ルル・イファン人民共和国の誕生 その2
「何っ、艦隊の一部を湾岸施設の防衛に回せだと?」
怒鳴りつけるかのように聞きなおす軍服姿の男。
その髪の毛は短く刈られていたが、まるで逆立っているかのように見え、それが怒鳴り声と相まってより怒っているように見える。
その上、身体は熊の様にでかく、顔も悪人面である。
そんな人物が怒鳴っているかのように喋っているのだ。
その迫力に、無線で命令を伝えた通信兵は小さく「ひいっ」と悲鳴を上げて肩をすくめた。
せっかく艦隊旗艦に配属になったのに……。
何でこんなに怒鳴られなきゃいかんのだ。
そんな事を思っているのは通信兵の表情から誰も安易に想像できるだろう。
もっとも、聞き返した男、ケンカシア商会の三男であり第九艦隊司令官でもあるラストノナラ・ケンカシアは気がつかなかったようだが……。
いや、そんな些細な事は気にしていないといったほうが正しいのかもしれない。
彼にとって、世の中は自分中心で動いているといった認識でしかない。
連盟において、大商人の三男とはいえ息子という立場はとてつもない権力が付属されるものだからだ。
「は、はいっ。海賊国家らしき艦艇が湾岸施設を偵察しているという報が幾つもあるようです。その為、各植民地の湾岸施設が、攻撃された時の防衛の為に戦力を欲しがっているようです」
何でこんな事まで言わなきゃならないんだ。
そんな事を思いつつ、通信兵がそう言うと、ケンカシア艦隊司令は、「ぐぬぬぬっ」と言葉にならない唸り声を上げる。
それはまさに獣じみており、恐怖と不安で通信兵はそろそろ転移願いを出そうとさえ思い始めていた。
しばらく唸り声を上げていたかと思うと、ケンカシア艦隊司令はやっと諦めがついたのだろう。
大きくため息を吐き出して命令する。
「仕方ない。防衛の支援を求めている港は幾つだ?」
「は、はい。全部で五箇所です」
「なら、各港に戦艦一、装甲巡洋艦三、給油艦一を回せ」
その命令に、隣で我関せずと言った顔で済ましていた男、司令付き副官であるシュナン・ポラルファ大尉が慌てて言う。
「艦隊司令、それでは我々の艦隊戦力が半分以下になってしまいます」
指示通りにするなら、五つの港に分ける戦力は、全部で戦艦五、装甲巡洋艦十五、給油艦五の二十五隻となる。
残りの戦力は、戦艦三、重戦艦五、装甲巡洋艦七、支援艦八となり、二十三隻。
もっとも、艦隊総数は上陸する兵士を乗せた輸送船などが二十三隻いるので、合計四十六隻となってはいるし、戦艦等の大型艦は、八隻もあるのだから火力的にはかなりのものだが、それでも戦える戦力が半減した事は間違いないだろう。
それにさっき唸ってまで迷っていたのはなんだったのだと突っ込みたくなってしまう。
だが、そんな副官の心とは裏腹に、ケンカシア艦隊司令は何を言っているのだこいつはといった顔つきで口を開いた。。
「心配するな。連中に海上戦力といったものはたいして残ってはいない。調べた限りでは、戦艦二隻、装甲巡洋艦四隻程度だと聞いている。それも旧型艦ばかりだとな」
「ですが……」
「数も火力も圧倒的に我々の方が上だ。それよりも上陸する部隊の心配でもした方がいいぞ。なんせ、すぐに降伏したり逃げ出したりする事で有名な傭兵部隊が先鋒なんだからな。頼りになる正規軍はその後だ。しかし、傭兵部隊がきちんと上陸地点の確保ができるか心配だ。なんせ本当に使えない連中ばかりだからな」
そう言って、ケンカシア艦隊司令はガッハッハと豪快といえば聞こえがいいが、どちらかというと下品に近い笑い声を上げる。
彼にとっては傭兵部隊は今いった程度の認識でしかない。
金を出せば手に入る使い捨ての駒で、たいして役に立たずにすぐに逃げ出すといった認識だ。
しかし、それは裏を返せば、勝敗を嗅ぎ分ける能力に長けているという事になる。
勝てないとわかればなんで命を投げ出したりするものか。
彼らは金で戦いはするが、金で命を売ったわけではないのだから……。
それを実際に傭兵と接し、共に戦ったことのあるポラルファ大尉はよくわかっていた。
しかし、現場で彼らと接した事のないケンカシア艦隊司令にはそういった事がわかっていないのだろう。
だが、それを指摘すれば間違いなくこの男は不機嫌になって怒鳴りつけるだろう。
それだけは勘弁だ。
もちろん、怒鳴りつけられるのが嫌なだけではない。
今回、第九艦隊司令の副官に抜擢された件は、司令官である彼の父親と自分の父親が知り合いであったからであり、つまり、別に高い能力が買われたといったことではない。
だから、もし彼の息子の不評を買えば間違いなく更迭されるだろう。
せっかくここまで来たのだ。
より高みを目指したい。
そんな思いがある以上、これ以上言ってもマイナスにしかならない。
そう判断してしまったのである。
だから「それならいいのですが……」と言いつつポラルファ大尉は後ろに一歩下がった。
もし第三者がいれば、ああこうしてイエスマンばかりになっていくのか……。
そう思っただろう。
そして、そうなった組織が、決していい結果を生まない事も……。
「これが敵の艦隊及び上陸部隊の編成です」
そう言ってトバイが厚めの資料をパットラに渡す。
その資料を受け取りつつ、パットラは驚いた顔で聞き返した。
「よく手に入りましたね……」
「軍を動かすには大量の物資が必要ですし、それにあわせて数多くの人々が関わりますからね」
「それはわかるが、ここまで正確だとは……。正確なんですよね?」
資料に目を通しつつ、そのこと細かさに驚きの声を上げるパットラ。
その様子に、トバイは少し鼻高々といった感じで答える。
「なぁに、『わからない事があれば本人に聞け』ってやつですよ」
よく言われるルル・イファンの諺で答える辺り、余程自信があるのだろう。
「どういうことです?」
「なぁに、連盟の商人全員が祖国に忠誠を尽くしているわけじゃないってことですかね」
要は、裏で繫がっている連盟の中小の商人から手に入れたということなのだろう。
彼らにしてみれば金儲けが第一であり、連盟という祖国であったとしても金になるためのネタという程度なのだ。
だから、商人は金儲けの事ばかりしか考えない連中だが、連盟の商人はそれ以上に金にこだわる金の亡者で、金儲けさえ出来れば身内でも笑って売りさばくという悪評がついてまわるほどだ。
まぁ、傭兵団の団長としては契約した以上、きちんと金を払ってくれればそれで十分の関係ではあったが、政治に関わってくるとその程度の繋がりしかないと感じてしまうのは立場の違いだろうか。
ともかく、敵の戦力がわかるのはありがたい。
こっちもその分対応しやすくなるというものだ。
そう思いつつ資料を読み進めていくパットラ。
そんな様子を見てトバイが声をかける。
「しかし、思ったより効果がありましたね……」
「何がだ?」
「例の噂と牽制ですよ。まさか、敵艦隊の半数が警備にまわされるとは……」
「確かに、ここまで牽制できるとは思ってもみなかったよ。だが……」
だがそこでパットラの言葉は止まった。
その様子に怪訝そうな表情を浮かべるトバイ。
自分の用意した資料に何か問題があったのだろうか。
そんな事を考えてしまったのだ。
「えっと……、何か問題でも?」
そう聞かれて、パットラは我に返ったのだろう。
視線を資料からトバイに向けてニタリと笑う。
「いやね、上陸部隊に面白い知り合いがいてね。そいつらをうまくこっちに引き込めないかと思っただけだよ」
そのどちらかというと邪悪というか意味深な笑みに、トバイは思わず苦笑する。
悪巧みする時は、みんな同じような表情になるなと思いつつ……。
「そんなにうまくできるんですかね?」
「さぁ、やってみないとな。でもうまく取り込めたら、いい戦力になるのは間違いない。それは保障する」
「ですが……」
「まぁ、駄目な時は諦めるさ。それが傭兵ってもんだからな」
さばさばとそう言ってパットラは資料に視線を戻す。
あまりにもあっけない割り切りにトバイは驚くものの、よく考えてみたら、傭兵をやっている以上、敵味方になる恐れだってあるのだ。
それを一々気にしていたら傭兵なんてやってられないしな……。
そう納得すると、次の指示を受けるため、トバイはパットラが資料を読み終わるのを待つのだった。
「気がのらねぇなぁ……」
そうぼやくのは、顔に幾つもの傷があるごつい男だった。
「そう言っても、参加するって言い出したのは団長でしたよね?」
隣に座っているどちらかというとまだ少年と言っていいほどの若い男が突っ込む。
「確かに言ったけどよぉ。どうもあの艦隊司令を見てから悪い予感しかしねぇんだわ」
「あー、確かに。あれは……」
それには若い男も同意を示す。
「だろう?あれは駄目なタイプだわ」
「じゃあ、どうします?」
「そうだな。いざとなったらさっさと降伏、或いは戦線離脱するって連中に伝えておいてくれ」
「了解しました。いくら金を積まれていたとしてもあんな司令官の命令で無駄死にはごめんですからね」
「そういうこった」
頷くと若い男は立ち上がって退室した。
今の指示を伝えに行ったのだろう。
そして、傷だらけの男は船特有の丸い窓の方に視線を向ける。
「おいっ、パットラ。お前、生きているのか?生きているのなら、さっさと連絡ぐらい寄越しやがれ。おかげでこっちが出張るハメになっちまったじゃねぇか」
何気なく口からこぼれた言葉。
愚痴とも取れる口様だが、その言葉には生きていて欲しいという願いが込められている。
だが、すぐに「ああーーーっ」と言う声を上げて傷だらけ男は頭をガシガシかいた。
「いろいろ考えてもしかたねぇ。今やれることをするだけだな」
そう言いつつデスクに広げられている地図に目を降ろす。
ルル・イファン地域の地図だ。
そして、その地図には赤い印といくつかの矢印が書き込まれている。
印の付いている地点は、ヒルカフントム海岸、そしてその中の矢印の一つはそのままファンカーリル港へと続いていた。
「まずは回り込んでファンカーリル港を確保。そしてルル・イファンへか……」
ちらりと地図の横に無造作に置かれている命令書に目をやる。
その命令書には、傭兵団『死にぞこないの虎』に宛てて、ヒルカフントム海岸を確保し、ファンカーリル港攻略の先鋒を命じる文面が書き込まれていた。
「しかし命じる側は気楽なものだな……」
思わず出た愚痴に、傷だらけの男、傭兵団『死にぞこないの虎』団長リー・カントンハは再び自分の頭をガシガシとかいたのであった。




