日誌 第五日目 その4
三十分後、一応敵国の捕虜とは言え王族が相手だから、きちんとした正装の白い軍服を身につけて貴賓室で待っている。
もっとも貴賓室とは言え、豪華絢爛と言うわけではない。
失礼がない程度にきちんと整えられたシンプルなつくりの部屋だ。
ヨーロッパの王族の部屋と比べれば、あまりにもシンプルすぎる部屋だろう。
しかし、それがかえってこの国のらしさを表しているように思う。
そして、そんな部屋になんか満足している自分がいる。
シンプルイズザベストとはよく言ったものだと思う。
それはそれでいいんだが、しかし、自分だけ椅子に座り、少し後ろ側の横に秘書官とは言え女性が立っているというのはなんか落ち着かない。
「大尉、君も座ったら?」
「何言ってるんですか。これはこれからのフソウ連合の外交に関係するかもしれないんです。失礼な事はできません」
東郷大尉にはっきりとそう言って拒否されてしまっては何も言い返せない。
あと、護衛の見方大尉と彼の部下の一人が部屋の入口に立っているが、なぜかこっちを見ないようにしている。
その様子は、関わってはいけないという風に見えた。
おい…。
何でこっち見ないんだよ。
そう言ってやろうかと思っていたら、ドアが軽く叩かれる。
「アーリッシュ・サウス・ゴバーク様が来られたようです」
東郷大尉が耳元で囁く。
ああ、来た様だね。やばい、すごく緊張する。
大体、この前までただの一個人でしかなかった人物に国の命運がかかっているとか、ハードモード過ぎるじゃないか。
確かに、それに対しての補正として優秀な人材や武器などの好条件は追加されているんだけどね。
でもさ、それとこれとは別ものだと思うんだけどなぁ。
そんな事を思いつつ頷くと「どうぞ」と東郷大尉が声をかける。
その声にあわせて、見方大尉が両開きのドアの片方を少し開けた。
ドアの隙間から白い軍服を着た川見少佐が見える。
見方大尉が確認した後、ドアが完全に開かれて川見少佐と金髪碧眼のいかにも外国人といった感じの人物が入ってきた。
僕は立ち上がるとドアの方に向かう。
本当なら立場が上のこっちは相手が入ってくるのを待っていた方がいいのだろうが、さすがにそれは失礼かなと思ったのでドアの近くまで行って手を差し出そうとした。
しかし、握手は出来なかった。
拒否されたわけではない。
ただ、そう…。
日本的な親睦の示し方と外国の親睦の示し方が違っていたのだ。
つまり、いきなり抱きつかれたのである。
そして、ポンポンと背中を叩かれる。
つまり、外国人がよくやるあれである。
日本人はなかなかあれは恥ずかしくて出来ないんだけどね。
しばらく、僕自身も、周りの人間も状況が把握できなかった。
が、真っ先に我に返ったのは東郷大尉だった。
怒気に満ちた表情でずかずかとこっちに歩いてきているなと思ったらぐいっと僕の手を掴み、自分の方に僕を王子から引き剥がした。
そして、それによって呪縛が解けたかのように周りも慌てて動き出して王子を取り押さえようとしたので、慌てて僕が止めた。
「いや、大丈夫だ。これは多分、親善の示し方だよ。フソウとは違う…」
王子を取り押さえかけていた護衛の手が止まる。
何が起こったのかわからない状況の王子に、僕は苦笑して説明する。
「すみません。護衛が勘違いしたようです。申し訳ない」
僕の言葉を横にいた東郷大尉が翻訳して話す。
それを聞き、驚いた表情の王子だったが、
「いえ。大丈夫です。そうでした。こっちでは、こういう文化ではなかったですね。私もこのすばらしい軍の最高司令官に会えるかと思うとワクワクしてしまって気がついたら抱擁してました。驚かせてしまってすまない」
そう言って笑っている。
どうやら気にしていないようだ。
東郷大尉もはっとした表情になって慌てて謝罪している。
それを楽しそうに気にしてませんと言って、王子は再度こっちを見た。
「初めまして。私がウェセックス王国の第六王子であり王国海軍第二十三艦隊司令長官のアーリッシュ・サウス・ゴバークだ」
そう言って手を差し出す。
その手を握り返しながら僕も答える。
「あえて光栄です、殿下。僕がフソウ連合海軍司令長官を任せられている鍋島貞道といいます。よろしくお願いします」
そう言うと、王子は少し驚いた後、うれしそうに笑う。
「私は敗軍の将であり、捕虜だ。なのに、あなたは私を立ててくれているようだ。そんな必要はない。今の私は、あなたの軍の一捕虜でしかないのだから殿下はやめてくれ。そうだな…」
少し考え込んだ後、王子は楽しそうに提案をしてきた。
「私の事は、アッシュと呼んでくれ」
「しかし、捕虜とはいえ王族の方にそれは…」
僕が驚いて、そう言うと「かまわない、かまわないよ。私が親しくしたい人には全員そう言ってるんだ」といってからからと笑う。
なかなか豪快と言うか、面白い人物のようだ。
「なら、私のことも貞道と呼んでください。アッシュ」
「わかった。サダミチ…。それでだ。せっかく名前を呼び合うようになったのだ。通訳越しではつまらないからな」
そう言って悪戯っ子のような笑みを浮かべ、
「私はこっちの言葉が話せるから、私がそっちに会わせよう」
と日本語(こっちではフソウ語でいいのだろうか)で話しかけてきた。
かなり驚いたが、それを顔になるべく出さないようにしながら返事をする。
「それは助かります」
本当ならこういう事は黙っていた方が有利だと思うのだが、この王子様はそういうことがわかっていないのか、またはそういう事を気にしていないのか、或いは別の理由があるのか…、それがまるで読めない。
しかし、王子を見ながら考え直してみる。
いや、ここは色々考えずに素直に好意を持っていてそうしたいと思ったんだと考えた方がいいのではないだろうか。
どちらにしてもこれはこれでよいとすべきだろう。
ちらりと王子の横を見ると、後ろにいる川見少佐が心配しているような苦笑しているような複雑な表情をしているのが目に入った。
軽く手を上げて、問題ないというジェスチャーをしておく。
「そういえば、あなたの国は、午後にお茶の時間があると聞きました。少し早いですが、お茶でも楽しみながら話でもしましょうか」
僕がそう言ってテーブルの方に視線を向ける。
そこには、僕の家で使っている紅茶のティーセット一式とガラス製のティーサーバー、それにいくつかのケーキやパイが用意されていた。
「おおっ。こんなところで本格的なお茶が楽しめるとは…。実に久しぶりです」
感激したように言う王子に、不思議に思って聞き返す。
「ひさしぶり?」
「いや、艦隊では酒飲みだらけでお茶を楽しむような人はほとんどいなかったのでね」
「それは災難でしたね。たいした茶葉ではありませんが、よかったら楽しんでいってください」
「ええ。楽しませてもらいます」
こうして、午後のお茶会が始まったのだった。




