対談 レイモンド・スプルーアンスの場合…… その1
捕虜となってから結構な日が過ぎた。
最初はどうなるかと思ったが、ここでの捕虜としての生活は実に快適と言っていいだろう。
リュウカン島。
それがここの場所の名前である。
マシガナ地区の北側にある本島とは少し離れているポツリと浮かぶ島で大きさはそれほどなく、島全体を捕虜収容の為に使っている。
つまり、海が天然の堀となり広がっているわけだ。
その為か、或いは我々を信じていることなのかは分からないものの、港と一部の施設は兵士が厳重に警戒しているものの、それ以外は偶に巡回があるくらいで監視もされていない。
その警戒の緩さに、簡単に泳いで或いは小さな筏を作って逃げられるかもとさえ思ってしまうほどである。
もっとも朝と夜に人数のチェックはあるし、週に一、二回程度の尋問もあったりするが、それ以外は驚くほど自由だ。
もちろん、規則はある。
だが、その規則も普段の生活で守るべき程度の基本的な規則であり、苦にならないものだ。
まさに、捕虜という立場を考えれば、これで文句を言うなら罰が当たるとさえ思ってしまうレベルである。
そして生活するのに必要と言われている衣食住についてだが、こちらも捕虜としての待遇とは思えない高待遇が用意されている。
住居は、自分達が作ることなく事前に用意された綺麗に清掃されている牢獄と言うより兵舎に近い建物で、個室は一部しかないものの大体二人部屋が基本となっており、建物の中にはある一定の人数ごとにトイレやシャワー、さらに風呂までも用意されている。
また、近くには売店や食堂兼酒場が何軒か立っている。
それ以外にも、ちょっとした道具を貸し出してくれる倉庫や小さいながらも図書館などの施設さえあり、まるでこの捕虜施設はひとつの小さな村のような構成になっていた。
そして、ここでは物を手に入れたり、食事をするにはチケットと呼ばれるものが必要となっている。
つまり、このチケットがその場所専用の通貨といったところだろうか。
そのチケットは、毎朝点呼の際に全員に本日の分が配られる。
配られる枚数は、階級やフソウ連合側が用意した仕事や依頼を行なったりといったことで若干違うものの、最低限の枚数だけでも普通に生活するには困らないようになっている。
次に衣服に関しては、最初にある程度支給された後は個人でチケットなどを使って手に入れるという事になっている。
なお、売店で販売されている服は事前に作られたものばかりだが、それ以外にもチケットを何枚か使って服のオーダーメイドも出来るようだ。
もちろん、アメリカ海軍の軍服も見本をきちんと見せておけば、それと同じものをオーダーメイドで用意してもらうことさえ出来る。
ちなみに、私も一着頼んだのだが、本物よりも着心地がいいので気に入っている。
そして最後に食事だが、食事は各個人で食堂に食べに行くシステムとなっており、チケットを使って食事が出来るという形だ。
食堂のメニューはかなり豊富で、食べ飽きない上に実にうまいし、夕食時にはチケットを余計に使うことで酒を飲むことさえ出来る。
制限があるためそれほど量はないものの、まさか捕虜になって酒が飲めるとは思いもしなかった。
また、売店では、本や服、煙草や筆記用具など雑貨なんかもチケットで購入できるし、リクエストをすると出来る限りではあるが取り寄せてくれるといった細かい対応もしてくれるため好評だ。
なんせ、コーラなんかも用意してくれるらしい。
だが、それら以上に兵士達に好評で絶対的な支持を受けているのは売店で売っているアイスクリームだ。
その人気はすさまじく、午前中にはその日の為に用意した分は完売するらしい。
私も一度だけ食べたが、あれは今まで食べた中でも特別濃厚で癖になる味であった。
そんな状態のおかげで、下手すると軍にいたときよりも捕虜の今の方が生活しやすくて楽しいと言うものさえいたほどであった。
まぁ、そう言われれば確かに否定する要素がないなと私も思ってしまう。
だが、これだけ優遇されていることに甘えてはいけない。
それは誰もが思っていることらしく、上が色々言わなくても、兵士達は節度を持って生活している。
なぜなら、我々は誇り高きアメリカ海軍軍人であり、常に誇りと節度を持って生きていかなければならないと思うからだ。
そして甘えて自堕落な生活を送る事は、軍人として、人として失格であり恥ずべき行為であると考えていたし、なによりここは異世界なのだ。
最初こそ、予想でしかなかったその事実だったが、ここでの生活がこの世界が別世界だとより確信させるに値するものだった。
そして、そんな異世界で生きていく以上、ここでの知識や常識は必要である。
それは生き残った全ての兵達も分かっているようで、各自それぞれ動いていた。
一番多いのは、フソウ連合の文字を覚えたりこの世界の知識を得ようと勉強する者達で、それ以外にもフソウ連合が用意した仕事に参加する事でフソウ連合の関係者と親しくなった者もいた。
もちろん、それ以外にも色々やっているようだが、それらが共通する事は、それぞれが自分で考え、各自に出来る事を頑張っているということだろう。
そして、その動きは相手にもわかるのだろう。
この島の責任者である利川貞治大尉に尋問に呼ばれた際に何度も褒められている。
もっとも、この尋問も最初こそまさに尋問と言う感じであったが、何回も会っているうちに尋問と言うよりお茶会といった感じになりつつあった。
なんせ、聞かれる内容が、最初は祖国や所属する海軍のことなどだったのだが、今や何か困った事はないかとか、何かトラブルはないかとかいった今の生活に関する事ばかりで、後はただ時間の間、お茶をすすって茶菓子を食べて雑談していたりするだけになってしまっている。
それは私だけでなく、他の将校や兵士達も似たようなものなのだろう。
兵によっては甘い茶菓子にありつけるから尋問が楽しみだと言う者さえいるのである。
もっとも、私もその恩恵に預かっている以上、その話を聞いて苦笑するしかない。
困ったものだ。
そしてある時、気になったので聞いた事がある。
「なぜ捕虜である我々に、それも戦った相手にこれほどの優遇をするか」と……。
すると利川大尉は笑いつつ言った。
「あなた方とは戦ったとはいえ、それはこの世界について分からず、ただ身を守る為に戦ったとこちらは判断しております。ですから、今は敵意はありません。それに私の上司は、あなた方は無理やりこの世界に連れてこられた被害者であり迷いこんだ来訪者だと認識しておられます。また、私も同じ考えです。ですから失礼ないように優遇していると思ってください」
その言葉に私は完敗だと思った。
そして、攻撃をこちらから仕掛けた事に申し訳なさを感じた。
あの時、こちらがきちんと確認を取ってさえいれば戦いは起こらなかっただろうし、彼らとは話し合いでお互いに理解できていただろうと……。
そして、それと同時に自分らの運の良さを神に感謝した。
あの戦いで生き残り、遅くなってしまったがこうして彼らとも理解し和解出来ただけでなく、今の私はここでこんなにゆったりと生きているのだから……。
そんなことを思いつつ、いい加減に仕事をするかと思い直してデスクに載せていた書類に手を伸ばす。
書類には、『動物を飼いたいのだがどうにかならないか』とか『畑を作りたいのだがどうすればいいのか』とか『フソウ連合のチームと野球の対抗試合を実施したいので許可をお願いしたい』などの要望が書かれた書類が並んでいる。
実に平和的だ。
いい事だと思う。
だが、それと同時にこんな平和な日々はそう続かないだろうという思いもある。
そう思うのは、前々回ぐらいの尋問と言う名のお茶会で「皆かなりこの世界での生活に慣れてきた」と利川大尉に報告した時だった。
その報告に、少し複雑そうな表情を見せた後、利川大尉は少し寂しそうに笑った。
「そうですか……」
その思ってもみない反応が気になって、私は思わず聞いてしまう。
「何か問題があるのでしょうか?」
「いや、あなた方に問題はありません。あくまでもこっちの問題です。まぁ、あえて言うならそろそろ時期が来たという事ですかな」
そう言った後、利川大尉は表情を引き締めると私を真正面から見て言葉を続けた。
「今言えるのは、まもなく皆さんに選択を迫る事になるだろうと言う事です。だから覚悟をお願いします」
「選択?選択とは……」
「今のような生活は終わるという事です。そして、今後この世界でどうやって生きていくかの選択を皆さんにはしていただく事になると言ったらいいでしょうか。もちろん今すぐという事ではないですよ。ですがその時期は近いという事です」
その言葉に、私は驚くと同時に納得する。
確かに、そうなるだろう。
いつまでも今のままではいられないのだから……。
だから、それ以降、部下達と何度も話し合いをしているものの、結局どういった選択を用意されるかわからない為、相手の出方待ちということになった。
そんな中、皆の共通している意見がひとつだけある。
それは、どういった選択を用意されるかわからないものの、それでもあまりにも酷い選択を用意されることはないだろうと言う事だ。
それは今までの待遇から考えれば誰も予想できたことで、部下達もそれほど不安になってはいないようだった。
まぁ、なるようになるか……。
誰もがそう言った心境という事なんだろう。
そこまで考えて、手が止まっていることに気が付いた。
いかん、いかん。
仕事をしなければな。
どうも、あの話を聞いて以来、考えてしまう事が多くなっている気がする。
そう思いつつ、書類のひとつを手に取ったときだった。
ドアがノックされ声がかけられる。
「よろしいでしょうか?」
どうやら伝令の兵のようだった。
「かまわん。入りたまえ」
その声に答え、「失礼します」と言って兵が入った来た。
「リュウカン島統括部責任者の利川大尉からの連絡であります」
「ふむ。続けたまえ」
「はっ。本日午後三時に統括部本部の方に来ていただきたいとのことです」
基本、尋問は前日、或いは二日前に通知が来る。
また、前回の尋問があったのは二日前だ。
尋問が行なわれるのは、大体五日から一週間に一回であるから恐らく急を要することなのだろう。
「わかった。利川大尉にお伺いすると伝えておいてくれ。それと何か準備しておくものがあるとは言われなかったか?」
「そういった事は言われておりません。ただ来て頂けれは良いと聞いております」
「そうか。分かった。では必ず伝えておいてくれ」
「はっ。了解しました」
そう返事をして敬礼すると、伝令の兵は部屋から出て行った。
その後姿を見送った後、時計を見ると私はため息を吐き出す。
どうやら、利川大尉の言っていたその時期とやらがきたらしい。
現在は、午前の10時過ぎ。
一旦部下を集めて連絡だけでも入れておくか……。
私はそう思いつつ立ち上がったのだった。




