報告
「失礼します。ただいま戻りました」
「あら、思ったより遅かったわね」
入室してきた執事を見て、処理し終わった書類を処理済みの書類の束の上に重ねつつアリシアが少し意外そうな表情を浮かべて聞いてきた。
その言葉に、執事は普段はあまり見せないバツの悪そうな表情を少し見せた後、「申し訳ございません」と頭を下げる。
「いえいえ、怒っているわけじゃないわ。いつもらしくない感じだったからね」
そう言いつつアリシアは笑った。
怒っていないというアピールも含めて。
「そうですか……。実はなかなか思ったようにいかず、手こずりまして……」
その執事の言葉に、アリシアは楽しそうだった。
普段はこういった事はほとんど起こらない。
こんな執事の顔を見たのは久方ぶりだ。
だから、ついつい聞いてしまいたくなってしまったのだろう。
「まぁ、そんな事もあるわよ。しかし、あなたをそんなに困惑させる相手がいたなんてね」
「ええ。大したことはないと高をくくってましたが、見事にやられました」
「でも、やり切ったのでしょう?」
「はい。何とか……。ですが……」
執事はそう言って、話し合いの内容を説明する。
その話を楽しそうに聞いていたアリシアだったが、拒否権を求めるという部分にも別に表情が変わることもなく、話が終わるとさばさばとした表情で口を開いた。
「まぁ、それで今は十分じゃないかな。それに繋がりがあれば後はいろいろやれるからね」
要は鎖さえつながっていれば、後は機会を見てそれを太くしていけばいいという事だけだ。
つまり、恩や情を売ることで鎖、或いはこの場合はしがらみと言った方がいいだろうか、太くする事は出来るとアリシアは暗に言っている。
そしてそれは執事も同じ考えらしく、「確かに……」と短く返事を返して頷いている。
「まぁ、当面は逃げられないように手を打つことだけはしておいて、後は放置でいいんじゃないかな。もちろん、報告は必要だけど」
「はい。仰せのままに……」
「それと、例の情報、ナベシマ様に伝えておいてくれた?」
「はい。ルル・イファンの目的の件ですな」
「ええ。まさか連中、あんなこと考えているとはね……」
感心したようにアリシアはそう言った後、ニタリと笑う。
楽しくて仕方ないといった感じだ。
「だけど、そうなったらナベシマ様はどうされるのかしら……」
少し考えるような素振りを見せるアリシアに執事は聞き返す。
「しかし、お嬢様、以前はナベシマ様は話に乗らないと言われていませんでしたか?」
「ええ。今でもそのつもりよ。もっとも……」
そこでいったん言葉を切って、間をあけてからアリシアは続きを口にした。
「フソウ連合を後ろ盾にするつもりならだけどね」
「つまり、それ以外ならわからないと?」
「ええ。だから楽しみなのよ。ふふふっ」
「つまり、我々は静観ということですな」
「ええ。もしナベシマ様が彼らの言い分を受けた場合、我々も意思表示を求められるとは思いますけどね」
「その場合は……どうされますか?」
しばし考えた後、アリシアはにこりと笑った。
「賛成するわ。だってさ……」
アリシアの目が細められる。
それは顔立ちがいい分、女狐を連想させるようなずるがしこさが感じられた。
ピリピリとした緊張感が張り詰めた雰囲気が当たりに広がっていく。
「我が国の植民地体制の今後を考えるためのいいテストケースじゃないの。くすくすくす……」
そんな主人の様子に、執事は満足そうに頷く。
この方は、やはり奥方様の血を強く引かれている。
謀略と血に塗り固められた家の血を……。
そして、うれしくなる。
さすがはわが主人だと……。
そしてそんな主人に仕えて幸せだと……。
そんな執事の気持ちに気がつかないのだろう。
すぐに表情を崩すとアリシアは苦笑した。
「あの方との友情も大事ですが、それはそれですしね」
「いいご判断だと思います」
「ありがとう……」
執事はその返事を聞きつつ、ふと時計に目が行き思い出したように聞く。
「そう言えば夕食はどうされたのですか?」
「ああ、食べたわよ」
さっきのような気配はみじんも見せずに次の書類に取り掛かりつつアリシアがそう言った。
彼女の視線がちらりと隅のテーブルの方に向く。
そこには何やら袋らしきものが散らばっており、独特の陶器のコップ以外は皿らしきものは全くなかった。
「何を召し上がったのですか?」
「ああ、一度食べてみたかったので、オニギリ・ハウスのデリバリーを取りました」
オニギリ・ハウスとは、ここ最近共和国の首都にオープンしたフソウ式食事を提供するレストランだ。
フソウ連合から料理人が来て調理指導しているという話で、向こうのいろいろな料理を出しているらしい。
もっとも、材料の関係からなーんちゃって料理も多いのだが、フソウ連合の認知度がここ最近の出来事でうなぎ上りに上がっており、店はかなり繁盛している。
そして、その中でもデリバリーメニューの人気が高い。
中でも一番なのはオニギリセットで、内容としてはいくつかの種類のオニギリと沢庵の漬物、それに旬の野菜と魚の揚げ物がセットになったもので、サンドイッチのように手軽に食べられるため、一番人気となっている。
なお、別売りでお茶も湯呑に蓋をした状態で売っており、紅茶とは違う味わいとお米に合うという事でこっちも人気がうなぎ上りらしい。
「ふふふっ。美味しかったわぁ……。アルンカス王国以来よ、あの味は……」
アルンカス王国の居酒屋でおにぎりを食べて以来、アリシアはまた絶対に食べたいと思っていたらしい。
しかし、普段は執事が常に食事の準備まで指示してきちんと用意されており、中々こういったある意味ジャンクフードに近いものを食べる機会はほとんどなかったのである。
そんな満足げな主人の様子を見て、執事は苦笑する。
「それはようございましたな。では、私もそちらの料理の方、いろいろ試してみてよさそうなのをうちの料理人にも作れるように指示しておきましょう」
「ええ。それはうれしいわ。私としては、オニギリがいいわ。具は……」
なにやら熱く語りだしたアリシアに、執事は苦笑しつつ頭の中のメモ帳に好みを記入していく。
主人の細かなことまで知っておかなければならない。
それが執事の義務である。
そう思っているためであった。
そして、そんな二人の雰囲気は、さっきとは違いいつもののんびりとした雰囲気になっていた。
「リットーミン商会と共和国のアリシア・エマーソン様から緊急連絡が来ております」
改修され防空巡洋艦となった愛宕や改秋月型駆逐艦の実弾演習の報告から防空戦隊の編成について新見中将と山本大将の三人でいろいろ話し合いが終わった後、長官室にもどってきた鍋島長官に東郷大尉は二つの連絡の記載された紙が挟めてあるボードを手渡した。
「ああ、ありがとう。それとコーヒーを頼めるかな?」
「はい。わかりました」
嬉しそうに微笑んで退室していく東郷大尉の後姿をしばし見た後、鍋島長官は椅子に座って受け取ったボードに目を通していく。
それは出所は別々であったが、内容はほとんど同じであった。
ルル・イファンの使者が、アルンカス王国に向かっていること。
そして、使者の目的が、『多国籍による国際海路警備機構(International Maritime Security Agency)』略して『IMSA』と『国際食糧及び技術支援機構(International Food and Technology Assistance Organization)』略して『IFTA』へのルル・イファンの加盟であるという事だ。
「まさか、そうくるとはなぁ……」
困ったような呟きを漏らすと鍋島長官は頭をガシガシとかいた。
てっきりフソウ連合の後ろ盾を頼むと思っていたのだ。
だが、考えてみれば、うまい手ではある。
国際的機関となりつつあるこの二つに加盟するという事は、加盟している国と同等の関係であるという証だ。
それは下手に六強の国々の後ろ盾を手に入れるよりもいいだろう。
まぁ、自分としてはそういった事を狙っていなかったわけじゃないが、そう言った流れになるには時間がかかるだろうし、最初の加盟は王国か共和国当たりの植民地が円満に独立してと思っていた。
だから、まさか、ここで来るとは思ってもしなかったが故に面白いと思ったのだ。
別の言い方をするなら、ルル・イファンに興味がわいたといっていいだろう。
そんな鍋島長官をコーヒーを持ってきた東郷大尉が困ったような表情で見る。
「また、何か企んでませんか?」
そう突っ込まれ、鍋島長官は苦笑を浮かべた。
「わかる?」
「ええ。いつもお側にいますから。なにやら企んでいるときの顔ですし……」
少し困ったような顔をしたものの、まんざらでもないといった感じの鍋島長官は、用意してくれたコーヒーのカップを手に取ると香りを楽しみつつ口を開いた。
「近々、アルンカス王国に行く予定が出来そうなんだ。だから、予定の調整お願いできないかな?」
「もちろん、私もご一緒していいのですよね?」
「もちろんだとも。大尉がいないと何もできないからね、僕は……」
その言葉に、東郷大尉はほっとしたような、そして嬉しそうな表情を浮かべた。
「わかりました。準備しておきます」
そう返事をして承知すると東郷大尉はすぐに退出していった。
恐らく、すぐにでも手配をするのだろう。
指示された事は余裕をもって確実にこなす彼女らしい行動だと思う。
実に頼もしいな。
細かいことは何も聞かずに動いてくれる彼女に感謝し、鍋島長官はコーヒーに口をつける。
いつものコーヒーの味を堪能してちらりとボードに目を向けた。
ルル・イファンに関してはスルーのつもりだったんだけどね。
だが、そうも言ってられないようだな……。
そんなことを思いつつ……。




