パガーラン海海戦 その4
第一次攻撃隊が発艦するより少し前、瑞鶴から二機の彩雲が発艦した。
第一次攻撃隊の水先案内役の一機と、もう一機は敵艦隊近くで滞在して敵艦隊の動きに目を光らせている502-1の彩雲と交代する為である。
もちろん、敵の動きの監視が主目的だが、戦果確認も任務の内になっている。
そして、その彩雲の後方に、零戦十二機を前衛とした第一次攻撃隊五十七機が続く。
初の実戦という事もあり、部隊の士気はかなり高い。
爆撃隊の指揮を任された第106攻撃隊の隊長である森川少尉は苦笑を浮かべている。
「本当に、どうしようもない奴らだな……」
「そういう少尉だって嬉しそうですよ」
そう突っ込んだのは、相棒の菊見飛行兵曹長だ。
「なにを言ってやがる。俺より、戦闘機隊の巻永の方がもっと張り切ってやがったぞ」
そう言われ、甲板で部下達に熱い檄を飛ばしていた巻永大尉の様子を思い出す。
「まぁ……、その通りですがねぇ……」
そう言いつつ、その後に続く『でも端から見たら、どっちもどっちなんですけどね』と言う言葉を飲み込む。
トラブルになりそうな事は起さないに限るし、どうせなら気持ち良くやってほしいからだ。
それに、この人の操縦に命を預けているんだし……。
菊見飛行兵曹長がそんなことを思っていると、気になったのだろう。
「何だ?不満そうだな」
そう森川少尉が聞き返す。
「別に不満じゃないですよ」
そう言いつつ菊見飛行兵曹長は苦笑する。
変なところで勘が鋭いんだか……。
「しかしだな……」
森川少尉がそう言いかけたとき、水先案内で先行している彩雲から無線が入る。
『ワレ、敵艦隊直掩機ト思ワレル機体ト遭遇ス。各機注意サレタシ』
その無線と同時に、先行する零戦が速力を上げる。
こうしてフソウ連合海軍機動部隊第一攻撃隊が敵機動艦隊と接触している頃、アメリカ海軍機動部隊第一波もフソウ連合海軍機動部隊に接近しつつあった。
「索敵機は撃墜したんだな?」
「はいっ。艦隊直掩の零戦が撃墜しました」
その報告に、中野少佐は腕を組み少し考え込む。
しかし、敵も躍起になってこっちの正確な位置を知りたいようだな。
どうやら最初の哨戒機はろくに情報を送ることができなかったらしい。
まぁ、あんなにすぐに撃墜されればそうなるか……。
いや、もしかしたら敵攻撃隊の道先案内の為の機体なのか?
どっちにしてもまもなく敵攻撃隊が殺到してくるのは間違いない。
「恐らく敵の第一波が来るぞ。艦隊直掩の零戦を戻せ。それと、第二次攻撃の発艦を急がせろ」
「はっ、了解しました」
中野少佐の命令を受け、艦橋内が慌しくなる。
そんな中、無線士の報告が上がる。
「第一次攻撃隊、敵艦隊と接触、攻撃に入るそうです」
「そうか。わかった」
そう返事をすると、中野少佐は腕を組んで前方を睨みつけるかのように見つめている。
甲板からは第二次攻撃隊が次々と発艦していく。
まもなく第二次攻撃隊の発艦が完了する、その時に電探担当から声が上がる。
「敵影発見。恐らく報告のあった敵機動部隊の攻撃隊と思われます」
艦橋内がざわめく中、中野少佐が叫ぶように聞く。
「攻撃隊は?」
「あと、四機ですっ」
「急がせろ。それと艦隊直掩を迎撃に向わせろ」
「はっ。了解しました」
艦隊直掩の零戦十機がアメリカ機動艦隊攻撃隊第一波に襲い掛かろうと高度を上げる。
今の位置からなら、上から襲い掛かればちょうど太陽を背に受けて攻撃できると考えた為だ。
そして、その読みは当たった。
雲間から一気に上空から襲い掛かる零戦に、第一波の護衛戦闘機隊は反応が遅れた。
護衛のF4Fの数は十機。
数としては互角だが、不意を撃たれたという事と機体性能の差で一気に三機が撃墜される。
「各機、散開して敵艦隊に向かえ!!」
護衛隊の隊長の無線が響き、攻撃隊第一波は艦隊直掩の零戦を押さえる護衛隊と艦隊攻撃の攻撃隊に分かれる。
しかし、最初に三機を失ったのは大きかった。
フリーとなった零戦三機が他の攻撃隊より先行していたTBDデヴァステイター 17機に襲い掛かる。
重い魚雷を積んだ鈍い動きの雷撃機に出来る選択はそう多くない。
ましてや、相手の方がスピードも旋回性能もはるかに上なのだ。
運を天に任せて魚雷を持ったまま回避するか、魚雷を捨てて少しでも身軽になって逃げるか。
間違いなく前者の方が歩が悪いのはわかりきっていたが、魚雷を捨てて逃げてどうするというのか。
我々は敵艦隊を攻撃する為に進んでいるのだ。
それを無にしてしまうのか?
それに味方の戦闘機隊が何とかしてくれる。
そんな思いや意思が、彼らに分の悪い前者を選択させる。
そして、彼らは歩の悪い賭けに負けた。
次々と撃墜されていくTBDデヴァステイター 。
しかし、彼らの行為は無駄ではなかった。
何機かは失敗して零戦の餌食になったものの、その後に続くSBD ドーントレス14機、SB2U ヴィンディケイター11機が艦隊直掩の零戦を振り切り第二艦隊に肉薄した。
「敵機、防空網を突破。こっちに向ってきます」
電探の担当員が悲鳴のような声を上げる。
それは初めての実戦で、余裕がないのだろう。
しかし、それは仕方ないのかもしれない。
この艦に乗っていて実戦経験をしたものはほとんどいないのだから。
だが、経験のあるなし関係なく今は訓練通りやってくれればいい。
そう思いつつ中野少佐は口を開く。
「各艦、対空戦闘用意!!」
中野少佐の命令で、翔鶴の40口径12.7cm連装高角砲を初めとする各艦の高角砲や機銃が上空を向く。
そしてものの数分と立たないうちに雲間から豆粒のような黒い点がぽつぽつと浮かび上がる。
「敵機発見!十時の方」
監視員の声が響き、戦闘ラッパが響く中、それは段々と大きさを増し、ただの丸い点は少しずつ輪郭を作り出していく。
その間にも第二次攻撃隊の発艦は進み、無事全機発艦終了する。
なんとか間に合ったか……。
ほっとする中野少佐に無線士から声がかかる。
「第二次攻撃の護衛隊零戦から、『迎撃しなくてもよいか?』ときております」
「構わん。『各々の役割遂行を優先せよ。先に急げ』と伝えろ」
「了解しました」
そんな中、最上層の防空指揮所にいる翔鶴から指示が出たのだろう。
発艦の終わった翔鶴の艦体がゆっくりとだが蛇行を始める。
それは爆弾回避を優先するという意思表示でもある。
新型の特殊対空弾を優先して配備されているとはいえ、やはり敵の攻撃に当たらないという事を最優先すべきだろう。
段々と敵機が近づいてくる。
「対空戦闘!!」
翔鶴の緊張した号令が響く。
まずは翔鶴、瑞鶴の40口径12.7cm連装高角砲と、護衛の秋月型防空駆逐艦の65口径10cm連装高角砲の火蓋が一斉に切られ、迫り来るアメリカ軍機の群れに対空砲火が始まった。
そんな中、アメリカ軍機の群れは高度を保ちつつ確実に艦隊に近づいてくる。
急降下爆撃が始まろうとしているのだ。
第16・17任務混成隊のレーダーに敵機が写るよりも早く、前方警戒に上がっていた艦隊直掩のSBD ドーントレスの一機がフソウ連合海軍機動部隊の第一次攻撃隊を発見した。
すぐにその報は艦隊と味方の艦隊直掩機に送られる。
そして、発見したSBD ドーントレスは、ペアを組んでいるもう一機と敵攻撃隊の迎撃にあたる。
圧倒的に不利な数の差と性能の差はどうしようもない。
しかし、少しでも味方の時間を稼ぐ為に……。
その報を受け、スプルーアンス少将は緊張した面持ちで指示を出す。
「艦内の作業中断っ。固定を急がせろ。それと今上がっている艦隊直掩機を全部回せ。あと、甲板に上がっている第二次攻撃隊の戦闘機も出せるだけでいい。回せ。」
だが、その指示に納得いかないのだろう。
副官のオリバー中尉が声を上げる。
「しかし、それでは第二派の護衛の数が……」
「馬鹿かお前はっ。今、甲板や艦内は第二派攻撃の準備中だ。そこに当たったらどうするんだっ」
その剣幕に驚くものの、甲板に爆弾や魚雷がごろごろしているのが目に入ったのだろう。
スプルーアンス少将の言葉の意味を理解し、一気に顔色が真っ青になる。
「り、了解しました……」
慌ててオリバー中尉が駆け出す。
現在上空には、艦隊直掩機としてF4Fワイルドキャットが8機、警戒と防空を兼ねて爆装していないSBD ドーントレス6機が上がっている。
それにどれだけ追加の戦闘機を上げることができるだろうか……。
出せたとして2~3機といったところだろう。
しかし、それでも出来る限りの事はやらなければならない。
今、攻撃が当たれば、間違いなく再起不能になる恐れが高いのだから……。
「では、司令官。私は防空指揮所に移動します」
エンタープライズ艦長はそう言うと敬礼する。
「よろしくお願いします」
スプルーアンス少将はそう答え返礼する。
そして、数分後、第16・17任務混成隊の離れた前方の空域で激しい空中戦が始まった。
フソウ連合機動部隊第一次攻撃隊の戦闘機隊の零戦が、迎撃に来たF4FやSBDに向っていく。
防御側は、事前に上空に上がっていた12機(先に時間稼ぎに入ったSBD 2機は撃墜されている)と追加で迎撃に入った第二派攻撃護衛のF4F 4機の合計16機。
それに対して攻撃側のフソウ連合機動部隊第一次攻撃隊の護衛隊の零戦は12機。
数的には4機の差だ。
しかし、防衛側も16機中、6機は爆撃機であるSBDであり、F4Fと零戦の機体性能の差もある。
また、それだけでなく第一攻撃隊の戦闘機隊を率いる巻永大尉の巧みな指示により、アメリカ軍機は攻撃隊の九九艦爆や九七艦攻に手出し出来ない状況になっていた。
「くそったれっ。また抜かれたっ」
艦隊直掩隊の指揮を任されているストライダー中尉は忌々しそうに吐き捨てる。
彼にしてみれば、敵索敵機を取り逃がし、その上、敵の攻撃部隊にろくに被害を与えられないのだからそうも言いたくなる。
しかし、それが現実なのだ。
「くそっ。振りほどけねぇ……。数はこっちの方が上だってのによ」
忌々しそうに言いながら、愛機を激しく動かす。
機体が悲鳴を上げるが、グラマン鉄工所とまで言われた頑丈なグラマン社製の機体は空中分解する事もなく彼の動きに従っている。
それは、エースパイロットと言ってもいい動きであり、事実、ストライダー中尉はエンタープライズの戦闘機隊の中でも一位、二位を争うほどの腕前なのだ。
しかし、それでも振り切れない。
それは、まるでこっちの必死な動きをあざ笑うかのようなそれ以上の運動性を見せる敵戦闘機の為であった。
「くそっ、くそっ、くそっ」
呪詛のようにそう言いながら必死に戦うストライダー中尉だったが、いつしか自分を追い詰める零戦の数は一機から二機になっていた。
その結果、逃げに回る回数が増え、いつしか防戦一方となる。
それは裏を返せば、味方が撃墜されたという事だ。
必死に見回すと、いつしか周りの機体は日の丸のものが多くなっていた。
そしてそんな中、味方の艦隊から対空砲火が始まる。
どうやら、突破した攻撃隊の攻撃が始まったらしい。
防げなかったか。
そんな愕然とした諦めが心の中に湧くが、しかし、今はそんなことに気を取られている暇はなかった。
今もまだ戦っている最中であり、何より自分の命がかかっているのだ。
戦闘機乗りのプライドを捨て屈辱に震えながらも、今は生き残る事だけを優先するしかない。
そう自分に言い聞かせ、ストライダー中尉は少なくなったチャンスを生かそうと必死になって機体を操るのであった。




