日誌 第八日目 その2
僕が頷いたのを確認すると、光二さんはゆっくりと立ち上がってドアに向う。
どうやら東郷大尉は僕の部屋をノックしたようだが、もちろん、僕はここにいるから反応はない。
下の階にいるのかと思ったのだろう。
階段を下りてくる音が響く。
そして、下りきって音が止まった時に光二さんがドアを開けた。
ガチャリと言う音が、普段なら感じないほど大きい音に聞こえる。
「彼を探しているのかい?彼なら、ここにいるよ」
「えっと…どちら様ですか?」
東郷大尉の警戒した声が聞こえる。
「ああ、僕はね、彼の従兄弟なんだ。君は東郷さんでいいのかな。ほら、この前、話をしただろう。星野模型の店長と…。僕はその店長の旦那ってわけさ」
軽い感じの声で光二さんがそう説明すると「あ…つぐみさんの…」と東郷大尉が少しほっとしたように呟いた。
「いや、最近会ってなかった上に、この前お店の方に顔を出してくれたから久々に顔を見たくなってね。寄らせてもらってたんだ」
そう言って身体をずらして中が見渡せるようするとひょいという感じて東郷大尉が部屋の中を覗きこんできた。
「や、やぁ、早かったね」
一応、彼女を心配させない為に、平穏な振りをしながら何とかそれだけを口にする。
この問題は自分の問題だ。
彼女を巻き込まみたくない。
そう思って口を開く。
「すまない。台所のテーブルの上を片付けておいてくれ。それとテーブルにあるビニール袋の中につぐみさんの手料理が入っているから、それで夕食を準備しておいてくれないかな?」
普通に話したつもりだったが、怪訝そうな表情をする東郷大尉。
だが、それでもここは何も言わないほうがいいと判断したんだろう。
「はい。では夕食の準備を始めますね。ご飯とかは準備できています?」
「あ、準備できていないな。ごめん。すっかり忘れていたよ」
「はい。わかりました。すぐに準備にかかりますね」
そう言った後、東郷大尉は光二さんの方をちらりと見て聞いてくる。
「それでお客様の分はどうしましょう?」
「そうだね、準備しておいて…」
そう言いかけていたら、光二さんに遮られた。
「いや、夕食が出来る前に帰る予定だから、二人で食べてくれればいいよ」
光二さんはにこやかに笑ってそう言うと、応接間のドアを閉める。
ドアの閉まる音が、なんだか別の世界に隔離されるかのような錯覚を想像させた。
そして、光二さんはソファに座り込むとずいっと身体を前のめりにさせて僕に聞いてくる。
「彼女が関係してるんだな…」
さっきまでの優しそうな表情はもうない。
そこにあるのは鋭い目をした真剣な表情だけだ。
僕は息を吐き出して口を開く。
「そう…です…」
僕の言葉をどうとったのだろうか。
光二さんはソファに背中を乗せると息を吐き出した。
「ふーっ…。そうか…」
そして再度聞いてくる。
「どうしても話せないか?」
そう言われてもどうしょうもない。
「すみません…今はまだダメです…」
僕の言葉に、光二さんは「はあっ…」とため息を吐き出して頭をガシガシとかいた。
「今は…まだ…か」
呟くようにそう言うと決断したんだろう。
再び僕に向き直る。
「ならこうしよう。今はまだ話せないなら、いつかは話してくれるんだな?」
「はい。そのつもりです」
「そうか。それと法律に引っかかるような事はしていないんだな?」
異世界と繋がったら駄目だとか、異世界に干渉するのは禁止とかいう法律がなければだが、まぁ、そんな法律あるわけないか…。
だから、はっきりと返事をする。
「もちろんです」
僕のその言葉に安心したんだろう。
真剣な表情が、いつもの優しそうな顔に変化する。
「なら、これ以上は言う必要はないな」
その言葉を聞き、全身の緊張が一気に解けた。
誰もいなかったらそのままソファに力なく倒れこんだだろう。
そんな僕を見て、光二さんが笑う。
「おいおい。そんなに怖かったか?」
「怖かったですよ。今まではこんな事はなかったですからね」
「そりゃそうだ。怒るような事はなかったし、今までお前の親父さんがいたからな」
そう言って光二さんは、僕の家族が写っている写真立てに視線を送る。
「そうですね。確かに親父にはよくしかられましたよ」
「そうか。そうか…」
くくくっと笑う光二さん。
多分、昔の事を思い出しているのだろう。
そして、「三年だ…」と短く言う。
「へっ?」
「だから三年の間は、アパートやマンションの管理を代理でやってやる」
そう言われて初めて三年の意味がわかった。
「……いいんですか?」
僕の問いかけに、光二さんは仕方ないといった表情をして口を開く。
「僕も仕事やイベントがあるけど、つぐみさんと二人でやればなんとかなるだろう…。それにいざとなったら美紀ちゃんに頼むのもありだな…」
そう言った後、ずいっと顔を近づけて言葉を続けた。
「ただし、それ以降は自分で何とかしろ。いいな?」
その言葉に、僕はただ頷き「はい」と返事をする事しかできなかった。
本当にありがたい申し出だ。
多分、今回のトラブルの事を聞いて慌てて様子を見に来てくれたんだろう。
昔からそうだった。
この人は、いつも僕の世話を焼いてくれていたっけ…。
なんか…ぐっと心が締め付けられるようにうれしかった。
「明後日の昼ぐらいにまた来るから、細かな事はその時だ」
そう言って、光二さんが立ち上がる。
それにあわせて僕も慌てて立ち上がり何度も頭を下げる。
「すみません…本当にすみません…」
今の僕に出来る事はこんな事だけだ。
でも、いつかはこの恩に報いなければと思う。
そんな僕を優しそうな目で見た後、光二さんはニタリと笑って口を開く。
「もちろん、仕事に見合った報酬はいただくからな」
「もちろんです。きちんと払いますよ。いくら親しいといってもお金の事はきちんとしないと…」
僕がそう言うと、光二さんはうれしそうに笑う。
「本当に、お前の親父さんに似てきたな」
「そうですか?」
そんな自覚はなかったのでそんな言葉が自然と出た。
「ああ。似てきたよ。お金に関してシビアなところとか、頑固なところとかさ。それに……全然女っ気ないくせにいきなりあんな美人の女性を釣り上げてきたりするところなんかもな」
からからと気持ちいい笑いをしながらそんな事を言い返してくる。
美人の女性?
それって…どう考えても東郷大尉のことだろう。
僕は慌てて否定しようとしたがその言葉を飲み込む。
もし違うとか言い出したら、せっかくまとまりかけた話もまたごちゃごちゃになってしまう。
そう思ったからだ。
ごめん…東郷大尉。
心の中でそう謝りつつ、笑って誤魔化す。
それを照れと受け取ったのだろう。
「まぁ。がんばれよ」
そう言って光二さんは応接間を出て玄関に歩きだす。
そしてその後を僕が追う。
靴を履いた後、光二さんに「じゃあ、明後日の昼だ。きちんと時間空けとけよ」と念を押された。
「わかりました」
僕は頷き答える。
本当にありがとうございます。
短いその言葉にその思いを込めて。
それが伝わったのだろうか。
光二さんは照れたような笑いを浮かべた。
「じゃあな…」
そう言って光二さんが玄関に手をかけたときだった。
「すみませんっ…」
慌てて台所から割烹着を身につけた東郷大尉がやってくる。
夕飯の準備から抜け出してきたようだ。
そして、小さなビニール袋を光二さんに手渡す。
「えっと…これは?」
「私の実家から持って来た漬物です。よかったら食べてみてください」
光二さんはそれを受け取るとニコリと笑う。
「ああ、ご相伴に預かろう。じゃあ、こいつの事、頼んだよ」
「はいっ。もちろんです。精一杯支えていきたいと思います」
そう答えて頭を下げる東郷大尉。
その答えに満足したのだろう。
「それじゃ、またな」
そう言って光二さんは帰っていった。
「ふーっ…」
口から自然と息が漏れる。
そういえば、後から大尉に誤解されているという事を謝らなきゃいけないな。
怒られるかな…。
それとも呆れられるだろうか。
でも話す必要はある。
話をあわせてもらわなきゃいけない部分もあるからなぁ…。
そう考えて、ふと気がつく。
「ねぇ…大尉…」
「はい?なんでしょうか?」
僕は恐る恐る聞く。
「今の支えるって…秘書官としてだよね?」
僕の問いに、驚いた後、くすくすと笑いながら東郷大尉は聞き返してくる。
「どうだと思います?」
「いや、それがわからないから聞いてるんであって…」
その答えに、東郷大尉の表情が呆れたような拗ねたようなものに変わる。
「なら、自分で考えてみてくださいっ。答えは秘密ですっ」
そう言うと僕を置いて台所にさっさと戻っていってしまった。
「えーっ、わからないから聞いたのに…」
そう呟く僕を残して…。




