工作艦 明石の憂鬱 その3
「よう、大将っ、遅刻だっ」
そう声をあげたのは藤堂少佐だ。
「すまん。こいつを買ってきて遅くなった」
そう言って鍋島長官が見えるように上げたのは、見たこともない銘柄の清酒だった。
一升瓶を贈呈用に横に二本、紐で銜えられている。
「おおーーっ、そいつはっ」
多分飲んだ事があるのだろう。
藤堂少佐だけでなく、何人かの口からうれしそうな声が上がった。
鍋島長官はその声に満足そうな表情を浮かべるとその一升瓶二本を後ろにいた女将に渡した。
「お願いできますか?」
一升瓶を大切そうに預かった後、女将が聞き返す。
「熱燗でよろしいですか?」
「ええ」
「それとそろそろお料理を運んでよろしいですか?」
「はい。いつも通りにお願いします」
そんなやり取りから、長官がここの店をよく使っているのがなんとなくわかる。
長官と秘書官の二人が席に着くのにあわせたように、コップや食器、箸などが最初に運ばれてくる。
それを各自に配った後、藤堂少佐がニタリと笑って我々の方に向って言う。
「いいか。ここの料理は期待してていいぞ」
その言葉が合図だったかのようにふすまが開けられてついに料理が運ばれてきた。
テーブルの中央にはいろんな料理が並んだ大皿が置かれ、そしてそれで終わりではなく、それぞれの前に料理の入ったら小皿が何枚も用意されていく。
それらに盛り付けてある料理は、刺身や煮物といった普通によく見かける料理もあれば、見た事もない変わった感じの料理もあった。
それら料理は実に多彩で、実にうまそうに綺麗に盛り付けてある。
そんなのを見せつけられて明石は無意識の内に思わずごくりと唾を飲み込む。
よく考えてみたら、晩飯を食べていなかった。
それは他の誰もが同じようで、ほとんどの者がじーっと料理に視線が釘付けだった。
それだけではない。
誰かの腹の虫の音だろうか。
ぐーっという音が響く。
そんな我々の様子に、長官は苦笑して口を開いた。
「これは…まずは乾杯をして、腹を少し満たしてからの方がいいかな…」
「そうした方がいいですな」
そう言って藤堂少佐も苦笑している。
瓶ビールが用意されて全員のコップにビールが注がれると、それを手に持ち全員が立ち上がった。
全員が立ち上がったのを確認し、長官がコップを掲げて口を開く。
「我らフソウ連合の繁栄と…」
そこまで言った後、周りを見回して長官がニタリと笑った。
「我々のこれからの戦いの勝利を願って………乾杯っ!!」
その掛け声の後に全員の声が続く。
「「「「乾杯っ!!」」」
近くにいる者たちのコップを軽く当てる音が幾つも響き、全員がコップを口に運ぶ。
一気に全部飲むもの、少し口をつける程度のもの、一口だけ飲むもの。
実に色々だが、全員の表情は明るい。
そしてそれぞれがビールを飲んだ後、コップを置いて手を叩く。
あっという間に拍手が部屋を満たしていった。
そんな中、まぁまぁといった感じのジェスチャをしつつ長官が口を開いた。
「それではみんな腹が減っているだろう。まずは食べてくれ」
長官の声に、全員が座り込むとそれぞれの前に並べてある料理に手を出し始める。
明石も箸を手に取ると、目の前の料理に箸を伸ばした。
まずはこの煮物からいってみるか…。
大根と鶏肉の煮物のようだが、茶色の飴色をしている。
形はしっかりしているのに口の中に入れると蕩けるような柔らかい大根。
それに色に比べてあまり濃いい感じてはないが、それでもしっかりと醤油の味がしみている。
「おっ…これはなかなか…」
ビールを飲みつつ食べていく。
鶏肉もいい塩梅に味がしみこんでいる。
それに柔らかい。
「うまいぞ…これ…」
思わず明石の口から声が出た。
「どれだ?」
覗き込むようにこっちを見た大鷹がどの料理かと聞いてくる。
「これだよ、この大根と鶏肉の煮物だ」
「ほほう」
「お前はどれを食べたんだ?」
明石がそう聞くと、大鷹がニタリと笑って料理を箸で指し示す。
「こいつだ。この揚げ物だ。いろんなコロッケがあるみたいだ。こいつも実にうまいぞ」
その言葉に、明石は早速それを食べてみる事にした。
三つあるうちの一つを小皿に取るとまずは箸で二つに分ける。
揚げたてなのだろう。
また少しだが湯気が昇る。
断面は茶色だ。
「かぼちゃコロッケだな」
大鷹がちらりと見て解説してくれる。
それをふうふう息を吹きかけて口に運ぶ。
熱い為、ほふほふ言いながら食べると、ほくほくとした食感とかぼちゃ独特の甘み、それにひき肉のうまみが混じって実にうまい。
迷わずビールを飲む。
コップの中のビールはあっという間に空になった。
「ほれ…」
あきつ丸が笑いつつ、それを待っていたかのようにビールがコップに注がれる。
慌てて明石はコップを少し傾けてそれに対応する。
白い泡がいい感じに出て実にうまそうだ。
「おっとっと…」
溢れそうな泡を口に運んで飲む。
「こいつもうまいぞ…」
あきつ丸が自分の食べていたものを見せつつ言う。
どうやら豚肉の串焼きのようで、なにやら茶色のタレをつけて焼いているようだ。
「甘辛いんだが、これが実に酒のつまみにあうんだ」
さっそく一本小皿に入れて食べてみる。
甘辛い感じが少し強いが、それゆえに確かに酒のつまみにはぴったりだろう。
「確かに…。これもうまい…」
どうやら藤堂少佐の言葉は間違いではないようだ。
がつがつと他の料理にも手を出して食べていく。
最近の食事は、質より量や手軽さ重視だったから久々にこんなうまい料理を食べたという感じだ。
そして飲み物をビールから清酒に変える。
長官が持って来た清酒だ。
どれどれ…。
熱燗で出てきたものをお猪口に入れて飲む。
うむ…。
実にすっきりとしていて、それでいて濃厚な味と香りが実にいい。
それほど酒に詳しくはないし、いろんな酒を飲んできたわけではないが、唯一つわかる事はこの酒はかなりうまい酒だということだろう。
藤堂少佐達が喜ぶわけだ。
これなら何杯も飲めそうな気がする。
明石がそんな事を思っていると、空になったお猪口に徳利が傾けられた。
それを受けつつ誰だと思って徳利を持っている人物を見ると、そこには鍋島長官がいた。
「いい食べっぷりと飲みっぷりだ。見てて気持ちがいい」
そう言って笑う鍋島長官。
「こ、光栄です…」
なんとかそう答えたものの、まさか長官からお酒を注がれるとは思っても見なかった明石は一瞬呆然としたが、慌てて徳利を持つと長官のお猪口にも酒を注ぐ。
「おおっ、すまないね」
そのまま清酒を注がれたお猪口を口に運ぶ長官。
そして明石もお猪口を口に運ぶ。
「うまいな…」
「はい。うまいです。いい酒ですね」
「そう言ってくれると、手を回して取り寄せたかいがあるよ。今日は日頃の鬱憤を晴らすつもりでたっぷりと楽しんでいってくれ」
鍋島長官はそう言って笑った後、真剣な表情で明石、大鷹、あきつ丸に視線を向けて言葉を続ける。
「報告は受けている。理不尽に思うこともあるだろうし、かなりの負担をかけてしまっている事もわかっている。本当に申し訳ない。だが、まだ戦いが終わったわけではない。だから、これからも負担をかけてしまうと思うが、がんばって欲しい」
そう言うと、鍋島長官は頭を下げた。
「長官、そんなに頭を下げないでください。我々はやるべき事をやっているだけです」
「そんな事を言われる必要はありません。前線で戦っているわけではありませんし」
「そうですよ。我々は裏方なんですから、そこまで言わなくてもいいですよ」
それぞれ、慌てて言葉を口にする。
しかし、その言葉を聞き、長官は少し怒ったような表情になる。
そして三人を見て口を開いた。
「君達後方支援をしている者達に文句や不満を言うやつらがいる事は知っているし、彼らの言い分もわかる。だが、君達は勘違いしないで欲しい。彼らの言い分も一理あるが、絶対ではないし、必ず正しいとは限らないという事を。僕は君達の仕事を高く評価しているし、君達の働きがなければフソウ連合海軍がうまく機能しないこともわかっている。だから、もっと自分達の仕事に自信や誇りを持っていいと思うんだ。卑屈になる必要はない。それに…」
そこまで話した後、ニコリと笑う。
「何か困ったことがあったら、僕のところに来てくれ。絶対に力になるから…」
その笑顔と言葉に、明石だけでなく他の二人もかなり感動したのだろう。
身体が震え、思考は真っ白になって何か言葉を発しようとしても言葉にならず、全員が何とか口に出来たのは「ありがとうございます」という言葉だけだった。
そして、そんな三人に、鍋島長官はうれしそうに頷いたのだった。




