長官の最後
時は遡り…。
六月六日…。
あの宣言から五日後。
帝国には、嵐が吹き荒れていた。
それも反乱という嵐が…。
「エリク長官、大変です」
通信兵から渡された連絡文の書かれた紙を見て副官が青い顔で報告してくる。
各地で反乱が起こり、国民義勇軍によって各地の親衛隊が惨敗している報告に頭を悩ませているのに、これ以上の大変な事などあってたまるか。
そう思いつつもエリク長官は疲れきった顔で聞く。
「どうした?何があった?」
「敵が…賊軍が帝都に向かって来ております」
すーっとエリク長官の顔色が青から白に変わった。
まさに血の気がないといったらいいだろうか。
「ぼ、防衛隊はっ…、帝都防衛隊はどうしている?確か…三万以上の戦力があったはずだ」
その言葉に、副官は信じられないといった顔で答える。
「ほとんどの部隊が戦線離脱か敵に降伏し、抵抗しているのはほんの一部だけだそうです」
エリク長官は、その言葉をただ呆然として聞いていた。
怒りや悲しみなどは湧かなかった。
ただ、ただ信じられないといった感情のみが支配していたのだ。
それは仕方ないのかもしれない。
帝都防衛隊。
それは親衛隊でもエリート中のエリート部隊であり、装備も最新式のものを優先的に装備している。
まさに親衛隊の中でも最強の部隊であった。
それが…ろくに戦わずに瓦解するとは…。
これで帝都はもう丸裸と変わらない。
だからエリク長官は慌てて言う。
「な、ならばっ、アデリナのいるモッドーラに逃げるぞ」
しかし、副官は首を横に振った。
「残念ながら、帝都の各地方へ向かう街道やモッドーラに向かう街道だけでなくモッドーラに送る物資の補給基地も賊軍がすでに押さえているようです」
それはある意味、モッドーラへ向っても助からないという事を示している。
燃料や物資がなければ、艦艇などただの鉄くずでしかないのだから。
それに今の親衛隊の総崩れを考えれば、モッドーラだってろくな戦力は残ってはおるまい。
エリク長官はそう判断し、その場で崩れるように力なく床に座り込んだ。
「な、なぜだっ…。やっと…やっと…私の時代が来ようとしていたのに…」
その表情は、笑っているかのようだった。
そして目からは留めなく涙が溢れている。
その姿は哀れであった。
全てを握りかけていた男が全てを失ったという現実に打ちのめされてしまっている。
積み上げてきたものがガラガラと崩れ落ちる。
それを心底実感しているのだ。
そして彼は諦めた。
全てを…。
しかし、副官は違った。
彼はまだ諦めていなかった。
それを考えれば、エリク長官よりも副官の方が精神的に強いのかもしれない。
いや、或いは権力欲が強いのかもしれないが…。
だが、それでも、今の彼らにとって、それは大切な原動力だった。
「長官。まだです」
副官は長官の肩を持つと激しく揺すった。
「まだ諦める時ではありません。報告では、西部地区は比較的落ち着いているとのことです。それにあそこには、プルシェンコ殿がおられるではありませんか」
プルシェンコという言葉に、活気と光を失いつつあったエリク長官の目に活気と光が戻る。
「そ、そうだ。プルシェンコがいる。それに、あやつが率いてる親衛隊第七旅団、第五旅団があったな…」
「そうです。総勢六万の戦力がありますし、西部地区は人口も多く、工業地区です。ですからまだ戦えます。終わりではありません」
真っ白だったエリク長官の顔に段々と赤みが差してくる。
「そ、そうだな。まだ盛り返せるな」
「はい、その通りです」
しかし、エリク長官が厳しい顔つきに変わる。
「しかしだ、どうやって西部地区に撤退するのだ?ほとんどの街道は押さえられているのだろう?」
その言葉に、副官は考え込む。
そして何か名案が浮かんだのだろう。
手をパンと叩いた。
「こういうのはどうでしょうか?」
その提案にエリク長官は驚いたものの、すぐに納得したかのように頷いた。
「うむ。その手でいこう。手配は任せたぞ」
「はっ。お任せください」
副官はそう言うと敬礼し、準備に取り掛かるために長官室を退出したのだった。
長く続く難民の列。
彼らは帝都から逃げ出した人々だ。
もちろん、街道には国民義勇軍はいたし、検査も受けた。
しかし、運が良かったのだろう。
彼らを検査した国民義勇軍第三軍団は比較的まともだった。
軍団長であるドミートリー・イヴァーノヴィチ中将が民衆に対しては寛大な処置を取るようにという指示を出していたためであった。
それ故に検査はたいしたものではなく、形式だけであり、荷物を調べたりもろくにされなかった。
その為、彼らはほとんどの荷物を失わずに先に進めている。
そして、その中にエリク長官と副官はいた。
もちろん、軍服ではなく市民の服を着てだ。
バッグにあるのは服と現金のみであり、軍人とばれそうなものは全て処分した。
そのおかげで、今彼らは国民義勇軍の包囲網から無事脱出出来たのである。
「上手くいきましたね…」
副官が隣を歩くエリク長官に囁く。
「ああ。止められた時はヒヤッとしたがな…」
ほっとした表情でエリク長官が囁き返す。
彼らにしてもここまで上手くいくとは思わなかったのだ。
「それで、これからどうするのだ?」
エリク長官のその問いに、副官はニタリと笑う。
「確かこの近くに小さな漁村があります。そこで船を借りて西部に向いましょう」
「ツテはあるのか?」
「そこに親戚がいまして、やつを頼ってみようかと思います」
「うむ。上手くいったらそやつに望みの褒美を渡そう」
そんなことを話しつつ同じように村に向かう一部の難民にまぎれて進んでいると、それを止める連中がいた。
軍服から親衛隊の一団のようであった。
「長官、どうやら味方のようです」
副官がほっとしたような表情で囁き、エリク長官の顔からも緊張が解ける。
これで助かった。
二人はそう思ったのだ。
しかし、それはあまりにも早計であった。
一段の隊長らしき男が、難民達の前に立ちニヤニヤと嫌らしそうな笑みを浮かべて口を開く。
「さて、国民の諸君。君らの知っている通り、今、我が祖国は国難に見舞われている。それはとても心苦しく、我々としてもこれを何とかしたいと思っている。そこでだ…」
そこで一旦言葉を切ると難民達を見回した。
そして、言葉を続ける。
「君達に協力をお願いしたい」
その言葉に、難民がそれぞれ声を上げた。
「何を協力するというんだ?俺達は見ての通り、ただの難民だ。逃げてきたんだ。このまま通してくれ」
「そうだ。そうだ。私達には何もない。それをどうしろというんだ?」
「もう嫌なんだ。戦うのはっ」
「俺達はただ安心して暮らしたいだけなんだ」
悲痛なまでの難民達の叫び。
それを神妙な表情で聞いていた隊長らしき男だったが、すぐに表情は豹変する。
狂気へと…。
それはそう表現するしか出来ない表情だった。
そして淡々と言葉を吐き出す。
「皆さんもいう事もわかります。ですが、国難の前には些細な事です。よって我々に協力して貰わないといけません」
「しかしっ。そんな…」
反論を言いかけた手前の難民の頭が吹き飛んで、言葉は途中で途切れた。
「なにか言いましたかな?」
ニヤリと笑いつつそういう隊長らしき男の手には、まだ硝煙が立ち上る拳銃があった。
しーんとした間が一瞬あったかと思うと、それはあっという間に恐怖となって流行り病のように一気に難民の間に広がった。
混乱が辺りを支配する。
悲鳴を上げて難民達が蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出す。
自分の命を守る為に…。
恐怖から逃げ出す為に…。
副官もエリク長官も恐怖に駆られ逃げ出していた。
一瞬だけ、親衛隊なら我々の身分をはっきりさせたら助かるとも思ったが、その身分を示すものは何一つ持っていない。
すべて帝都に置いてきてしまった。
それに、あの狂気に満ちた表情を見せられてしまえば、話が通じない相手だと本能的にわかってしまった。
だから逃げ出すしか手がなかった。
銃声と笑い声、それに難民の悲鳴が当たりに響く。
血を流し、身体の一部を吹き飛ばされて、難民達が次々と倒れていく。
その倒れた人々を生きている難民を殺す為に、まるで子供が玩具に対して行うかのように親衛隊の兵隊達が踏みつけ、蹴り飛ばし、逃げていく難民を追いかける。
追いかける兵士達は皆笑っている。
隊長らしき男と同じように…。
ただ、ただ狂気のみに支配されて…。
そして、エリク長官は身体に幾つもの衝撃と熱、それに激しい痛みを感じてその場に倒れ込む。
激しい痛みが思考を真っ白にして、どくどくと赤いモノが体を濡らして熱を奪っていく。
ぞくりという寒気が背筋を走り、身体が自分のものではないように重くて動かない。
いやだ…。
本能的に死を感じたのだろう。
死にたくないという感情が沸きあがる。
まだだ…。
まだ、成し遂げていない…。
私は…この国を…支配するのだ…。
私の夢が…。
いやだ…。
い…や…だ…。
こんなところで…死ヌのハ…。
死ニタクなイ……。
しかし、その思考も段々と薄れていく。
痛みさえも感じなくなっていく身体と思考が全てを物語っている。
六月六日…。
親衛隊長官エリク・ヴォロティンスキーは、泥だらけの道で人知れぬ難民に紛れて親衛隊の兵によってその命を失った。
帝国を我が物とし、いつしかは皇帝になりたいという野望さえ持っていた一人の野心家のあっけない最後であった。




