日誌 第二百九十日目 その1
昼食が終わって、仕事に取り掛かろうとしているときに二人の訪問者があった。
新婚旅行である温泉旅行から戻ってきた的場夫妻である。
明日から現場復帰するという事で、イタオウ地区に戻る前に挨拶に寄ったらしい。
「まぁ、立ち話もなんだから……」
そう言って、僕はソファを薦めて少し話すことにした。
どうやら二人も話を少ししたかったようだ。
申し出を受けて三人でソファに座る。
そしてそれを見計らったかのように東郷大尉がニコニコしながらコーヒーとお茶請けをテーブルに用意していく。
今日のお茶請けはドーナツか。
定番の普通のドーナツだが、外が柔らかいものではなく、少しカリカリにあげてあるタイプのようだ。
その茶色の表面に、白い砂糖が雪のようにまぶしてある。
恐らくだが、東郷大尉の手作りだろう。
これは楽しみだ。
そんな事を思いつつ、僕は二人を見て口を開く。
「しかし、もう少し休暇を取っても良いと思うんだけどな」
僕の言葉に、二人はそれぞれ苦笑する。
「今、近隣諸国の状態が不安定ですからね。なんか落ち着きませんよ。それに、マリの方も次の映画の話を進めたくて仕方ないみたいですし……」
そう言って的場大佐は隣に座る杵島中佐(戸籍上では的場になるが、軍務の時のみ旧姓を名乗っている)に視線を送る。
その視線を受けて、微笑みつつ杵島中佐も口を開く。
「そうなんですよ。第二弾の映画も好評ですし、第三弾の映画の撮影許可も下りたし、さっさと撮りたいんですよね」
「ああ、第二弾の方もかなり好評らしいね。各地区から映画館を増やして欲しいという提案が幾つか来ているよ。後でそっちに回すから見ておいてくれ」
「はい、わかりました。しかし、本当に嬉しいですよ。おかげで撮っている現場もかなりやる気になっていますし、良いものを作ろうと色々頑張ってくれてますし……」
「そうか。それは頼もしい限りだな。ただ、行き過ぎてあまり暴走しないようにね」
「はい。了解しました。重々皆に言って聞かせておきます」
うれしそうにそう言って笑う杵島中佐。
第二弾として公開された『家族』と『北の海で……』の二つの映画もかなり好評な上に、映画館の増館も進んで実に楽しいのだろう。
ちなみに、二つの映画の内容だが、『家族』は、妻を亡くした父親と母親を亡くした悲しみを振り払うかのように健気に生きる娘の不器用な家族の絆を描いたどちらかというと地味な内容のヒューマンドラマで、もう一つの『北の海で……』は、帝国・共和国の艦隊との戦いのうち、北方方面艦隊と帝国艦隊の戦いを中心に描いた戦争映画となっている。
なお、この映画によって的場大佐の知名度は一気に上がり、救国の英雄と呼ばれるほどになっている。
もっとも本人は、そういったものはめんどくさいだけのようではあるが……。
「ところで、第三弾は、チャッマニー姫殿下の話ともう一つは何の予定だったっけ?」
一応、脚本とかの最終チェックはやっているものの、チェックが終わったものがすぐに映画化されるわけではなく、準備に時間をかける場合もあるし、今回のチャッマニー姫の話のように急遽製作が決まって製作がずれ込んでしまう場合もあるため、公開順は知らないのだ。
「チャッマニー姫殿下のお話である『南の国の休日』ともう一つは『無責任巡査、今日も元気に笑い飛ばそう』ですね」
『南の国の休日』は、チャッマニー姫と木下大尉の出会いの話を元にして異国での皇族と将校の恋愛を描く映画で、アルンカス王国とフソウ連合とのより深い親交を促進する為に作られるある種のプロパガンダ映画である。
しかし、杵島中佐はそれを異文化の男女の恋愛模様をより深く描く事でそう感じさせないものに脚本を仕上げており、このまま映画となったら、多分、ほとんどの人々は普通の恋愛ものとしか感じないだろう。
そして、もう一つの『無責任巡査、今日も元気に笑い飛ばそう』は、無責任な巡査がその行動によって引き起こすドタバタ劇を映画化したもので、オーバーな動きと突拍子もない掛け合いが特徴のコメディとなっている。
まぁ、恋愛映画、戦争映画、ヒューマンドラマときたから、そろそろ何も考えずに笑えるものを用意するのは良いんじゃないかと思う。
誰だって頭の中空っぽにしてゲラゲラ笑うっていうのも必要なんだと思うしね。
だから、その事を伝える。
「良いんじゃないかな。中々良い選択だと思うよ。こういった何も考えずに笑えるって映画も必要だと思うしね。お客さんを飽きさせないラインナップになりつつあると思う」
「そうですか。ありがとうございます」
ほっとしたような表情で微笑んで答える杵島中佐。
どの順番に製作に入るかは、杵島中佐の判断だから、その事を褒められてほっとしたと同時に嬉しくなったのだろう。
まぁ、わからないではないな。
なんでも細かいところまで自分で仕切って決めていかないと気がすまない上司や、相手のした事に文句を言う人は多い。
反対に、文句も言われず自由に采配を振るえるというのはやり甲斐があるということでもあるからね。
ましてや、彼女の所属する広報部は、他の部に比べて冷や飯くらいって感じがあったから、周りのことや上司の様子は気になるといったところだろう。
もっとも、今や広報部は冷や飯食らいではないから、もっと胸を張っても良いと思うんだが、中々難しい部分だろう。
後はゆっくりと自分達で意識改革やっていくしかないかな……。
そんな事を思いつつ東郷大尉の用意したコーヒーに口をつける。
うちの家で普通に使っている豆だが、こだわって選んだ豆だけにいい香りだ。
そして次にお茶請けのドーナツの方にかぶりつく。
うんうん。いい甘みだ
少し甘めの砂糖をまぶしたドーナツだからブラックコーヒーが実に合う。
ちらりと二人を見ると二人ともコーヒーとドーナツを楽しんでいるようだ。
杵島中佐なんか、「今度レシピ聞いておこう……」とか呟いていたりする。
そんな中、「そういえば、長官……」、そう言って聞いてきたのは的場大佐だ。
だが、その言葉は途中で止まってしまう事になる。
激しくドアが叩かれ、慌てて東郷大尉が入ってきたからだ。
「すみません、失礼します」
そう言って入ってきた東郷大尉の表情は、さきほど二人を案内した時のような優しいものではなく、硬く真剣なものであった。
その表情から何か問題が発生したと判断したのだろう。
二人は黙ってちらりと東郷大尉を見たたげだった。
「長官、緊急連絡です」
東郷大尉は、そのまま僕の近くまで来るとそう言って一枚の紙を差し出す。
僕は黙ってそれを受け取り、視線を落す。
その紙に書かれている内容は、イムサに参加している外洋艦隊の部隊から航空機と遭遇した事。
そして、近海にフソウ連合海軍が動いていないかの確認の要請だった。
「これは、イムサ本部にも?」
「はい。イムサ本部の方にも連絡はいっていると思います」
「そうか……」
僕は腕を組んで考え込む。
航空機と遭遇と言う事は、要は我々と同じに航空戦力を保有する連中がいるということに他ならない。
たが、それは問題ではない。
ビスマルクといった戦艦が存在する以上、それは十分予想出来た事だ。
だから、その対策も色々やっている。
航空戦力の充実に、電探の強化と装備、それに新型の対空砲弾の開発、防空戦闘マニュアル等。
だから、相手がこっちを凌駕する最新のものでない限り、対応はできるだろう。
しかし、もっとも問題になるのは、その航空機がどういった勢力のものであるかと言う事だ。
味方ならいい。
中立勢力でも構わない。
それは話し合いや駆け引きで何とかできる可能性がある。
しかし、敵対する勢力ならその望みはかなり低いと見ていいだろう。
そして、それは武力衝突と言う結果を生み出す恐れが大きい。
それを見極める必要性がある。
「大尉、すまないけど山本大将と新見中将にできる限り早くこっちに来るように連絡を入れて欲しい」
「了解しました」
「それと、あの海域近くで行動しているフソウ連合艦艇の詳細な資料もいいかな?」
「はい。急いで用意します」
東郷大尉は、慌てて長官室を退室していく。
その後姿を見送った後、僕はゆっくりと視線を的場大佐に向けた。
それでわかったのだろう。
杵島中佐が苦笑して立ち上がるとニコリと笑った。。
「どうも時間かかりそうね。私は先に戻っているから……」
「後でまた連絡を入れるよ」
そう言って的場大佐は頭を下げる。
僕もついつい頭を下げてしまう。
「すまないね、旦那さんを借りるよ」
僕の言葉に、杵島中佐は笑いつつ答える。
「長官、うちの旦那でよければしっかりとこき使ってやってくださいね。本当に、軍人馬鹿なんですから」
そして、「それでは先に現地に向います」と言って敬礼すると杵島中佐は退室した。
「良い奥さんだな。よく旦那の事を理解してくれているようだし、なにより信頼してるって感じたな」
僕は思わずそう口にすると、的場大佐は照れているのだろう、苦笑しつつ答える。
「ええ。俺には過ぎた人ですよ」
だが、すぐに表情を引き締めると聞き返す。
「それで、長官、俺を引き止めて残したという事は……もしかして……」
「そういうことだ。所属不明の飛行機らしきものにイムサに派遣されている艦艇が遭遇したらしい」
僕の言葉に、的場大佐はごくりと口の中にたまった唾を飲み込む。
ある程度予想していたとはいえ、それを実際に言葉にして聞くとなると思うところがあったのだろう。
「多分、すぐにまた報告が入るはずだ。それでどういったことになるか、はっきりするだろう」
僕の言葉に的場大佐は頷く。
こと飛行機や空母に関しては、山本大将や新見中将より的場大佐の方が的確な判断が出来るし、知識なんかも持っている。
今回の件、もしかしたら彼に現地の指揮を任したほうが良いのかもしれない。
僕はそう考え始めていた。




