魔女の帰還 その1
西部地域にある商業港インチョーブル。
ここは帝国の商業港としては二番目の規模を誇る巨大な港である。
もっとも、今や植民地を失い、海外との貿易も滞り始めている帝国にとってはその大きさは少し持て余すほどになってしまっているが、それでも船がいないわけではない。
港の半分近くは船が停泊しているが、不思議な事に貨物を下ろす船はあるものの、積み込むような動きを見せている船はない。
なぜなら、港に出入港している船のほとんどが密輸船ばかりのためだ。
だから荷物を下ろすだけとなってしまう。
なお、本当なら厳しく取り締まられるはずの密輸船ではあるが、すでに法が形骸化している帝国では袖の下を少し渡すだけで見逃してくれるため、今や堂々としたものだ。
そんな密輸船の一隻、雑草号も昨日からこの港に停泊している。
雑草号の本拠地としている港は東部地区のチッカム港ではあるが、東部地区よりも首都に近い西部地区の方が高く売れる為、こっちの取引先に貨物を売りに来ているのだ。
そして、荷を倉庫に降ろし、補給を済ませると二日後には出航する予定となっていた。
雑草号の甲板に出る出入口の戸が開き、一人の女性が出てくる。
赤毛のショートカットの髪に少しきつめの感じはするものの整えられた顔、少し焼けた肌にだぶだぶの服の上からでもわかる極上のプロポーション。
まさに絶世の美女と行ってもおかしくないだろう。
そんな美女がなにやら重そうな木箱を抱えているのだが、その動きが実に危なっかしい。
あっちにふらふら、こっちにふらふらといった感じで、その荷物の重さに振り回されている感じだ。
そんな女性に気がついたのだろう。
船員二人が慌てて駆け寄ってくる。
「姉御っ。荷物なら俺等が運びますから」
「そうですぜ、あねさんっ。まだ病み上がりだって聞いてますから、無理しないでくだせぇ」
二人はそれぞれそう言うと女性から木箱をひったくるかのように受け取る。
「あ、ありがとう…。すごく助かるわ」
女はそう言って微笑む。
元々気の強そうな感じのする顔が、嬉しそうに優しく微笑む様は、男心をドキリとさせるに十分な破壊力があった。
「お、おうっ。任せてくだせぇ。で、これはどこに運べばいいんですかい?」
「あ、それ、売り物の小物よ。だから、売り物と一緒に倉庫の方に持って行ってくれるかしら?」
「了解しました。後は運んでおきますんで、あねさんは休んでいてくだせぇ」
「じゃあお願いね」
そう言って微笑んだ後、手を振って船の中に戻っていく。
その後姿を見送り、片方の船員が呟く様に口を開いた。
「相変わらず見るたびに思うんだがよ…。すげぇ…美人だよなぁ…」
「ああ。すげぇ美人だ。前の白い肌でいかにも都会の女って感じもいいけどよ、今の少し焼けた褐色の肌もいいじゃねぇか…」
「そうそう。しかしよぉ…、うちの船長もいい女捕まえたよなぁ…」
「本当に羨ましい限りだよなぁ…。でもよ、なんかあねさんが船長の横にいても嫉妬とか考えられないんだよなぁ」
「そうよ、なんか二人さ、実にいい笑顔なんだよ。互いにさ、互いの事をさ…えっと…、なんていったらいいかなぁ…」
「お互いに傍にいるのが当たり前って感じか?」
「そうそう。それだ。それ…。二人とも自然なんだよなぁ…。あんなん見せられたら、嫉妬もわかねぇって」
「確かにな…。ただ、羨ましいとは思うがな」
「ちげぇねぇ。俺らにもあんな美人でなくていいからよ、自然にいられる奥さん欲しいよなぁ…」
「欲しいなぁ…」
二人の船員は、そこまで話した後、互いの顔を見合ってため息を吐き出すと苦笑して言われた倉庫に木箱を運ぶ。
そんな二人が船から陸地に降り立った時だった。
「ちょっといいかね?」
目つきの鋭そうな男が二人を呼び止めて聞いてくる。
「なんすっか?」
その男を胡散臭そうに睨みつつ、船員の一人が腰に手をやる。
腰のベルトには、大き目のナイフが挿してあり、何かあればすぐにでも抜ける体勢だ。
その動きに、男は両手を出し、悪意のない事を示すジェスチャーをする。
「待ってくれ。別に変な事をするつもりもない。ただ…」
「ただ…なんだ?」
そう聞く間に、もう一人の荷物を持っていた船員が荷物を降ろしてじりじりと男の後ろ側に回ろうとする。
それに気がついたのだろう。
男は、慌てたように言葉を続けた。
「本当に、何もしない。ただ聞きたかっただけなんだ」
「だから何をだよ?」
「あの女性の事だよ」
そう言われ、船員達しちらりと船の方に視線を送る。
しかし、すぐに男に視線を戻すと聞き返した。
「何で知りたいんだ?いい女だからって狙ってんじゃねぇだろうな…」
「違う違う。私は、彼女の知り合いから彼女を探して欲しいと依頼されたものなんだ。だから確認の為に彼女の事を聞きたかったんだよ」
そう言って、男は「証拠を出すから…」と断った後、懐から一枚の写真を出した。
そして写真を船員に見せる。
その写真は、雰囲気は少々違うものの間違いなくあの女性のものだった。
「彼女の唯一の肉親である祖父からの依頼でね…」
写真を回収すると、男は船員に女性に対して伝言を伝えてくれるように言う。
「謝礼はするよ」
そう言って金貨を数枚手渡しながら…。
「そ、そうか…。身内の人か…」
「だが、行くかどうかは、あねさんが決める事だ。俺らは伝言しかしねぇからな…」
「それで構わんよ」
「じゃあよ、なんて伝えればいいんだ?」
「彼女にこう伝えてくれ。『グリゴリー様がお待ちだ』と…」
船員二人は互いに顔を見合わせたが、何のことかわからず、首をひねる。
「それを伝えればいいんだな?」
「ああ。頼む」
それだけ言うと、男はさっさと立ち去って行った。
その日の夕方。
ざっと二十人は座れる席がある雑草号の食堂には、船長と女性、それに見張りと機関点検中の者以外の船員八人の姿があった。
「いやはや、あいかわらずうめぇなぁ、あねさんの料理は…」
「ほんとほんと…」
「しかし、こんな美味いメシばかり食べてたら、前の食事に戻れなくなりそうだわい」
「そりゃ困ったな…」
「でもよ、あねさん、このままうちにいてくれそうじゃねぇか」
一人の船員がそう言うと、食事する手を止めてちらりと視線を斜め前に向ける。
それに釣られるように他の船員達も手を止めると同じ方向を視線を向けた。
そこには、笑いながら楽しく食事をしつつ船長の横に座って甲斐甲斐しく世話を焼く女の姿がある。
実に幸せそうだ。
女性はもちろん、船長もだ。
「ああ。船長が羨ましいって思うけど、うちにいてくれそうだな」
「ちげぇねぇ…」
そう言って、いつの間にか船員たちも楽しく笑って食事を再開する。
そして食事が終わり、食後のお茶が出たときだった。
慌てたように船員の一人が声を上げた。
「いけねぇ、忘れるところだった」
「何がだよ?」
隣の船員が聞き返す。
「ほら、伝言だよ」
そう言われ、聞き返した船員も思い出した。
「なんだなんだ?」
周りの船員たちも気になったのか色々聞いてくる。
「いやなに、姉さんを探している人から伝言を受けましてね」
その言葉に、女性の身体がビクンと反応して動きを止めた。
そしてゆっくりと伝言を受けた船員の方を振り向く。
その顔にはさっきまでの笑顔はない。
緊張したかのような強張った表情があるだけだ。
「えっと……伝言って?」
女性の変化に驚きつつも、船員が伝言を伝える。
「えっとですね、今日昼に会った男が言ってたんですよ。姉さんに伝言を頼むって。たしか…、そうそう、確か『グリゴリー様がお待ちだ』って伝えてくれって…」
女性はその言葉にしばらく無表情で考え込んだ後、苦笑した。
「わかったわ。ありがとうね」
女性のその様子に何か感じたものがあったのだろう。
船長が恐る恐るといった感じで声をかける。
「知り合いっていうのは間違いないか?」
「ええ。間違いないわ」
船長がそのごつい顔に似合わず、少し言いにくそうに聞いてくる。
「そうか。それでだな……戻らなくていいのか?」
その船長の問いに、女性はくすりと笑う。
戻りたいのなら戻らせてやりたいが、それでも離れたくないという船長の心の動きが感じられた為だ。
ゆっくりと船長の首に両腕を絡ませて身体を押し付けるように擦り寄る。
「ふふふっ。私の旦那様は貴方だけだから心配しないで…」
そう囁くように行った後、船長の頬にキスをした。
「お、おうよ。あ、ありがとよ」
顔を真っ赤にしてそう言い返す船長。
それを見て苦笑するやら、あきれ返るやらでそれぞれの反応を返す船員達。
だが、不思議な事に、羨ましいと思うものは大勢いたが誰一人として嫉妬しているものはいない。
それが実に当たり前だと感じられるのだ。
船員にしてみれば、自分達のような半端者を世話してくれる大恩人である船長には幸せになって欲しいと思っていて、その相手に訳ありだが優しくてよく出来た美女が傍にいる。
しかも、互いに相手の事を好きあっているときている。
だからこそ、余計に嬉しくなってしまうのだ。
もっとも、時折、甘すぎる雰囲気にゲンナリするときがあったりはするのだが…。
しかし、普段ならだらだらと続くその雰囲気は、今日に限ってはそんなに長く続かなかった。
慌しくかけてくる音がしたかと思うと、食堂のドアが荒々しく開かれ、見張りの船員が飛び込んできたためだ。
「大変だ、船長!!」
「ど、どうしたっ。何があったっ」
「そ、それが、親衛隊の連中がっ…」
しかし見張りの船員のその後の言葉は続けられなかった。
その船員の声を掻き消すように手を叩く音と別の声が響いたからだ。
「皆さん、動かないでくださいよ」
パンパンという手を叩く音とそのキザっぽい言い回しの声が部屋に響くのと同時に親衛隊隊長らしき軍服を着込んだ男と、親衛隊の兵士たちが食堂に入ってくる。
隊長らしき男こそ手ぶらだが、兵士たちは全員が軽機関銃を抱えており、すぐにその銃口を船員たちに向けた。
「てめぇら…何者だっ」
船長が吠えるように言うのに合わせ、船員たちがじりじりと重心を下げていつでも動けるように身構えていく。
まさに一触即発と言ってもいい雰囲気だ。
ピリピリした空気があたりを満たしていき、兵士達の顔にも緊張の色が濃く見える。
だが、そんな雰囲気がわからないのだろうか。
それとも、もしかしたらどうなるか結末がわかっていて余裕があるのかもしれない。
隊長らしき男がキザったらしく右手を腹に当てて恭しく頭を下げる。
「アンネローゼ・アレクサンドロヴナ・ラチスールプ様、お迎えに上がりました」
その言葉に、女性は一瞬何か言い返そうとしたが、息を吐き出すと諦めたような表情を浮かべた。
「わかったわ」
その言葉が、ただの一人の女としての…、そして雑草号の船長の妻としての自分との別れの合図であった。




