八月十一日……その2
映画鑑賞の後、一旦港に戻ってチャッマニー姫一行はフソウ連合海軍が保有する客船あるぜんちな丸にて行なわれる歓迎会に参加した。
フソウ連合海軍自慢の豪華客船という噂は聞いていたが、その噂は本当だと思い知らされる。
シックな色合いに統一され、少し彩度を押さえた赤い絨毯が敷き詰められた大広間は、シャンデリアや壁のおしゃれなデザインの電灯によって照らし出されている。
そして、豪華ではあったが、実にシンプルで落ち着いた印象を与えるものだ。
またその大きさもかなりのもので、実際、今この部屋には百人以上の人々がいたが、ここが空間に限りのある船の中であり、狭いとは感じられない。
それどころかゆったりした空間を作り出している。
そんな中、一際人々の目を引くものがあった。
それは幾つものテーブルにずらりと用意された料理だ。
フソウ連合国内だけでなく、駐在大使なども参加するということからテーブルごとに各国の自慢の料理が並んでいる。
まさに多種多様といった感じだ。
もちろん、その中にはアルンカス王国の料理も並んでおり、立食式という事で参加者はそれぞれ好きなテーブルの料理を楽しむ事が出来るようになっていた。
そんな中、チャッマニー姫一行が大広間に入ると拍手で迎えられた。
そして、最初に鍋島長官の実に簡単な挨拶の後、招待された各国大使やフソウ連合の関係者の挨拶などが続き、三十分が過ぎる頃になってやっと歓迎会が始まったのであった。
「それでは、今以上のフソウ連合とアルンカス王国の友情と各国との繋がりが続く事を願って……乾杯っ」
その音頭の後、開始して数分もしないうちにチャッマニー姫の周りには人だかりが出来ていた。
我先にといった感じである。
それはこれから発展し利益をもたらすであろうアルンカス王国に少しでもお近付きになりたいという相手の気持ちがある事とこの歓迎会の主役である以上、それは仕方ないのかもしれない。
だが、さすがにそれが一時間も続くと疲れてきたのだろう。
チャッマニー姫の微笑みに疲れを感じた木下喜一がチャッマニー姫の前に出る。
「すみません。皆様のご好意は嬉しいのですが、姫殿下は少しお疲れの様子、少し休憩をいただけないでしょうか?」
その言葉に、詰め掛けていた者達は相手がまだ十代前半の子供だと思い出したのだろう。
素直にほとんどのものは従ったが、それでも粘ろうとする者が数名いたが、そんな連中も、「せっかく姫殿下に用意した料理を楽しんでもらえないのは、用意した我々としてはすごく残念ですな」といってまだ綺麗なままのチャッマニー姫の皿に視線を向けて会話に入り込んできた鍋島長官によって追い払われた。
「すみません。助かりました……」
木下喜一が鍋島長官に礼を言うと、鍋島長官は笑いつつ答える。
「なぁに、事実を言ったまでですよ。しばらくは食事に専念できるようにこっちで牽制しておきましょう」
笑いつつそういう鍋島長官にチャッマニー姫も感謝の意を示すかのように頭を下げた。
さすがに、まだ周りの目がある中で「助かりました」と言う訳にはいかないのだろう。
それを汲み取ってか、鍋島長官は笑って何も言わずにその場を離れた。
「大丈夫?」
木下喜一が囁くように言うと、チャッマニー姫は苦笑した。
「疲れよりも……」
「疲れよりも?」
「お腹すいちゃっててお腹の虫が鳴らないか冷や冷やしていたの……」
その囁き返す言葉に、木下喜一は苦笑したが、すぐに考えを改める。
彼女はアルンカス王国の唯一の王族であり、アルンカス王国の象徴と言ってもいい存在だ。
だから、彼女の恥は、アルンカス王国の恥である。
そう言った思いがあるからこそ、必死になっていたのだと。
だから、木下喜一は微笑むと部屋の端の方に彼女をエスコートした。
そこには、メイド服のプリチャが待っており、彼女の横にあるテーブルには何枚かの皿に盛り付けられた各国の料理が用意されている。
「姫様、お疲れ様でした。少し召し上がりください」
そう言ってプリチャは壁際に用意された椅子にチャッマニー姫を座らせるとまずは飲み物を差し出した。
「ありがとう。プリチャ」
そう言って飲み物を受け取ってごくりと飲みはじめる。
余程喉が渇いていたのだろうか。
すぐにコップは空になった。
「もう少し飲まれますか?」
その問いに、チャッマニー姫は苦笑する。
「ううん。お腹がペコペコなの。何か食べたいわ」
「わかりました。こちらからお召し上がりください」
そう言って差し出された皿には、懐かしい料理が並んでいる。
祖国、アルンカス王国の料理だ。
「ふふふっ。なんか嬉しいわ」
そう言って料理を食べ始めるチャッマニー姫。
いくらフソウ式の料理が美味しいとはいえ、祖国の味がそろそろ恋しかったのだろう。
実に美味しそうに食べている。
そして、やっと食事にありつけて嬉しそうに食べるチャッマニー姫の様子に、木下喜一とプリチャはほっとするのと同時に満足そうな表情を浮かべたのだった。
「ふう……美味しかったわ」
プリチャが用意した皿の料理を食べつくし、満足そうにそういうチャッマニー姫。
それを見計らったかのように一人の男性がチャッマニー姫に声をかけてきた。
「少しお時間よろしいでしょうか?」
そう言ってきた男は頭を下げて自己紹介をする。
アカンスト合衆国フソウ連合駐在大使アーサー・E・アンブレラ。
それが彼の名だ。
その名前にチャッマニー姫だけでなく、木下喜一もピクリと反応した。
アカンスト合衆国……。
フソウ連合に大使館を置く三つの国の中で王国と共和国は独立支援という事で繋がりがあり、また『イムサ』の本部がアルンカス王国にあるためアルンカス王国にも両国は大使館があるが、どちらとも繋がりのない合衆国はアルンカス王国に大使館を置いていない。
よって直接に接触するのは初めての事となる。
だからだろうか。
チャッマニー姫の表情が少し緊張気味だ。
その事に気が付いたのだろう。
アーサーは微笑みつつ口を開いた。
「そんなに警戒なさらないでください。今日は個人的にお近付きになれればと思いまして……」
だが、そんな言葉をそのまま鵜呑みにするほどチャッマニー姫は愚かではなかった。
「そうですか。ですが、私、意味もなく微笑みながら話す初対面の方は気を付けるようにしておりますの。それが外交関係の方ならなおさらに……ね」
その言葉に、アーサーは苦笑するしかない。
この歳でここまで言える度胸とそれを見抜く観察力に……。
実はアーサーとしては、今後発展するであろう実に美味しい市場であるアルンカス王国の利権に、合衆国の入り込む余地を作るという下心があったのだ。
たが、この人形のようなかわいい少女に簡単にそれを見透かされたといったところだろうか。
しまった。相手を舐めすぎていたか……。
そう判断するしかない。
「これは参りましたなぁ……」
そうは言ったものの、ここで矛先を収める訳にはいかない。
それは大人の、いや外交官としてのプライドが許さなかった。
「ならば、外交の話は抜きでお話してもよろしいでしょうか?」
そうは言ったものの、外交の話に持っていく気があるのは見え見えだったのだろう。
「ええ。少しなら……。他の大使にもご挨拶をしておかなくてはなりませんので……」
済ました顔でそう言われ、アーサーは今回は顔繋ぎという事でよしとするしかないと悟った。
久々にしてやられたといったところだろう。
だから、合衆国やアルンカス王国のことではなく別の話題を振る事にした。
もちろん、二人共通となる話題はそう多くはない。
だからまずは話の取っ掛かりのつもりで口にした。
「そういえば、まだ数日だけという事でしたが、フソウ連合はいかがですか?」
そのアーサーとしては話の取っ掛かりのつもりで言った言葉に、チャッマニー姫は思いっきり食いついた。
「素晴らしいですわ」
さっきまでの警戒心のある表情が、年相応の好奇心旺盛の少女の顔になる。
その変化にアーサーは戸惑っていたが、そんな事はお構いなしにチャッマニー姫は言葉を続けた。
「文化の違いをこんなに感じるなんて思いもしませんでしたわ。本や話を聞いたりして色々調べていたつもりでしたが、やっぱり経験してみないと駄目ですわ。実際に感じるものと大きく違いすぎて驚きの連続ですもの。まだ二日目ですけど、もう驚きの連続で、興奮し続けている感じです。本当にきてよかったですわ。訪問に尽力してくださった皆様には本当に、本当に感謝しかありません」
その勢いに押されて、アーサーは頷き相槌を打つしかない。
「ああ。そうでしょうね。私も最初はそうでしたから……」
「ああっ。アーサー様もですの?よかった。私だけかと思いましたわ。私が田舎者だから、こんなにも感動したり驚いたりしているんだと思っていましたから……。ふふふっ。よかったわ」
ほっとした表情になって一旦そこで言葉を止めたチャッマニー姫だったが、すぐに口を開いた。
「それはそうと、アーサー様は、卵かけご飯ってご存知かしら?」
「卵かけご飯?」
「そう。卵かけご飯。あれって絶品だわ。簡単な料理なのに……あそこまで美味しいなんて……。なんでも、生卵を食べられるようにするにはいろいろ管理やらが大変らしくて他国では見られない食べ方だそうですが、合衆国には似たような食べ方があるのかしら?」
「い、いや……生卵を食する料理はないですな。精々半熟といったところでしょうか……」
「そうですか。やっぱり生卵を食べるというはフソウ連合独自の文化という事になるのでしょうね。アーサー様は、卵かけご飯、食べた事がありまして?」
「いや……まだないが……」
「なら一度お試しください。本当に美味しいんですから……。それと納豆もお勧めですよ。独特の粘りや臭みがありますけど、あれも中々美味でした。しかし、納豆って腐っているからこそああいった風になっているらしいですわね。信じられます?腐ったものを食べるんですのよ。なんでも発酵食品というらしいのですが、アルンカス王国ではあまり見たこともない食品がフソウ連合には実に多くあるようですわ。しかし、別の見方をすればああいった独特の食べ物があるって事は、独特の文化があるって事なんでしょうね。本当に素晴らしいわ……」
こんな感じで、実に十分近くアーサーはチャッマニー姫と話す機会を得たが、それはフソウ連合の食事についての感想を延々と聞かされるだけの場となってしまっていた。
まくし立てられる感想に、圧倒され、アーサーはどうすべきか活路を見出せないでいた。
外交官としてはかなり有能であり、海戦の研究家でもある彼だが、普段から少女と会話するなんて機会はほとんどない上に食べ物にもそれほど造詣がないのだからどうすべきか判断できないのだ。
何度か話題を変えそうかと試みたものの、ものの見事に失敗し続ける。
最初はハラハラした顔をして二人を見守っていた木下喜一だったが、すぐに苦笑いを浮かべるしかなかった。
アーサーがものの見事にチャッマニー姫のペースにはめられ、翻弄される姿に哀れみを感じた為だ。
だから、段々とアーサーの顔が無表情なっていくのを見てちょうど区切りがいい辺りで止めに入った。
「姫殿下、そろそろ他の大使の方達にもご挨拶を……」
「いけない、いけない。まだ、ご挨拶しておられない方が何人もおられましたわ。すっかり話に夢中になってしまいました。すみません、アーサー様。失礼いたします」
「いえ……こちらこそ……」
それで終わりかと思われたが、チャッマニー姫は楽しそうに微笑んだ。
「そうそう、アーサー様、すごく楽しかったですわ。またよかったら声をかけてくださいませ。料理のお話なら喜んでお付き合いいたしますから……」
そう言って鼻歌を歌うかのように上機嫌にその場を離れるチャッマニー姫。
「ええ……」
なんか気疲れしたアーサーはそう答えるしかない。
そんなアーサーを少し下がったところで見ていたプリチャがすーっとアーサーに飲み物を差し出す。
「どうぞ……」
「ああ。ありがとう……」
それを受け取ってアーサーの視線が自分の方に向いたのを確認すると、プリチャは微笑んだ。
「お疲れ様でした。もし何かありましたら、出来れば外交関係の事はフソウ連合を経由してお願いいたしますね。姫様はああいった方なので……」
その言葉に、素直にアーサーは頷くしかなかった。
それでも唯一の救いは、チャッマニー姫との顔繋ぎには成功した事だろうか。
「ああ、あの歓迎会で食事について話をした方ね」って程度ではあったが……。
それでも良しとすべきだろう。
そしてこれ以降、アーサーの趣味が一つ増えた。
それは料理だ。
まるで今までの分を取り戻すかのように貪欲に料理の研究を行なうようになったのである。
そして後日、かれは海戦研究の第一人者であり、世界各国の料理研究家として名をはせ、多くの海戦と料理についての本を残す事となるのであった。




