交渉 その3
手渡された資料を持った手が震えている。
まさか……。
その内容からかなりの大きな儲けが予想できる。
いや、それは予想程度ではないだろう。
実際、世界市場ではリランドッターナは数か少なく高価格で取引される物の一つだ。
それは世界がそれほど欲しており、そして重要な部分は、これは消耗品として常に必要とされている点にある。
だからこそ、ある程度の量を提供しても、すぐに価格は元に戻る。
そしてこれだけの量。
それは長期的に儲けが発生する事を示す。
また、交渉がうまくいき定期的な取引が出来るようになればその旨みの大きい期間はますます長くなるだろう。
まさに、莫大な財が常に懐に飛び込んでくるようなものだ。
これで興奮しない商人、いや人などいないだろう。
だが、ポランドは我に返る。
それは今までやってきた商人の勘だ。
確かに素晴らしい。
しかしだ。
あまりにも美味すぎると……。
そして感じる。
じっとこちらを観察する視線を……。
視線は勿論、ノンナである。
冷ややかな視線がじっとこっちを観察し、微笑んでいた。
それはこの誘惑には勝てまい。
そう言われているかのようだ。
だからこそ、ポランドの心が落ち着きを取り戻す。
もっとも、表面上は興奮したままを装いつつ……。
「じ、実に素晴らしいっ。これならは代金の代わりどころか、お釣りが来ますよ。はははは」
「そうですか。それはよかった。それでですね……」
微笑みながら少し間を空けつつノンナが言葉を続ける。
「我々としては、そちらに載っている物は、定期的にそちらにお売りできる商品となります」
その言葉に、ポランドはそらきたと心の中で身構える。
多分、今の状態に駄目押しして一気に決めるつもりではないだろうか。
そう判断したのだ。
しかし、そんな事は表面には出さず、興奮した様子のまま驚く。
そして立ち上がり前のめりになった。
その様子は、覚めた相手には実に滑稽に見えるだろう。
だが、彼のような商人は自分のプライドだって価値が合えば売るのだ。
だから大したことではない。
「すばらしいです。実に、実に素晴らしい。ぜひ、今回の件だけでなく末永く取引をお願いしたい」
ポランドはそう言いつつ、ノンナの次の言葉を待つ。
彼としては、このまま乗っかっていれば今回だけでなく継続的に取引も出来る状況となってほぼ自分が狙っていた事はクリアーとなる。
だが、彼女の雰囲気ではどうもそれで終わりではないらしい事がわかる。
「ええ。我々としても外貨と必要な物を確実に手に入れられるというのは、本当に助かりますから……。それでですね……」
そう言いつつ、じっとこっちを見るノンナ。
ポランドが無意識の内に口の中に溜まった唾を飲み込む。
それはまぁ、美人に真剣な表情で見られれば男としては、当たり前の反応だろうか。
だが、ノンナはそう感じなかった。
さっきからの流れで、こっちが押していると思ったのだろう。
「我々としては、今後の取引を行うにあたりどうしても欲しいものがあるのです」
そう切り出してくる。
その様子から美人は得だな……。
そんな事を思いつつ、その言葉にポランドは気を引き締める。
いくら美味しすぎる取引内容に自分好みの美女の頼みとて、それはそれ、これはこれという分別ぐらいはある。
もっとも表面に出さずに……。
「ほう……。私に出来ることなら、喜んで協力しましょう」
そんな事を白々しく言い切り、ポランドは笑みを浮かべた。
ここが攻め時と感じたのだろう。
ノンナが口を開く。
そして出された言葉は……。
「フソウ連合製の工作機械が欲しいと言う事ですか……」
そう確認するように復唱するとポランドは今までの興奮が嘘のような困ったような顔をした。
その変化に、ノンナは『しまった、まだ早かったか』と思ったものの、一度口にしてしまった以上、もう引っ込める事は出来ないと開き直った。
だから、このままなんとか口説き落とす方法に話をシフトする。
「ええ。先の戦いでアレサンドラ港の施設がかなりの被害を受け、未だに完全に復興できていません。それでその復興をご協力いただきたいのです」
その言葉に、ポランドは怪訝そうな顔で聞いてくる。
「ならば、フソウ連合に直接伺えば……」
確かにその通りだ。
しかし、それは無理だろう。
今の公国とフソウ連合の関係では……。
あの鉄壁といわれる同盟を誇る王国でさえ、そこまではまだ踏み込んでいない。
なぜなら、工作機械はその国の工業力の礎であり、その技術や機械を国外に持ち出す事はライバルを増やすことになりかねない。
それ故に、各国は自国で工作機械を開発し、出来る限りその技術や情報は機密扱いとしていた為である。
「恐らく無理でしょう。それに公国の今の現状ではその遅れが命取りになる恐れがあるのです」
そういった後、ノンナは畳み掛けるように言葉を続ける。
「現在、公国は二カ国と戦っている真っ只中なのはご存知だと思います」
「ええ。三つ巴の状態とは聞いております。そして戦況は膠着しており、その打破の為にフソウ連合に駆逐艦の援助を求めたということも」
「確かに戦力の補給は出来ます。しかし、現状の状態では修理や補修はかなり厳しいのです。またフソウ連合製の艦艇は、我々の工作機械では中々難しいのではないでしょうか。それを踏まえると、やはりある程度のレベルの工作機械が必要になってくる。しかし、各国は自国の工作機械を輸出する事はあまり乗り気ではないでしょう。技術力は力ですから……」
「確かにその通りです。他の国でも中々難しいのなら、どうせならフソウ連合製のものをと?」
「ええ。その通りです」
ノンナの言っている事は理に適っている。
どうせ、他国と条件は同じであれば良いものの方を選ぶだろう。
それが少々高くて、入手が面倒でもだ。
また、全ての工業製品でフソウ連合製は他の国のものより品質はかなり上位にある。
そして、工業製品を作る工作機械に当たっては、その差はより大きいと考えられるだろうし、長く使うものなら、中途半端にものを揃えるよりも最新式で揃えたほうがいいに決まっている。
噂では、フソウ連合から購入された王国の工作艦の常備施設は、王国の造船所だけでなく、あらゆる工業関係の施設よりも数段上の精度を誇っていたという。
恐らくだが、フソウ連合本国で使われている工作機械はそれ以上と考えられる。
それを考えれば、公国がここまで好条件を出した理由がわかるというものだ。
あの同盟国の王国でさえまだやっていない大規模な工作機械の輸出をフソウ連合に直接打診しても、国同士の結びつきや関係が足枷となってほとんど不可能と言っていいだろう。
ならば、代理人であるポランドを使い、搦め手といった形でなんとかならないかという事らしい。
まぁ、それでもかなり難しい事はわかっている。
だが、それでも今後の事を考えれば、必要だと判断したんだな、このお姫様は……。
そうポランドは判断した様子だった。
だから、しばらく考え込んだ後、ポランドはこう言うしか出来なかった。
「私の一存では決めかねる」と……。
だが、その言葉を聞き、ノンナは心の中でしてやったりと思っていた。
最初はどうなるかと思っていたが、拒否ではなく保留という言質を手にした事を。
彼女とて今回のことだけで決まるとは思っていない。
下手すれば、最初から挫折するとさえ思っていたのだ。
だから、保留というまさにベストと呼べる形をとり、少しずつ段階的に話を進めていくつもりであった。
ノンナは確かに『公国は二カ国と戦っている真っ只中』とは言ったが、ポランドが指摘するように今は膠着状態であり、余程の事がない限りそれは動かないと考えていたし、その膠着状態を打破する為の起爆剤として求めたのがフソウ連合製の駆逐艦だ。
そして、それがきちんと運用できるようになるまでは少なくとも半年程度の時間がかかるだろう。
その間に何度も会う機会はあるだろうから、その都度話を進めればいいのだ。
その為、長期的プランとして考えており、ノンナはその一歩を踏み出しに成功したという認識をしていたのである。
こうして、フソウ連合製の工作機械の件は保留されたが、それ以外はスムーズに話が進んだ。
ポランド自身は、一週間ほどの滞在を予想していたものの、四日目にはほとんど終わってしまったのである。
もちろん、駆逐艦の販売に関してだけでなく、それ以降の取引に関しても……。
スムーズに進んだ為、第三者から見たら全てお互いにWin・Winかというとそうではなかった。
この交渉は、ポランドが公国に借りを一方的に作ってしまったという形になってしまった為だ。
それがどうしたと思うものもいるだろう。
しかし、信用と信頼を基本とする商人にとって借りがあるということは大きい。
借りを返せないということは商人失格であり、取引する相手ではないと見限られてしまうからだ。
そして、今回はその借りがとても大きいものになった。
なんせ、ほぼポランドの提示した条件を飲み、それどころかより儲けが出るように公国側が色々手を回したからだ。
それはまさにポランドが慌てて止めに入らねば、どうしようもなくなるということになり兼ねないものだった。
もっとも、それを狙ってノンナは動いており、それはポランド自身も分かってはいたが、どう考えても後手に回りすぎていた。
だから、詳しい者が見れば、今回の交渉はノンナの方が一枚どころか二枚も三枚も上手だったと判断するだろう。
そして、それはポランドも理解しており、自分の未熟さを痛感する事となった。
だが、そんな惨敗のポランドであったが、唯一ノンナに一矢報いた事がある。
それは、初日の話し合いが行われた後、摂待と称して夕食会で何人もの美女をあてがわれた時だ。
すぐに女で篭絡するつもりだとわかったポランドは、極上の微笑を浮かべつつノンナに言ったのだ。
「確かに素晴らしい美人ばかりですな。ですが、これらの美人よりも、私としてはあなたにお相手して欲しいですな。あなたの前では、誰もが霞んでしまうのですよ」
ちなみに、ポランドは独身であり、何人もの女性と浮世を流しているほどの経験はあった。
もっとも、女性を口説くのは商売の練習と思っている節が本人にはある様子ではあったが……。
そんなポランドが言ったその言葉の意味に、ノンナは慌てて離席してしまったのだ。
もちろん、白い肌を顔を真っ赤にして……。
それは怒りというよりも、自分に向けられる好意にどうしていいのかわからないといった感じであり、もちろん理由もある。
なぜなら、今までは華やかな金の姫騎士の陰に隠れていたこともあり、冷たい銀の副官という立場もあったため、正面切って男性から口説かれるといったことはほとんどなかったためだ。
だから、ノンナのこういった色恋沙汰の耐性はとてつもなく低い上に、相手は百戦錬磨とまではいかないものの、そこそこの経験があるという事が合い重なって一気に彼女の限界を超え沸点に到達してしまったのである。
そしてそれ以降、夕食会では女性はあてがわれなくなったし、交渉の際もノンナの視線を感じることが多くなった。
もっとも、その視線は感情のないものであった為、それが好意の為なのか、それとも警戒の為なのかはポランドにはまったく分からなかったが……。
だが、どうせなら、無理かとは思うが、好意だとありがたいんだけどな……。
そんな事をポランドはついつい考えてしまうようになっていたのだった。




