リーガンハット諸島での戦い その1
「こう真っ暗なのによ、何を見張れっていうんだよ……」
装甲巡洋艦リッチンパド・リンハーナのメインマストの見張り台にいる二人の水兵のうち年配の方がそう愚痴を言ってため息を吐き出した。
「いや、だから不審船を……」
マジめそうなもう一人の水兵は、周りを警戒しつつそう答える。
「本当にお前さんはまじめだな。大体、俺らが必死にやっても何も変わらねぇんだから適当にやってりゃいいんだよ。大体、その不審船だって、今日の昼過ぎ以降って話じゃねぇか。だから見張り以外はしっかり休みをとっているんだしよ。畜生め、とんだ貧乏くじだ」
そう言ってやる気のかけらもない態度と言葉に、もう一人の真面目そうな水兵は苦笑する。
それは少なからず誰もが思っていることなのだ。
手柄を立てても、おいしいところを持っていくのは上ばかりで、自分たちに何かあったためしはない。
ましてや、商人の価値観が基準となっている連盟では、軍人とはあくまでも国が雇った番犬程度の認識でしかない。
ある商人は言った。
『軍人とは、商人になれなかった愚人である』と……。
そこには、国を守るための要としての尊厳も誇りもなかった。
それが連盟ではまかり通っており、だからこそ、連盟の軍は弱いのだ。
そして、それを覆すことは難しい。
それこそ、独裁者でもいなければ……。
「まぁ、まぁ。あと少しで夜明けです。それに二時間もしたら交代ですから、朝飯食った後でも昼以降の追撃戦の前に少しは仮眠もとれますよ」
慰めるようなその言葉に、「仕方ねぇなぁ……」と言いつつ、もう一人の水兵が肩にかけていた双眼鏡を手に取った。
その時だ。すーっと光の線が走ってきたかと思うと東の空に明かりが漏れ始める。
その光景は実に美しい。
夜明けだ。
これで少しは気がまぎれるか……。
暗闇の中を警戒することほど単調で暇なものはないな。
そんなことを思いつつ、ふと気がついた。
「おい……」
思わず声が出た。
「どうしました?」
別の方向を警戒していたまじめそうな水兵が聞き返す。
「島の裏側に何かあったっけ?」
「何言っているんですかっ。この島の裏側は崖になっているんですよ。何もないに決まっているじゃありませんか」
「じゃあよ……、崖から煙みたいなものが上がっているのは、俺の目の錯覚か?」
そう言われて、「どうかしたんですか?」と言いつつ怪訝そうな顔で顔の向きを変えた真面目そうな水兵は言葉を失った。
「あ……、私にも見えます……」
二人の水兵は互いの顔を見合わせると互いに頷きあった。
「すぐに報告を……」
だが、その言葉を待っていたかのように風切り音が響き、装甲巡洋艦リッチンパド・リンハーナの側の海面に水柱が立つ。
それは砲撃されているという証だ。
「ど、どこからっ」
しかし、まだ陽が完全に登り切っていないという事と光に照らし出される島の影になって発見は不可能だった。
「ともかく報告だっ」
慌てふためく二人をあざ笑うかのように砲弾が飛来する。
そしてさっきより装甲巡洋艦リッチンパド・リンハーナに近い海面に水柱が立つ。
どうやって指示を出しているのかわからないが、それは間違いなく砲撃に修正が入っているという事だ。
それが示す意味は……。
さーっと二人の水兵の顔色が真っ青になった。
こうして、一方的な攻撃からリーガンハット諸島での戦いは始まったのである。
「よしっ。右方に200、前方に350ってところだな」
双眼鏡で砲撃の確認をしている副長の報告をナーバンは無線で雑草号に送る。
『砲弾観測修正、右方200、前方350。敵に動き見えず』
そう報告した後、ナーバンは聞き返す。
「いつまでここでこんなことするんです?さっさと合流しましょうよ」
その言葉に副長は双眼鏡から目を離さずに言う。
「馬鹿野郎。当たるまでだ。普通に打ち合いして装甲巡洋艦に勝てるわけないだろうが。ここで一気につぶしちまうんだよ」
「ですが、そうそううまくいくんですかねぇ」
「うまくいかせるのっ。次っ。右方50、前方150」
「ふう……。無茶苦茶だよ」
そう愚痴りつつも、ナーバンは無線機に修正を報告する。
そして、心の中で開き直りつつある自分に驚いていた。
この状況を楽しんでいる自分にも……。
「修正きましたっ。右方50、前方150ですっ」
「よしっ。砲手に伝えろ」
「了解しました。伝えますっ」
伝令に船員が走る。
これが普通の軍艦なら伝送管でも用意してあるだろうが、この船はもともと客船や貨物船がベースになっている。
その為か、砲塔部分への伝送管は設置していなかった。
その為、砲撃修正は船員が走って伝えなければならない。
艦首の砲台に走る船員を船橋から見下ろしつつ船長は苦笑した。
「しかしよ、まさか貨物船で砲撃戦することになるとはなぁ……」
そう言いつつ砲撃を行っている60口径15.5cm単装砲の方に視線を移す。
一般の15cm単装砲が15,000~13,000m程度であることを考えれば、射程距離は27,400mというこの砲はかなり高性能の艦砲というのが分かる。
ある意味、火力だけなら装甲巡洋艦以上といえるだろう。
「まぁ、選択肢はあるにこしたことはありませんよ」
そう言って今のところは船を動かす必要のないため、のんびりと砲撃を見ている操舵手が答える。
以前なら、選択肢はなく、あくまで逃げの一手だった。
もちろん、どうやって逃げるかといった方法で選択肢はあったが、その選択肢はあまりにも少ない。
それを考えれば、そう言いたくもなるだろう。
「まぁ、確かにな。それを考えれば、ありがたいと思うべきだろうな」
船長はそう言い返して、双眼鏡で島の方向を見る。
いくらなんでもそろそろ動き出すだろう。
その前にいくらかでも損害が出れば……。
そして、その船長の願いは、八射目で報われることとなる。
「何事だっ」
リネット・パンドグラ少佐はベッドから飛び出るように起きると思わず叫んでいた。
艦艇が大きく揺れ動いており、水しぶきが上がる音が聞こえたからだ。
もっとも、それに答えるものは艦長室にはいない。
慌てて着替えるとそのまま艦橋に向かう。
そして今の艦内の現状を目のあたりにした。
今、大き揺れる艦内はパニックになっていた。
当直で残っていた者たちもそろそろ夜明けという事もあり、すっかり油断してしまっていたし、なによりほとんどの者がまだ眠りの中にいたのだ。
誰もが現状把握もできず、ただ慌てふためくだけだ。
「ちっ。何をやっているっ。持ち場につけ」
そう叫びつつ、艦橋にたどり着くと少佐は声を張り上げる。
「現状を報告だ。それと艦内に放送。全員持ち場につかせろ」
「り、了解しましたっ」
慌てふためいていた当直の兵が敬礼し、行動に移す。
そして、遅れて副長や他の艦橋スタッフが集合した。
その間に、少佐は当直の者から、砲撃を受けており、敵の位置はまだわからないという事と、島の裏の崖から煙幕らしきものが上がったという報告をうける。
「くそっ。用意周到じゃねぇか……。こっちの動きを読んでやがる」
そう呟くと全員に声をかけた。
「出航の準備だ。このままじゃ好きなように袋叩きにあうぞ。急げ。それと敵の位置の確認急げ」
その命令に全員が一斉に動き出す。
その間にも砲撃は近づいてくるかのように正確になっていく。
焦りばかりが艦橋内を覆いつくそうとしていた。
そして、それは恐怖になった。
派手な音がしたかと思うと、少し離れていた位置に停泊していた僚艦である装甲巡洋艦リンバット・ハンハーレに爆発が起こった。
ついに砲撃が当たったのだ。
元々連盟の装甲巡洋艦は近距離での砲撃戦を主として設計されており、また速力を稼ぐため、舷側装甲はかなり厚いものの、甲板や水平装甲はペラペラで、他国の装甲巡洋艦よりも薄くなっていた。
その為、命中した砲弾は甲板を簡単に突き抜け、機関部へと命中。
機関部破壊によってもれた火種が一気に弾薬庫に引火した。
そして弾薬庫の爆発は艦体を真っ二つにするには十分すぎる破壊力であった。
巨大な爆発の後、いくつかの爆発音が続き、装甲巡洋艦リンバット・ハンハーレはあっという間に艦体を二つに分けて沈んでいく。
それでも何人もの水兵達が必死に海に飛び出し逃げ惑う。
だが、そんな水兵たちを道連れにするかのように巻き込んで沈む。
その様子に唖然としたものの、パンドグラ少佐はすぐ我に返ると叫んだ。
「急げっ。同じ目に会いたいかっ」
その言葉に、止まっていた時間が動き出したかのように兵たちが動く。
「いつでも動けますっ」
「よしっ。すぐに島の湾から出るぞ。敵を攻撃する」
「しかしっ。味方が……」
その声に、ちっと舌打ちをしたものの、さすがに見捨てるのは目覚めが悪いと思ったのだろう。
「まずは島の湾内から出る。そしてカッターを下すぞ。このまま湾内にいる訳にはいかんからな」
その言葉に、ほっとしたようなため息が乗組員から洩れた。
「急げっ」
その言葉に合わせるかのように、装甲巡洋艦リッチンパド・リンハーナは動き出す。
湾内から離脱するために……。
装甲巡洋艦リッチンパド・リンハーナが動き始めたころ、離れた島影から砲撃観測を行っていた小型船が移動していた。
連盟の装甲巡洋艦が味方を救援している間に雑草号に合流するためだ。
「追ってきませんかね?」
ナーバンのその言葉に、副長が答える。
「まぁ、普通の船乗りなら、仲間を見捨ててなんてことはしないだろうな」
「でも指揮官が見捨てるような命令をしたら……」
「そうだな。指揮官が船乗りじゃなきゃありえそうだな。たがそんな命令をしたとしょう。そんな指揮官に船乗りは従うと思うかい?」
そう聞き返されて、ナーバンは困ったような顔をした。
心境的には従わないと言いたいが、軍隊だから上官の命令は絶対だし……。
つまり、どっちか決められないという事らしい。
その表情を見て副長は笑う。
「覚えておくといい。軍隊であろうが、民間であろうが、関係ない。船乗りは船乗りなんだよ」
その言葉に益々困ったような顔をするナーバン。
「何、そのうちお前さんもわかるさ」
副長はそういうとますます笑ったのだった。




