日誌 第二百六日目
その報告書が僕の元に届いたのは、アルンカス王国独立宣言が終わってある程度落ち着いた四月十日のことだった。
「失礼します」
苦虫を潰したような表情で川見大佐が入室すると小脇に抱えた結構厚めの報告書を差し出した。
「それは?」
「はっ。帝国の現状の報告であります」
「ああ。頼んでいたやつだね。しかし思ったより早かったな」
戦争が続いている以上、敵の情報収集は継続して行う必要性がある。
講和もしていない以上、それが半ば休戦に近い状態であるとしてもだ。
だから、諜報部に定期的に帝国の現状を調査しておくように命示しており、その定期報告なのだろう。
ただ、普段なら書類のみ提出されるというのに川見大佐自ら持って来たという事は、何か大きな変化があったのかもしれない。
せっかく少しはのんびり出来ると思ったんだがな。
そんな事を思いつつ、僕は立ち上がるとソファの方に移動した。
いつも通りにソファに座って報告を聞くためである。
もちろん、川見大佐にも座るようにジェスチャーをする。
二人が座ると、川見大佐が持って来た報告書に目を落とす。
『聖シルーア・フセヴォロドヴィチ帝国の現状について』
タイトルにはそうかかれており、ゆっくりと目を通しながらページをめくっていく。
そこに書かれている内容は、以前報告を受けた以上の有り様であった。
「酷いな…、これは…」
「はい。ある意味、植民地化されている国よりも性質が悪いかと…」
「そうだな…。本国がこの状態で、もし植民地でもあろうものなら…」
すーっと背中に冷たい汗が流れる。
我がフソウ連合のことではない。
なのに、冷や汗が出る。
もし、戦いに負ければ、こんな事態もありえたのだと実感して…。
川見大佐は、僕の言葉に無言で返した。
それは川見大佐も同じ事を思ったということを意味する。
しばらく二人とも黙ったまま、ただ紙をめくる音だけが部屋の中に発生している音だけとなった。
そんな中、「失礼します」と言って東郷大尉がコーヒーを用意して入室してくる。
相変わらず気がきく人だ。
そんな事を思いつつ何気なく書類から視線を東郷大尉に向けた。
「ああ、ありがとう。少し喉が乾いていたんだ。助かったよ」
僕がそう言うと、川見大佐もやっと渋い表情を崩して、少し微笑みながらコーヒーを受け取る。
「ありがとう、大尉」
「いえいえ。どういたしまして…」
東郷大尉がニコニコと微笑んでお茶請けのクッキーをテーブルに置いたときだった。
大尉の動きが止まる。
「それって…」
その言葉に、僕は東郷大尉の視線の先を確認する。
その視線の先は報告書であり、そこに止めてある写真だ。
そこには、むごたらしく殺された人々の写真があった。
しまった…。
僕は慌てて書類を閉じて言う。
「あ、すまない。大尉は見ないほうがよかったな…」
「それって…」
おぼんを抱きしめるようにして視線を僕に移した東郷大尉が呟く様に言う。
その表情はさっきまでの陽気さが吹き飛び、何かに怯えているかのようだった。
僕は立ち上がると安心させるかのようにトントンと東郷大尉の背中を軽く叩き、耳元で囁く。
「大丈夫だよ。フソウ連合でのことじゃないから…」
「はい…」
その言葉で少し安心したのだろう。
「すみませんでした。盗み見してしまって…」
東郷大尉は慌ててそう言うと頭を下げる。
「いや、いいんだ。こっちこそ気がつかなかったからな」
僕がそう言ってニコリと笑うと、やっと東郷大尉は微笑んだ。
もっとも少しぎこちない微笑ではあったが…。
そして東郷大尉が退室すると、僕はソファに座ってため息を吐き出した。
「失敗したな…」
そうして視線を報告書に向ける。
「完璧すぎるように見える長官も以外とミスがあるのですね」
実に楽しそうな表情を浮かべて川見大佐がニタリと笑う。
「何を今更…。僕はそんなに完璧主義じゃないし、いつもミスばかりだよ。後から考えれば、こうしておけばよかった、ああしておけばよかったって思うことばかりだ」
「そんな風には見えませんよ。いつも二手三手を読んでいるという感じですが…」
「そうなのか?でも偶々なんだよ。そんなにハードル上げないでおいてくれ。失敗した時の落差がより大きくなってしまうからな」
そう言って僕が頭をかくと、川見大佐は笑って答える。
「そう肝に銘じておきましょう。ですが、私のような認識のものは多いと思いますよ」
「それは困ったなぁ…」
僕は苦笑してコーヒーに手を伸ばす。
相変わらずいい香りだ。
そして、閉じていた報告書を開くと目を通すのを再開した。
途中途中ではさんである写真は実に残酷なものばかりだ。
見てて気分が悪くなる。
ちらりと川見大佐の方を見て確認する。
「これは…クリチコでの虐殺のものに間違いなんだな?」
「はい。王国から入手しましたが、帝国の現地調査団が撮ったもののようです」
「そうか…」
そう答えて、視線を報告書に向ける。
そして全てを読み終えると、報告書を閉じて視線を川見大佐に向けた。
「これはすべて事実なんだろうね…」
「ええ。間違いありません。王国にも協力をお願いしておりますし、共和国の方でも確認が取れました」
「そうか…。わかった」
そう短く答えて、僕は腕を組み考え込む。
今の現状なら、帝国は他国に攻め込む余裕さえない。
それは戦争状態であるフソウ連合としては、国力や戦力上昇の為の時間が稼げると同時に、帝国の国力や戦力の低下という事も相まって実にありがたい事だ。
しかしだ…。
虐殺が行われ、混乱している帝国の現状は、戦争とは別の問題を他国に広げるだろう。
紛争や虐殺、それに経済的理由で国民が国を見限って流失し始めている兆候が見え始めている。
俗に言う難民問題というやつである。
基本、国は一つの民族で統一するのが理想的だ。
それは文化や考え方が、ある程度一つにまとまっているからだ。
そこに、まったく文化も考え方も違う人々が入ってきたらどうなるだろうか。
彼らの選択肢は、自分の考えや文化を優先させるか、『郷に入っては郷に従え』という諺のようにある程度同化するかの二つしかない。
それにほんの少数ならまだいい。
それだと、国の意向だけでなく文化も考え方も大きく揺れる事はないだろう。
それに新しい文化や考え方との接触はよい変化をもたらすかもしれない。
しかしだ。
その数が多いと別だ。
他民族の人々が増え始めると、それは一つの大きな力となり、まとまっていたはずのもの全てが大きく揺らぎ始める。
それでも、いくつもの文化や考え方が交じり合い、それでうまくまとまれば問題ないだろう。
しかし、僕のいた世界では、多民族になればなるほどまとまりを失っていく。
協調性もなく、ただ自分達の文化や考え方を押し付けるようになってしまうのだ。
互いを尊重するという事は一方的に踏みにじられ、ぶつかりあうようになる。
その上、本来あったものが多民族化したために失われてしまう事にもなっていく。
それは文化や考え方、生活習慣といっただけでなく、職といった経済的なものも含まれており、その不満や怒りは相手の民族へと向けられる。
その結果、いつしか不満は爆発し、暴力として形になり、やられる方も遺恨を蓄積させていく事になる。
そして、その遺恨がまた新たな暴力を生む。
まさに負のスパイラルだ。
難民を受け入れれば、必ずそうなるとは限らない。
しかし、そうなる恐れは少ないほうがいい。
「難民の恐れが出てきた以上、海上での警戒を上げる必要性があるか…」
「そうですね。特に北部は警戒を強める必要性はありますね」
川見大佐が合意するようにそう言った後、少し間をおいて言葉を続けた。
「それとですね、実は報告しないといけないことがもう一つあります」
その表情に浮かぶのは、困ったなといった感じのものだ。
川見大佐がそんな表情をするのは実に珍しい。
だから、ついつい聞き返す。
「珍しいな。そんな表情をするなんて…」
僕の言葉に、川見大佐は苦笑した。
「私だって、迷うときはありますし、困りもしますよ」
そう言って後、意を決したのだろう。
表情を引き締めて言葉を続けた。
「帝国海軍の一部が我々と王国に接触を持ちたいと言ってきております。いかがいたしましょうか?」
その予想外の言葉に、今度は僕が困った表情を曝す事となったのである。




