帰国
雑草号は遂に共和国の南に位置するモンターナシンス港に入港した。
リーガンハット諸島での戦いの後はトラブルもなく順調に進み、予定より二日早い到着であった。
入港するとマックスタリアン商会から派遣されている案内人兼交渉人のパウエル・リルシンタとファンカーリル港で乗り込んだお客であるリプことリプニツキー・ロマノヴァ・リプニツカヤとエヴゲニーヤ・セミョーノヴィチ・リターデン少尉、それに護衛として傭兵団『死にぞこないの虎』から派遣された四名の計七名はすぐに港に降りるとマックスタリアン商会の準備したアルンカス王国行きの船に飛び乗るように移動した。
彼らにとって共和国は目的地ではなく、あくまでもアルンカス王国に行くための中継地点でしかない。
予定より早く到着したといってのんびりする暇もないのは、祖国の取り置かれている現状を見れば一目瞭然といえた。
「いやはや、さすがですね。話には聞いていましたが、こんな凄腕とは……」
別れ間際、リプは船長と握手を交わしつつ微笑んだ。
どうやら親友からいろいろ話を聞いていたらしい。
「いや、そんなことはねぇ。乗り込んでいるやつらが一流だからさ」
「何を言っているんですか。そんな乗組員の信頼を受け、迷わず決断し実行させられる。それは船長の素晴らしい力ですよ。私もあなたのような指導者になれるよう努力しなければなりませんね」
「ありがとうよ。どんなところが良かったかはよくわからねぇけどよ……」
照れくさそうにそう言葉を返してから、船長は真剣な表情になった。
「……うちの義弟を親友と呼んでくれるあんたに頼みたい。これからもあいつの為に力を貸してやってくれ……」
その言葉には必死なまでの彼の家族に対しての思いが込められていた。
「もちろんです。任してください。そして落ち着いたら……」
「ああ。判ってる。妹には話をするよ。どうするかを……」
握手している互いの手に力がこもる。
それは熱意だ。
互いが互いの強い思いを伝えている。
「お願いします」
「ああ。こっちこそ……」
そして、二人は手を離す。
これで契約されたというかのように……。
こうして、雑草号のメンツは依頼を完璧に達成し、ルル・イファンの関係者は自分たちの使命を遂行すべく旅立ち、雑草号はモンターナシンス港で補給を受け、母港であるムールライナント港に向かったのであった。
「どうやら完璧に依頼をこなしたようですな」
報告書を読んでいるアリシアに執事がそう口を開く。
モンターナシンス港に到着した際にナーバン・アンバーナから提出された報告書はその日のうちにアリシアに届けられた。
ざっとではあるが報告書に目を通すと、アリシアは苦笑する。
「かなりいい手際と判断力ね。それに渡した船の性能も素晴らしいわ」
そして、少し間をあけるとぽつりと言葉をこぼした。
「手放すには……惜しいわね」
そう。アリシアは最初はこの依頼に成功したら、彼らを自由にさせるつもりであった。
もちろん、監視はするが、干渉するつもりはなかった。
だが、報告書を読み、惜しくなってしまった。
彼女には、諜報暗殺を行う私兵はいる。
その勢力はかなりのもので、共和国の諜報戦力としては最大級のものであろう。
彼女の母方の家が長い間作り上げた組織であり、それは間違いなく共和国の管理する組織よりも強力で、いろんな組織に入り込みアリシアを支えている。
だが、反対に海となると話は別だ。
軍関係の協力者も少ないため、海での活動はかなり制限が多い。
そんな彼女にとって、凄腕の実行部隊として雑草号の連中は喉から手が出るほど囲いたい戦力であった。
「ええ。そうは思いますが、約束もありますな……」
執事にそう言われてアリシアは苦虫を噛み潰したような顔になる。
彼女とてわかってはいるのだ。
嫌々ながら従う連中では意味がないと……。
だからこそ、迷い、呟いてしまったのである。
そんな心境が分かっているのだろう。
執事は苦笑の表情を浮かべると口を開いた。
「では……こういうのはどうでしょうか?」
そして告げられた提案に、アリシアは機嫌よくにこりと笑った。
「いいわ。それで話を進めて」
「了解しました」
「ふう。帰ってきたな……」
久しぶりに家に帰ってきたという感覚に包まれる。
アリシアから提供された家だが、暫く生活していたことと家族が出迎えてくれたことで余計にそう感じたらしい。
船長、いやこの場合は名前の方がいいだろうか。
ここは雑草号ではないのだから……。
トールは少しうれしそうにそう言うと、部屋の中を見回して表情を引き締めた。
「今から伝えるのね」
その表情の変化だけでわかったらしいミランダは、ぽんぽんとトールの肩を叩く。
それは励ますかのようだ。
「ああ、妹にあいつの事を話してくる……」
「私もついていった方がいいかしら?」
そう聞かれ、トールの顔が一瞬驚いたものになった。
どうやら、その言葉に一瞬頼りそうになったのだろう。
だがすぐに表情を引き締めるとぐっと身体に力を入れた。
「いや、一人で大丈夫だ。もし……もしうまくいかなかったら……」
「ええ。わかってる。その時は私が妹さんを説得するわ。あなたは二人がヨリを戻す方を選択してほしいと思っているのよね?」
「ああ。妹もそのつもりだと思う。だけど……頑固だからなぁ……」
そう言って苦笑するトール。
そんなトールにミランダはくすくす笑った。
「誰かさんの妹だからね」
その言葉にトールは困ったような顔をする。
「わかってるよ。俺の妹だからなぁ……」
「頑張って!!」
まるで子供を励ます母親のようにミランダが微笑みつつ言うと、その微笑みを受けてトールは立ち上がった。
「では行ってくる」
「いってらっしゃい、あなた」
そして、十五分後、ほっとしたような顔でトールは戻ってきた。
「うまくいったみたいね」
「ああ。こんなにうまくいったのは初めてだ……」
話を始めた最初こそ膨れたような面をしていたものの、出会ってからトールが問答無用とばかりに殴ったシーンで驚くと同時にすっきりとした表情になったらしい。
『お兄ちゃん、ナイス』と言った後は真剣な表情になり、『いいわ。彼が落ち着いたら一度会ってみたい』と言ったのである。
それは裏を返せば、アーチャを未だに愛しているという事なのだろう。
「へぇ……。よかったじゃない」
「ああ。まぁな……」
だが、トールの方は少し歯切れが悪い。
それが気になって、ミランダが伺うように聞く。
「どうしたのよ……。そんな顔しちゃって……」
「いや、何……あれじゃ、あいつ、妹に一生尻に敷かれるんじゃないかと思ってな」
「仕方ないわよ。それだけの事やっちゃったんだもの。でも、そんな酷い事にはならない気がするわ」
「なんだ?どうしてそう思えるんだ?」
「だって、妹ちゃんは今でも彼の事を愛しているのがわかるし、それに……」
「それに?!」
「それに、私の女の勘がそう囁いているの」
その言葉に狐をつままれたような顔をしたトールであったが、表情を崩すと楽し気に笑い出した。
反対に、ミランダは拗ねたような表情になる。
なんで笑うのよ。
その表情にはそう書かれており、トールは慌てて「すまん、すまん」と謝った。
「いや、やっぱり女の事は女じゃないとわからんなと思ってな。それにいつの間にか妹の事より義弟の立場でものを考えていたから余計におかしくなってしまったんだ。別にミランダの事を笑ったんじゃねぇよ」
「ならいいけど……」
そんなミランダの表情を見ていたらたまらなくなったのだろう。
「それよりも……な?」
ぐっとトールがミランダを引き寄せて抱きしめる。
「もう……」
そう言いつつも顔を真っ赤にしたミランダもまんざらでもないといった表情を浮かべている。
そして、互いに見つめ合った顔と顔が近づき一つになろうとした瞬間、ドアが叩かれた。
「船長、姉御、お客さんです」
ドアの向こうから声をかけられ二人の動きが動きが止まる。
「誰だってんだ?」
トールの声に、ドアの向こう側から返事が返ってきた。
「アリシア様からの使いだそうで、例の執事さんが……」
トールとミランダは互いに顔を見合わせるとため息を吐き出した。
またか……。
前回もいいところで止められたのだ。
そう思って仕方ないだろう。
だが、恐らく今回は今後の事についての話だろうからすっぽかすわけにはいかない。
仕方ねぇ。お預けだ。
そんな事を思いつつ、トールはドアの向こう側に声をかけた。
「わかった。すぐ行く。客間で待っておいてもらってくれ。それと副長はいるか?」
「へい。おられます」
「なら、例の件のようだから同席を頼むって言っておいてくれ」
「わかりやした」
返事を返すとドアの向こうから立ち去る物音がした。
「さて……。連中、どう出るかな?」
トールの何気なく出た言葉に、ミランダはにこりと笑った。
「どう出ても関係ないわ。私達は私達が望むものを手に入れればいいんだから」
その迷いない言葉に、トールは笑う。
「確かにその通りだ。俺らは俺らが望むものを求めればいい。もっともある程度の妥協は必要だがな」
「妥協……、ねぇ……」
今まで妥協という言葉に無縁だったがゆえにミランダの表情が少し困ったかのようなものになった。
魔力を失う前は膨大な魔力で無理やりこっちの言い分を通してきたのだから……。
「なぁに、こっちの有効性は示したんだ。悪いようにはならないよ」
「そうね。そうよね……」
そんな会話をする二人。
そして、三十分後、船長であるトールと副長、それにミランダとアリシアの執事の四人による今後についての話し合いが始まったのである。




