日誌 第三百三十九日目 その1
居酒屋での異例の夕食会の後、僕は一度フソウ連合に戻る事を決めた。
本当は食糧の買取の結果をこの地で待ちたかったが、色々話し合う事もあったし、何より海賊国家とのコンタクトの件が大きい。
これに関しては国としてある程度足並みを揃えておく必要があるだろう。
そんな事を思いつつ空を見上げる。
「うん。良い天気だ。これなら問題なく飛べそうだね」
僕が機長の西見光太郎中尉にそう声をかけると、中尉は髭もじゃの顔を楽しそうに歪ませる。
「ええ。問題ありません、長官。もっとも少々天候が悪いとしても、二式大艇はびくともしませんぜ」
「それは頼もしいな」
僕がそう言っていつもの席に向かう。
その後ろに続くのは、いつも通りに東郷大尉だったが、かなり気分が悪そうだ。
「大丈夫かい?きついなら大尉はここに残っていてもいいよ。明日には戻ってくる予定だし……」
「いえ。そういう訳にはいけません。私の仕事は長官のサポートです。常にお傍にいなければサポートできませんから……」
こう言い出したら、意地でも意志を曲げない頑固なところがあるから、これ以上言っても意味はない。
それどころか、彼女を怒らせるだけだ。
そう考えた僕は、優しく肩を叩きながら言う。
「そうか。でも無理はしないように」
「はい。ありがとうございます」
ほっとしたような表情でそう返事をする東郷大尉。
彼女にとって、僕の側を離れるのは不安なのだろうか。
ふとそんな事が頭に浮かぶ。
まぁ、思い過ごしだよな……。
そう思いつつ、席に座ると東郷大尉に聞く。
「そう言えば、アッシュとアリシア嬢の方には、一旦ここを離れるって伝えてくれたかい?」
「はい。お伝えしたところ、一応、一週間はアルンカス王国にいるとのことです。もっとも結果がわかれば、すぐに帰国するつもりだとも言われていました」
その報告に、僕は苦笑を浮かべる。
「彼らにとって、帰国してからが修羅場だからね。英気を養っておいて欲しいものだな……」
「それともう一点」
「もう一点?」
「あの店は気に入ったので、またあの店で飲みたいと……」
「二人ともかい?」
「ええ。ニュアンスは違いますが、アリシア様もそれらしい事を言われていました」
「そうか、わかった。達成の知らせが来たらまたやろう」
「わかりました」
そう言ってボードを閉じる東郷大尉。
「もう座って休んでいいよ。出発まですることはないだろうからね」
僕がそう言うと、余程きつかったのだろう。
「ありがとうございます」
そう言って東郷大尉は、向かいの席に座って椅子に身体を預ける。
そしてしばらくすると寝息が聞こえ始めた。
「見方大尉」
小さめの声で呼ぶと「はい」とこちらも小さめの声で返事が来た。
「すまないけど、なにか掛けるものを用意してくれないか?」
見方大尉はちらりと東郷大尉を見た後、苦笑して頷く。
そしてすぐに薄手のバスタオルみたいなものを持って来た。
「これでよろしいでしょうか?」
「ああ。ありがとう」
それを受け取って、僕は東郷大尉にかけておく。
すると気になったのだろう。
見方大尉がぼそりと聞いてくる。
「何やったんですか?」
「いや。昨日、悪い飲み方したみたいでね」
僕が苦笑して言うと、見方大尉は呆れかえった顔でため息を吐き出した。
「本当に、何やってんだか……」
「まぁ、たまにはね」
僕がそう言うと、見方大尉が頭を下げた。
「こんなんですが、長官、よろしくお願いいたします」
それは従兄弟として心配になり出た言葉のようだった。
「ああ、大丈夫だよ。それにこんなになったのは偶々だからね。君も知っているだろう?普段は実に頼もく、きっちりしているのを……」
「ええ。それはわかっていますけど、ちょっとしたミスが後々響く事も多いですから……」
「まぁ、そういう場面もあるけどね。でも……」
そう言って僕は視線を東郷大尉に向ける。
よほどきつかったのか、今は完全に寝入っているようだった。
「こういったギャップも中々可愛いと思えるからね。心配いらないよ。だから東郷大尉の親御さんへの報告はなしだ」
最後の方は少しおどけた感じになったが、それはそれでいいかな。
僕の言葉を聞き、見方大尉はクスリと笑うと「では……」と言って敬礼すると自分の席に戻っていった。
その日の夕方、途中一回の補給を受けて、無事二式大艇は、フソウ連合の海軍本部に戻ってきた。
その頃になると東郷大尉も回復したのだろう。
着く直前当たりから目を覚まし、自分が何をやったのか把握した後は、米搗き飛蝗のように何度も「すいません」と真っ赤になって頭を下げていたが、「別に機上で特に何か用事があった訳ではないので気にしないように」と伝えておく。
まぁ、それでも彼女の性格的には完全に払拭するのは無理だと思うが、少しは気休めになってくれればと思う。
着水し、基地に到着した僕達を待っていたのは、山本大将を初めとする幕僚達であった。
「すまないね。無理を言って……」
「いえ、かまいません。大会議室にメインのスタッフは集まっております。しかし、食事はよろしいのですか?」
「機内で済ましたから問題ないよ。それこそ君達の方は?」
「恐らくそう言われると思って済ましております」
笑いつつそう言う山本大将。
「わかった。すぐに始めようか」
「了解しました」
こうして僕らはすぐに本部の大会議室に向かった。
大会議室には、五十人近い幕僚や関係者、スタッフが待っており、僕が入室すると立ち上がって敬礼したり頭を下げている。
それに返礼しつつ、僕はいつもの席に向かった。
多忙な中、各方面指令も参加しており、要はそれだけ今回の緊急召集を気にかけているのだろう。
また、政府からの参加者もいる。
議長でありガサ地区代表の角間真澄氏とカオクフ地区の新田慶介氏の二人の姿も見えたからだ。
恐らく予定をキャンセルして参加したのだろう。
結構多忙のはずなんだがな……。
だが、今回の事は大きな転換となる恐れがある。
外交に関しては、僕に丸投げの状態だが、政府としてもきちんと状況を把握しておく必要があると思ったのだろう。
確かに、僕が同じ立場なら、参加するだろうな。
そして僕が席に着くと全員が座った。
僕は全員を見回して口を開く。
「今回は急な召集にも関わらずよく集まってくれた。誰もが多忙ではあると思うが、皆の意見を知りたいと思い召集させてもらった。それに答えてくれてありがとう」
そう言って頭を下げた後、言葉を続ける。
「まずは、報告からしておこうと思う。『国際食糧及び技術支援機構(International Food and Technology Assistance Organization)』、通称『IFTA』に関しては今のところ順調だ。恐らくこっちは問題なく軌道に乗ってくれるだろう。だが、これで植民地で多発する独立や民族運動といったものが全ての流れが押さえきれるかというとそれは別問題だ。我々は材料を提供する事しかできない。どう料理するかは各国次第だからだ」
その僕の言葉に、角間氏が声を上げる。
「では、もしかしたら独立運動や民族運動を抑えるのは失敗するかもしれないと?」
「可能性はある。こればっかりはこっちではどうしようもない。だが、このまま混乱が続けばろくな事にならないのは明白であり、なんとかして世界的混乱を抑える必要はある。だから、主国である王国や共和国には頑張ってもらいたいし、出来る限りサポートをしたいと思う」
「では、他の国々はどうするのかね?」
そう聞いてきたのは、新田氏だ。
これから他の国との貿易に力を入れていこうと考えていた矢先だから、産業経済部の責任者でもある以上気になるところだろう。
だが、下手な気休めは言えるわけがない。
だから現実をいうだけだ。
「差し出した手を握るのは相手次第ですよ。そればっかりはこっちの都合だけではどうしようもないですから」
そう。その為に参加を募ったのだ。
果たして王国、共和国以外の国はどう出るだろうか。
「確かに……。そればかりは無理ですな……」
新田氏はそう言うと考え込む。
相手ありきの事は、思ったようになることばかりではない。
全員を見回した後、僕は口を開いた。
「他に何かありませんか?」
何も発言する者はいなかったため、僕は報告を終えたと判断し席に座る。
すると次に外交部補佐官の中田中佐が立ち上がり議題を提示した。
「それでは今回の緊急招集の本題である議題に移りたいと思います。まず一つ目の議題は『公国からの駆逐艦の譲渡要請』についてです」
『譲渡』の部分に、ふんと鼻を鳴らす山本大将。
個人的に相手が頼りっぱなしの感じがしてイライラするのだろう。
公国には、秘密理にだが燃料に弾薬、かなりの資材の援助を行なっている。
それに以前の話し合いの時、直接的に援助しているという事がわかることは行なわないといってあるはずなのだ。
なのに、今回こういった事を言ってきているのは、フソウ連合をいい金づるとして利用するつもりか、あるいはそれしか出来ない場合か、それともフソウ連合を巻き込みたいかといったところだろう。
もしかしたらひとつではなく、複数、もしかしたら全部なのかもしれない。
ともかくだ、僕的にも気分的にいい感じはしない。
本当なら断ってもいいとさえ思うのだが、国の関係上、そう簡単に割り切るわけにもいかない。
何が良いアイデアはないかと思い、だからこうして議題にしたのだ。
まず最初に山本大将がつまらなさそうに言う。
「断ればいい。向こうがこっちの取り決めを無視して言ってきた事だ。律儀に答える必要はない」
「しかし、そう簡単に割り切るわけにもいかんだろう。必要に迫られてのことだろうしな」
渋い顔をしつつそう言ったのは新見中将だ。
心情的には山本大将と同じなのだろう。
しかし、そう言ったわけにはいかないために、なんとかそう言っている感じだ。
そうすると東部方面部司令の的場大佐が挙手をして立ち上がる。
「今まで公国を影で支援してきた以上、確かに簡単に断るというのも難しいかと思います。そこで、長官はどういう風にお考えなのですか?」
まさかそんな風に聞かれるとは思っていなかったため、度肝を抜かれたが、僕としての考えはまとまっている為、それを口にすることにした。
「どっちの意見もありだと思う。恐らく公国が駆逐艦を欲しがるのは、前回の水雷艇による波状攻撃に対抗する為だと思っているからね。ただし、駆逐艦を譲渡するのは反対だ。これは公国の連中に今以上の援助は行なわないという示しをする為だ」
僕の言葉に何人かは頷いていた。
線引きをきちんとしなければ、ずるずるとなって自分達の負担だけが大きくなっていくのは目に見えている。
それを防ぐ為にも譲渡は拒否しなければならないが、水雷艇に対しての対策がなければ、旧帝国領の混乱は収まらないだろう。
誰もが考え込んでいる中、ドック区画の責任者の藤堂少佐が呟く様にいう。
「なら売ればいいんじゃねぇか?」
その言葉に、誰もが驚き、視線を彼に集めた。
視線を一気に受けて、藤堂少佐が驚いた表情になる。
「今言った事を詳しく……」
僕がそう言うと、藤堂少佐は周りの視線にきょろきょろと周りを見回しつつ言う。
「ほら、長官がアルンカス王国海軍で運用される駆逐艦以外にも同型艦をいくつか用意しておいてくれって言ってたじゃありませんか」
「ああ。確かに……。追加の可能性もあったし、何かあったらすぐに引き渡せる戦力として用意しておいてくれと言ったが……」
「その駆逐艦、峰風型の簡易版なんだがそれが六隻ある。それを売ればいいんじゃないかと思っただけなんだが……」
そこまで言われ、その手があったかと僕は太ももをぱーんと叩いた。
「しかしだ。どうやって売るというのだ?国交もない上に正規ルートの繋がりもないのだぞ」
困ったような表情で新見中将が言う。
だが、僕には考えがあった。
だからすぐに口を開いた。
「第三者を間に入れればいい」
「しかし、誰を間に入れるのですか?」
そう聞き返されて、僕は笑いつつ答える。
「商売となるなら、やはり間にはいるのは商人ですよ」
そこまで言って、わかった者はなるほどといった顔をしている。
しかし、それでもわからないものはいる様なので僕は説明する事にした。
「連邦のリッキータ商会が今我々の為に動いてくれています。彼らを間に挟みましょう」
僕の言葉の後に、新見中将が笑いつつ補足として言う。
「なるほど。公国は駆逐艦を手に入れ、商会は販売する事で利益を、我々は義理を通したという三者三得といったところですかな」
「そう言う事です」
この意見には、最初断ろうと言い出した山本大将も納得したのだろう。
「なるほど。そういうことなら…」と言って頷いていた。
「なら、この件は、リッキータ商会を通しての販売という形式で話を進めていきたいと思います」
外交部補佐官の中田中佐がそう宣言し、全員が頷くことで意見はまとまった。
そして次の議題が告げられる。
もっともインパクトのあり、今回の本命の議題が……。




