軍港アレサンドラにて…
アレサンドラ軍港にある新しく作られた海軍省の一室で、ビルスキーア・タラーソヴィチ・フョードル少将は宰相グリゴリー・エフィモヴィチ・ラチスールプ公爵から送られてきた私通を読んで苦笑した。
「あの爺さん、何考えてやがるんだ?」
そう呟きつつ、主であり、表向きは副官であるノンナ・エザヴェータ大佐に書簡を渡す。
それを受け取り、ざっと目を通すとノンナは表情を変えずに口を開いた。
「宰相にとっては、予算ばかり食って成果を出さない海軍も、傍若無人な親衛隊も、所詮は同類でしかないってことでしょうね」
「なんか、納得いきませんな。あんな連中と同じと思われるのは…」
不服そうな顔でビルスキーア少将はそう言うと面白くなさそうに来客用のソファにどすっと座る。
その様子から、かなりムカついているのだろう。
もっとも、親衛隊の連中も海軍と同じといわれたら、同じような態度をとるのは間違いないだろう。
そんな事をノンナは思ったが、それはさすがに口に出さない。
「面白くないでしょうけど、政治屋の宰相にとっては両方とも目障りで邪魔な存在という事だから…」
そう言った後、ノンナは窓際に行くと窓の外の景色に目を移した。
建物の四階という事もあり、かなりの範囲の景色が見る事が出来る。
そして、そこには少しずつ復興されていくアレサンドラ軍港の姿があった。
瓦礫は綺麗に撤去され、新しい建物や施設が次々と建築されていく。
しかし、それでも空き地がかなり目立つ。
だが、それは仕方ない事なのかもしれない。
王国による『ドッシェール反抗作戦』の攻撃でアレサンドラ軍港の実に八割近い施設が半壊、或いは全壊してしまったのだ。
また、半壊の建物も結局は危険な為に撤去となり、おかげで瓦礫の山となってしまった軍港は、無傷な建物を数えたほうが早いといわれたほどであった。
そして瓦礫の撤去などが終わり、本格的に建物と施設の建築が始まったのは、二ヶ月前。
そして、三月末の現在、その惨憺たる状況からなんとか軍港としての姿を少しずつ取り戻しつつある。
その景色は、まさに破壊の後から再生する不死鳥のようであった。
そして、それは兵士達の目にもそう映ったようで、ビルスキーア少将の元で活動している海軍派閥の兵や関係者達は、他の派閥の者よりも活発に、そして前向きに動き出している。
それはここからでもわかる。
軍港が活気に満ち満ちていく様子が…。
無表情のはずのノンナの口角がほんの少し釣りあがり、微笑を少しだけ浮かべたようだった。
もっとも、窓の方を向いていたからビルスキーア少将は気が付かなかったようだが…。
そして、その様子に満足しているノンナにビルスキーア少将が聞く。
「要は、どうせなら両方とも潰しあって欲しいと思っているということですかね?」
「そうでしょうね。潰しあってくれた方が、宰相にとってはありがたいでしょうね。それと後は保険という意味合いかな…」
「どっちが勝ったとしても、突っ込まれないようにする為の?」
「まぁ、そんなものでしょうね…」
そういった後、ノンナは踵を返して部屋の中央のソファまで歩くとビルスキーア少将の向かいに座って質問する。
「それで、今わかっている状況を聞かせてくれない?」
「はい。我々の現状ですが、今のところはアレサンドラ軍港を中心に帝国北部地区のほとんどの海軍勢力が我々の動きに賛同してくれておりますので帝国海軍の半分は我々の支配下と言っていいと思います。また、艦艇の方も七割近くは我々の管理下にありますが、残念ながらビスマルク、グナイゼナウの二隻は資金と資材不足、さらに軍港の復旧優先でほとんど手付かず状態です」
「南部と西部の方は?」
「はい。首都クラーンロと西部は完全に親衛隊が押さえております。西部にある海軍派閥は今や親衛隊に飲み込まれるか、南部の海軍派閥へと合流している状態です。南部はいろんな派閥や勢力が転々としている有り様で混沌としており、また税の取り立ても厳しかった為に住民による反乱も起こっているようです」
反乱という言葉にノンナの眉がピクリと動く。
「反乱?」
「はい。城塞都市クリチコで住民を中心とした反乱が起こっており、そこに難民と一部の軍が集まり、二万近い勢力になっているという話です。そして、五日前に親衛隊が鎮圧に動いているという話です」
『クリチコ』という単語に、ノンナが思い出したかのように言う。
「ああ、あの反乱ね。五日前に親衛隊が動いたの?」
「ええ。もっとも皇帝の命が出たのは本日のようですが…」
「ふーん…。そう…」
そう返事をしつつも、ノンナはその言葉をそのまま受け取らない。
今の皇帝は、国の事も政治にも無関心であり、政治を司る宰相もたかが一都市の反乱にまで指示を出し動けるほど余裕はないはずだ。
なんせ、国が大きく傾いているのだから…。
それに五日前には親衛隊の部隊が動いていたのに、皇帝の命が出たのは本日だという…。
つまり、基本、軍が命令なしに動くわけにはいかない為、一応皇帝の命を受けた。
要は皇帝の命は、結局ただの大義名分でしかないということなのだろう。
それが意味する事は…つまり、親衛隊が暴走を始めたという事だ。
そして、それは宰相の手紙からも読み取れる。
「ビルスキーア少将」
名前を呼ばれ、ビルスキーア少将は立ち上がると直立不動の姿勢になる。
「はっ。何でありましょうか、姫」
「親衛隊の動きに常に注意を払うのと同時に、いつでも動けるように戦闘準備をしておくように」
「すると…近々戦いになると?」
「ええ。間違いなくなるでしょう。宰相が中立の立場を変えずに、我々を互いにぶつけ合おうと思っている限りね」
「ですが、それは口実がなければ無理なのでは?」
「口実なんてものは、後からでもなんとか作れるものよ。全ての歴史は勝者が作るものだから…」
そのノンナの言葉は、実際にそれを経験したことがある者の重みがあった。
ビルスキーア少将が少し慌てたように言う。
「し、失礼しました。了解しました。すぐにでも手配します。それと諜報部に親衛隊の動きをより注意深くチェックするように指示しておきます。それでよろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします」
そう言ってノンナは立ち上がったものの、何か思いついたのだろう。
少しその場で考え込んだ後にビルスキーア少将に指示を追加した。
「後、政府に秘密裏に各国に連絡つけられないかな?」
「政府とは違うチャンネルで他国にですか?」
「ええ。そうね…、王国とフソウ連合の二ヶ国を優先してくれると助かるわ」
「それは…つまり…」
「ええ。秘密裏に我々はその二ヶ国と休戦を結ぶ必要性が出てくる可能性があるわ。その準備の為よ」
そのノンナの言葉にビルスキーア少将は少し驚いた表情をするも、すぐに普段の顔に戻って敬礼する。
「了解いたしました。そちらもすぐに手配いたします」
ノンナはその言葉に満足したのだろう。
頷くと副官室に戻っていく。
しかし、その様子をもし何も知らない者が見たら、なんと思うだろうか…。
上官が部下に対して敬意を払い、指示を受け、敬礼する様を…。
恐らくほとんどのものは、何かのジョークか悪質な笑い話だと思うだろう。
しかし、二人の本当の関係は階級などで決まるものではなく、それ以上のものが二人の間にはある以上、それが当たり前であった。
翌日の昼…。
帝国親衛隊本部は、国中にある報告を知らせた。
『皇帝陛下の命で、反乱を起こして皇帝に反旗を翻した城塞都市クリチコの勢力を殲滅した。反乱に参加した全ての者は、全て死刑にした』と…。
その報告は、あっという間に国中に広がって、帝国内の全ての国民を恐怖の底に叩き込んだ。
以前から言われていた、『逆らえば死あるのみ』。
それを実践してみせたのである。
それは、我々は言った以上やるぞという強い圧力であった。
そして、その報告の確認をする為に後日調査に入った者たちが眼にしたのは、瓦礫と化した街といたるところに散乱する無残な死体のみであった。
そして、調査に入った者は報告書の最後にこう記している。
「ここは、まさに…現世の地獄であった」と…。




