識別と判断
目の前に広がる光。
そのまぶしさに誰もが目をつぶる。
それは老師と呼ばれる老人も変わらない。
そして、老師が目を開けた時、光の中心だったところには見た事もない形をした艦艇の姿が幾つもある。
その中でも目立つのは、二隻の艦艇で、彼の知っている重戦艦クラスの二倍近い全長だ。
老師の後ろに控えていた軍人らしき格好の男が一歩前に出る。
どうやら識別のために呼ばれていたらしい。
双眼鏡でより詳しく確認しつつ口を開く。
「比較対象物がすぐ傍にない為詳しくはわかりませんが、一番大きな二隻の全長は200は超えるでしょう。恐らくですが公国のビスマルク、フソウ連合のコンゴウクラスに匹敵する大きさと思われます」
その説明に、老師の表情がまるで玩具を与えられた子供のような嬉しそうなものになった。
それは仕方ないのかもしれない。
200メートルを超える大型艦隊をもつのは、製造技術を持つフソウ連合、フソウ連合から譲渡されたネルソン級を運用している王国、ビスマルク、シャルンホルスト級を保有する公国の三カ国のみだ。
そして、その強大な力を持つ艦艇を国としてではなく、個人保有することができるかもしれないという希望が湧けば、そうなってしまうのは当たり前と言えるだろう。
大きな戦闘艦を自由に出来るという願望は、世界が変わっても男の夢として心の奥底に眠っているのかもしれない。
ましてや、海戦で全てが決まるという事の多いこの世界ならなおさらだろう。
興奮した様子で双眼鏡を見ていた老師だったが、ふと気がついた事を双眼鏡で艦艇を見ながら聞く。
「それで、あの大きな艦艇の艦種はなんじゃ?」
召喚を行った為に疲れ切っていた男性も自分の実験の結果を見るため双眼鏡で成果を確認していたが、気になって識別を行っている男の方に視線を向けると、そこには老師のその言葉に表情が固まってしまっている識別をした男がいる。
出来れば聞いて欲しくなかった……。
その表情はそう物語っていた。
返事がない為、老人も双眼鏡から視線を外し、識別をした男の方に不審な視線を向ける。
それで我に返ったのだろう。
慌てて男が口を開いた。
「あ、あの大型のものは……、は、初めてみるタイプです。恐らくですが……」
釣られるように老人が口を開く。
「恐らくですが?」
「はぁ……。輸送艦系の船ではないかと……」
その言葉に、老人の興奮が一気に沈む。
唖然としたまま、老人が聞き返す。
「あれは、戦闘艦ではないというのか?」
「は、はい。確かに武装はしているようですが、小口径の砲が左右に展開しているものの、主砲らしきものはありません。ですから……、戦艦の類ではないと識別できます……」
歯切れは悪いものの男がそう説明すると、老人は信じられんといった表情で聞き返す。
「あの大きさだぞ。フソウ連合や王国、公国が保有する超大型戦艦に匹敵する大きさじゃぞ」
「はい。大きさは間違いなくそれらに匹敵します。しかし……武装が……。それにあの形状。恐らくですが、中に荷物や人を乗せて運ぶのが目的で作られたものではないかと推測できるのです」
その識別の男の言葉に、老人は愕然とした。
それはまさに天国から地獄へ叩き落された堕天使の気分であったに違いない。
普段はあまり大きく歪む事のない老人の表情がぐにゃりと歪み、別人のようになる。
普段の穏やかな老人ではなく、まるで全ての悪徳を身にまとった悪人のような顔つきだった。
召喚を行った責任者の男性も、識別をしていた男も無意識の内に恐怖に駆られ後ろに一歩下がる。
それは本能的なものであった。
「な、なんと言う事じゃ……」
両手で顔を覆って下を向いて打ち震える老人に、さすがに何か言わなければと思ったのだろう。
責任者の男性が恐る恐る声をかける。
「ろ、老師……。気を落とされぬように……。召喚自体は成功したのです。ですから、次回の召喚で今回問題となった部分を改善していけばよいではありませんか」
その責任者の言葉に、識別の男も慌てて口ぞえする。
「そうでございます。あの大型の船二隻が輸送艦としても、それらを護衛する中型、小型の艦艇は間違いなく戦闘艦でございます。恐らく、フソウ連合の基準で言えば小型のものは駆逐艦、中型のものは巡洋艦と言われるものです。戦艦こそありませんが、十分な戦力となりえます」
「おお。そうですな。それらの艦艇だけでも十分な戦力となりえます」
そう言われ、老人はやっと覆っていた手を離して顔を上げる。
そこにはいつもの老人の表情がある。
「ふむ……。すまんのう……。みっともないところを見せてしまったようじゃ……」
そう言った後、老人は二人に聞き返す。
「それで、どうやってコンタクトを取る?」
二人は、思わず黙り込んでしまう。
召喚前は、ここまで上手くいくかどうかわからなかったからうやむやにしたが、予想していたものとは違ったものの実際にここまで上手くいったのだ。
ならば、コンタクトを取るべきだろう。
だが、その方法はどうすべきだろうか?
沈黙が辺りを支配する。
老人はため息を吐き出すと口を開いた。
「連中の情報もないのでは、交渉にもならぬな。それに無理にコンタクトをとって敵対されてもしたらたまったものではないしのう」
「では……、今回は?」
「コンタクトは取らぬということじゃ。ただし、情報は欲しいのう。だから、監視を続ける。それで妥協するしかあるまい」
諦めきった老人の声に、悔しそうな二人の男の顔。
しかし、顔ではそんな表情をしつつも、二人は内心ほっとしていた。
連中に比べると、こちらはほとんど戦闘能力のない足の遅い輸送船と護衛の小型船のみだという事に気が付いたからだ。
それに望んでいたモノではないのだから、無理をして危険な目に遭うのも実に馬鹿馬鹿しいではないか。
その辺も踏まえて老人はそう判断したのだろう。
「しかし、そのまま放置というのも問題では?」
「なぁに、すぐ近くにイムサの航路がある。そこで連中と鉢合わせれば、イムサの連中、あの艦艇をどう思うかのう……」
その言葉に気が付いたのだろう。
二人の表情が驚いたものになり、識別を行っていた男が呟く様に言う。
「そうか、海賊か……」
「その通りじゃ……。連中の始末は、イムサやフソウ連合がやってくれる。これで少しでもフソウ連合の連中に被害を与えれれば召喚した甲斐があるというものじゃ……」
その言葉に、責任者の男性が頷きつつ聞き返す。
「それで監視の方は?船で行うのでしょうか?」
「それも行うが、巻き添えを食らっても詰まらんからな。遠距離から行うように。それと動物での監視を行えるものはおるか?」
「はい。私の部下に鳥を操る能力に長けた者がおります」
「ならば、そやつを使って離れて監視を続けよ。そして、情報をなんとしても手に入れるのじや」
「はい。わかりました」
責任者の男性の返事に、老人は満足そうに頷いた後、呟く。
「次回の課題が見えてきたのう……」
「はい。連中と有利に接触する為の方法ですね。そうですな……」
少し考え込んだ後、責任者の男性は口を開いた。
「簡単な認識の変化を与えてはどうでしょうか?」
「認識の変化……とな?」
「はい。相手の持つ強い感情の行き先の認識をずらすといった方法です」
老人が少し首をひねりつつ聞き返す。
「洗脳という事かの?」
その言葉に、責任者の男性が慌てて言う。
「いえ、そこまで大掛かりなものではございません。思考はそのままです。そうですな。簡単にいうと、認識がない我々に認識を持たせるとか……」
驚いた顔で老人が聞き返す。
「ほほう。実際にやるにはかなりの資金と時間が必要となるのじゃが、魔法では簡単に出来るのか?」
「お待ちください。出来るのはそこまで絶対的なものではございません。あくまでも知らない者に対して知っている者に対する対応をする認識を与える程度の効果しかありません。それこそ、強い感情を向ける相手だとよりやりやすくはなるでしょうが……」
そう言われ、老人は考え込む。
「認識の操作か……」
そう呟いた後、老人が聞き返す。
「それは認識の強さや感情の変化はどうも出来ないのじゃな?」
「はい。より友好的なものを敵対的にすることは叶いませんし、より憎むようにするのも難しいでしょう……」
「ならば……、似たような認識相手を結びつける事は可能かのう?」
そう聞かれ、責任者の男性は考え込む。
そして、少し迷いながらも口を開いた。
「程度によりますが、可能ではあると思います」
その言葉に、老人は満足そうに頷いた。
「そうか。わかった。まずは連中の情報を集めさせよう。次の召喚の時の為にのう……」
「はっ。すぐに……」
責任者の男はそう返事をするとすぐに退出していく。
恐らくだが、監視の為の準備を指示するのだろう。
そして識別を行った男は、老師の話が終わったと思ったのだろう。
双眼鏡を持ちつつ、簡単な艦艇のスケッチを描き始めている。
今後の為の資料にする為だろう。
大体の大きさや形状、それに特徴的な部分、それらを図や文章でスケッチブックに書き続けている。
研究熱心なことじゃ……。
横で見ながらそう思うものの、老人はもう双眼鏡で艦艇を見ようとはしなかった。
目的のものではないとわかった以上、一気に興味が冷めたのだ。
それに何かあれば、彼に聞けば良いだろう。
その様子を五分ほど見ていただろうか。
召喚された艦艇がゆっくりと動き始める。
それを見つつ老人は呟いた。
「まぁ、失敗は成功の礎と言うからのう……」
そう……。
老人は今回は召喚がうまくいった。
その結果だけで満足してしまったのだ。。
貪欲に求めていたらまた違っていたかもしれない。
しかし、求めなかった。
だから見落としてしまった。
その原因は、やっぱり情報が少なかったということがあるだろう。
それは召喚した相手の情報だけでなく、他の情報も……。
特に、アルンカス王国、フソウ連合の情報は他国経由でしか入ってこないため、その情報は極めて少なかった。
それ故に気が付かなかった。
もし、アルンカス王国でのフソウ連合海軍航空隊の飛行機の情報があれば、或いはフソウ連合の航空母艦の情報が少しでもあれば気が付いただろう。
その輸送船と思った大型艦が、戦艦以上の戦闘力を持ち、後に海戦の主力となる存在、そう、航空母艦という艦艇であるという事に……。
しかし、もう遅い。
艦隊は動き始めてしまった。
そして、のちに老人は知る。
自分が大魚を逃してしまった事を……。




