宣言
アレクセイ・ユーリエヴィチ・ハントルンは後悔していた。
政治に関わりたくなくて王位継承権を放棄し、中央から身を引いたはずなのに、今や東部地区の長として、中央政府や親衛隊と事を構えてしまっている。
兵力にしても、親衛隊が中心の中央政府や北部地区を拠点とする海軍に比べると圧倒的に少なく、武器や装備の備蓄にしても心もとないのが現状だ。
頼みの綱であった教国の艦隊と兵力は、親衛隊の、それもあの黄金の姫騎士の率いる艦隊に破れ、兵力の増援は手詰まりとなっている。
ただ、そんな中でも事前の準備と国民義勇軍の士気の高さに助けられてなんとか親衛隊の侵攻を押し留めている事と、物資の(特に武器の)補給が教国から行われているのが救いとなっている。
しかし、この状態がこのままずるずると長引けばジリ貧になるのはこちら側だ。
穀物地帯である東部地区は食料は困らないものの、それ以外の物資が極端に少ない。
毎日、湯水のように弾薬と砲弾を使っている以上、いつかは教国からの援助だけでは補給が追いつかずに底をつく可能性が高い。
何か手はないのか…。
そんな事を思っていると彼の部下の一人が提案をしてきた。
「我々だけで戦うから無理が生じるのです。ここは、この国全ての国民に問いかければいいのではないでしょうか?」
「しかし、それで事態が大きく変わるとは思えん…」
アレクセイが疲れきった顔でそう言うと、その男は大きく首を横に振った。
その顔には揺るがない自信があった。
その強い視線にアレクセイは圧倒されてしまう。
「何を言うのですか。我々が立ち上がったのは、政府の無理な要求に耐えられなくなったからであり、これは国民の為の聖戦なのです。ですから、問いかければ答えるものは出てきます」
「そうだろうか?」
「ええ。きっとです。現に、鉄道網の破壊工作はうまくいったではありませんか」
「しかし、あれは、こちらの手の者が事前に用意していたからであり…」
「調べたところ、鉄道網の破壊工作は我々が用意していた箇所だけではなく、かなりいろんなところで実行されたようです。つまり…」
男は、そこで一旦言葉を切るとニタリと笑った。
「あらゆるところに我々の同志はいるという事です。確かに表立って動いてはいないでしょうが、それは間違いございません」
その言葉に、アレクセイは部下のいう事を実施する事にした。
しかし、そこで問題が生じる。
アレクセイは王位継承権を捨てたといっても皇帝の一族なのだ。
彼が問うても反応はどうだろうか。
どうせ、また後継者争いに違いない。
そんな風に思われてしまってはどうしようもない。
また、今の政治体制を大きく変える必要性もあった。
一応、東部地区は議会制ではあったが、議員として参加するのは豊かな商人や都市の長であり、国民の代表者ではない。
あくまでも、帝国とは違うというところを見せる必要性から、議員は国民によって選ばれた代表がならなければならない。
その部分を強調し、国民の為の国民による国として、国民の権利と安全を第一にした国としなければならなかった。
そこで、アレクセイは、今回の国民の問いかけを含めた全ての事を発案者のこの男に任せることとした。
彼が事前に用意した案が素晴らしかったからだ。
「実に素晴らしい。これならば、効果も期待できよう…」
アレクセイは、やっとほっとしたような表情になった。
彼にとって、東部地区という一地区だけでも責任は重くのしかかり、心身ともに苦痛でしかなかったのだ。
そんな責任の重さが嫌で逃げてきたはずなのに、結局、またか…。
そんな思いが強かったが、彼は生真面目すぎた。
頼られれば拒否できなかったのだ。
それ故に、気がつけば、東部地区代表となって中央政府と戦う立場になってしまっている。
だが、それからやっと逃げ出せる。
その思いが表れたのである。
こうして、東部地区は、戦線の膠着状態という時間の間に大きく変化していく。
そして、五月三十日、東部地区はついに宣言する。
「我々、東部地区はこれより帝国より離脱して独立する。我々は、国民による国民の為の国として生まれ変わる。全ての国民は皆平等に豊かにならなければならない。一部のものだけが富み、他のものが虐げられる今の帝国は、国民の為の国ではない。我々国民は、皇帝のために生きているのではない。我々は、我々の為に生きているのだ。だからこそ、今の帝国の政治を打破し、新しい秩序を作らなければならない。今、我々は戦っている。争っている。しかし我々は敵ではない。敵は我々国民を牛耳る一部の特権階級と貴族、そして皇帝である。我々は彼らに踊らされているだけなのだ。良心が残っているものよ。全ての虐げられた国民達よ。今こそ立ち上がるのだ。我々国民による国民の為の国を作る為に…。そして我々の考えを受け入れるものたちを我々は喜んで受け入れよう。手を取り合い、生きていこうではないか!!そして、より進んでいこうではないか!!そして、最後になるが、ここに宣言する。我々はここに、『ソルシャーム社会主義共和国連邦』の成立を!!」
この演説は、あらゆる媒体で帝国国内だけでなく世界中に流された。
そして、この演説を行った男の名前を皆知る事となる。
男の名は、イヴァン・ラッドント・クラーキン。
貧乏な農家の出ながら苦労を重ねてアレクセイの部下となり、のちに一党独裁制を敷き、独裁者としてこの地に名を残す事になる人物である。
この宣言は、帝国内に混乱を引き起こしていた。
比較的安定している帝国海軍が支配している北部地区でさえ、多くの国民の動揺と東部に向かう為に離反する者が出始めたのである。
その動きに慌てた海軍は、その鎮圧の為に力ではなく、言葉で説得して回らなければならなかった。
だが、それ以上に悲惨なのは親衛隊が把握する中央や南部、西部である。
大混乱が発生し、それに対して親衛隊は言葉ではなく力で鎮めようとした。
その結果、表面上は一旦収まったかのよう見えたが、人々の心の底では憎悪がより激しさを増す結果となってしまったのである。
また、その時は収まったかのように見えたものが、後日、時間を置いて表れ始める。
住民が減っていったのだ。
二割、三割ならまだいい。
酷いところになると、町や村の住人がごっそりといなくなってしまった所さえあったのである。
彼らはどこに行ったのか。
もちろん、平等に豊かになれる東部地区『ソルシャーム社会主義共和国連邦』へだ。
ただ、それでも東部地区に繋がる唯一の道は、戦いの激戦地と化しているのは誰もが知っている。
だから、南の海周りで東部に移ろうとするものが後を絶たなかった。
ボロボロのボートや漁船、筏などを使って向かうのだから、下手すると死んでしまう恐れすらあった。
しかし、疲れきった国民達にとっては、あの宣言は劇薬であった。
また、それにあわせるかのように、親衛隊や中央政府に対して破壊工作やデモ、ストなどが頻繁に行われ、国力を大きく低下させた。
それだけではない。
国民だけでなく、親衛隊の中にも、命令に従わない連中が現れ始めたのだ。
特に、最近になって親衛隊に入った者たちだ。
彼らは、仕事がなく、生きていくために仕方なく親衛隊に入った貧困層のものが多かった。
彼らにとって仕方なくやっている。
それだけだ。
だからこそ、不満が一気に噴出したのだろう。
任務放棄だけでなく、物資の横流しや一部のものは秘密理に独立を宣言した東部地区のために破壊工作を行うものさえ出始めたのである。
こうして、イヴァンの宣言は、彼の予想以上の効果を帝国にもたらした。
まさに、たった一人の男の演説が国を大きく揺るがす事態を引き起こしたのである。
もっとも、それは、今まで溜まってきたものがその言葉を引き金に噴出してしまったということであったが、イヴァンはそう思わなかった。
自分には力がある。
そう、判断してしまったのだ。
そして、より自信を深めていく。
自分は選ばれたのだと…。




