結末
チャッマニー姫がなんとか泣き止んだ後、アルンカス王国の関係者はバチャラを中心に再度話し合いを持つ事にしたのだが前途多難なのは間違いなかった。
「しかし、どうするかね?」
そう聞かれて少し考え込んだ後、バチャラは口を開く。
「今回の姫様の提案は、フソウ連合としても予想外の事であったと思う」
その言葉に、関係者の一人が納得したかのように頷きつつ同意する。
「確かに…。あの慌て様は初めて見たしな…」
「そう、その通りだ。だからこそ、もし付け入るならその部分だろう」
「そうだな。恐らくだが、木下大尉と姫様の事を連中も知らなかったに違いない。そうなると…」
誰もが真剣に考え込んでいる。
そこには、さっきまでチャッマニー姫を説得し言う事を聞かせようとしていた大人達はどこにもいない。
ただ、どうやれば姫の希望を兼ねえつつこのまま独立が出来るか知恵を絞る大人達がいるだけだ。
その様子をチャッマニー姫は赤くなった目ですまなさそうな顔で見ている。
それに気がついたのだろう。
バチャラが真剣な表情で見つめて言う。
「姫様、出来る限りの事はします。出来れば、姫様の希望を相手に飲ませて独立するのが理想です。ですが、どうしても駄目な場合は…」
「ええ。わかりました。私は自分の無理難題をみんなに押し付けているのです。どうしても駄目な場合は、独立を優先してください。それ以上の事は望みません」
そう言ってチャッマニー姫は深々と頭を下げる。
その姿は実に健気で、バチャラを初めアルンカス王国のすべての関係者はこの姫の為に何かしなくてはとますます決心をさせる。
「お顔をお挙げください姫様。自分らはどうも姫様に甘えていたようです」
「そうだな。十一歳の女の子に責任を押し付けていたようだ。だからこそ…なぁ」
「ああ。絶対にとはいえませんが、我々も手を尽くします。ですから…」
「後は、我らにお任せください」
その場にいた関係者全員が、今やチャッマニー姫を王族の責任を持った人間ではなく、一人の少女として見ていた。
チャッマニー姫は顔を上げると関係者全員の顔を見て微笑む。
「はい。皆さん…お願いします…。そして…ありがとう…」
その言葉と微笑みに、その場にいた全員が心に誓っていた。
この少女の願いを叶えようと…。
中断から三時間後。
フソウ連合とアルンカス王国の対話が再開された。
最初の対話とはまるで別の話し合いのように雰囲気は一変している。
ピリピリと緊張感が漂い、互いの関係者の表情は硬い。
だがそんな中、全てを言い切ったのかチャッマニー姫の表情だけが穏やかであった。
そして、さっきの対話と大きく違う点が一つある。
フソウ連合の関係者の中に、木下大尉の姿があることだ。
彼の表情は固く、何かを耐えているようだった。
その様子は、今回の騒動を引き起こした張本人として責任を感じているようだ。
もっとも、チャッマニー姫と目が合った瞬間に慌てて下を向いたが、少し嬉しそうな顔になったのをチャッマニー姫は見逃さなかった。
もちろん、久々に見たキーチの姿に、チャッマニー姫も嬉しくなったが、それはなんとか心の中で押さえ込む。
だが、バレバレなのだろう。
隣にいたバチャラに「姫様、会えて嬉しいのはわかりますが自重をお願いします」と小声で釘を刺されてしまう。
恥ずかしくなって下をうつむき誤魔化すチャッマニー姫。
その微笑ましい姿に、アルンカス王国の関係者が少し苦笑したものの、すぐに表情を戻す。
彼らは今ひとつになっていた。
今まで自分の心を殺してでも祖国の為にがんばってきた姫様の唯一のわがままをなんとか叶えさせたいと。
さっきとは違うそのアルンカス王国側の決意を感じたのだろう。
鍋島長官が驚いた表情をしたが、すぐに微笑んだ。
「それでは話し合いを再開したいと思います。まず最初に確認させていただきたい。最後に姫殿下が提案された事以外の条件は問題ないでしょうか?」
その問いに、バチャラは頷き答える。
「はい。それは問題ありません」
横にいたチャッマニー姫も頷いており、問題ない事は確認された。
「では、姫殿下の提案された条件を話し合うという事でよろしいですかな?」
「はい。それでお願いしたい…」
緊張した面持ちで答えるバチャラに、鍋島長官は少し苦笑して言う。
「心配しないで欲しい。我々は姫殿下の提案がどういう結果になったとしても、アルンカス王国の独立を中止したり、条件を変えたりはいたしません。今やアルンカス王国の独立は、我々フソウ連合だけでなく、ウェセックス王国、フラレシア共和国の二国も承認している事なのですから…」
そう言った後、少し茶目っ気のある言葉遣いで言葉を続ける。
「それに、あの件は、姫殿下の個人的なお願いという事でしたからね」
その言葉に、アルンカス王国の関係者は全員ほっとした表情をする。
それはそうだろう。
アルンカス王国の独立は、彼らの…国民の悲願と言っていい事だからだ。
よって、これでなんとか最低限の条件はキープしたといっていい。
しかし、それでもすぐに彼らは表情を引き締める。
だが、まだ油断はできない。
今までの強国との交渉で、彼らの気分次第でひっくり返された事が何度もあった。
だからそれを恐れているのだが、そんな中、バチャラはそれはありえないなとも感じていた。
ほんの数日、それも数時間程度の面識しかないが、経験からこの鍋島長官という男は若いながらも有言実行を記す人物だろうと認識していたからだ。
だが、本当の勝負はここからだ。
ちらりと横を見るとテーブルの下で両手をぎゅっと握り締めるチャッマニー姫の姿が目に入る。
その必死な様子に微笑ましい感情が沸き起こった。
ふふふっ。
そんな自分の感情に、バチャラは心の中で苦笑する。
私は今まで何を見てきたのだろうか。
私が必死になって守らなければならないものが、こんなすぐ傍にあるというのに…。
なのに、私は友の言葉ばかりを追い続け、こんな幼い少女に無理難題を押し付けていたとは…。
そして、それを気付かせてくれたのは、あの姫専属の侍女だ。
彼女の言葉がずきりと心に突き刺さっている。
『姫様は、今まで最後の王家の生き残りであり、この国の姫という重荷を背負って生きておいででした。ですが、そんな姫様が、ただの十一歳の少女として初めて抱いた感情と思いを大切にして欲しいんです。バチャラ様はこの国の宰相という地位におられます。そんなバチャラ様ならきっとそれが出来ると、私は信じています』
その言葉にバチャラは痛みを感じながらも嬉しくもあった。
今回の対話がどんな結果になったとしても、これはあの侍女に感謝しなければならないな。
彼女はどうしたら喜んでくれるだろうか。
一瞬そんな考えが浮かんだが、今はその考えを心の奥にしまい込む。
そして、心を引き締めて取り掛かった。
「そのご配慮、本当にありがとうございます。アルンカス王国国民を代表して感謝いたします」
そう言ってバチャラが頭を下げる。
それにあわせて、他の関係者も、チャッマニー姫も頭を下げた。
「いえいえ。お気になさらずに…」
そう言って顔を上げるように言った後、鍋島長官は本題に入った。
「それで姫殿下の個人的希望であった木下大尉の残留ですが、その希望の変更はありませんか?」
バチャラがちらりとチャッマニー姫を見る。
姫は真剣な表情でただこくりと頷くのみだ。
「ええ。変更はございません」
バチャラの声に、鍋島長官は「わかりました」といって頭をかいた。
何か言いにくそうな感じではあったが意を決したのだろう。
鍋島長官は口を開いた。
「実はですな、お恥ずかしい話ながら、木下大尉もこの地に残留を希望していたのですよ」
そう言って、嘆願書を取り出す。
その言葉に、俯いていたチャッマニー姫が慌てて顔を上げて木下大尉を見つめる。
木下大尉はただ黙って俯いていたが、チャッマニー姫にとってそれは関係ない。
その表情に浮かぶのは嬉しさだ。
キーチも私と同じだった。
私と同じように動いてくれていたんだ。
それがとても嬉しい。
そんな思いが滲み出ていた。
そんなチャッマニー姫の様子に、鍋島長官は苦笑して言葉を続ける。
「ただ、残念な事に理由が書いてなかったために保留になっていたのですが、その理由が今回のことでよくわかりました。よって、姫殿下の希望もあり、木下大尉の残留を許可したいと思います」
あまりにもあっさりと言う鍋島長官に、バチャラやアルンカス王国関係者は唖然とする。
まさかこんなに簡単に認められるとは思ってもみなかったからだ。
しかし、それで鍋島長官の言葉は終わらなかった。
「だが、アルンカス王国駐在の役職はもうすべて決定されており、もう実際に動いています。そんな中に木下大尉を割り込ませるのはなかなか難しいのです」
「それはどういう事でしょう?在留出来ないという事でしょうか?」
チャッマニー姫が恐る恐る聞く。
その表情はさっきまでとは違い、凍り付いているかのように硬い。
そんなチャッマニー姫に、鍋島長官は笑いかけて言う。
「ですから、残留する理由と役職をそちらで考えて欲しいのですよ」
あたりがシーンと静まり返る。
アルンカス王国側の関係者は真剣な表情で鍋島長官の言葉の意味を考えているのに対して、フソウ連合側の関係者は鍋島長官の言葉に苦笑している。
「つまり…木下大尉を出向という事で、アルンカス王国に滞在してもらうという事ですか?」
恐る恐るといった感じでバチャラが聞いてくると、少し考えた風のポーズを見せた後に鍋島長官が口を開く。
「そうですね。それでも構いませんが…」
鍋島長官はそう言いながら木下大尉とチャッマニー姫をちらりと見て、微笑みながら言葉を続けた。
「なんなら、婚約とか許婚とかでも構いませんよ」
「は?」
チャッマニー姫と木下大尉が真っ赤になってますます俯き、バチャラを初めとするアルンカス王国関係者の顔が再び唖然として固まる。
「まぁ、あくまでも例えですけどね」
固まっているアルンカス王国の関係者を解すかのように鍋島長官は笑いつつそう言葉を付け足す。
「あ、例えですか…。あはははは…」
呪縛が解けたかのように答えつつ笑うバチャラとほっとするアルンカス王国の関係者達。
そして、フソウ連合の関係者は苦笑していた。
相変わらず冗談が冗談に聞こえない人だなと思いながら…。
「ともかく、明日の式典までには決定して連絡をいただきたい。フソウ連合としては、それに対応しますので…」
鍋島長官がそう言うと、バチャラは感謝の念をこめて深々と頭を下げた。
「はい。わかりました。ありがとうございます」
こうして、いつ終わるかもしれないと思われていた対話は終了したのだった。
そして、その夜…。
アルンカス王国では木下大尉の役職について話し合いが行われ、時間にして一時間程度での話し合いであったが、チャッマニー姫も参加しての話し合いの結果、木下大尉には『アルンカス王国特別軍事顧問』という役職を用意することとなったのである。
なお、チャッマニー姫は『婚約者』という肩書きに固執したが、十六になってからというバチャラの説得に渋々頷いたという。




