八月十日……その3
十九時十五分。
チャッマニー姫を乗せた二式大艇は無事フソウ連合マシナガ地区マシナガ本島第二空港に到着する。
来た時と同じように港に着水すると思っていたチッャマニー姫はかなり驚いていたようだった。
「これって……水の上に着陸するだけじゃないんですね」
その言葉に、搭乗員の一人が笑いつつ答える。
「アルンカス王国では、まだ空港が整備されていませんからね」
「空港?」
「はい。空の港と書いて空港といいます。水上機だけでなく、普通の飛行機を運用する為の港みたいなものですよ」
「ああ、なるほど……」
納得したように頷くチャッマニー姫。
そして興味津々で聞き返す。
「やはり水上機と普通の飛行機では、普通の飛行機の方が性能はいいんですよね?」
「ええ。勿論です。フロートがない分、機体は軽くなりますから。だけど、空港を作り維持するにもお金や人手はかかります。ですから、そういう場合は水上機が活躍するわけです」
その言葉に、考え込むチャッマニー姫。
「なるほど……。そういうことや地形を考えた場合、アルンカス王国では水上機の方がいいわけですね……。でもいつかは空港も必要になるときがくるはずですから……」
ブツブツとつぶやきながら何かを考え込んでいる様子だ。
その様子を木下喜一とプリチャは微笑んで見ている。
まだ始まったばかりではあったが、かなりいい刺激をチャッマニー姫に与えているようだと思いながら……。
そんなやり取りの間に、機体は空港の一角に止まり、タラップが付けられる。
機体の扉が開かれ、チャッマニー姫が外に出ると、タラップにあわせて赤い絨毯が空港の建物へと続き、その横には警備の兵士と二十人程度の人間がチッャマニー姫を拍手で迎え入れた。
「ようこそ、フソウ連合へ。チャッマニー姫殿下」
そう言って、鍋島長官が一歩前へ出る。
タラップを降てチャッマニー姫は微笑むとスカートのすそを少したくし上げて挨拶をした。
「ありがとうございます。私こそフソウ連合を訪問できてすごく嬉しいですわ。ここで色んな事を一杯勉強させてもらいます」
その言葉に、鍋島長官は笑って答える。
「こちらこそ。何かありましたら言っていただければ、すぐに対処したいと思います」
そう言った後、少し悪戯っ子のような笑みを浮かべて小声で言葉を続けた。
「もっとも、機密とかはなかなか難しいとは思いますが……」
その言葉と表情にチャッマニー姫はくすくす笑う。
「相変わらず長官は面白い方ですわね」
「なぜかよく言われますよ」
その言葉がツボに入ったのだろう。
チャッマニー姫は手で口を押さえて笑いを必死で抑えようしている様子だ。
彼女にしてみれば、鍋島長官の第一印象はあまり特徴を感じさせない影の薄い人物といったもので、その後のキーチの件で優しさやユーモラスな言い回しなどが印象的に写っていたのだが、それでも第一印象を払拭するまでには至らなかった。
しかし、今こうして普通に話してみるとやはり面白い方だと再実感してしまい、最初に感じた第一印象とのギャップに笑いがこみ上げて止まらなくなってしまう。
それでもなんとか笑いを抑えきると「失礼」と言った後、咳払いをして表情を引き締めた。
そして微笑んで言う。
「これからしばらくの間、お世話になります」
「いえ。こちらこそ、不備な点などがありましたらすぐにお言い付けください」
そして二人は握手を交わしたのだった。
その後、案内されて空港の建物の中で本日の予定の説明があった。
鍋島長官の秘書官である東郷大尉が説明をしている。
どうやら、この後はこのまま旅館に向かい、そこで食事会と温泉を楽しみ、本日はゆっくり休んで欲しいということらしい。
また、明日は、午前中にイタオウ地区に向かい、昼食後に劇場で映画鑑賞、そして夕方には歓迎会となっているとのことだった。
「温泉って何?」
知らない単語に反応し、思わずチャッマニー姫は言葉を口にしまう。
慌てて口を押さえたがもう遅い。
出た言葉はもう戻らないのだから……。
だが、その様子に東郷大尉はニコリと微笑む。
「姫殿下、温泉というのは、地面から湧き出ている温水を使ったお風呂のことでございます。今日お泊りの予定の旅館は、塩水の温泉で疲労回復や皮膚にいいらしいので堪能してみてください」
「へぇ……。そういうのがあるんだ……。どんなのだろう……」
おそらく興奮してわくわくしているのだろう。
東郷大尉の優しい言葉の説明に、チャッマニー姫はうれしそうにそう言う。
そんな時折顔を出すチャッマニー姫の年相応の表情と言葉に、東郷大尉も嬉しそうに微笑む。
「もちろん、温泉はここだけではございません。宿泊施設は出来るだけ温泉の楽しめる場所を選んでおります。色んな温泉をお楽しみくださいませ」
「うんっ。楽しみですっ」
「あと、ガイドと護衛をかねて付き人を滞在期間一人つけます」
そう言って東郷大尉がちらりと視線を後方に向ける。
すると後ろに控えていた女性士官がすーっと前に出た。
年は二十前半、短く切りそろえた黒髪と優しそうな目、それにすーっと流れるような鼻と引き締まった唇。
化粧も軽く、ナチュラルメイクといったところだろう。
その女性士官は、チャッマニー姫の前に出ると敬礼した。
「姫殿下の滞在期間中のガード兼ガイドを勤めさせていただきます。木下燈香少尉です。よろしくお願いいたします」
その挨拶に、「もしかして……」と言葉が漏れてしまうほど木下喜一が慌てる。
チャッマニー姫に向けていた視線を木下少尉はちらりと木下喜一の方に向けてにこりと笑った。
「お久しぶりです。喜一兄様」
「やっぱりかっ……」
頭を抱える木下喜一に、チャッマニー姫がきょとんとした顔で聞く。
「えっと……お知り合い?」
「はい。従兄弟です。家が近かった事もあり、十一の時に両親が転勤で離れ離れになるまでは兄弟のような関係でした」
木下少尉が笑いつつ言う。
「へぇ……。そうなんだ。ふーーーんっ……」
そう短く返事を返しつつもチャッマニー姫は興味津々といった感じだ。
後ろで頭を抱えている木下喜一とは対照的で実に見てて面白い構図となっている。
だがさすがにそのままというわけにはいかない。
フソウ連合一の仕切り屋と言われる東郷大尉が、「まぁ、積もる話は後日にでも……」という事で場を切り替える。
その後もいくつか予定を説明した後は、時間が時間という事もあり、バスに乗員してして旅館へと移動したのだった。
海沿いにある旅館は、老舗といった感じの味のある旅館であり、到着すると五十代の女将や給仕が並んで一行を向かい入れる。
「いらっしゃいませ、当旅館へようこそ」
始めてみるアルンカス王国の宿とは違う雰囲気の旅館に、アルンカス王国から来た一行は周りをきょろきょろと見回している。
「古いのにすごく丁寧に作られている木造建築だわ。……すごく綺麗……で……清潔な感じ。それに、なんかいい感じだわ……」
プリチャが驚いた様子で建物を見回す。
高温多湿のアルンカス王国では、木造建築は風通しの関係や使用する木材の関係上、どちらかというと大雑把な作りが多い。
それは王宮も同じであり、石造りの部分はかなり手を入れられて作られてはいるものの、木造部分は短期間に何度も作りかえられるため、簡素に作られてしまっている。
それゆえに丁寧で細かな作業によって形作られている旅館の建物に驚いたのだろう。
「プリチャ、それだけじゃないわ。周りの植えられた植物とか、なんか独特の雰囲気を作り出している感じがする」
チャッマニー姫が建物だけではなく、きちんと整えられた植物にも目を見張っている。
もちろん、アルンカス王宮の植物も色々手を入れてはあるものの、この旅館の植えられた植物のように建物と一緒にセットで見られるといった事は考えられていない為、ここまでの一体感はない。
それゆえに、そう感じたのだろう。
その言葉に、女将が嬉しそうに笑う。
「異国の方にそんな風に言われて褒められるなんて、実に嬉しい限りですわ。ささ、どうぞ、上がってくださいまし。食事の用意ができておりますから」
そう言われ、チャッマニー姫を初めとするアルンカス王国の一行の目つきが変わった。
昼食に食べた食事の美味さを思い出したからだ。
その期待するかのような視線に、木下喜一は苦笑し口を開く。
「そうですね。食事が冷めたらいけません。皆さん、それぞれお部屋に荷物を置いた後は、すぐに会場の方に行きましょうか」
その言葉を合図に、女将に案内されて一行はそれぞれの部屋に向かう。
その様子を見送った後、木下喜一は一人残って鍋島長官の方に向かった。
長官はロビーの休憩所でなにやら警備担当の士官と話をしていたが、木下喜一に気がつくと笑いつつ手を上げた。
「やぁ、どうしたんだい?」
気軽な感じでそう言われたものの、木下喜一の表情は硬い。
「アルンカス王国宰相の命により、お預かりしていた資料をお渡しいたします」
そう言って敬礼する態度から、鍋島長官も表情を引き締めて背筋を伸ばす。
「そうか。ご苦労だった」
返礼をすると木下喜一は持っていたアタッシュケースを差し出した。
それを受け取り、鍋島長官が聞く。
「解除方法は?」
「はっ。『乙二型の4-1』です」
『乙二型の4-1』とは、フソウ連合諜報部が使う施錠方法の一種であり、重要書類の場合は必ずこの手の施錠がされている。
そして無理やり開けようとすると薬などによって中の書類が破損し見れなくなったりするのだ。
「わかった。ご苦労だった」
そう言った後、ポンポンと木下喜一の肩を叩く。
「詳しい事は明日以降に聞くから、今日は料理と温泉を楽しみ、英気を養いたまえ」
「はっ、ありがとうございます」
そう言うと、頭を下げて木下喜一は自分の用意された部屋へと向かう。
その後姿を見つつ、鍋島長官は呟く。
「アルンカス王国に気前よく渡さなかったほうが良かったかなぁ……」
その言葉には後悔が少し混じっていた。
今のフソウ連合は、急な拡大に人が足りない状態であり、有能な人材は喉から手が出るほど欲しいのだ。
だからこそ、口から漏れたのだろう。
しかし、すぐに苦笑を浮かべると東郷大尉を呼び、アタッシュケースを渡して解除方法を伝えると、諜報部に持っていくように命令したのだった。
会場で行なわれた食事会は、実にアルンカス王国の一行を驚かせるのに十分なものであった。
夕食会のメインメニューはてんぷらである。
コの字型に席が用意され、中央で調理人がてんぷらを揚げていく。
そして揚げたてのてんぷらが次々と各席に配られ、それをはふはふ言いながら食べるのである。
好きに薬味を入れた天つゆだけでなく、塩やレモンなどの用意されており、食べ方のレクチャーを受けた後は自国では味わえない味にアルンカス王国の面子はただただ食べるのに夢中であった。
「プリチャ、これすごく美味しいっ。濃い味付けじゃないんだけど、その素材の味がしてっ、それにこの素材の味を引き立てるかのようなこの天つゆの味もすごく好きっ」
「姫様、この塩で食べるのも中々のものです。うーん、ただの塩だけではないようです。何か入っているのでしょうか……」
「そうね。なんか風味が違うわ」
そしててんぷらと一緒に煮物や汁物、ご飯なども出てきたが、お膳が一杯になることはない。
それぞれが食べ終わると給仕が下げていくのだ。
その手際の良さに、プリチャは驚く。
王宮の侍女でも中々ここまで出来る人はいないだろうと思ったからだ。
相手の様子を観察し、判断して適切な皿やおわんを下げるという技能は、勇気がいるし結構難易度が高いのである。
そんな感じで、食事会が進んでいき、実に楽しそうに食べる人達に、てんぷらを揚げている調理人も気分がいいのだろう。
一通り提供し終わった後、笑顔で聞いてくる。
「お客さんっ、何か食べたいのはありますか。追加で用意いたしますよ」
普段なら、一通り終わったら終了となるのだが、皆の食べっぷりなどを考慮して言ったのだろう。
するとその予想は当たり、結構食べているはずなのに色んなところで声が上がる。
「たまねぎを……」
「鶏肉を……」
「海老をお願いします」
「きのこを……」
その追加分の注文を給仕さんが取りまとめて、調理人に伝える。
調理人が鮮やかな手さばきで調理を開始しすると、それぞれがその様子をじっと見ている。
恐らく、揚げられている食材を見て、あれは私が頼んだやつだとか、俺のヤツだとか色々思っているのだろう。
そして次は何を頼もうかとも……。
こうして好評の内に食事会が終わり、それぞれが一旦部屋に戻った後は温泉である。
特に疲労回復と肌にいいと聞いたからだろうか。
女性と中年男性は、そそくさと浴衣を持って温泉に向かったのであった。
なお、温泉を堪能した後は、全員がぐすっりと眠りについたのはお約束というヤツである。
それはそうだろう。
長時間のフライトで疲れ、美味しいものを腹いっぱい食べて、温泉に入ったのだ。
身体は睡眠を必要としており、そのあまりにも魅力的な睡眠の誘惑に勝てる人間など存在しないのだから……。
こうして、八月十日は過ぎていったのであった。




