女性議員と魔女
「教国が本格的に連邦への援助を打ち切ったそうです」
執事からそう報告を受け、アリシアはふうとため息を吐き出した。
「やっと…ね」
「ええ、やっとです」
「本当に、宗教が絡むとろくな事ないわ…」
それはアリシアの本音である。
本当なら、教国の為に骨を折りたくなかったが、共和国はドクトルト教の勢力が強いのだ。
下手なことはできない以上、ある程度の協力と妥協は必要となる。
だからこそ、わざわざ『IMSA』に手を回したりして骨を折ったのだ。
そして、援助が終わるという事は、その手間も必要ないという事になる。
「うちも王国みたいに、宗教の制限をしてやろうかしら…」
思わずそんな言葉が漏れるも、すぐに執事に突っ込まれる。
「以前の時ならいざ知らず、今のところは制限する理由がございません」
すました顔でそう言われ、アリシアはふくれっ面で文句を言う。
「わかっているわよ。愚痴っただけだって。でもさ、王国は上手くやったわよねぇ。うちもあの時、膿を出しておくべきだったのよ。本当に何やってんだろうねぇ…」
「残念ながら、当時はリッキード様はそれほど強い力をお持ちではありませんでしたし、軍師の前に手が出せませんでしたからね」
その言葉に、アリシアはまたため息を吐き出した。
「本当に、あの馬鹿軍師のおかげで苦労させられるわ…。やっぱりさっさと手を回すべきだったわねぇ…」
そうは言ったものの、すぐにアリシアは思考を切り替えたのだろう。
「まぁ、過去に戻れないし、今出来る事をやっていくしかないってことかなぁ…」
そう言うとデスクにのせられている書類の束の一つを手に取った。
だが、それに目を通そうかとした時だ。
ドアがノックされ、タイミングをずらされた為だろう、アリシアはうんざりした顔になる。
「もう…なにかしら…本当に…」
呆れた声でそう呟くのと執事がドアに声をかけるのはほぼ同時であった。
「何かあったのかね?」
そう言ってドアを少しだけ開けると、廊下の方に一旦出てドアを閉める。
まぁ、大抵の事は彼が処理するでしょう。
そう判断し、アリシアは再び書類に目を通そうとした。
しかし、それはドアを開けて入ってきた執事の「申し訳ありません、お嬢様」という声で止められた。
ふう…。
深くため息を吐き出すと、アリシアは視線を書類から執事の方に向ける。
「それで…。なにかしら…」
アリシアの声に、少し申し訳なさそうな表情をするも執事ははっきりと用事を伝えた。
「アンネローゼ・アレクサンドロヴナ・ラチスールプ様がお嬢様との面会を希望されているそうです」
その言葉は確かにアリシアの耳に入ったが、思考がそれを認識するのには少し間があった。
アリシアが知っているアンネローゼ・アレクサンドロヴナ・ラチスールプなら、まさか自分に会いに来るはずがないという思いが強かった為だ。
実際、アリシアは親帝国派ではない。
どちらかというと、親王国、親フソウ連合派だと思っているし、多分、ほとんどの者がその認識だろう。
だから認識が遅れてしまったのである。
「えっと…あのアンネローゼなの?」
彼女らしからぬ聞き返しだが、それを執事は攻めなかった。
執事もある意味、信じられないと言う思いが強かった為だ。
「ええ。あのアンネローゼと言う事らしいです」
「あの…災厄の魔女の?」
「はい…。みたいですね…」
「そう…。そうよね」
それで落ち着いたのだろう。
ため息を吐き出すとアリシアはがりがりと頭をかいた。
今日はなんて日だと思いながら…。
そして口を開く。
「なら、会わなくてはなりませんね。用意をお願いします」
アリシアの言葉に、執事の顔つきが変わる。
相手は、国を傾かせることの出来る力を持つという歴代最凶最悪と言われている魔女だ。
準備なしでは会うことは出来ない。
「わかりました。すぐに用意いたします」
執事は深々と頭を下げる。
伊達にアリシアの母親の代から仕え、闇に生きてきたわけではない。
「十五分ほど、お客様には控え室でお待ちいただけるように伝えなさい」
使いのものにそう命じると執事はアリシアの方を向く。
「用意が出来次第、お呼びしますのでここでお待ちくださいませ」
「ええ。わかったわ。お願いするわね」
執事が執務室を退出すると、アリシアは手に持っていた書類の束を元にあった場所に戻す。
そして身支度を整える為に立ち上がった。
面会する部屋は、魔術に対する対策はかなりしっかりとしてあるし、執事達も準備をきちんとするだろう。
つまり、全てのお膳立ては執事達がしてくれるが、しかし実際に立ち会うのは自分自身なのだ。
第一印象が重要だから…。
そう思いつつ身なりを整えて気を沈めていく。
災厄の魔女の話は、散々聞いている。
その恐ろしさも、そして性格も…。
すーっと背中に冷や汗が流れる。
落ち着け。
落ち着け…。
鏡に映る自分を見つつ、自分自身に言い聞かせていく。
そして、ドアの向こうから声がかけられる。
「準備が整いました、お嬢様」
「ええ。わかったわ」
アリシアはそう答えると自分の太ももを軽く叩く。
ぱんっ。
いい音が響き、それにあわせて背筋がすーっと伸びたような感触になる。
さて…災厄の魔女…どういった用件か…。
聞かせてもらおうじゃないの…。
まさに今の彼女には、戦場に向かう兵士以上の決意が身体に満ち満ちていた。
アリシアが声をかけて部屋に入ると、二人の人物がソファから立ち上がって頭を下げた。
一人は二十代前半の赤毛のショートカットと少し小麦色に焼けた肌をしている少しきつめの表情の美女で、どうやらこっちがアンネローゼであろうとわかる。
雰囲気は違うものの確かに写真で見た顔だ。
しかし、もう一人は三十代ぐらいに見えるのは苦労しているためだろうか。
かなりごつい身体に傷だらけの厳つい顔の男性である。
はて?
災厄の魔女は、基本一人で行動すると聞いていたが、この男性は、護衛かなんかだろうか。
そんな事を思いつつ、アリシアは微笑を浮かべて頭を下げつつ口を開いた。
「すみません。お待たせいたしました。アリシア・エマーソンです」
そう言って二人に近づくと右手を差し出す。
アリシアの後ろに控える執事に一瞬ちらりと視線を移したものの、アンネローゼも微笑んで握手をする。
「いえいえ。急な訪問ですから、気にしておりません。それよりも忙しい中、会っていただきありがとうございます」
そう言って丁寧に頭を下げるアンネローゼ。
その言葉と対応に、アリシアは違和感を感じた。
情報との違いを感じてしまったのだ。
多分、アリシアがそう感じているのがわかったのだろう。
アンネローゼは苦笑すると続けて言葉を口にする。
「聞いていた災厄の魔女と違うとお思いになられているようですね」
「い、いえ…そんな事は…」
「大丈夫です。アリシア様が初めてではありませんよ、そんな顔をされたのは…」
そう言って隣の男性に視線を向けるアンネローゼ。
男性も苦笑し、ポンポンとやさしく背中を叩いている。
なんか二人の間に部下とか魔法で支配しているといったものはなく、互いを思いやる絆があるようにアリシアには見えた。
なんか調子狂うわね…。
アリシアはそう思いつつ、二人に座るように言って自分も向い側のソファに座る。
二人もそれにあわせて座ったものの、どう話を切り出すか迷っているのだろう。
少しばかりの沈黙が辺りを支配する。
しかし、ずっとこのままという訳にはいかない以上、仕方ないと割り切ってアリシアは意を決して口を開いた。
「それで、アンネローゼ様。私にどういったご用件でしょうか?残念ながら私は親帝国派ではありませんから貴女の力にはなれないと思いますが…」
アリシアにしてみれば、さっさと話を切り上げたいと思っていたし、アンネローゼだからこそ、アポなしでも会ったのだ。
義理は十分果たしたという認識である。
そして、もしそれで腹を立てて何かやらかしてしまえば、執事を初めとするアリシアの手の者達がアンネローゼの命を奪うだろう。
地の利はこちら側にある上に、災厄の魔女とは言え殺せない相手ではないのだから…。
そのアリシアの言い方に決心したのだろう。
アンネローゼはやっと口を開く。
「言いにくいのですが…。私達は…共和国に亡命したいのです」
その言葉に、アリシアは驚くと同時に唖然とさせられてしまった。
あの…帝国の悪名高い災厄の魔女が…共和国に……亡命?!
「えっと…それは…どういったことでしょうか?」
なんとかアリシアはそう聞き返すが、第三者から見たら実に間抜けな質問だろう。
だが、信じられないのだから聞き返したくなるというものだ。
「私は、魔女を引退し、この人と結婚して普通に暮らしたいのです。ですが、帝国ではそれが出来ません。だから、共和国に亡命したいのです」
アンネローゼの言葉に、アリシアだけではなく執事や護衛の者達でさえ言葉を失っていた。
それほどにアンネローゼと言う人物の情報を知るものにとって、ありえない言葉であり衝撃的な発言だったのである。
しーんとした沈黙の中、恐る恐るといった感じでアンネローゼが言葉を続ける。
「やはり…駄目でしょうか?」
それでやっと我に返ったりのだろう。
アリシアが慌てて聞き返す。
「なぜ、共和国でと考えられたのですか?」
「帝国では、災厄の魔女と言う二つ名は絶対過ぎる名前です。だから、死ぬまで引退なんて出来ないでしょうし、この人だって私のことで巻き添えを食うことがあります。それに、身分的なこともあるから結婚なんて出来ない可能性が高いでしょう。ですから、二つ名も身分も関係ない帝国ではない第三国で一緒になりたいと思ったのです」
その言葉に、アリシアは嘘ではないと感じていた。
それに彼女はいった『この人だって巻き添えを食らうことがある』と…。
それは、つまり、もう巻き添えを食らったことになる。
だから余計に信用できる言葉だと思ったのだ。
だから聞き返す。
「しかし、あなたの二つ名は、帝国だけはなく、第三国にも響き渡っています。だから、共和国に亡命したとしても今度は共和国に便利に使われるとは思わなかったのですか?」
「だから、私は貴女のところに伺ったのですよ、アリシア様」
アンネローゼはそう言って微笑んだ。
「それはどういう…」
「親帝国ではなく、親王国、親フソウ連合の貴女にしてみれば、もう帝国の為に私を使おうとはしないでしょう。それどころか、私を利用しようとする帝国や親帝国派から私を守ってくれるとね」
「でも、反対に私が使おうとするかもしれませんよ、あなたを…。あなたの二つ名は、その誘惑を十分満たしていますから…」
アリシアの言葉に、アンネローゼは苦笑した。
それは今までの自分の名前の影響力に呆れかえった為であったが、アリシアにはそんな事をされたら困るという風に感じられた。
だからアリシアは聞き返す。
「そう思いませんか?」
「それは困りました。ですが、私は絶対に協力いたしません。私は……『災厄の魔女』はもう死んだのですよ。それに…貴女には、私を殺すほどの力をお持ちの方ですから、だから私は貴女を選んだのです」
その決意を感じさせる言葉とアリシアが持っている裏の組織の事をアンネローゼはわかっていて言っているという事に、アリシアは満足そうに頷くと口を開いた。
「なるほどわかりました。しかし、私が貴女に協力するメリットはありますか?」
少し考えてから、アンネローゼは笑いつつ答える。
「ありますよ。災厄の魔女を倒したという名声と、私と言う魔術師を敵にしないというメリットが…」
その答えに、アリシアは一瞬固まったかのように動きを止めたが、すぐに楽しそうに笑う。
「なるほど、なるほど…。それはメリットとしてはかなり大きいですね。いいでしょう。亡命と結婚に関しては協力いたしましょう。ですが、こちらも条件があります」
「ええ。伺いましょう」
「一つ、あなたの関係者は皆死んでもらいます。もちろん、新しい名前と地位を用意させていただきます。そして二つ目は、災厄の魔女は死亡ではなく行方不明とさせてもらいます」
「なるほど、私の存在を使ってうまく立ち回るつもりですね」
アンネローゼの言葉に、アリシアは笑って答えなかったが、その態度が正解だといっているようなものである。
「それと三つ目は、少なくとも半年間は、私の手のものの監視下にいてもらうことになります。以上三点ですが、問題はありますか?」
「そうですね。問題はないようです。それで十分ですわ、アリシア様」
「それはよかった。それで、もし監視から解放された時、貴女はどうするのですか?」
アリシアの言葉に、アンネローゼは微笑んで隣の男性を見た。
「そうですね。彼と一緒に運輸会社でも立ち上げようかしら…」
「そうですか。なら、その時は連絡をいただけますか?」
アリシアはそう言うと手を差し出す。
「ええ。もちろんです。その際は、ぜひご贔屓を…」
アンネローゼはそう言って手を握り返した。
こうして、アンネローゼと言う災厄の魔女は、帝国が混乱する中、姿をくらます手はずを進めているのであった。




