火種…
「お嬢様、急ぎの報告書でございます」
執事が結構な厚さの紙の束を渡す。
「ありがとう。目を通しておくわ」
アリシアはそう答えて書類を受け取るとふと気が付いたかのように聞き返す。
「そう言えば、お父様は?」
執事はまるで鋼が入っているかのような直立不動のまま口を開く。
「はい。フランドリシス卿との会合でお出かけでございます」
「あらそう…。それで護衛の方は?」
「はい。選りすぐりを三名つけております」
「そう。なら安心ね」
そう答えて受け取った書類に目を通す。
先に進むにつけてアリシアの顔が少し険しいものになった。
そして、全てを読み終わると書類をテーブルの上において執事の方を見る。
「これ…本当?」
「はい。嘘ではございません。間違いのない事実です」
「そう…。本当に物騒よね」
そう言いつつ、アリシアは視線を書類に戻した。
その書類で報告された事。
それは、得体の知れない連中が国内を暗躍し始めており、それに対して裏で対応している事が事細かに書かれていた。
「ここまで派手に名前が売れたおかげで私が狙われるのが減ったのは嬉しいんだけど、その分、お父様やその友人方に矛先が向かうなんてね…」
「ここでお嬢様が急死なんてなったら相手も疑われる恐れがある上に大事になるとわかっているのでしょう。それよりは、身内を少しずつ削っていき、プレッシャーをかけていくのがいいと判断したのでしょうね」
その執事の言葉に、アリシアは吐き捨てるように言う。
「本当にねちねち気持ち悪い事…」
しかし、そう言ってすぐに苦笑した。
「あ、でも私達も人の事は言えないか…」
「いえ。大きく違います」
アリシアの言葉に、執事がすぐに真面目な顔で否定の言葉を口にする。
そして、真剣な表情で言葉を続けた。
「我々ならここまで簡単に失敗してばれる様な事はしませんし、何よりもう少し上手くやりますよ」
その言葉にアリシアはくすくす笑う。
「そうね。そうだったわ。私達に比べたら、下の下って所かしら…」
「はい。その通りでございます」
「ふふふっ。私達にちょっかいを出したらどうなるか、たっぷり相手に教えてあげないとね」
「はい。了解いたしました」
そう言って頭を下げて執事が部屋から下がろうとした時だった。
ドタバタと駆けるような音がしたかと思うと、ドアが激しくノックされる。
「騒がしいわね。どうしたの?」
ドアの向こうにそうアリシアが声をかけると、「失礼いたします、お嬢様」と言ってドアが開けられる。
そして声の主である執事の部下の男が荒い息をしたまま頭を下げて入ってくると叫ぶように報告した。
「申し上げます…。今朝、わが国の商業船団が、王国と思われる艦隊に攻撃を受けました」
一瞬動きが止まったアリシアであったがすぐに我に返ると聞き返す。
「どういうことですかっ」
「はいっ。第13商船団が昨夜の二十二時頃、アントクカ諸島で王国海軍と思われる艦隊に襲撃を受け、かろうじて戦線離脱できた護衛の装甲巡洋艦一隻を除き、残りは壊滅しました」
信じられない報告に再度聞き返す。
「それは本当ですか。王国海軍で間違いないのですか?」
「はい。生き残ってなんとか共和国植民地のアルートフインナの港に入港した艦の艦長からの報告です。襲ってきた艦隊は王国海軍旗を掲げており、艦艇も王国式の戦艦と装甲巡洋艦で構成されていたそうです。アルートフインナの港に駐留している共和国海軍派遣艦隊はすぐに救援に向かったのですが、半日近く経った後では現場には生存者はなく、破壊された艦と思われる漂流物と油などしか確認できなかったそうです」
「なぜ、そこまで連絡と動きが遅れたのですか?」
「離脱した装甲巡洋艦もかなりの手傷を受けており、誘爆こそしませんでしたが武装関係や艦橋周りは半壊、通信関係はほぼ壊滅だったそうです」
そこまでの報告を聞き、アリシアは考え込む。
おかしい。
おかしすぎる。
確かに王国と共和国はうまくいっていない。
ある意味、仮想敵国と言っても差し支えないだろう。
しかし、今の王国は、戦力の建て直しで精一杯のはずだ。
その為に、フソウ連合と同盟を結び、世界随一の海軍国家というプライドを捨ててまであの国から大型戦艦を受け取った。
それに、帝国が動けなくなったとはいえ、まだ帝国との戦いは続いている。
あまり多方向に敵を作るのは下策と言うものだ。
なにより利点がない。
商業船団には手を出さない。
それが六強の暗黙の了解になっているのだ。
それを他の国全ての不信を買ってまで破るだろうか…。
また今あの国の主流となりつつあるアーリッシュ派はどちらかと言うと穏健派と聞く。
それらを考えれば、よほどの事がない限り、こんな事はやらないだろう。
つまり…これは王国を騙った連中が行った事であり、共和国と王国の関係悪化を狙った行為であるという事であり、今の王国と共和国の関係を考えれば、それは簡単に狙った通りに進行してしまうのは間違いなかった。
「この情報はどこまで流れていますか?」
「はっ。残念な事に情報管制がうまくいっておらず、かなりの割合で民間に流れていると思われます」
それはすぐに国民に知れ渡ってしまう事を意味している。
敵対国の攻撃、そんな火に油を注ぐような情報が出回れば結果はおのずとわかってしまう。
アリシアの口から思わずため息が漏れる。
最悪の結果になりそうな条件が揃い過ぎている。
悪い予感しかしない。
だが、そう言って黙って手をこまねいているわけにはいかない。
「すぐに各方面に下手な行動に出ないように働きかけて。どんな手を使ってもいいわ」
「はい。わかりました」
「それと王国の大使館に確認を…」
「勝手に動いて問題にならないでしょうか?」
退出し損ねて黙って聞いていた執事が心配そうな顔で聞いてくる。
彼はアリシアの母の代から仕えており、殺し殺されるという修羅の時代を母親と過ごしている。
だからこそ、母親と同じような目にあわないか娘である私を心底心配しているのだろう。
その心遣いはありがたかったが、急いで動く必要がある。
遅れれば、取り返しがつかなくなる可能性があるのだから。
だから、その心遣いに感謝しつつ、アリシアは口を開く。
「ありがとう。でも、すごく嫌な予感がするの。こういう勘って外れたことないから早めに手を打ちたいの」
「わかりました。お嬢様。すぐに対応いたします」
執事は深々と頭を下げると報告に来た部下と一緒に部屋から退出した。
それを見送った後、アリシアはソファに深々と座り込んだ。
「ふう…。また大荒れしそうな感じよね…」
そう呟いて窓の方に目をやると、まるで今からの嵐を予想していたかのように雨雲が妖しく広がり始めていたのだった。
そして同じごろ…。
王国海軍軍務省の『海賊メイスン』こと海軍軍務大臣サミエル・ジョン・メイソン卿に一つの報告が入る。
共和国の艦隊が王国の商船団を狙って動いているという情報だった。
共和国の連中は馬鹿で間抜けな連中だが、まさか商船団には手を出さないという国際的な暗黙の了解を放棄する事をしでかすほどではあるまい。
そう思ったものの、商船団の共和国艦隊の目撃情報が幾つも報告されているという現実に無視できるはずもない。
今や王国の最強艦隊となった第203特別編成艦隊の司令官のミッキー・ハイハーン中佐を初めとする王国海軍の提督や艦隊指揮官を集めて会議する事態へとなっていた。
「恐らく威嚇だけであり、実際に手を出す事はないのではないでしょうか…。実際、二十三年前の小競り合いの時に帝国が使った手です」
そう言ったのは、主に航路警備を主とする第十八航路警戒艦隊を取りまとめているマイク・ハンダーソン大佐である。
「そうだな。確かに帝国が圧力をかけるために使っていたな」
その結果、王国海軍は、第13航路警戒艦隊艦隊を初めとする装甲巡洋艦を主力とした多数の航路警戒艦隊を配備するに至っている。
「ならば、航路警戒艦隊の動きを活発させれば問題ないのではないでしょうか?」
一人がそう意見するも、すぐに別の人物から反論がでる。
「しかし、予算というものがあります。現状の予算では、ある程度の警戒強化はできると思いますが、限界はあるでしょう…。それに何より、艦隊の数が足りません」
「ふむ…。旧式化した駐留艦隊や航路警戒艦隊の艦艇交換に、それに失われた本国の主力艦隊の補充…。数はいくらでも必要ですな」
「だが、航路警戒艦隊には、優先して艦艇の交代をお願いしたいですな。海賊の動きも活発化していますし…」
「何を言う。植民地の駐留艦隊にもっと戦力を割くべきだ」
「違うぞ、諸君。本国主力艦隊の補充を優先せねばなるまい。なんせ、帝国とはまだ戦っているのですからな」
「ですが、帝国は今ガタガタで大きな軍事行動は取れますまい。それに、我々には第203特別編成艦隊のネルソン、ロドニーがあるではないか」
「しかしだな…」
それぞれの立場を言い続ける提督や艦隊指揮官達。
しかし、それは仕方ないのかもしれない。
少しでも戦力を欲しているのはどこも変わらないのだから…。
だが、このままでは終わらないと感じたのだろう。
メイソン卿が、口を開いた。
「皆の意見、実にもっともだ。だが、艦艇はそうポンポンと用意できるものではないし、軍の予算も上限はある。だから、お互いに協力し合ってやっていくしかあるまいて…」
その言葉に、その場にいた全員が頷く。
それを確認した後、メイスン卿は言葉を続けた。
「だが、何かしら改革が必要なのは間違いないことだ。以前知らせていたように、艦艇の基準の変更を初め、王国海軍は大きく変わらねばならない。だからこそ、王国全体を見たより建設的な意見が欲しいのだ」
そう言われてしまえば、自分の事ばかり言ってられない。
それにそれぞれの意見はあるだろうが、だがそれほど全体を考えた意見は思いつかないのだろう。
その場を沈黙が包む。
しかし、そんな中、挙手しミッキーが発言する。
「上手くいくか試してみなければならないと思いますが…」
そう前置きして提案したのは、漁船を使っての近辺の航路警戒であった。
「漁船を使うだと?」
「ああ。漁船に無線機を載せて、漁をさせつつ警戒させるのだ。そうする事で近辺ではあるものの、航路警戒の為に必要な戦力を削減する事ができるのではないだろうか。そして、もしうまくいったら削減出来た分の艦艇を他の手薄な航路を警戒にまわせば、予算の増加を抑えつつ警戒強化ができるだろう。もっとも、漁船に積む無線装備等の初期経費と報奨金は必要だがな…」
そのミッキーの発言に、メイスン卿は興味を示した。
「ほほう…。面白そうなアイデアじゃないか…」
そこまで言ってニヤリと笑う。
その視線は悪戯を見つけたぞと言わんばかりのものだ。
そして、その視線にミッキーは居心地が悪そうな表情をする。
「で…、そのアイデアはどこから出た?」
ふうとため息を吐き出すとミッキーは口を開く。
やっぱりかなわないなという表情で…。
「フソウ連合が、密漁や違法的な入国に対して実施しているそうだ。100パーセント発見とはいかないが、かなり検挙率が上がったらしい。密入国とかに対処できるなら警戒にも応用できるではと思いまして…」
フソウ連合という名前が出た途端、他の人々からため息が漏れた。
今や自分たちが今まで培ってきた方法とはまったく違う思考や方法、自分達を凌駕する技術や文明が、未開の地と言われている東の一国からもたらされている。
自分達が持っていたものが崩されていく様は面白くない。
だが、それでも納得するしかないのだ。
今の王国にそういう余裕がないのだから…。
しかし、それでもしこりは残る。
今までしてきた事はなんだったのかという思いに駈られているのだろう。
その場にいた全員の顔をぐるりと見渡した後、メイソン卿は苦笑して口を開く。
「しけた面するんじゃねぇ。いいものは取り入れていく。そして今まで培っていた王国海軍の伝統と技術と融合させ、より高みを目指す。それだけだ。胸を張れ。我々のすべてが否定されているわけではないのだぞ。今までの自分に自信を持て」
その言葉にうつむき加減だった顔に少し活気が戻ったような感じがしたときだった。
ドアが激しくノックされる。
「入れ」
その声に、ドアがすぐに開けられ一人の兵士が慌てて会議室に入ってきた。
そして、敬礼をすると荒い息のまま口を開く。
「会議中に失礼します。緊急連絡であります」
メイスン卿の側まで駆けるように近づくと手に持っている紙を渡す。
それを受け取り、メイスン卿は紙を何度も読み返す。
そして、深くため息を吐き出すとぐしゃりと紙を握りつぶした。
「どうやら、共和国はこっちが思っていた以上に愚かだったようだ。南回りの第19商業船団が共和国海軍の襲撃を受けたと報告が来た…」
その言葉に、その場にいた全員が唖然として言葉を失う。
そして、彼らは、今、共和国との戦いの火蓋が切って落とされたような感覚を味わっていた。




