日誌 第三百四十二日目
リットーミン商会からアルンカス王国のフソウ連合海軍基地に送られた『収穫が終わった。これより倉庫に運び入れる』という連絡は、すぐにアルンカス王国に残っていたアッシュやアリシアといった王国、共和国の関係者に知らせられた。
「まぁ、サダミチが失敗するとは思っていなかったからな」なんてアッシュは軽口を叩いていたが、その表情はほっとしたような感じで、実は結構緊張していたんじゃないかと思う。
失敗は彼の今後に多大な影響を及ぼすだろうし、何より祖国の危機を救えなかったという絶望感は死ぬまで残る心の傷になったのではないだろうか。
反対のアリシアの方は何を当たり前な事を言っているといった感じの表情で「ありがとうございます。おかげで残念ながら祖国に戻らないといけなくなってしまいました」なんて言ってたからなぁ。
ある意味、肝が据わっていると言ったほうがいいのだろうか。
それとも成功すると確信していたのか……。
うーん……。
女心はわからん。
ともかく、三日目の午後に簡単な打ち合わせをした後は、約束どおり居酒屋で宴会である。
今回は、両国の関係者なども参加し、総勢三十人近い宴となった。
まぁ、かなり盛り上がったとだけ言っておくことにしょうと思う。
アッシュが酒の勢いで東郷大尉に抱きついてひっ叩かれたとか、アリシアが店主に共和国で出店しないかとかなり本気で口説いていたりといった事はあったが……。
ともかくだ。
これでしばらくの別れという事もあり、実に楽しい飲み会であった。
そして翌日の昼過ぎ、アルンカス王国のイムサ基地の港に僕はいた。
もちろん、東郷大尉もだ。
そして僕らの前には、アッシュとアリシアの二人がいた。
「サダミチ、今回の件、すまなかった。それと世話になった」
そう言って僕に抱きつくアッシュ。
僕も抱き返して言う。
「なに、できる事はするさ。それが親友ってもんだろう?」
「ああ。そうだな。だけどそれじゃこっちの気が治まらない。だから、借りとさせてくれ」
そう言って離れるアッシュ。
「仕方ないな。そういう事にしておくさ」
そう言って僕が笑うと、アッシュも笑った。
そして今度はアリシアが僕の前に来る。
ちらりと後ろにいる東郷大尉に視線を送るとニコリと笑った。
やばい……。
嫌な予感がする……。
思わず身構えると、アリシアはカラカラと笑った。
「大丈夫ですよ。下手な事をして彼女を敵に回したくないもの……」
そう言って右手を差し出してきた。
だから、僕はその手を握って言い返す。
「そういうつもりなら、下手に刺激するような行動は控えてほしいのだが……」
「あら、少しぐらい障害がないと恋はつまらなくなるんじゃないかなと思いまして……」
その言葉に、僕はゲンナリとした表情になってしまう。
「そんな障害は要らないよ」
「ふふふ。そんな露骨にいやな顔はしないでくださいませ」
そう言って手を離すと楽しそうに東郷大尉に手を振っている。
だからそういう態度をやめてくれーーっ。
あああーっ。
東郷大尉の顔が強張ってるじゃないかっ。
そんな僕を見て、アッシュがポンポンと僕の肩を叩く。
「まぁ、がんばれ……」
その顔は他人事だと思っている様子が伺える。
「あのなぁ……」
「まぁ、アリシアと友誼を結んだ時点で諦めろ。こいつはそんな女だぞ」
アッシュがケタケタと笑いつつフォローのつもりでそう言ったものの、アリシアは憤慨した顔でアッシュを睨みつける。
「こんな女とは心外ですわ、殿下っ」
「実際にそんなものだろう?」
からかう口調でそういうアッシュにアリシアは突っかかっていく。
その様子は、まさに仲の良い友人といったところか。
そしてそんな関係に僕も入っている。
僕は笑いつつそんな二人を見ていたが、無意識の内に自然と口が動いた。
「二人に会えてよかったよ……」
その言葉に込められた気持ちに気が付いたのだろう。
二人の表情が穏やかなものになった。
「こっちもさ、サダミチ。あの海戦で負けてよかったと思っているよ」
アッシュがそう言って寂しそうに笑う。
「私も、父がフソウ連合との講和に行くことにしてくれたおかげで、こんなにも素晴らしい友人達に会えました。感謝しかありません」
アリシアもしんみりとした顔でそう言う。
ただ黙って互いの顔を見るだけの時間が過ぎていく。
だがいつまでもそうしているわけにはいかない。
彼らには、祖国に戻ってやらねばならない使命がある。
祖国と植民地を立て直すという使命が……。
だから、またしばらくは会えなくなるだろうし、三人揃うのは中々難しくなるだろう。
それがお互いに分かっている。
だからだろうか。
誰も別れの言葉を言い出せないでいた。
そんな状況を見かねたのだろう。
東郷大尉がすーっと近づき口を開いた。
「そろそろ時間です」
その言葉が別れを決断させる。
「ありがとう、大尉」
僕はちらりと東郷大尉に視線を向けてそう言った後、視線を二人に戻す。
「では……、また会おう」
「ああ。勿論だとも……」
「ええ。会いましょう……」
そして二人は歩き出す。
それぞれが乗る艦艇に向かって……。
僕は二人を見送る。
敬礼をして……。
こうして、三者会談は終了した。
「すまなかったね、大尉……」
二人の乗った艦艇が出港するのを見送りながら僕は後ろにいる東郷大尉に声をかける。
「いいえ。あれぐらいの事は問題ありません」
そう言った後、彼女はボードを差し出す。
ボードには、この後の予定が書き込まれている。
この後は、イムサ関係者との対談とフソウ連合海軍外洋艦隊司令部との打ち合わせと続く。
そして夕方には、リットーミン商会の関係者との食事会という流れだ。
この流れで特に重要なのはリットーミン商会の関係者との食事会だ。
一応、食事会という形にはなっているが、ある意味、密談と言っていいだろう。
例の公国への駆逐艦売却の件や他国への輸出業務の提携などが話のメインだが、それだけではすまない恐れもあった。
まぁ、なるようになるか……。
僕はそう思いつつ、まずは最初のイムサ関係者との対談に向かった。
まぁ、予想通りではあったが、まず言われたのは駆逐艦の増産依頼であった。
最近のイムサの活動を知れば護衛隊の数が足りない、つまり艦艇不足というのはわかる。
だから先に手を回してO型駆逐艦の増産を予定に入れておいたのだ。
まぁ、かなりの負担になるドック責任者の藤堂少佐には申し訳ないが、こればっかりはどうしようもない。
特に海賊国家との兼ね合いがどうなるかわからない以上、下手したら予定している十隻程度ですまない恐れもある。
そして、その場合は本国の連合艦隊のアルンカス王国への派遣も検討する必要があるだろう。
ともかくそんな事態は望んではいないが、打てる手は打っておく必要があるな。
そう思いつつ、少し時間がかかるものの、十隻の追加を予定していると伝えておく。
すると交渉の担当者がほっとした表情をした。
どうやら、援助があるため断られるとでも思ったらしい。
まぁ、そう思ったのも分からなくはないか。
実際、王国、共和国だけを援助する訳ではないからなぁ。
次に外洋艦隊司令部との打ち合わせは、海賊国家に対しての方針の通達と戦闘の可能性についてだ。
交渉が決裂した場合、真っ先に戦うことになるのは彼らだろう。
アルンカス王国の基地が最前線に最も近いためだ。
その為、艦隊の増援と警戒用の水上機部隊の増設を伝えておく。
すると外洋艦隊司令官の真田少将は、「責任重大ですな。老骨ですが実に楽しくなってきました」と言ってカラカラと笑った。
さすがは山本大将や新見中将の恩師というべきか。
相変わらず肝が据わっているし、頼りになる。
そして、最後は本日の予定の最も重要なリットーミン商会の関係者との食事会となった。
「初めてお目にかかります。リットーミン商会のラカンナ・リットーミンと言います。アルンカス王国に今度できるリットーミン商会のアルンカス王国支店を任せられる予定となっております」
そう言って手を差し出したのは、二十代後半から三十代前半といった年頃の男性だ。
少し後退気味の髪とどちらかというと優しそうな雰囲気で、商人というよりも苦労の多い苦労人といった感じだが、それでもよく見ると代表のポランド・リットーミンによく似ている気がする。
「僕はフソウ連合海軍司令長官の鍋島貞道です。今回はリットーミン商会のおかげで助かりました。これからもよろしくお願いしますよ」
「いえいえ。こちらこそよろしくお願いいたします。これからの事を考えればフソウ連合やアルンカス王国との取引は実に魅力的なものですからな」
そう言って笑うのが実にそっくりで、僕は思わず「もしかして、代表のご家族ですか?」と聞いてしまう。
その言葉にラカンナは困ったかのように苦笑した。
実はよく言われるのかもしれない。
「あははは……。わかりますか?実は腹違いの弟になります」
「ああ、そうですか。よく似ておられる」
「確かによく似ているといわれますが、残念ながら商才とやる気は兄に遠く及びません」
「ですが、これからのフソウ連合との窓口になる方だ。身内というだけでは選ばれないと思われるのですが……」
僕がそう言うと、ラカンナはニタリと笑った。
「はっはっは。中々面白い方ですな」
返ってきた言葉はそれだけだったが、中々含みのある言葉だ。
これは結構やり手の人物なのかもしれない。
僕は諜報部にこの人物のチェックを依頼をする事を心の中で決める。
もっともそれをおくびにも出さずに笑った。
「まぁ、まずは食事でもして腹が落ち着いてから話をしましょうか。腹が減っては戦は出来ぬといいますからな」
「ほう……。面白い例えですが、確かに。何をするにも腹が満たされなければ、効率もやる気もおきませんからなぁ」
こうして、まずは食事を始める。
そして何気なく世間話から話題を振り、相手の情報を少しづつ収集していく。
相手の思考や能力を少しでも理解し、判断材料を増やす為だ。
なんか以前の営業の時を思い出す。
その為に、雑学の本とかをよく読んでいたっけ。
広く浅くという感じで、相手との話の取っ掛かりになるような引き出しを多く用意して興味を持たせる為だ。
それに相手の方が詳しい場合は、聞き手に回ればいい。
そうする事で、より深く話もできる。
そんな感じで食事が進んでいったのだが、ラカンナは僕との会話を楽しんでいる様子だった。
恐らく僕の考えが分かっているのだろう。
実に巧みに会話を進めている。
そして食事が終わり、食後の飲み物が出てきてからが本番となる。
「失礼ですが、ナベシマ長官は商売の経験が?」
やはり気がついていたか……。
「ええ。以前は商売に関する仕事をしておりまして」
「なるほど。話運びが実に商人らしいと思いまして」
「それはどうも……」
いかん。
完全に話の主導権を握られてしまっている感じだ。
少し強引にこっちに話を持っていくか……。
そう判断した僕は、ぐいっと身体を前に乗り出して相手を見ると書類の入った大きい封筒をテーブルの上において相手に差し出した。
それを見た瞬間、ラカンナの眉がピクリと反応したようだ。
だが普段を装い、ラカンナは封筒を受け取ると中の書類を出して目を通す。
そこには、公国に向けての駆逐艦代理販売の件と王国、共和国進出に向けてのフソウ連合の商人との合弁事業の依頼が書かれてある。
ある意味、驚くような内容のはずだが、彼は別段驚いたような表情は見せずに全てを読み終わると封筒に書類を戻した。
そして、こっちに視線を向けると微笑んだ。
「これは素晴らしい。兄も、いや代表も喜びます。それで少し気になった事があるのですが、伺ってもよろしいでしょうか?」
そう来るだろうとは予想していたから、僕も微笑んで言う。
「ええ構いませんよ。何が聞きたいのでしょう?」
「いえいえ。たいしたことではないのですか、公国に販売する駆逐艦の件ですが、販売価格が記載されていないというのは、価格設定はこっちで任せると言う事でよろしいのですか?」
口で微笑んではいるものの、探るような視線が僕を見つめている。
「ええ。それぐらいの旨味はないとそちらも苦労し甲斐がないでしょう?」
恐らく、公国は価格を叩きに来るだろう。
だが、裏を返せばやり方次第では、かなり美味しい利益を確保できるとも取れる。
「確かに……。それでその駆逐艦のスペックとかの資料はございますか?」
そう言われて僕はもう一つの封筒を渡した。
改峯風型駆逐艦の基本スペックが記載されている資料だ。
それにもざっと目を通した後、ラカンナは笑った。
「なるほど、なるほど。さすがは噂に聞くフソウ連合製ですな。実に優秀だ。各国が欲しがるわけですな」
「ほう……。そういうのは初耳ですよ」
僕がそう聞くと、ラカンナは笑いつつ封筒に資料を戻しながら口を開いた。
「確かに国としてはまだ決定ではない為、そちらに連絡はいっていないようですが、王国や共和国だけでなく、連盟の軍もそう言った事を考えている軍人は多いと聞きます。もし、そう言ったオファーがあった場合は……」
「相手にもよりますね。軍艦に関しては王国、共和国、合衆国が相手でしたら、国同士で取引となるでしょう」
「ふむふむ。つまり、それ以外の国と民間船に関してはこっちに任せてくれると思ってよろしいということでしょうか?」
なかなか手強い感じだ。
つまり、言質を取りたいと思っているのだろう。
だが、ここではっきりと断言するわけにはいかない以上、言葉を濁す事にする。
「そうですな。相手にもよりますし、後は条件がありますからね。特に軍艦の場合は……」
「確かに……。国同士のパワーバランスが関わってくる以上、おいそれとするわけにはなりませんからな」
「ええ。ですから、その分、そちらに十分な利益を得られるようにこちらも配慮したわけですよ」
そうは言いつつもそれが本音ではない。
この話を持っていった時点で、上手く行こうが行くまいがフソウ連合としては公国の要望に応えたと言う事で役割は果たしている。
つまり、リットーミン商会に利益という餌で役割を押し付けたと言っていいだろう。
だが、それをわかっているがラカンナは微笑んで言い返す。
「ええ。ご配慮感謝します。お任せください。それにフソウ連合とのより強いつながりの一歩としてきっと兄も喜びます」
その笑みは、それぐらいのことでしたら問題ないというかのように自信のある微笑であった。
「そう言っていただけるとこちらも助かります。これからもよろしくお願いいたしますよ」
僕がそう言って立ち上がって手を差し出す。
ラカンナも立ち上がると手を握り返してきた。
つまりは、契約成立といったところだろうか。
「駆逐艦の販売依頼書とか契約書の書類は後でそちらにお届けします」
「ええ。ありがとうございます。私もすぐに兄に知らせて動きたいと思っています」
「今後ともいい付き合いをしていきましょう」
「勿論ですとも……」
こうして、僕はこの日の最後の予定を消化した。
本当ならこのまま帰国したかったが、緊急事態でもない以上、時間が時間だけに一旦フソウ連合海軍の基地に一泊して翌日フソウ連合との連絡船の朝一の便で戻る事となったのであった。




