生まれる国と廃れる国
フソウ連合暦 平幸二十四年(ウェセックス王国暦三百四十四年、フラレシア共和国暦六十四年) 四月一日十時三十分。
王宮の前に用意された特別会場にて、フソウ連合とアルンカス王国は正式に条約を締結。
そして、そのまま続けてウェセックス王国、フラレシア共和国の二ヶ国とも相互安全条約を正式に締結。
これにより三ヶ国の承認を受けてアルンカス王国は正式に独立を果たしたこととなる。
各国の代表が署名したそれぞれの書簡が交換され、会場に集まった国民が一斉に喜びの喝采を上げた。
そして、そんな中、チャッマニー姫が前に立ち、国民を前に喜びの声を送る。
「これで我々アルンカス王国は、悲願の独立を手に入れました。これもフソウ連合の我々に対しての協力と支援、それにそれをサポートしてくれたウェセックス王国、フラレシア共和国の二カ国に感謝したいと思っています」
最初は静かにチャッマニー姫の演説に聞き入っていた民衆だったが、共和国の名前が出た瞬間、ざわつきが起こる。
それは仕方ないのかもしれない。
共和国がアルンカス王国の独立を奪った張本人でもあるからだ。
よくもまぁ、ぬけぬけと…。
その場にいたほとんどの民衆はそう思ったに違いない。
それがわかったのだろう。
そのざわつきに、チャッマニー姫は言葉を止めて見渡し、静かに言葉を続ける。
「一部の方は、なぜフラレシア共和国にも感謝をしなければならないかと思う方もおられるかもしれません。ですが共和国が今、私達に手を貸してくれた事も間違いのない事実なのです。そして、これからは互いに歩んでいこうとしてくれています。何を都合のいい事をと思われる人達もいるでしょう。恨みのある方もおられるでしょう」
そこで顔を伏せて言葉に詰まるチャッマニー姫。
彼女は両親や身内を処刑されたのだ。
恨んでいないわけがない。
しかし、すーっと顔を上げた彼女の表情は決心に満ち満ちている。
そこに恨みや悲しみはない。
ただ、未来を見据えるかのように民衆を見ている真剣な表情があった。
「ですが、そればかりを言っても仕方ありません。恨みからは、恨みや悲しみ、憎しみしか生まれません。だからこそ、我々は恨みを飲み込み、未来志向を向けて歩かなければならないのです。ですがそれは忘れるということではありません。それを踏まえながらも、二度とそんな事が起こらない様にしていくべきなのです。だから、皆さん、私たちは他の国々の方々と共に歩いていきましょう。私達の未来の子供達の為に…」
言い終わったチャッマニー姫は、ふーっと息を吐き出した。
清々しいまでにすべてを吹っ切ったような笑顔だった。
そして最初の拍手が壇上で起こる。
手を叩いていたのは、フソウ連合の代表としてそこにいた鍋島長官だ。
笑顔を浮かべ、まさにその通りだと言わんばかりの顔で…。
そして、それをきっかけにいろんな場所で拍手が少しずつ沸きあがるとすぐに会場全てに広がっていき、その場を拍手と歓声と熱気で満たしていく。
その火傷するかのような熱気は、これから新しく進むアルンカス王国の熱気と言ってもいいほどであり、その様子はまさにアルンカス王国の新しい船出に相応しいものであった。
こうして、アルンカス王国は悲願の独立を果たしたのである。
そして、そんな熱気に満ち満ちた国の誕生がある一方、ゆっくりと腐っていく国の姿があった。
今や度重なる敗戦と政治と軍部の腐敗によって全てを失いつつある国、聖シルーア・フセヴォロドヴィチ帝国である。
長く続いた後継者争いによって国力を失い、先のフソウ連合に対しての戦いの敗戦とウェセックス王国の艦隊による帝国海軍主要軍港であるアレサンドラ軍港攻撃作戦(王国では『ドッシェール反抗作戦』という作戦名。なお、ドッシェールは、その前に帝国艦隊に大敗したドッシェール海戦を挽回するという意味合いでつけられた)によって帝国海軍は大きく衰退し、より力を失うことなる。
その上、黄金の姫騎士と呼ばれたアデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチの名声によってなんとか帝国海軍はまとまっていたものの、アデリナは戦いの責任を負って失脚。
さらに親衛隊の横槍も入り、軍務の全ての権利を剥奪され、アデリナは長い謹慎を命じられる。
その結果、唯一アデリナの名声に寄り添うように繋がっていた海軍の各派閥はばらばらになってしまう。
そして、帝国海軍の衰退にあわせるかのように勢力を伸ばしてきたのは、皇帝直属の軍、帝国親衛隊である。
親衛隊長官エリク・ヴォロティンスキーは、帝国海軍という邪魔な組織をこの際に徹底的に潰そうと考えていた。
実際、その動きと敗戦によって帝国海軍は崩壊しかけた。
だが、金の姫騎士の元副官である銀の副官ノンナ・エザヴェータ少佐とビルスキーア・タラーソヴィチ・フョードル少将の動きによってそれはなんとか食い止められることとなる。
しかし、それでもビルスキーア少将の把握できた帝国海軍戦力は、アレサンドラ軍港を中心としていくつかの海軍施設や地域、残存戦力の半分程度を把握しているに過ぎない。
それ以外のほとんどは各地域で軍閥化してしまい、基地周辺をそれぞれが好きに支配し混乱に拍車をかけてる事態になっていた。
そしてそんな中、全ての負担を押し付けられて苦しむのは一番底辺に位置する民衆である。
度重なる重税によって、一部の国民以外は泥をすすって生きているといった状態となってしまっていた上に、この混乱である。
人々の怒りはすさまじく、各地では民衆による暴動が度々起こり、それによって国をますます混沌させてしまっていた。
まさに、悪循環という事態であった。
「陛下、また反乱でございます…」
親衛隊長官エリク・ヴォロティンスキーは恭しく片膝をつき頭を下げて報告する。
その報告に、むしゃむしゃと下品な音を出して肉を食べていた小太りの男の動きが止まった。
この男こそ、聖シルーア・フセヴォロドヴィチ帝国皇帝カルル・レオニード・フセヴォロドヴィチであり、現帝国の支配者である。
もっとも、その実力はないに等しく、暴飲暴食、女と酒に溺れ、今ではただの小太りの男でしかない。
親戚であるアデリナでさえ、影で豚皇帝と呼んでいる始末だった。
その皇帝の目には怒りが満ちており、額には青筋が浮かび上がっている。
「なんだとっ。また反乱だとっ。宰相は何をやっているっ」
口からは食べかけの肉片が飛び散って実に汚らしいが、距離があるためエリク長官までは届かない。
さすがに、親衛隊という皇帝直属の軍の長たる地位にいるものだ。
その辺の距離感覚はわかっているらしい。
「はっ。宰相殿も動いているようですが、どうしようもありません。また、海軍は前回の戦いでの敗北により、混乱し、すでに軍の体を成しておりませぬ」
「どいつもこいつも無能者ばかりめ」
自分は何もしないでよくわめく不潔で下品な豚野郎め。
エリク長官はそんな事を思いつつも、顔にはそんな事をおくびにも出さずに神妙な面持ちで答える。
「お怒りはごもっともでございます。ですから、すでに鎮圧の為に親衛隊を派遣しております。二、三日もすれば良い報告が出るでしょう」
その言葉に、皇帝の表情から怒りが薄まる。
「そうか、そうか。実にお前は頼りになるな。エリクよ」
「はっ。ありがとうございます。これも陛下の威光を示す為、粉骨砕身しておりますゆえ…」
「そうかそうか。本当にお前は頼りになる。それに引き換え、宰相の使えぬことよ。実権を渡しても全然国が安定しないではないか…。それに海軍もだ。やれ、予算だ、戦力だ、作戦承認だという割には、報告されるのは敗戦の報ばかり。どうにかならないものか…」
そこまで言った後、ふと何かいい事を思い出したかのように皇帝は呟く様に言う。
「そうじゃな、お前に全てを任すのもいいかもしれん。お前ほどの才能があれば、うまくいくだろうて…」
その何気なく口から出た言葉に、エリク長官は思わず飛びつきそうになるのをぐっとこらえた。
まだだ。
まだ早い…。
「いえいえ。まだまだ私にはそこまでの器量はありませぬ。それに、宰相殿も苦労されておられる様子。今しばらく様子を見られては…」
「ふむ。そうだな。そうするとしよう。しかし、本当にお前はよくできた部下だ。誇りに思うぞ」
「はっ。ありがとうございます。それでは反乱を鎮圧した後、またご報告に上がります」
エリク長官のその言葉に、皇帝は右手を振って答える。
「いらんいらん、報告などいらぬぞ。お前なら問題なく後始末するだろうからな。それと今後の反乱などの鎮圧はお前に任せる」
「はっ。滞りなく…」
そう言うとエリク長官は、恭しく頭を下げると部屋を退出した。
いくつかの部屋を抜けて廊下に出ると、脇の控え室で待っていた親衛隊副官であるヴァシーリー・ゴリツィン大佐が駆け寄ってくる。
「いかかでしたでしょうか?」
その言葉に、エリク長官はニタリと笑う。
「うまくいったぞ。後始末は、全て私に任せるという皇帝陛下の言質を得たぞ。親衛隊本部に一時間もしないうちに皇帝直々の命令書が届くだろうよ」
「さすがですな」
「それで師団は動いているか?」
「はっ。すでに反乱を起こしたクリチコの街を取り囲んでおります。命令さえいただければ、すぐにでも攻撃可能です」
「そうかそうか…。それとな、すぐにクリチコの町の近くにあるピタリア軍港に駐屯している帝国海軍第十七大隊と第九警戒艦隊に使者を送れ」
エリク長官の言葉に、ヴァシーリー副官は隠微な笑みを浮かべる。
「ふふふっ。警告ですか?それとも一緒に潰してしまうとか?」
「それもいいが、出来れば連中を取り込みたい」
思いもしない言葉に、ヴァシーリー副官は驚いた顔で聞き返す。
「取り込むのですか?」
「ああ。取り込むぞ。連中はあの憎たらしいビルスキーアを憎んでいるるからな」
「ですが、一時的に味方はするでしょうが、基本的に海軍は親衛隊を快く思っておりません。将来的に獅子身中の虫となりはしませんか?」
「そうなる前に、薬と金と女で指揮官どもを篭絡させろ。我々が欲しいのは、連中の持つ海軍力だけだからな」
「しかし、動かす人は手に入っても戦う為の艦が…。主力となる艦隊のほとんどはアレサンドラ軍港にてビルスキーアが押さえておりますし、ビスマルクとグナイゼナウは修理中となっていますが連中にはまだ無傷のシャルンホルストがあります…」
心配そうに言う副官に対して、エリク長官は、ニタリと笑った。
「なぁに、すでに手を打っておる。それよりもだ…」
エリク長官は足を止めて周りを見回すと副官の耳元に口を寄せて囁くように言った。
「すぐに一軍を率いてミストーリアを押さえよ」
「えっ?!ミストーリアですか?」
聞き返す副官に頷くエリク長官。
「ああ。ビルスキーアの野郎を潰すにはあの地を押さえる必要性がある。油断するな、いいな」
真剣な表情と声に、慌てて副官が表情を引き締めて敬礼する。
「はっ。すぐに向います」
「頼むぞ」
慌てて駆け出すように動き出す副官の背中を見ながら、エリク長官は、口角を吊り上げてニタリと笑う。
そして、エリク長官は宰相の執務室に足を向けたのだった。




