後始末
豪華に飾られた贅沢な部屋。
そこには対面でソファに座る二人の男が居り、部屋の主らしい男の後ろには黒服に身を包む三人の護衛らしき者が直立不動の姿勢で立っている。
ここでレコードでクラッシック音楽でも流れていれば、実に贅沢な空間になっていただろう。
しかし、音楽の変わりに部屋に響いたのは悲痛な男の叫びだった。
「どういうことなんだ!聞いてないぞ」
ソファに座っている一人の男。
年のころは三十代後半といったところだろうか。
服装と雰囲気からなんとなくだが商人だとわかる。
その商人が勢いよく椅子から立ち上がると怒りで狂っているかのように半狂乱に叫ぶ。
そんな男とは正反対に、落ち着いた、いや落ち着きすぎてまるで感情のないような冷めた表情で向かいの席に座る男。
「まぁ、落ち着いてください」
宥めるようにいうものの、感情が消え去ったような表情と淡々としたしゃべりは宥める気がないような印象さえ受ける。
「これが落ち着いていられるかっ。こんな大事になるとは聞いてないぞ」
「まさか、こんなことになるとはねぇ…」
「何を悠長に言っているんだ。このままでは、国家反逆罪に…。その時はあんたの事も…」
そう言った瞬間だった。
今まで感情のない表情をしていた男の顔に初めて感情の灯が灯る。
それは怒りとも憎しみとも違う独特のものだ。
そして男は口を開く。
「私をどうするって言うんですか?あんたも薄々わかっていたはずだ。国に背いているって事はよ」
「そ、それは…」
言いよどむ商人を見てニタリと笑みを浮かべると言葉を続ける。
「それでもあんたは話に乗ったんだ。そして、その利益をどうした?その利益のおかげで借金を返せたんだろう?一家心中しなくてすんだんだろうがっ!確かに提案したのは私だが、実際にやったのはアンタだ。すべてはアンタの決断なんだ。それを人のせいにするのはやめてもらいたいものだ」
「し、しかしっ…」
だが、その先を言わせなかった。
「もう取引の話はこれでは終いだ」
男がそう宣言するとちらりと後ろにいる護衛に視線を送る。
「お客様のお帰りだ。丁寧にお送りしろ」
丁寧と言う部分に力を込めて口を開くと、後ろに控えていた三人のうち二人の護衛が商人を抱え引きずるように部屋から連れ出していく。
抵抗はするものの、屈強な男達に敵う訳もなく、商人はすぐに部屋の外に連れ出されてしまった。
そして最後に残った男の最も近い場所にいた護衛が男のすぐ側まで近づくと前に身体を折り耳元に囁く。
「よろしいのでしょうか?」
「なぁに。たいした事はできまいて」
「しかし、国家治安警察が動き始めたという話も…」
「証拠はない」
「しかし、何かしら罪状を作って逮捕されて何かの拍子で話したとしたら…」
「ふむ。それはそれで問題だな」
そう言いつつも、男の表情には危機感といったようなものは浮かばず、ただ淡々と言葉を継げる機械のようであった。
しばらく黙り込んだ後、男は仕方ないといった感じで口を開く。
「ふむ。使い勝手のいい駒ではあったがそろそろ捨てる時なのかもしれんな。よし。始末を任せる」
その男の言葉に、護衛が深く頭を下げて言う。
「はっ。いつも通りに始末しておきます」
「うむ。任せた。きちんと慈悲深くな。それと、本部には計画はうまく言っている事を伝えよ」
「はっ。きっと恐れ多いあの方もお喜びになられるでしょう」
男はこくんと頷くと右手を軽く上げる。
それが会話終了の合図だったのだろう。
護衛は深々と頭を下げると後ろに下がって男から離れると上半身を起す。
そして、一礼した後、部屋から出て行った。
「ふう…」
男は息を吐き出すと目の前のカップに視線を向ける。
また微かに湯気が立っているコーヒーがそこにあった。
それを握り口に運ぶ。
鼻の奥にコーヒー独特の匂いが入り込む。
たしかこの独特の匂いは…。
そして銘柄を思い出す。
ああ、あの商人が輸入していたものだ。
癖があるものの、最近のお気に入りの豆だ。
「ふむ…。新しい仕入先を探しておく必要があるか…」
そんな事を呟くようにいうと、男はコーヒーカップに口をつけたのだった。
翌日、王国首都の外れにあるドクトルト神教の教会の懺悔室で一人の男が遺書を残してピストル自殺をした。
遺書には短く『自分の所業が許せない。死して皆に詫びる』とだけ記されていた。
男の名は、アルニモア・キルナンデスト。
そういう名の商人で、王国に植民地から買い上げたものを輸送販売を生業にしており、最近、待望の一人息子が産まれ子煩悩で有名であった。
その商人が取り仕切るのがアルニモア商会。
王国でも結構名の知れた老舗の商会で、何代にも続く長い歴史を持つ。
だが最近は、経営に苦しんでいたという。
最初、世間ではその男の商会はかなりの借金があった為に借金苦で自殺したと思われていたが、のちに警察の調べで借金はほとんど清算していた事がわかった。
その為、何を理由に自殺したのか、憶測が広がっていく。
推測は、男女の縺れから始まる人間関係や金銭トラブルなど実に多彩であったが、誰もがまさか今の王国と共和国の亀裂のきっかけの一部に加担したとは思わなかった。
ほんの一部の人々を除いて…。
「やられたっ…」
報告を聞いて王国宰相であるエドワード・ルンデル・オスカー公爵は報告書をデスクに放り投げる。
その顔に浮かぶのは苦々しい感情のみだ。
昨日、国家治安警察を動かして調査を始めたばかりであり、物価操作疑惑の最も重要な参考人であった。
やはり、早めに理由をつけて拘束しておくべきだったか…。
昨日の今日で始末されてしまうとは予想外であった。
それは裏を返せば、フソウ連合の予想通り、物価変動価格による富を餌に、商人を動かして今回の騒ぎを起したという事であり、その実行犯と思われる商人が遺体で発見されたという事は、それを裏で操っていた連中がいる事を示す。
また、国家治安警察内に裏でうごめいているシンパが入り込んでいる事でもある。
早急に何かしら手を打たねばならないようだな。
それに参考人が死亡したとはいえ、証拠が完全に消されたわけではない。
すぐにでも捜査を進まなければならない。
しかし、もう国家治安警察は下手に動かせない。
ならどうするか…。
やはり、やつの力を借りるしかないか…。
宰相はそう判断すると立ち上がって外出の用意を始めた。
あいつのところに行くのは久々だな。
出来れば頼りたくはないんだが…。
そんな思いがある。
だが、最初からあいつに依頼すれば参考人は死ぬことはなかったかもしれない。
その迷いの為に王国は証人という大きな証拠を失ってしまった。
もう迷っている余裕はない。
世界が大きく変わろうとしているこの時期に、迷う余裕などほとんどないのだから…。




