局何も決まらないといった有様が続き、その上、ルル・イファンの海上封鎖を一隻の貨物船に突破されたという報告がアントハトナをぶち切れさせた。
その怒りを恐れたのだろう。
議長は逃がした責任を最後まで必死に戦ったリネット・パンドグラ少佐にすべて押し付けようとさえしたのだ。
現場で必死になって戦っていた者たちに責任すべてを押し付ける。
その在り様にアントハトナの怒りが倍増したのは説明する必要もないだろう。
議長は散々アントハトナに罵倒され、そのおかげでリネット・パンドグラ少佐は降格を免れたものの、艦からは降ろされ本国の後方勤務へと転属となったのである。
つまり、左遷という事だ。
今までエリートコースだったものにとってはかなり痛い回り道となるだろう。
だが、さすがになにもないというわけにはいかないのだから仕方ない処置というべきか。
そして、包囲を行っている艦隊に対しての責任などの前に、的確な指示や戦力を用意できなかった我々もきちんと責任をとるべきではないかと発言するものの、その後は誰も何も言わずに結局うやむやのままに次の議題に移っていったのである。
それは、まさに腐りきっている今の連盟を表すような処置で、その改革ためにと期待していたポランドは会議に出ず世界中を飛び回っているという事が怒りを膨らませた。
だからこそ、ポランドに対しても怒りがわいたのだが、彼は彼でアントハトナの出した課題に取り組んでいるとわかった以上、怒るべきではないとアントハトナは思ったのだ。
しかしだ。それならばそれで、議会に関しては別に何かしら手を打つ必要性がある。
そうしなければ、このままどうしょうもない末期状態が続くことになるからだ。
つまり、ある程度の被害が出るのを覚悟して劇薬を投じる必要性があるという事だ。
アントハトナは今の現状を顧みてそう考えていた。
「しかし、あの若造がこうも捕まらんのでは別の手を考えるしかないが……、いい駒となるものが果たしているのか……」
議会に関係のある商人達を色々思い出すも、その大役を任せられそうなものはいない。
そう考えこむアントハトナに、執事は少し考えて提案する。
「別に商人である必要性はないのではないでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「確かに連盟は商人の国ではあります。しかし、別に今の議会の連中をひっくり返す改革を起こすなら別の勢力でも……」
「ふむ。言われてみればだ。だが、軍は今のところ商人たちの飼い犬状態と化している。つまり、役に立たない。ならば……」
「そうですな。なら、市民運動を行っている者達の中から使えるものを探してみては?」
その執事の言葉に、アントハトナはニタリと笑う。
「ふむ。使い捨ての駒としては良さそうだな。すぐにリストを用意してくれ」
「はっ。わかりました」
そう言って執事は退室していく。
さて……。
どう踊らせようか……。
アントハトナはそう思考し、さっきまでの怒りを忘れたかのように上機嫌に残った紅茶を飲み干したのだった。
連盟首都のシャンゼルハット通りは、かなりおしゃれで色々な店舗が並ぶ世界的に有名な通りである。
もちろん、他国からの来ている者も多く、連盟随一のおしゃれスポットで道通りにあるカフェは天気がいいこともあり、室内では多くの人々が一時のティタイムを楽しんでいた。
その中でも特に有名なのは、『愛しい君と共に……』という名前のカフェで、ここはカップルが多く立ち寄る店である。
その為か、今も店内は多くの男女連れで八割ほど埋まっていた。
そして各テーブルでは楽しく、或いは和気あいあいと恋や愛の会話に花が咲いている。
しかし、そんな中、一番奥のテーブルだけは勝手が違うようだった。
周りとは異質の空間と言ったらいいだろうか。
もちろん、座っているのは一組の男女なのだが、その雰囲気は暗い。
正確に言うと、女性は淡々としているものの、男性はすごく落ち込んでいるいったところだろうか。
まぁ、浮気がバレた彼氏に呆れている彼女といった構図なんだろうと周りの者は思ったらしく、店員も最低限の仕事だけをすると関わらないようにしていた。
「それで彼は……」
そう女性に聞かれ、男性は顔を上げる。
その表情は強張っている。
「救出した彼の部下の話では即死だったと……」
「そう……」
それだけ言うと女性は黙り込む。
男もただ黙って再び下を向いた。
だが、その沈黙に耐え切れなかったのか男が小声で呟く。
「自分がもう少しうまくやっていれば……」
その言葉に、今まで淡々として感情を出さないようにしていた女性が初めて感情を表に出した。
それは怒り、悲しみといった感情の渦が複雑に混ざりこんでいるものであった。
「うまくやっていたら、彼は無事に帰ってこれたんですか?」
その激しい感情の問いに、男は何も言えなくなる。
わからない。
あくまでも、今言った事はたらればの話でしかないのだから……。
だから、確信があるわけではない。
それに、うまくやったとしてもあの船の火力はこちらを遥かに凌駕していた。
どうあがいても被害は出るだろうし、必ず生きて戻れるわけではない。
「すまん……」
なんとかそう口にするのが精一杯であった。
だが、そんな男を見て、女は少し寂しそうに微笑む。
「別に私はあなたを責めるために呼んだんじゃありません。ただ、彼の最後を知りたかっただけなんです」
そして、立ち上がると強く握りしめる男の手を元気づける様に自分の手で包み込む。
「リネット・パンドグラ少佐」
そう名前を呼ばれて、男の……、パンドグラ少佐の身体がびくんと反応する。
「もし私に申し訳ないと思うのなら、彼のように国に尽くしてください。彼は言っていました。君のいる国を守るために頑張ると……」
その言葉に、パンドグラ少佐は顔を上げる。
その表情は驚き一色に塗られていた。
「エンバッハのやつがそんなことを……」
「はい……」
てっきり死んでしまった友人の事で友人の婚約者から強く責められるのだろうと思っていたパンドグラ少佐は何も言えなくなる。
頭の中でいろいろな考えが浮かんでは消えていく。
そして表情を引き締めると自然と言葉が口から洩れた。
「あなたは強いのですね」
口から出たのはそんな言葉だ。
その意外な言葉に、女性は……リンダ・フランチェスト・ハミナーは苦笑して答える。
「別に強くありません。ですが、軍人の妻になる覚悟は持っていましたから……」
「そうですか……。すみません……失礼なことを……」
「いいえ。大丈夫です。もう吹っ切れましたから……。だから……」
「ええ。わかりました。この国の為に、尽くしていきたいと思います」
「そうして下さい。彼もそれを望んでいると思います」
二人はやっと互いの顔を見て微笑む。
その笑みは実に寂しげなものであったが、それでも最初の雰囲気に比べれば、遥かにマシなものだ。
それでやっと店員が二人のテーブルに近づく。
追加注文がないか聞きに行ったのだろう。
そして声をかけようとした時だった。
なにやら怒鳴るような声と楽器が鳴らされ、通り全体に響くと店にいた人々がうんざりした表情を浮かべた。
だが、パンドグラ少佐だけはきょとんとした顔をしている。
彼にしてみれば、つい最近まで本国を離れていたのだ。
その様子に気がついたのだろう。
困ったような表情でリンダが教えてくれる。
「赤シャツ団と呼ばれる運動家達のデモですわ」
「赤シャツ団?」
「ええ。ここ最近勢力を増してきた人達で、全員赤いシャツを着ていることからそう呼ばれるようになったそうです。なんでも人々の権利を主張しているみたいですけど、やっていることは暴力による恫喝みたいなことばかりです。だから、常識ある市民は関わらないようにしているんですよ」
その説明に、パンドグラ少佐は通りを歩いていく赤色のシャツを着こんだ男たちのデモに視線を移す。
どうみても強面のやつばかりで、権利を主張する運動家という感じではない。
敢えて言うなら、ならず者の集団といったところだろうか。
そこに規則や秩序は感じられない。
イラっとしたものの、自分一人で何ができるというのか。
自分の力のなさを痛感する。
もっと強くならなければ……。
力を手にしなければ……。
そうしなければ、今約束したことどころか、こんな連中に対しても何も出来ない。
そう心に刻む。
それは自分の事ばかりを考えていた今までの自分とは違う道を進むという事だが、それはそれでいいとさえ思っていた。
リンダ・フランチェスト・ハミナー。
彼女の出会いが、パンドグラ少佐の進む道を大きく変えたのであった。




