ルル・イファンからの離脱…… その1
「連盟の艦隊から装甲巡洋艦が一隻離れつつあるという報告が入ってきています」
その報告に、船長は「思ったより少なかったな……」と苦笑して言う。
煙幕による誘導で侵入者がいないか確認の為に向かったのだろう。
「恐らく、侵入を防ぐよりも、出さないほうに重点を置いているのかもしれませんな……」
パットラの言葉に、船長は困ったような顔になった。
要は突入の際にやりすぎたという事を実感したためだ。
砲は出さないほうがよかったか……。
そんな事を考えてしまうが、砲のおかげで相手は追撃を躊躇した可能性もあるし、何より過去には戻れない以上、いまさらどうしょうもない。
「やはり当初の予定通りやりましょう」
パットラの言葉に、船長は言いにくそうに聞く。
「やはりそうなりますか……」
「ええ。出来る限りの事はしますよって言いましたしね。だから、ルル・イファン艦隊を出港させます」
「いいんですか?」
今のルル・イファンにとって、わずかな戦力とはいえ、唯一の艦隊なのだ。
それを失えば、わずかながらも確保している制海権を失い、後は海は完全に連盟の勢力範囲となってしまうだろう
だからこそ、船長は聞き返してしまうのだ。
それでいいのかと……。
だが、その言葉をパットラは笑い飛ばす。
「それだけ、あなたたちが大切だということです」
その言葉の意味を考えたのだろう。
だからこそ、船長は思わず聞き返してしまう。
「それは、俺が代表の義兄だから……ですか?」
その言葉に、パットラは船長の不器用さに笑った。
義理堅いということもあるだろうが、この人は人に助けられるということに対して慣れていないのだと……。
だから安心させる意味もこめて少し大げさに言う。
「そうですな。確かにそれもありますな」
そう言い切った後、ニタリと笑ってパットラは言葉を続けた。
「しかし、それ以上に今回の事はルル・イファンの命運がかかっているといった事の方が大きいですな。だから、代表の義兄がいるからというのは些細な理由の一つでしかありません」
その言葉に含まれる気遣いに、船長は少し顔をほころばせる。
「そう言っていただけると助かります」
「あと……」
「あと?」
「代表の親友も乗りますからな」
一瞬、きょとんとした表情になった船長だったが、噴出すように笑った。
「確かに……。気にしすぎのようですな」
「その通りですよ」
そう言って二人は笑う。
その様子は、昔から仲のよい友人のようだ。
恐らく、互いに尊敬出来る部分を感じているのだろう。
それ故に相手を気遣い、謙虚に対応しているのだ。
ひとしきり二人で笑った後、二人はデスクに広げられた海図に視線を向ける。
「現在、沖合いに存在する連盟の艦隊は、戦艦四隻、装甲巡洋艦三隻、その他二隻といったところですな」
パットラの言葉に、船長はおや?といった顔をする。
「装甲巡洋艦が少ないみたいだが……」
確か、六隻はいたはずだ。
それが半減している。
煙幕で離れたのは一隻だけ……。
なら、二隻はどこに行った?
その思考に気がいたのだろう。
「装甲巡洋艦二隻は、どうやらあの後、海域を離れて離脱したようです」
パットラがそう言うと、船長は黙り込む。
もし、出さないほうに重点を置くなら、ここで戦力を割くのは愚策過ぎる。
それとも何か他のことがあるというのか?
「無線傍受も行っていますがその二隻の移動に関しては何も報告がありません。ですから恐らくですが、海域のパトロールにでも向かったのでしょう」
確かにそう考えるのが普通なのかもしれない。
しかし、船長は少し引っかかるものを感じていた。
警戒しておく必要があるな……。
油断は、決定的な失敗を引き起こす恐れがあるためだ。
気にしすぎと人は言うかもしれない。
しかし、船長のその臆病とも取れる警戒心の強さが、雑草号の今までの航海でどれだけ役に立ったか。
それ故に、船長は二隻の所在が行方不明ということを忘れないように心に刻んだのであった。
ゆっくりと雑草号が動き始める。
接岸されていた港を離れて出口に向かう。
そして先行するかのように先に出るのは水雷艇八隻。
もっとも水雷艇とは言っても、足の速い民間船に魚雷発射管と機銃をつけただけの即席水雷艇だ。
それ故に見た目もしょぼいし、防御力なんてものはないに等しい。
しかし、それに乗り込む乗組員の士気は高い。
そして、その後に、雑草号とルル・イファン艦隊の戦艦一隻と装甲巡洋艦二隻が続く。
その動きを感知したのだろう。
沖合いで待ち伏せる連盟艦隊も動きを見せ始める。
しかし、その動きはルル・イファン艦隊に比べ、もっさりとしていてまとまりがない印象だ。
そして、なによりルル・イファン艦隊を舐めきっていることがはっきりとわかる。
『いいかっ、我々の目的は、敵を混乱させ、船をここから離脱させる事だ。連中を沈める必要はない。船が包囲網を突破すれば、我々の勝ちだ!!』
艦隊指揮官であるリッランパ・ペタンドラン大尉の演説が無線を通して、ルル・イファン艦隊のすべての艦艇に響く。
その演説は、実にわかりやすく、いかにして士気を上げるかを考慮されている内容であった。
『いいかっ。我々は確かに連中に対してまだまだ非力だ。しかし、我々とてただやられているわけではない。我々のようなものでも、決して怯まないという事を徹底的に連中に教え込んでやろうではないかっ』
その演説を聴きつつ、船長はニタリと笑う。
「今までは単独で何とかって場面ばっかりだったが、たまにはこういうのもいいな……」
それは思わず出た本音だろう。
「そうですね。しかも、我らを守るためってのは気持ちいいですな。実にうれしいものですよ」
その操舵手の言葉に、船長は思わず笑って言い返す。
「正確に言うと『この船に乗っている交渉人を』っていのが正しいんだがな……」
その言葉に、今度は別の船員が笑って言う。
「それ言っちゃ駄目でしょうよ」
「まぁ、そうだよなぁ……」
そう言って船長も笑う。
緊張した中にも、雑草号の船橋は落ち着いた雰囲気であった。
やはり場数を踏んでいるということは大きいといったところか。
だが、すぐに一つの報告で彼らの表情が引き締まり、真剣なものになった。
「先行する水雷艇部隊が敵艦隊と接触しました」
その報告に、船長は首にかけていた長年愛用の双眼鏡で前方を見る。
そこには水面に白い線を引きつつ動き回る水雷艇とそれを沈めようと躍起になって砲を放つ連盟の艦艇の様子が見えた。
いくつもの大小の水柱が立ち、まるで泡だて器でかき乱したように海面が荒れている。
それは水雷艇の奮戦を意味していたが、それでも連盟の艦隊の連携は崩れていない。
それどころか、こちらに向けての主砲の砲撃が始まる。
かき乱されて命中率は大きく下がるだろうが、それでもこちらを攻撃する余裕はあると見せたいのか、あるいは威嚇をしたいのか……。
どちらにしても水雷艇だけでは艦隊を混乱させることも抑えることも無理だという事だ。
「思った以上にしっかり守ってますね」
「ああ、崩れないか……」
そんな会話を操舵手と船長がしていると、他の船員から報告が入る。
「旗艦から発光信号です。『我、先行す。希望を頼む』以上です」
その報告に、船長はすぐに命じる。
「こっちも返信だ。『皆様の武勲を祈る。また会おう』以上だ」
「了解しました」
船員が発行信号をする為に駆け出す。
そして、ルル・イファン艦隊の戦艦一隻と装甲巡洋艦二隻は、雑草号を抜き去り、砲撃を行いつつ壁のように連盟艦隊に突き進む。
その勇姿に船長をはじめ、雑草号の手の空いている船員たちは敬礼をした。
そして船長の声が響く。
「いいかっ、野郎どもっ、ルル・イファン艦隊が敵の足止めを行っている間に一気に引きはなずぞ。離れれば離れるほど、ルル・イファン艦隊は戦いを止めて引きやすくなるんだ。だから気合を入れてやれ」
「「「おおーっ」」」
船員たちが気合が入った声を上げる。
彼らの目にも、ルル・イファン艦隊の勇姿は見事なものであったのだろう。
戦場から離れるかのように雑草号は右に舵を切る。
その動きに引っ張られるようにルル・イファン艦隊と連盟の艦隊の戦いの中から、二隻の装甲巡洋艦が抜きで出来た。
「敵装甲巡洋艦二隻追尾してきます」
「よしっ。一気に引き離すぞ。煙幕弾用意っ」
船長の号令に、雑草号の後方に左右二基ずつ設置してある爆雷発射装置にドラム缶のようなものが取り付けられた。
「準備完了です」
「よっしゃぁっ。そんじゃ、撃てっ」
四基の発射管からドラム缶状のものが次々と撃ち出されていく。
その数、十二発。
そして打ち出されたドラム缶状のものは、海面に落ちると海面に浮かんだまま、濃い目の煙を吐き出していく。
前の雑草号にも取り付けられていた特殊な煙幕だ。
以前の雑草号は、後ろからドラム缶状のものを転がして落とすといった感じで放出していたが、今回、発射管を使うことによって幅広い範囲に煙幕を展開しやすくなった。
その結果、少ない数でより広い範囲を煙幕で覆うことが可能となっている。
実際、雑草号の後方だけでなく、扇状に煙幕は広がっていた。
その煙幕によって、追尾していた二隻の装甲巡洋艦は雑草号を見失ったのだろう。
探照燈を使って回りを照らし始める。
その様子を確認した船長は、無線手に告げる。
「ルル・イファン艦隊に伝えろ。『援護感謝する。我らはこのまま一気に抜ける。各艦の無事離脱を願う』以上だ」
「了解しましたっ」
無線手が機械に噛り付くように向き直る。
「よしっ。野郎どもっ。このまま副長達との合流地点まで一気に行くぞ」
「「「おう」」」
そして、雑草号はより速力を上げて離れていく。
まさに言葉通り、追撃してきた連盟の装甲巡洋艦を煙にまいて……。




