三者会談 その1
外交部補佐官の中田中佐の用意した資料に目を通すと、鍋島長官は面白そうに笑った。
飛行機を引き渡したいという連絡のあった連盟の商人、リットーミン商会のポランド・リットーミンの資料である。
「なにか、ありましたか?」
中田中佐が少し伺うように聞いてくる。
彼にとっては、帝国や共和国の大艦隊を退けた軍事的才能よりも、王国や合衆国、それに共和国との外交で力を発揮し、アルンカス王国を独立させつつもフソウ連合の経済圏に組み込み、王国や共和国を巻き込んでイムサを作り上げたりといった鍋島長官の外交の手腕を高く評価しており、自分の人生の中で父と匹敵する尊敬に値する人物とさえ思っている。
その人物が自分の用意した資料を見て笑っているのだ。
何事かと思い、ついつい聞いてしまったのだろう。
その問いに、鍋島長官は「ああ、すまん」と笑いつつ言うと中田中佐に視線を向けた。
「いやなに、欲しかった人材がこんなところにいるとは思わなくてね。つい笑ってしまったんだよ」
「欲しかった人材……ですか?」
その言葉に中田中佐の心の中で少しムッとした感情が沸く。
欲しかった人材、長官にそう言われる人物がいる事に……。
だが、それは顔には出さない。
外交に関わるものとしては、感情を顔に出したら負けだと思っているからだ。
ただ疑問に思ったから聞いてみた。
そんな態度をしたはずであったが、鍋島長官は笑いつつ口を開いた。
「ああ、欲しかった人材と言うのはね、これから必要になってくる人材だと思ったから言っただけだよ。深い意味はない。それに僕にとっては君やフソウ連合の人々は今やいなくなられては困る人達ばかりだからね。例えるなら、そうだな、君達は僕にとって必須な人材といったところかな」
そう言われ、中田中佐は「ありがとうございます」と表情を変えずに言う。
だが内心では、まるで心の動きを読んだかのような言葉に舌を巻いてしまう。
そして、それと同時に心の中では先ほどまで湧き上がっていたイラっとした感情がすっかり払拭されてしまっていた。
やはりこの人はすごい。
相手の雰囲気というか思考を読むのが……。
それに欠点のように感情を顔に出しすぎるという人もいるが、感情を殺すのではなく出す事をうまく使って周りの雰囲気を自分の方に引き寄せるかのようだ。
そんな感じで中田中佐の鍋島長官の評価が上昇していたが、本人はそんな事を知る由もなく、ただ聞かれたことに答え始めた。
「おっと、なんか話が脱線したな。それでね、なぜ欲しかった人材かと言うと、外国との取引に対応できる人物が欲しかったからなんだ。その事を考えれば、実にこのポランドと言う人物とリットーミン商会はぴったりだなと思ってね」
「外国との取引ですか?」
「ああ。国同士の取引なんかは王国、合衆国、共和国には大使館もあるし、それに諜報部も少しずつだけど海外に網を広げつつあるからなんとかなるようになった。だけど、それはあくまでも国同士であって、民間ではない。例外的にアルンカス王国での民間の取引は上手くいっているものの、まだまだ限定的だ」
「つまり、フソウ連合の商人では、外国の商人と立ち会うには力不足と……」
「ああ。そのうちそういったことに対応できる商人が出てくるとは思うんだが、長い鎖国の為だろうね。フソウ連合内ではうまく立ち回りできる商人たちも、言語の違いや文化の間違いなんかもあって諸外国の鍛えられた連中相手ではなかなか難しいと報告があってね」
なるほどそういうことか。
要は、諸外国との商人と渡り合えるノウハウなどを取り入れるために必要な人材という事か。
長官が欲しいという意味がわかった反面、なら、そのノウハウを蓄積した後はこの商会をどうするのか気になって中田中佐は聞いてみる。
「そう言ったことでしたか……。それでフソウ連合の商人がノウハウを手に入れ本格的に対応出来始めたらこの商会はどうされるのですか?」
その問いに、驚いた表情をする鍋島長官。
そういった質問が来るとは思っていなかったのだろう。
しかし、すぐに笑いつつ答える。
「別にどうもしないさ。それにそれまでに築いたものは、その商会の手腕によって得られたものだからね。フソウ連合の法律に引っかからなければそれを横取りする気はないよ」
ただそう言っただけだったが、それだけで中田中佐にはなんとなくわかってしまった。
ノウハウを習得した後はフソウ連合の商人の競争相手として切磋琢磨してもらうつもりなのだと……。
そうする事でフソウ連合の商人達を育てようと思っているのだろう。
「了解しました。それで日程ですが……」
「ああ。日程の件でだけど、頼みがあるんだけどいいかな?」
「頼み……ですか?」
「ああ。それともう一つ。共和国関係でお願いがある」
その言葉……。
長官が頼みとか、お願いとか言う場合は、大抵大きな変化、それも想像できない事をしでかしてくれる事が多い。
だからどうしても中田中佐の心の中で今度は何をやってくれるのかという期待感が頭をもたげてくる。
落ち着け。
中田中佐は自分自身の心に湧き上がるわくわく感を押さえつつ聞く。
「はい。なんでしょうか?」と。
それと同時に、長官の部下になって良かったという気持ちに満たされていたのだった。
「なによ、これは……」
そう言うとアリシア・エマーソンは読んでいた報告書をデスクに叩きつけるように置いた。
かなり怒り心頭なのだろう。
それだけで収まらなかったのか、デスクをドンドンと叩いている。
「いかがなさいましたか?」
用事があり入室した執事はそう言うとアリシアの傍に来た。
そしてちらりとアリシアの置いた資料を見る。
そこには『聖シルーア・フセヴォロドヴィチ帝国領ミランナット諸島の一部採掘権と販売権のフラレシア共和国への譲渡に関しての条約締結について』と書かれてある。
その内容としては、ミランナット諸島の一部採掘権と販売権を譲渡する代わりに、八年間の食料などの物資の一定支援と原油販売の二割を渡すと言う内容だったばすだ。
それだけでアリシアが何に対して怒っているのかピンときた。
アリシアに提出すべき書類かどうかチェックする際に目を通していた書類だったからだ。
「外交部の連中、勝手にこんな条約を取り決めてくるなんて……」
「恐らく、その利権の美味しさのあまりについつい飛びついてしまったのでしょう」
「それじゃ困るのよ」
アリシアはむすっとした表情でそういった後、言葉を続けた。
「確かに、普通ならとても美味しい話だとは思うわよ。それに長期的に見ても良いとも思うわ。だけどね……」
そう言った後アリシアは息を吐き出した。
「時期が悪すぎる……。国内や自国の植民地で一杯一杯の有様でその上これだけ食糧の価格が上がっているというのに、帝国に送る為の食糧をどうやって確保するって言うのよ。そういう事まで考えれば、この条約は、それほど旨味はない、下手すると足が出るかもしれないって気が付かないのかしら。しかも、何より腹が経つのは事後報告という事よ。いいかげん、私を舐めるのも大概して欲しいわ」
実際、共和国の植民地でも災害が多発しており、王国とまではいかないものの食料に余裕ない有り様であった。
また、下手すると何年かこの状態は続くと予想されている。
それなのに、帝国に八年間もの間、食糧を支援していかなければならないというこの条約の締結はあまりにも酷いとしか言いようがなかった。
また、外交部の大半が親帝国派という事もあり、条件も言われるままだったと言う。
そして何より、こういった重要な版権が政府に知られる事なく一部の者達によってのみで進行してしまったという事が大問題であった。
「それでは……」
「ええ。外交部の内部改革を行なうわ。ツテとかもあるし役に立つならと思って手を入れてなかったけど、このままでは国政の足を引っ張るだけだもの」
「了解しました。それで加減はどの程度に?」
「そうね。後腐れないように徹底的にね。ただし、国政に影響がでない程度によ」
「もちろんでございます。それで後釜は誰にしておきましょう?派閥の者からにいたしましょうか?」
その問いにアリシアは少し考える。
あまりにも自分の派閥で固めすぎるのも問題と思ったのだろう。
「いいえ。中立派の……そうね、アルベリク=マリー・ジュノンなんてどうかしら?」
「確かに。彼なら十分かと。しかし引き受けるでしょうか?かなり気難しいというか、こっちの思い通りにならない人物だと聞いております」
だが、その言葉に、アリシアは笑う。
「ええ。そうらしいわね。でもね、彼は今までの親帝国主義に反対していた人物よ。いくら帝国と親しいとはいえ限度があるといってね。それに名誉欲が高い人物だから十分脈はあると思うわよ」
「了解しました。話を進めてみます」
「ええ。お願いね」
そう言った後、思い立ったのかアリシアは言葉をつづけた。
「そうそう。ちゃんと『共和国の政治史に名を残す機会です』って言い忘れないようにね」
その言葉に執事は苦笑しつつ頷く。
その物言いがあまりにもストレート過ぎるだろうと思ったからだ。
だが、人によっては遠まわしでダラダラと言ったり匂わせる程度にしたりするより、こういったストレートに言われた方が好感が持てるという人もいるのだからおかしなものだ。
まさに十人十色と言うやつだろう。
そしてやっと気が付いたのだろう。
アリシアが怪訝そうな顔で聞いてくる。
「そう言えば、何か用事があって来たんじゃないの?」
そう言われて執事も自分が来た本当の用事を思い出したのだろう。
執事は少し慌てて持っていた書簡を手渡す。
「すみません。これをお持ちいたしました」
その書簡は、かなりしっかりとした上等な紙によって作られ、書簡の淵には簡素だが装飾があり、そして封には見た事がある蝋印が押されていた。
書簡を受け取り、アリシアは蝋印を確認すると聞く。
「これって……フソウ連合の?」
「はい。フソウ連合の駐在大使の方からです」
その言葉に、アリシアの表情が変わった
さっきまでの怒りはどこにいったのかと疑うような楽しそうな表情になっていたのだ。
目を細め、蝋印を外す。
「ふーん。今度は何をやらかす気かしら……」
そう呟いて、書簡を開き中身に目を通した。
そして目を通した後にアリシアの口から漏れた言葉は、「へぇ……。面白そうじゃない」というものだった。
そこに書かれていた内容、それは八月下旬に王国、共和国と三ヶ国でいくつかの件で会合を行ないたいという事であった。
書簡を執事に見せつつアリシアは楽しげに笑う。
「あの方も色々動かれているようですね。流石です……」
「では……」
「ええ。参加すると伝えなさい。あまり時間はないけど急いで日程の調整を行なうように」
「わかりました。すぐに手配いたします」
そう言うと執事は退室していった。
「さて、今度は何をしでかしてくれるのかしら。楽しみだわ」
そう呟くと、アリシアは機嫌よく笑ったのだった。




