宰相の遺産…… その1
旧帝国領で活発な動きを見せる公国。
そしてそれに対抗する為に連邦が反応する。
この二つの国に比べ、帝国の動きはほとんどなかった。
共和国の親帝国派をなんとか動かして共和国からの援助を手に入れたものの、それ以降大きな動きはない。
いや、動いているのだが、進展がないといったほうがいいのかもしれない。
実際、帝国は動くに動けない有り様であった。
何もかもが不足気味でやることも後手後手に回っている。
鮮やかな手並みで次々と問題を解決し、勢いが増す公国とは正反対であった。
聖シルーア・フセヴォロドヴィチ帝国の皇帝の座に着いたアデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチはそのような状況下でよくやれていると言えるのかもしれない。
以前の彼女を知る人なら、今の姿を見て別人と思うだろう。
まぁ、偶に癇癪を起こしかけるも、自分達が不甲斐ないばかりにと言って頭を下げる部下達に何も言えなくなる。
以前の彼女なら、その程度の事など気にせず当り散らしていただろうが、自分の為に必死になって働く姿を見ているため、どうしても躊躇してしまうのだ。
部下を扱うという事はこんなにも難しいのか……。
今更になって愕然とし、迷う。
だが、それは仕方ないのかもしれない。
元々彼女の周りには王家の血筋を利用しようとする口だけのイエスマンしかいなかったからだ。
そんな中、ノンナだけは違っていた。
時にはブレーキとなり、苦言をしてまで諌めた。
そして、自分の為に部下を統制してくれた。
つまり、アデリナは、ただ自分の思った事を口にすれば良いだけだったのだ。
出来る出来ないを振り分け決めるのは、ノンナであり、実行するように手配するのも彼女だ。
つまり、すべてノンナがやってくれていたという事に他ならない。
無様よね……私は……。
卑屈な笑いが漏れそうになる。
だが、そんな自分を支えようとしてくれる者達がいる。
自分を貶めるという事は、そう言った者達を馬鹿にする事だ。
それにノンナはノンナではないか。
かつては親友(と自分は思っていた)であったかもしれないが、今や敵だ。
ともかく、今の私は、出来る事をコツコツとやっていくだけだ。
以前の自分とはまったく正反対だなと思うが、それはそれで今の私に相応しい事かもしれないと思う。
今までやってこなかった事を清算しているといった意味で……。
そんな中、二つの報がアデリナに届く。
一つは、フソウ連合、王国との間に、講和のメドが立ちそうだということだ。
フソウ連合は、キナリア列島の譲渡を正式に認めるという条件が効いたのかもしれない。
報告書では、近々調印までいけそうだと最後は締めくくってあった。
「これは吉報ですな」
帝国国防軍長官であるドミートリイ・ロマーヌイチ・プルシェンコ上級大将は満足そうに頷きつつそう言う。
「ええ、そうね。これで問題が一つ解決した。でもこれですべてが終わったわけではないわ。まだまだよ」
「確かに……。その通りでございますな。我々にはまた問題が山積していましたな」
アデリナの言葉にプルシェンコ上級大将の顔が渋い顔に戻るが、事実だけに仕方ないだろう。
「まぁ、少しずつやっていくしかないからね……」
そう言って苦笑するアデリナ。
以前の彼女だったらありえない言葉と反応だ。
そして続けざまに、報告されたのは、連盟の商船の件だった。
連盟の商船が一隻、帝国領海ギリギリの公海を進んで公国に向かっていたというのだ。
「連盟の?間違いないの?」
アデリナにそう聞かれ、報告してきた若い兵は、持っていたボードに目を落として口を開く。
「はっ。掲揚していた国旗も連盟のものでしたし、停戦させて確認しょうとしたところ、国際チャンネルで船舶番号と船名、そして所属国籍を言ってきたそうです」
「ふーん……。なら間違いないか……」
そう言いかけたアデリナだったが、あることに気がいて声を上げた。
「ちょっと待って……」
「はい。なんでしょうか?」
「その商船は、帝国領海ギリギリとはいえ公海を進んでいたのよね……」
「そのようです。報告では自国領海に入ってきたとはいっていませんし……」
アデリナとプルシェンコ上級大将は互いの顔を見合わせると、ため息を吐いた。
「もしやってたら……国際問題ですな」
「そうね。いくらギリギリとはいえ、公海にいる相手だもの……」
「あの辺りは、どうしても帝国領海に接近してしまいがちになる海域ですが、いくらなんでも……」
「すぐにこんな事が二度と起こらないように注意して。相手は世界中にネットワークを持つ連盟の商人よ。とんでもない事になりかねないから」
「了解しました」
そして視線を報告者に向けるとアデリナは微笑む。
「ありがとう。ご苦労様。もう報告がなければ下がっていいわ」
その微笑とやさしい言葉に、報告してきた若い兵は頬を真っ赤に染めてあたふたと退室していった。
その様子を苦笑して見ていたプルシェンコ上級大将は呟く様に言う。
「さすがはアデリナさまですな。これで彼はアデリナ様の為に必死で働くでしょうな」
その言葉に、アデリナが嫌そうな顔をする。
「私は只、こうやったほうが皆がやる気を出すかと思っただけよ。変な意味はないわよ」
「わかっておりますとも。だから私は褒めているのですよ。今のアデリナ様なら皆ついて行くだろうと……」
それは以前ならありえないといっているのと同義だ。
その意味に気がついてアデリナは苦笑する。
「まぁ、以前の私なら誰もついてこないでしょうね」
そう言った後、心の中で呟く。
だって、何でもかんでもノンナにおんぶに抱っこだったから……。
そんなしんみりした感じの主人を見て、プルシェンコ上級大将は話題を変えることにした。
「しかし、なぜ連邦の商船がこんなところに……。ほとんどの商人は帝国領から撤退したと思ったのですが……」
「ええ。そうね。連邦の存在のおかげで火事場の儲けを狙った連中も姿を消したほどにね」
「本当に、困った存在ですな、連邦は……」
「ええ。でもこの場合は、そっちではなく……」
「なぜ、公国に商船が向かったかという事ですな」
その言葉に、アデリナはこくりと頷く。
恐らく、公国は、王国とフソウ連合から支援を受けていると考えられる。
その上、連邦からも支援を受けようとしているのか?
いやいや、それはありえない。
王国とフソウ連合は同盟を結んでいるし、何より今二ヶ国の主導を握っているナベシマ長官とアイリッシュ殿下の二人は親友とまで言われている。
だからこそ、二ヶ国が一緒になって支援というのはありえる。
だが、連盟は、二ヶ国との間にそんな絆はない。
それどころか、最近、連盟はフソウ連合に対して嫌悪感というか敵対的であると報告があった。
その報告が絶対ではないにしても、そう言われる原因はいくつかあるということだろう。
特に、商売が関わるとそれはあからさまになる。
それ故に三ヶ国が支援はありえない……。
では、何だというのか?
うーん……。
しばらく考え込むアデリナ。
プルシェンコ上級大将もそんなアデリナの邪魔をしないように静かに見守っている。
だが、アデリナは思考を切り替える。
わからないものは、いくら考えてもわからない。
問題が起こったときに解決する為に全力を尽くそう。
今は遥か先のことより、明日の心配をすべきだ。
そう判断したのだ。
「まぁ、いいわ。情報は集めさせて」
短くそう指示するとアデリナはデスクに積み上げられた書類に手を伸ばす。
一番嫌いな仕事なのだが、今のアデリナの仕事の八割以上が事務処理となっていた。
つまらない……。
そう思ったものの、減らさない限り先に進まないし、何より放置して明日になれば、この書類の山はより高くなる。
やるしかないのよねぇ……。
そんな上司を見かねたのだろうか。
プルシェンコ上級大将が彼女好みの話を振る。
「そう言えば陛下……」
「なによ……」
書類に集中しているためか、返事がおざなりだがそんなことは気にしていない様子のプルシェンコ上級大将は言葉を続けた。
「虎の子の艦隊が午後には訓練から戻ってくるそうですぞ」
ぴたりとアデリナの手が止まる。
視線が書類からプルシェンコ上級大将に向けられた。
「それ……本当?」
「ええ。今朝、全ての訓練を終え、昼過ぎには戻ると連絡がありました」
さっきまで眉間にあった神経質そうな深い皺がなくなり、ぱぁーっとアデリナの顔に幸せそうな感情が広がる。
艦を愛し、艦に愛される彼女にとって、艦とのふれあう時間はまさに極上の時間なのだ。
「うふふふふっ……」
アデリナの我慢できなくて笑みが漏れる様子を見て、プルシェンコ上級大将は苦笑した。
「陛下、その為に、今はしっかり頑張ってくださいませ」
「そ、そうね。その為なら頑張れるわ」
はっきりとそう宣言すると、さっきとは圧倒的に違う処理スピードで書類を処理していくアデリナ。
その様子を見てほっとした表情をした後、プルシェンコ上級大将は部屋を退出した。
主が必死になって仕事をしているのだ。
それが例え自分の為、邪な目的のためであったとしても必死になってやっているという事実は変らない。
ならば、部下としては、それに負けないようにがんばらなくてはいかんな。
そんな事を思いつつ、自分の仕事に戻っていったのであった。
そんな帝国で一人の老人が亡くなった。
その老人の名はグリゴリー・エフィモヴィチ・ラチスールプ。
旧帝国の宰相であり、実質上、帝国を裏から支配していた者だ。
だが、彼は自分の野望を目指す途中で力尽きた。
今まで積み上げてきたものが一気に崩れ落ちていく。
そんな絶望感が一気に彼を衰弱させたのだ。
そして、身内をほとんど失い、唯一の血を分けた孫は政治利用されないようにと共和国へと出国させた。
つまり、今の彼の傍には忠実な執事以外は誰もいなかった。
だからだろうか。
彼は執事に託す事にした。
ラチスールプ家の遺産を……。
それは使い方によっては、負にも正にもなるモノであった。
艦達との再会とふれあいという極上の時間を楽しんだ後、アデリナは憂鬱な顔で自分の部屋に戻ってきた。
楽しい時間は何ですぐに終わるのかしら……。
そんな風にぶつぶつ文句を言いながらである。
そんな彼女を押し留めて部屋に戻したのは、モッドーラ港撤退戦以降、すっかりアデリナの頼りない副官として動き回っているヴァシーリー・ゴリツィン大佐だ。
元々、武官よりも文官に向いていたのだろう。
事務処理や日程の調整など少しでもアデリナの負担を減らす為に動き回っている。
もちろん、彼だけではない。
政治政策面ではヴァシーリー・コソイ・ラカンベが中心となって次々と改革を進めているし、軍事面ではドミートリイ・ロマーヌイチ・プルシェンコ上級大将が中心となり、新生帝国海軍を構築中だ。
実際、今、帝国海軍の戦力は、公国海軍に比べて兵器の質も人員の熟練度も大きく見劣りする。
しかし、その差を埋めるため、兵達は必死になって努力しているのだ。
それがわかっているからこそ、ゴリツィン大佐の言葉にアデリナは従っているのであった。
まぁ、それでもブツブツ言いたくなる気持はわからなくもないのだが……。
「もう……。大佐って変なところで時間に厳しいのよね……」
「何を言うのですか。時間はきちんと守る為にあるのです。守る必要性がないのなら、時間なんて概念は出来ません」
「確かにそうなんだけどさぁ……」
未練がましくそう言ったものの、アデリナはため息を吐き出して椅子に座った。
「わかりました。明日にも少し時間を作りますから……」
呆れかえった表情でゴリツィン大佐がそう言うと、アデリナの表情が一気に変わる。
「絶対の、絶対だからね」
そう言って鼻歌を歌いそうな勢いで事務処理を始めるアデリナ。
「はいはい……」
そう返事しつつ、別に気にもせず退室しようとするゴリツィン大佐。
その様子から今やいつものやり取りと化している事が伺える。
彼にとって、アデリナは素晴らしい上司であると同時に、守らなくてはいけないと思わせるものがあった。
あのモッドーラ港撤退戦から彼は大きく変わったといっていいだろう。
それほどのものをもたらしたのだ、彼女は……。
だが、ゴリツィン大佐がドアに手を伸ばした時だった。
ドンドンっ。
ドアが叩かれる。
「ふう……」
どうやら自分の部屋に戻って仕事できそうにないか。
ドアの叩かれる音の大きさに、緊急性を感じたのだろう。
ゴリツィン大佐はドアを開けた。
「何事だ?」
いきなりドアが開いた為に驚いたのだろうが、すぐに真顔に戻った連絡兵は敬礼をする。
返礼を返しつつ、兵を室内に入れる。
アデリナは怪訝そうな顔でこっちを見ていた。
その視線に兵は一瞬動きが止まったが、すぐに我に返ってアデリナにも敬礼すると口を開いた。
「はっ。皇帝陛下に面会を求めている者が……」
「面会?」
アデリナがきょとんとしたように顔でゴリツィン大佐に視線を向ける。
その視線にゴリツィン大佐は大きく肩をすくめた。
つまり、そういった予定はないということだ。
そして、今の帝国で皇帝陛下に直接面会を求める者など限られている。
それにそういった者達も事前に使いを出しておく事が礼儀というものだ。
それに、そんな手続きをすっ飛ばすほどの事態は今のところ起こっていない。
では、だれが……。
アデリナとゴリツィン大佐の視線が兵に向けられる。
「で、誰だね、陛下に面会を求める者は……」
ゴリツィン大佐がそう尋ねると兵はごくりと唾を飲み込み口を開いた。
「はい……。旧帝国宰相グリゴリー・エフィモヴィチ・ラチスールプ公爵の使いだそうです……」
その名に、二人は驚く。
今や宰相という地位を失って権力を持たなくなったとはいえ、その名前の影響力は馬鹿には出来ない。
なんせ、今の帝国の政治機関で働く多くの者が、ラチスールプ公爵の手によって鍛えられ経験を積んだ旧宰相派と呼ばれた者だからだ。
彼の名前一つで、とんでもない事ができてしまう。
だから、無下には出来ない。
それが使者であったとしてもだ。
それに一時期は裏からとはいえ、帝国を支配していた者だ。
なにかこちらに有利になるものを持っているかもしれない。
なら、返事は決まっている。
「いいわ。会いましょう」
アデリナはそう言うと立ち上がった。
ゴリツィン大佐が素早く動く。
「準備をする間、丁寧にお待ちいただくように手配を……」
「はっ。了解いたしました」
兵は慌てて敬礼すると退出した。
その後姿を見送った後、ゴリツィン大佐はため息を吐き出した。
「また厄介な事でなければいいのですが……」
その言葉に、アデリナは済ました顔でいう。
「ふんっ。今更厄介事の一つや二つでブツブツ言わないの。さっさと仕度する準備を急ぎなさい。それと使者の身元確認と情報を……」
「はっ。了解いたしました」
ゴリツィン大佐は敬礼すると退出していった。
そして一人残ったアデリナは、身支度を整える為に、別室に向かう。
帝国皇帝として会うのだ。
下手な格好では会えない。
そう判断したのだ。
そして思考する。
それほど気を使う人物の使いがどういった用件かと……。
しかし、すぐにアデリナは思考を放棄した。
分からないものは、分かっないわと……。




