それぞれへの届け物…
六月三日、ノンナ・エザヴェータ大佐に少し厚めの書簡が届いた。
差出人は、貴女の友人とだけ書いてある。
なんか見たことのある字体だな…。
そんな事を思いつつ、ノンナは左手首に魔道具である腕輪、右の小指に指輪をしている事を確認すると書簡を手に取った。
どうやら魔術や呪いの類は感じられないみたいね。
左手首の魔道具が反応を示さない事からそう判断すると、今度は書簡の上から右手をかざす。
指輪の反応もない。
それはつまり、毒物が仕込まれているおそれはないと言うことだ。
もっとも、こういった相手がわからない書簡の場合、事前に部下がチェックするのが常だが、ノンナの場合は、裏の組織や秘密理に動いている連中からメッセージや暗号が届くときがある。
だから、事前のチェック等はスルーするように指示してあるのだ。
それ故に、情報漏えいもなくそういった連中と連絡を取り合う事が可能となっている。
もっとも、暗号化されてではあるが…。
しかし、胡散臭いわね。
書簡の差出人のところを見てため息を吐き出す。
東部地区のあの宣言から帝国領内は混乱している為、恐らく東部地区の宣言により裏で動いている連中からだろうが、ここまであからさまに怪しい差出人の名前はセンスを疑うレベルだ。
ほんと、誰なのかしら…。
大体、秘密理に連絡をくれる連中は、いくつか名前を使い分けるが、大体きまった偽名を使ってくるからすぐに誰だかわかる。
それをしなかったという事はよほどの事なのだろうか。
そんな事を思いつつ、ペーパーナイフで書簡の封を切った。
気をつけつつ、中の手紙を取り出す。
ざっと五~六枚といったところだろうか。
びっしりと字が書かれてあり、読むのに骨が折れそうな予感がビシバシしてくる。
でも、それも少し懐かしい感じがするのは気のせいだろうか。
しかし、読み始めてすぐにそんな感覚になった理由がわかった。
差出人が誰だかわかったのだ。
書簡の差出人、それは裏で連絡を取り合っている連中ではなく、元上司であり、今や敵の艦隊司令となっているアデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチであった。
お決まり的な言葉で始まった手紙だったが、そこには昔の二人の出来事を懐かしく思う彼女の感想や自分の元を離れてしまったノンナへの怒り、そして、実際一人で艦隊指揮をしてみて、今までいかにノンナに頼り切っていたのかがよくわかったということが書き綴られていた。
そして、私にとっての真の友人は貴女だけであり、もう裏切られた怒りよりも私の不甲斐なさでたった一人の友人を絶望させて失った情けなさを感じてしまっていることなども書かれている。
それはノンナに対しての熱い思いと謝罪の手紙であった。
例えていうなら、恋焦がれてしまい、熱い思いを込めた恋文といったところだろうか。
そして最後に、「私には貴女が必要なの。だから戻って来て…」という熱い思いで締めくくられていた。
その手紙をノンナは何度も何度も目を通すとため息を吐き出した。
「相変わらずですか。自分の都合の事ばかり書き連ねて私の気持ちなど微塵も考えてくれていません。本当に、駄目な人ですね」
呆れた表情でそう呟く様に言うと手紙を丁寧に封筒に戻す。
そして少し迷った後、ノンナは大切なものを入れている鍵つきの棚にしまい込んだのだった。
六月三日の午後三時。
相変わらずの蒸し暑さを避けるかのように木の木陰にテーブルと椅子を運び、マムアンことアルンカス王国の唯一の王族であるチャッマニー・ルロセット・セナーピムックは午後のお茶を楽しんでいた。
そして、その向かい側には、アルンカス王国のシンプルな民族衣装を身につけたキーチこと木下喜一大尉が座っている。
まぁ、二人きりという事で堅苦しい雰囲気はなく、しかし街で会うよりは少し緊張しているといった感じてはあったが、それでも楽しんでいるのが雰囲気でわかる。
最初は、以前のように城を抜け出して二人でデートをしたいと要望されたものの、さすがに毎日は駄目ですとバチャラに釘を刺され、なら我々の目の届くところでという妥協案から午後三時に二人でお茶会をする事が毎日の日課になりつつあった。
なおこの時間帯だけは、二人は互いの事をキーチ、マムアンと呼び合う。
それはつまり、二人にとってこの時間帯はとても大切なものだという事なのだろう。
そんな中、五分ほど前に呼ばれて席を外していたプリチャが小さな包みも持ってくる。
「姫様、フソウ連合から荷物が届いております」
フソウ連合と言われ、マムアンは首を少し傾げる。
キーチの方もフソウ連合からということで興味があるのだろう。
じっと様子を見ている。
「えっと…誰からかしら?」
「差出人は…フソウ連合のナベシマ様となっております」
「ナベシマ様…ナベサマ様…。どなただったかしら?」
その言葉にキーチは噴出しそうになって慌てて突っ込んだ。
「何言ってるのっ。海軍の最高司令長官で外交部の最高責任者だよっ。君も会ったじゃないかっ、マムアンっ」
その言葉に、マムアンは少し考え込む。
どうやら思い出そうと記憶を確認しているらしい。
そして思い出したのだろう。
「ああ、思い出したっ。あの影の薄そうな人だね」
キーチのことに便宜を図ってくれた相手なのに実に酷い言われようである。
もっとも、鍋島長官の第一印象は、皆似たような感想を持つようだが…。
「おいおい。勘弁してくれ。長官のおかげで私はここにいるんだぞ。感謝しなきゃ駄目だろう…」
キーチがあきれ返ってそう言うと、てへっという感じでマムアンは舌を出した。
「ごめんなさい。今度は忘れないわ。えーっとナベシマ、ナベシア、ナベスア…」
「おいおい、段々違う名前になってるぞ」
「だってぇ、フソウ連合の人の名前、言いにくいんだもの…」
マムアンがそう言うものの、プリチャはすました顔で口を開いた。
「姫様は、昔から人の名前を覚えるのが下手なんですよねぇ…。私も最初は、プリリンとか、プンチャとか呼ばれておりました」
その言葉に、キーチはますます呆れかえった顔をする。
「あーっ、プリチャ、それ言っちゃ駄目っ」
慌てて手をばたばたして抗議するものの、間に合わない…。
しかし、プリチャはそのまま言葉を続ける。
「ですが、今ではすっかり名前も覚えていただきました。どうやら、大切な人ほど名前を覚えるのが早くなるみたいですね…」
そう言われて、キーチは思いついた事を口にする。
「じゃあ、私の名前は?」
「……キーチ」
「それじゃない。きちんとした名前…」
「キノシター」
「そこは伸ばさない。そんで名前は?」
「キーチ」
うーーん…。
キイチなんだけどな…。
少し悩んだ後、キーチはマムアンの頭を撫でつつ言う。
「まぁ、いいとしますかね」
「何、それ?」
マムアンは非難めいた視線をキーチに向ける。
本人は、きちんと発音したと思っているらしい。
しかし、言っても無駄と思ったのか、それとも荷物の方に気が向いたのか、手渡された荷物に視線を向けると開けようとした。
「お待ちください。問題ないとは思いますが、私が開きます」
プリチャが慌てて横から荷物を取り上げると開き始める。
「あーんっ、また取られた…」
拗ねるマムアンにキーチは苦笑する。
念には念をという事だから…と慰めながら。
そしてあけた荷物からで出来たのは、一冊の本と手紙であった。
本のタイトルはアルンカス王国で使われている文字で『南の国で…(仮タイトル)』と書かれてあり、著者名は『杵島マリ』となっている。
三人で顔を見合わせ、マムアンがまずは手紙を目を通す。
少し難しそうな顔でそれを読んでいたマムアンだったが、すぐに笑顔となった。
「すごいっ、すごいっ」を連発している。
そして、手紙をテーブルに置くと本に手を伸ばして言った。
「フソウ連合の方で、キーチと私のことを映画にしたいって。その映画の脚本を送るから映画作製とこっちでの撮影の許可をお願いしたいですって」
その言葉に、キーチは驚くと同時に焦ったような顔になる。
「嘘だろう?!」
そう呟く様に言って手紙を覗き込む。
そして目を通すとため息を吐き出した。
「本当だ…」
暑い事もあるだろうが、キーチの額にはだらだらと汗が浮かんでは流れる。
そんなキーチとは別に女性二人はかなり盛り上がっていた。
「ようございましたわね、姫様」
「うんっ。完成したら、こっちでも上映してくれないかしら…」
「それは問題ないかと…。確か今月末ぐらいにフソウ連合の出資でこちらの首都でも映画館が出来ると聞いております」
「それ本当?!やったーっ。絶対に見に行かなきゃいけないわね」
「そうですが、まずは脚本を読んでみて許可をしないと…」
「そうだったわね。今夜読んでみるわ。それとバチャラにも話を通さないと…」
「わかりました。それとなく伝えておきます」
「うん。お願いね」
脚本を抱きしめるかのようにぎゅっと胸に押し付けるとマムアンは空を見上げる。
「ふふふっ。楽しみだなぁ…。早く見たいなぁ…」
その願いは、二ヵ月後に叶う事となるのである。
「思った以上に反響がありましたね」
イヴァン・ラッドント・クラーキンは背中の方にある自分のデスクの上に折り重なっておかれている書簡の束を見てニヤニヤを押さえる事が出来ないでいた。
「そのようだ。私もこれで少し肩の荷が下りたように感じるよ」
そう言って笑ったのは東部地区の代表となって今まで矢面に曝されていたアレクセイ・ユーリエヴィチ・ハントルンだ。
彼にしてみれば、のんびりとしがらみのない生活を楽しむつもりであったが、放棄したとは言え皇帝の血筋である彼は気がつくと東部地区の代表に祭り上げられていた。
もううんざりだ…。
今の彼の心境は、そんな感じだろう。
「帝国内だけではありませんぞ、海外からも多くの同志が連絡を送ってきております。この勢いがあれば、我々はもう恐れるものは何もありませんよ」
その言葉に、アレクセイは苦笑して答える。
「そうだな。全ては君に一任するよ。がんばってくれたまえ」
「はっ。ありがとうございます」
その返事には、強い意思と熱意があった。
自分にはもうないものだ。
アレクセイはまぶしそうにイヴァンを見る。
やはり私の判断は間違っていなかったようだ。
今からは彼が引っ張っていってくれる。
それは予感ではなく、確信だった。
「では、これで安心して私は休めるよ。では…」
そう言って立ち上がるアレクセイ。
イヴァンも立ち上がり、アレクセイの手を握る。
「本当に感謝しております」
「何、気にしなくていい。私は、私でこれで安心して引退できる。もう政治はごめんだよ…」
そう言って笑って手を握り返すとアレクセイは退出していった。
恐らく、自分の家に戻るのだろう。
実際、『ソルシャーム社会主義共和国連邦本部』となったこの建物に、アレクセイの部屋はない。
彼は、後継者を示した後は、引退する事を公言していたからだ。
だが、多くのものが引き止めた。
それはアレクセイがこの東部地区を引っ張ってきたという人徳であり、本人はないと思っていたがリーダーシップによるものである。
だが、それを本人は拒否し、引退する。
その軽くなった後姿を見送った後、イヴァンの笑顔が険しいものに変化した。
「もう…駄目だな。あの人は…。それにまた担ぎ出されても困る…」
そう呟くとデスクにおいてあるチャイムを鳴らした。
するとすぐに隣の部屋で待機していた秘書官が現れる。
長い間、苦労を共にした親友と言ってもいいほどの信頼関係を持つ秘書官だ。
少し小太りで、頭が腫れ上がっているのが見苦しい部分ではあるが…。
その秘書官が口を開く。
「どうなさいましたか?」
「ふむ。この手紙を同志プリチャフルニアに渡すのだ。秘密理にな」
そう言って懐から一通の書簡を取り出すと、秘書官に手渡す。
「了解しました」
秘書官は恭しく書簡を受け取って頭を下げると自分の部屋へと戻っていった。
イヴァンは、秘書官が退出した後、デスクの書簡の束にちらりと視線を送った後、窓の側まで歩く。
窓の下では、今ちょうどアレクセイが自宅に戻る為に車に乗り込む様子が目に入った。
「精々引退生活を楽しむといい…」
呟く様にそう言うと、イヴァンはニタリと右側の口角を吊り上げたのだった。
そして、一週間後、ソルシャーム社会主義共和国連邦内に悲報が届く。
長いこと東部地区の長として働いていたアレクセイ・ユーリエヴィチ・ハントルンが亡くなったのだ。
その死因は、海での溺死であった。
恐らく釣りにでも行ったときに落ちて溺れたのだろうという事になったが、しかし彼の事をよく知っている者は首をかしげた。
彼は、魚料理が大嫌いで、釣りなど行った事は今まで一度もないはずなのだが…と。




