八月十六日の出来事
チャッマニー姫が帰国の為に二式大艇に乗り込んでフソウ連合を離れた三時間後、それとは別の二式大艇がアルンカス王国へと飛び立った。
「ふう……。思ったより余裕がなかったな……」
そう言って機内の椅子に座って苦笑するのは鍋島長官だ。
「そうですね。中々予定通りには進まないものですね」
前の席に座っている外交部補佐官の中田中佐も苦笑してそう答える。
予定では、チャッマニー姫を見送った後、すぐに出発の予定だったが、トラブルが発生し、その対応にどうしても時間が必要となったからだ。
そのトラブルとは、連邦からの亡命者を乗せた船を領海内に入ってすぐ鹵獲したというここ最近増え始めている出来事であり、普通なら判断は北部地区管轄の野辺少佐に一任され本当なら処理される事であったが、今回は特殊な事が判明し判断に迷ったらしい。
その為、本部に指示を求めてきたのだ。
その迷った原因というのは、難民の中に旧帝国の魔術師ギルドの生き残りが含まれていたためであった。
なぜそんな事が分かったかと言うと、各地区の結界監視のために派遣されている魔術師が難民の中に魔力を持つ人間が混じっていることに気付いたからだ。
その報告を聞き、野辺少佐はより詳しく調べるように指示した結果、魔術師ギルドの魔術師一名、ギルド職員二名が難民に紛れ込んでいる事が発覚したのである。
「長官……、どういたしましょうか?」
そう野辺少佐から無線で困ったような連絡を受け、出発前に慌てて三島さんと話し合いを行い、三人の身柄は三島さんが預かることとしたのである。
「もしかしたら、いろいろ面白い事が分かるかもね」
話し合いの後、そう言ってくすくす笑うと三島さんは北部基地に受け取りに行くためにそのまま退室していったが、その後姿は鍋島長官には玩具を楽しみにしている子供のようにうきうきしているように見えた。
なんか……すごく怖いんだけど……。
見送った鍋島長官は、冷や汗をかきつつそう思ったのであった。
そういった事で出発が遅れたわけだが、それでも本日中にアルンカス王国には到着するだろう。
だが、夕方の到着が夜中になってしまった以上、最初に計画していた予定はズレズレとなってしまう。
開始時間は遅らせられないから、現地で最終確認をするのは夜中となり、寝不足で参加という事になる。
しかも、すでに王国と共和国は現地入りしており、二カ国での話し合いも何度も持たれているという。
恐らくだが、二ヶ国は互いの妥協点を決定しているはずだ。
中々手厳しい事態になるかもしれないな。
天井を見上げて、鍋島長官は息を吐き出す。
「何か心配事でも?」
そんな鍋島長官の様子が気になったのだろう。
東郷大尉がすーっと近づいて聞いてくる。
「いや、何にもないよ。ただ、会談の事を思うと少し気が重くてね」
「気が重い?」
「ああ。今、王国、共和国共に瀬戸際に追い詰められていると思ったほうがいい。だから、油断はならないのさ」
「それがご友人のアーリッシュ殿下でもですか?」
「友人だからこそさ」
鍋島長官はそう言って苦笑いをする。
その様子からは、そうしてくるのが当たり前だという風に取れた。
怪訝そうな顔をする東郷大尉に、鍋島長官は苦笑いから真剣な表情になって口を開く。
「個人的な友情と今回の事は別物だ。だけどね、友人だからこそ遠慮しないでズバズバ言ってくると思うんだ。なんせ、祖国の危機だからね。実際、僕が反対の立場ならそうする」
「こちらの出した提案を飲んでくださるのでしょうか?」
心配そうな顔でそう言う東郷大尉に、名星間長官は笑った。
「飲んでもらわないと、どうしようもないよ。それに、今我々が用意している食糧だけでは恐らく二ヶ国が必要としている分としては足りないと思う」
「それでは……」
「確かにどっちか一国ならなんとかなるかもしれない。だけど、どっちかを切り捨てるなんてのはやりたくない。だから、こっちの提案に、この場合は賭けといったほうが良いか。賭けに乗ってもらう。まぁ、アッシュ辺りは、それは詐欺だと言いそうだけどね」
悪戯を思いついた子供のような意地悪そうな笑みを浮かべる鍋島長官に、ため息を吐き出す東郷大尉。
「長官、最近、性格悪くなってません?」
「おや、そうかな……」
そう言いつつ、自分の顔をぺたぺたと触って困ったような表情をする鍋島長官。
その様子に、東郷大尉は諦めにも似たため息を吐き出したのであった。
「やぁ、お待たせしたね」
アッシュは部屋に入ると先に座って待っている女性に笑ってそう挨拶をした。
ここは、王国海軍が誇る高速巡洋艦アクシュールツの中にある客間だ。
一応、客間と言う事なのでちょっとした家具などが用意されているものの、デザインは無骨でセンスがいいとはいえないものだが、機能を優先する傾向の強い軍艦という艦内であると考えればまだいいほうかもしれない。
もっとも、この艦に外国の要人を乗せることはそうそうないだろうが……。
アッシュが一瞬そんな事を思っていると、「いえ、時間前ですから、ご心配なく……」と答えたのは、先に部屋で待っていた共和国の代表者であるアリシア・エマーソンだ。
そして、アリシアは立って出迎えようとしてくれるも、アッシュはジェスチャーで良いと示した後、アリシアのテーブルの向かい側に座った。
すでに何回も顔を合わせている仲であり、互いに気心も知れている。
そして昨日までの話し合いのときと違い、今は二人きりだ。
肩書きや形式は必要ないだろう。
二人はお互いにそう判断したのだろう。
お互いにのんびりした雰囲気が辺りを包み込む。
とても長年憎みあってきた国の代表同士の場とは思えないほどだ。
そんな雰囲気に合わせたのかアッシュがのんびりとした口調で口を開く。
「しかし、明日だね」
「ええ。明日ですね」
「それで、そちらの方は変更はないかな?」
「ええ。ございません。それよりも殿下の方こそ変更は?」
「ああ。ないよ」
「そうですか……」
すでにもう何回も打ち合わせをしている上に、本国から緊急連絡みたいなものがお互いにないと分かっている以上、今更話し合うことなどもうないに等しかった。
だからそこから話が止まり、沈黙が辺りを包み込む。
それは雰囲気からは想像できないかもしれないが、互いの腹の探り合いでもあった。
以前の時のような譲り合いは出来ない。
お互いに切羽詰っている。
今までの話し合いでこれ以上妥協できるところは既にない。
だが、それでもまだ出来る事はないか。
お互いにそう思っている。
だが、恐らくどちらかが動かなければその沈黙は続くと思ったのだろう。
アリシアはテーブルに置いてあったティーセットを使ってアッシュの分を用意し始める。
そう言った事は誰か呼んでやらせても良かったが、そうなるとそれはそれでわずらわしい。
そう考えたアッシュはアリシアが紅茶の用意をしているのをのんびりと見ていることにした。
その視線に気が付いたのだろう。
くすくすと笑いつつアリシアは口を開いた。
「ふふふっ。未来の王国国王にお茶を用意したことがあるなんて将来自慢できるわね」
「それを言うなら、将来の共和国の代表者にお茶を淹れて貰うという栄誉も中々ない事だと思うがね」
互いの言葉に、二人はクスクス笑う。
それはお互いに祖国での地位を向上させている事は知っているぞと言う牽制みたいなものだ。
それ故に、今回の件は互いに引けないという事の確認でもあった。
アッシュは用意された紅茶のカップを手に取ってまずは香りを楽しむ。
「ほう……。中々美味いじゃないか」
「ええ。こう見えても昔は秘書のようなものをやっていましたから……」
「そうだったな。お父上の秘書をやっていたんでしたね」
「そう言うことです……」
そう言った後、アリシアは遠い向こうを見るかのような視線になって言葉を続けた。
「フソウ連合とアルンカス王国は、我々が求める量の食糧を準備できると思いますか?」
紅茶に口をつけて味を楽しんだ後、アッシュは返事を返す。
「あってもらわねば困る」
「そうですわよね。でも、もし無かったら……どうします?」
アリシアの言葉に、アッシュは一瞬動きを止めると、カップの中の紅茶に視線を向けつつ口を開いた。
「その場合は、アイツを騙してでも手に入れるさ」
アイツとは、ナベシマ様のことね。
普段なら、彼ならサダミチと言うんだろうけど、今の自分は公人だという意思を示す為でしょうね。
それに今回のことで失敗する事は、今までの勢いに水を差すだけでなく、反対勢力に足を引っ張られて引きずり落とされる恐れすらある。
だからこそ、そう言い切ったのだろう。
本当に律儀な人だこと……。
そう考えつつ、アリシアは心の中で微笑む。
彼女にとって、まだ短い付き合いではあったが、アッシュと言う人物に対して好感を持てる人物だという評価をしている。
ナベシマ様とアッシュの二人とならば親友になってもいいと思うくらいに……。
だが、国というものを背負ってしまうとそれが出来ない場合もあるという事だ。
たから、アリシアはあえて今まで触れられなかった事を口にする。
「なら……、もし一カ国だけなら援助できるって言われたら?」
性格上、ナベシマ様はそういった事はまず言わないことははっきりとわかっている。
だが、それでも、もしかしたらという事もあるし、何よりアッシュの反応を見たかった。
だから、口にしたのだ。
そして、その言葉に、紅茶に向けていたアッシュの視線が今度はアリシアに向けられた。
「もちろん、その際は……」
その鋭い視線が全てを物語っている。
恐らくアッシュとしてもアリシアに対しては、好感を持てる人物だといった感じの似たような評価を下しているだろう。
だが、それでも彼の決心は揺るがなかった。
さすがだと、内心感心し、拍手喝采を送る。
そして、そう言われた時のアリシアの返す言葉も最初から決まっている。
「ええ。分かっております。その場合は、共闘は破棄という事ですわね」
「ああ。せっかく何度も話し合った末に決まったんだが、いくら親しいといってもこればっかりはな……」
「ええ。本当に残念ですわね、その場合は……」
二人とも全然残念そうに見えない表情でそう言いあった後、互いに笑った。
それは、国というものを背負った決心の強さと、それと友情とは別だという事を再度確信出来て良かったというほっとした笑いでもあった。




