パガーラン海海戦 その8
「敵空母ヲ発見ス」
索敵に出ていた瑞雲からその報告が第二艦隊に届いたのは陽がかなり傾いた時間帯であった。
どうやら第一艦隊が見失った敵艦隊らしい。
その報を聞き、一気に勝負を決める為に的場大佐は第二艦隊の進路を敵艦隊へと向ける。
「よし……。我々で敵艦隊に止めを刺すぞ。もちろん、捕虜や降伏は受け入れるつもりだからその兆候があったら注意せよ」
艦橋にいた乗組員のほとんどがその言葉に表情を引き締める中、たった一人浮かない顔をしている者がいた。
最上の付喪神だ。
「どうした、最上?何か気にかかる事でもあるのか?」
その問いに、最上は困ったような表情で答える。
「いや、命令としては正しいと思うんだけど、ふと思ったんだよ」
「何をだ?」
「いや、発見の報は、『空母を発見した』だよなぁ」
「ああ。そうだが……。それが何か?」
「いや、普通は『敵艦隊を』とかじゃないのかなと……」
その言葉に、的場大佐もおかしいと思ったらしい。
腕を組んで考え込む。
そして、まさか……といった表情を浮かべると通信兵に命令を下す。
「空母発見の瑞雲に確認だ。艦隊ではないのか?と……」
「はっ。了解しました」
そして、数分後に返事が帰ってくる。
「『艦隊ニアラズ、発見シタノハ敵空母ノミ』だそうです」
通信兵の言葉に、一気に的場大佐と最上の顔色が変わった。
敵の空母以外の戦力はどこにいったんだ?
もし自分が今の状況ならどういった手を打つだろうか。
そう考えていき、ある考えに思い至る。
まさか……。
的場大佐は慌てて通信兵に命令する。
宛ては、第一艦隊だ。
『敵、ソチラニムカウ可能性ガ高イ 注意サレタシ』
そして、第二艦隊を二つに分けた。
第一艦隊を襲撃する為に北上する敵戦力を叩く部隊と、発見した空母を叩く部隊に。
敵艦隊を追撃する艦艇は、第十三戦隊 重巡洋艦 摩耶 鳥海、第十四戦隊 航空巡洋艦 最上、第七駆逐隊 駆逐艦 吹雪 白雪 初雪の六隻。
そして空母を叩く部隊は、第二戦隊 巡洋戦艦 榛名 霧島、第十駆逐隊 駆逐艦 綾波 敷波 天霧の五隻となった。
各艦艇にその命令がすぐに伝えられる。
本来なら艦隊を分けるといった事は、戦力の集中運用から外れる。
しかし、いくら高速戦艦とは言え、巡洋艦や駆逐艦を追撃するのだ。
速力は早いほうがいい。
金剛型高速戦艦の最高速力は30ノット。
それに対して、吹雪型駆逐艦や高雄型、最上型の巡洋艦は35ノット前後。
ここでの5ノットの差は大きいと言わなければならないだろう。
こうして第二艦隊はそれぞれ分かれて行動を開始した。
第二艦隊からの連絡を受け、第一艦隊の中野少佐は少し考え込む。
今の時間帯に航空機を出した場合、着艦は至難の業だ。
だから、まず航空機では攻撃してこないだろう。
なら、艦艇による夜襲だろうか。
それなら十分に考えられるし、空母中心の艦隊ではかなり不利な戦いになるだろう。
距離を置くにしても敵の艦艇の位置がわかればかなり有利に進められる。
そう判断し、帰艦中の彩雲数機に海域の警戒の指示を行なおうとした時だった。
その内の一機から「敵攻撃隊ト思ワレル編隊ヲ発見ス」の無線が届く。
その報に、中野少佐は裏をかかれたと判断した。
まさかこの時間帯での航空機による攻撃はないと勝手に判断した自分に腹が立つ。
敵はそれほど追い詰められているという事だろう。
だが、運がなかったな……。
電探での発見なら、今上がっている艦隊直掩の四機に追加で三~四機程度を上げるのが精一杯だろう。
しかし、今からなら少なくともそれ以上は上げれるはずだ。
もっとも、どれだけ発艦整備が終わっているかが問題ではあるが……。
「今すぐ上がれる戦闘機は何機ある?」
「はっ。発艦整備の終わっている零戦は八機ほどです」
「よし。瑞鶴にも連絡を入れろ。敵攻撃隊を歓迎すると」
「了解しました」
艦内が忙しくなる。
甲板には、エレベータによって一機、また一機と零戦が甲板上に上げられ並べられていく。
そして四機が発艦した後に電探担当員から報告が入った。
「敵、編隊が電探内に入りました」
「わかった。連中の動きに注意しろ。変化があったらすぐ報告だ」
「了解しました」
「副長、あと何機出せそうだ?」
「少なくとも二機は出せそうです」
「よし。後二機でもう上げるな。後は艦内で固定作業に入れ。それと隔壁と消火体制を万全にしておけ」
そう指示を出す中野少佐に、翔鶴が声をかける。
「少佐、俺は防空所に上がるぞ」
「ああ。頼む。こっちと瑞鶴で艦隊直掩は十六機になるからそれでなんとかなるとは思うが……」
「なに、油断大敵と言うやつだ」
「確かに、確かに。すまんが頼む」
手をぶらぶらと振って翔鶴が上に上がっていく。
それを見送った後、中野少佐は表情を引き締める。
視界の先には、輪形陣を取ろうと進路を変える味方の防空駆逐艦が見える。
秋月型の65口径10cm連装高角砲が敵編隊が侵攻してくる方向を向く。
十二機の迎撃戦闘機で敵の数を減らして足止めをする。
そしてそこからなんとか抜け出してきた敵機を防空準備の整った対空砲火で集中攻撃して撃墜する。
迎撃態勢は万全……のはずだった。
しかし、それは電探担当員の素っ頓狂な声に破られた。
「て、敵編隊……、後方より接近っ」
「後方?前方じゃないのか?」
「前方もいます。前方は、今、防空に上がった零戦と戦闘中と思われます。それとは別に後方から敵機がっ」
「距離はっ」
「三十を切っています」
それはつまり、もうすぐこっちに来るという事だ。
「対空砲火、用意急げっ」
翔鶴の命令に慌てて高角砲や機銃座が後方に向けられる。
しかし、対応に間に合ったのは一部のみ。
「敵襲ーーっ!!」
その声が響くと同時に対応に間に合った対空砲火が始まった。
しかし、その隙間だらけの合間に入り込むように敵攻撃隊の爆撃機や攻撃機が突入してくる。
くそっ。してやられたっ。
電探に引っかからなかったのは、恐らくだが、電探に引っかかりにくい低空で接近したのだろう。
以前、電探の性能確認の講習の際、低空の場合、引っかかりにくくなるという説明があった事を思い出す。
それに、前方の編隊は囮ということであると同時に本命の誘導も兼ねているといったところだろうか。
これで低空であっても正確にこっちに攻撃が仕掛けられる。
よく考えられている。
だが、夜間着艦の出来ない以上今攻撃をかけている航空戦力は間違いなく失われる。
ならば、より確実に出来る限りのダメージを与える必要がある。
まさに必死だ。
死に物狂いと言っていい。
甘かった……。
相手を舐めていたと言われても仕方ない。
中野少佐はそこまで考えが及ばなかった事に地団駄を踏むが今出来ることはない。
「翔鶴、頼む……」
そう呟くと回避行動を取る為に激しく揺れだした翔鶴の艦橋で中野少佐はひっくり返らないよう手すりをしっかりと握るのみであった。
後方から攻撃してくる攻撃隊のうち、SBD ドーントレスは急降下爆撃ではなく水平爆撃を敢行した。
不意をつくために高度を上げることができない以上、急降下爆撃ではなく攻撃方法は水平爆撃となる。
しかも、対空放火を避ける為に行なう高高度の水平爆撃ではなく超低空のだ。
その為、命中率はかなり高くなる。
だが、その反面被弾率は格段に上がる。
反応が遅れたとはいえ、フソウ連合海軍の防空能力は優秀だ。
超低空である為、距離が近い分前回の防空戦以上の火線がSBD ドーントレスに容赦なく集中する。
その為にまた一機、また一機と火達磨や粉砕され空中分解し、或いはバランスを崩して堕とされていく。
しかし、それでも恐れることなく攻撃隊の爆撃機は空母を狙う。
空母を落さねば、明日は圧倒的な航空戦力によって自分たちがジリ貧になるとわかっているからだ。
そして、その意地がついに対空砲火の一画を突破する。
バランスを崩しながらも一機のSBD ドーントレスが翔鶴の甲板に爆弾を落す。
そして、それと同時に力尽きたかのように甲板の上で転がった。
爆弾による爆発と転がった飛行機が撒き散らした航空燃料に火が付くのは同時だった。
航空指揮所で指揮を取る翔鶴が自分の腹を抑え、痛みによるものだろうか、顔に皺が刻まれる。
「くっ……。やりやがったな……」
呟く様にそう言うと声を上げる。
「対空砲火っ、手を緩めるなっ。消火急げっ。誘爆しそうなものはすぐに海に投棄だっ」
だらりと翔鶴の額に脂汗が浮かぶ。
「航行に問題はない。搭載機の一部に被害はあるものの、損傷としては小破といったところだが……、しかし、このざまでは明日の航空機運用は厳しくなる……か……」
翔鶴は悔しそうに顔を歪めてそう呟くと燃え上がる甲板の一部に視線を落す。
そこには消化作業に入る兵士達の姿がある。
彼らは必死にこれ以上の被害が及ばないように作業をしている。
いくつもの消火ホースが甲板を這い、その先からは海水が勢いよく放出されている。
もちろん、甲板だけではなく、爆弾によって起こった艦内の火災は、被害を抑えるために隔壁が閉鎖され、新しく設置された消火器による消火が行われている。
少し時間はかかるがなんとかなるか。
翔鶴はそう判断し、ほっとする。
だが、のんびりとする暇はない。
今度は雷撃機による攻撃が開始された為だ。
海面ギリギリを進むTBD デバステーター。
海面に近いほど、撃墜しにくくなる。
それがわかっているのだろう。
競うかのように低空だ。
空母を守る秋月型駆逐艦の対空砲火が大小幾つも水柱を作り上げる。
そのいくつかは迫り来る雷撃機の翼や胴体を貫き、その攻撃でバランスを崩したいくつかの機体が海につんのめるように引っかかり回転して分解していく。
あれでは多分、パイロットはまず助からないだろう。
しかし、それでもなお、敵は攻撃の手を緩めない。
そして、一機、また一機と魚雷を放つ。
「魚雷接近っ、回避行動に移れっ」
指示にあわせ、回避行動に移る艦艇。
しかし、それでも役割を終えて飛び去ろうとする敵機を見逃すはずもない。
無防備な後ろから攻撃が行なわれ、次々と撃墜されていく。
だが、彼らの犠牲は無駄ではなかった。
放たれた魚雷のうち、三本が駆逐艦に、二本が翔鶴、瑞鶴に向う。
駆逐艦に向った三本の魚雷のうち、かなりギリギリで放たれた魚雷の一本に対して回避が間に合わずに春月の後部に命中し爆発する。
後部の高角砲二基が動きを止め、機関がやられたのだろう。
一気に速力が低下して戦列から遅れ始め、ゆっくりとではあるが後部が沈み始める。
一気に転覆とまではいかないものの、かなりのダメージを受けたのは間違いない。
甲板上ではなにやら水兵達が忙しそうに動き回っており、誘爆を防ぐ為だろう、魚雷発射菅から魚雷が海中に投棄された。
そんな春月が抜けた穴を庇う様に同じ防空駆逐隊の冬月が援護に回る。
すでにもう輪形陣は大きく崩れ、海面に白い航跡がまるでミミズか這ったように残っていた。
そして、空母に向った二本の魚雷のうち、瑞鶴に向った魚雷はギリギリであったが回避に成功する。
艦首のほんの数メートル先を抜けていく魚雷に、防空指揮所で指揮を取っていた瑞鶴はほっとした表情を見せる。
だが、爆撃を受け火災を起した翔鶴は対応に手間取り回避が遅れた。
もう回避が間に合わない。
誰もがそう思ったときだ。
翔鶴の左後方で防空戦闘を行っていた駆逐艦涼月が一気に速力を上げると魚雷と翔鶴の間に割り込むような形で入り込んできた。
それは涼月の独断であった。
そしてその結果、翔鶴の中央に当たるはずだった魚雷は涼月の艦首に命中する。
爆発音が響き、五分の一程度のところで涼月の艦首は引き千切られたかのように折れ、そして残った艦体も前方に傾いた。
機関は無事だが、艦首を失った事でいっきに速力が落ちる。
しかし、それでも涼月の対空砲火は止まなかった。
撤退する雷撃機に攻撃を浴びせ、一機を撃墜する。
こうして、アメリカ海軍第16・17任務混成隊の航空戦力は壊滅した。
だが、これでこの日の戦いが終わったわけではなかった。




