日誌 第百三十八日目
軍法会議が終わり、長官室に戻って来てソファに座り込んだ僕の前にすぐにコーヒーが用意される。
もちろん、準備してくれたのは東郷大尉だ。
「どうでした?」
「ああ、なんとか思っていた結果になったと思うよ」
僕はそう言ってコーヒーに手を伸ばす。
「それでどうなったんですか?」
「謹慎一ヶ月だ。もっとも、制限ないから休暇みたいなものだけどね」
僕の言葉に東郷大尉が怪訝そうな顔で聞いてくる。
「それでよかったんですか?」
「まぁ、そうなるまではかなりもめたさ。ただ、僕としては毛利大尉を処罰したくなかったんだ。なんせ彼はこっちの無理なオーダーを持てる戦力できちんと遂行したんだから」
「確かにそうですよね」
そう言いつつ僕の前に立ったままでいる東郷大尉に、僕は座るように促すと、大尉は遠慮がちに向かいのソファに座る。
もっときちんと座ってもいいんだけどな。
そんな事を思いつつ、僕は言葉を続けた。
「最小限の被害で一番いい結果を出したんだから本当なら賞与ものだよ、今回の事は…。もっとも、少し軍規に引っかかる部分があった為に現実はそう出来なくなっちゃってるんだけどね」
「航空戦力の運用を多くの目に曝してしまったという事ですね」
「ああ。その通りだ。確かに、飛行機の存在は大きく公開していないし、飛行機の有効性をさらしてしまったというのは問題だと思う。だがね、いつまでも隠し通せるものではないとも思っているんだ。実際、フソウ連合国内では、普通に大型飛行艇が飛んでいるし、航空戦力が増えることによって多くの国内の人々の目に触れる機会も増えてきたと思う。それにもう航空戦力は戦闘に参加している。共和国の首都攻略艦隊に対しての攻撃。それに、天候が荒れなければ、帝国の艦隊に対しての航空機による攻撃を行うつもりだったんだ。それらの事を考えれば、機密ランクは以前と比べて大きく下がった。それにだ。いざとなったら大きな決断も出来る貴重な人材を潰したくなかったんだ」
僕の言葉に重ねるように東郷大尉が口を開く。
「だから長官としては、なるべく穏便に済ませたかったと?」
「ああ。それにね、アルンカス王国の感謝状に、勲章授与、木下大尉の報告書による嘆願、さらにだ…」
僕はそこで一旦言葉を止めて苦笑する。
「瑞穂や参戦参加艦艇の乗組員や偵察隊の嘆願書なんかを出されてはねぇ…」
「えっ…えっと…それって…どれくらいなんですか?」
「戦闘参加艦艇の乗組員の八割ってところだな。副長の海辺中尉がニコニコしながらこっちに出頭する前に報告書と一緒に山本大将に提出したらしい。山本大将がニコニコしながら見せてくれたよ」
東郷大尉が驚いた顔で聞いてくる。
「それって…まさか…」
僕は呆れたような顔で頷く。
「ああ、どうやらこっちに戻ってくる前に海辺中尉に山本大将が入れ知恵したみたいだ。それに王国での勲章授与も毛利大尉は最初は断ろうとしたらしいんだけど、山本大将が絶対に授章しておけって連絡入れたみたいだしね」
「それじゃあ、新見中将は困ったでしょうね」
「ああ。もっとも新見中将も処罰したくないという気持ちはあったみたいだけど、立場があるからね」
僕の言葉に、東郷大尉が何と言っていいのかわからないといった感じの表情で苦笑する。
「なんか…貧乏くじ引いてますね」
「だけどね、彼が言う事も正論だと思うんだ。軍規は守らなければならない。それは基本なんだ。だから彼はあえて嫌な役目をやってくれたんだと思う。全部が全部、僕や山本大将みたいな感じだと組織は駄目になっていくと思うからね。だから、新見中将はそんな事ができる貴重な人員だと思うよ」
「ふふっ。信頼されていますね。そう言ってあげたら新見中将も喜んでくださるのでは?」
そう言ってくすくす笑う東郷大尉。
「そうかなぁ…。『何を言っておられるんですか、長官っ。そんなことより…』って言われそうだ。渋い顔をして…」
僕がそう言うとその場面が想像できたのだろう。
東郷大尉は気持ちよく笑う。
それに釣られて僕も笑った。
そして、ある程度笑いが収まった後、すーっと思いが口から漏れた。
「こっちの世界では、本当に僕は人に恵まれているよ」
僕の何気ない言葉に、少し覗き込むような視線で東郷大尉が聞き返す。
「こっちの世界?」
「ああ。向こうの世界では、こう言ったらなんだけど、人にそれほど恵まれていたとは言えなかったからね。確かに光二さんに、つぐみさん、それに美紀ちゃん。模型倶楽部の人達…。友人にはすごく恵まれていたとは思う。ただ、仕事やそれ以外ではさっぱりだったんじゃないかな」
僕の言葉に、東郷大尉は何と言ったらいいのか迷ったような表情になった。
だから僕は笑い飛ばす。
「だからこそ、今はこっちに来てよかったと思っている。東郷大尉を初め、すごく大切な人達と出会えて絆を結べたと思うから」
「長官…」
ほっとしたような顔で僕を見る東郷大尉。
そして、それは自然とうれしそうな笑顔へと変化していく。
何でだろうか。
東郷大尉の顔から視線が離せなくなっていた。
回りの景色が霞み、今目の前にある東郷大尉の顔だけがはっきりと見えている。
多分、それは東郷大尉も同じなのだろう。
頬を朱に染め、潤んだ目で僕を見つめている。
どれだけ時間が経っただろうか。
お互いの顔を見つめ、そして…。
トントンっ。
ドアが叩かれる音が響き、僕らは魔法が解けたように我に返った。
慌てて音の方に視線を向けると、開いたドアの横にニタニタ笑っている三島さんが立っていた。
「お邪魔だったかしら?」
わかってて言っているのがわかるが、気が動転している僕は慌てて言う。
「い、いや。だ、大丈夫だっ。東郷大尉、コーヒー美味しかったよ」
いつの間に飲み終わっていたのかコーヒーカップは空になっており、それを東郷大尉に渡す。
それをうけ取ると東郷大尉は真っ赤な顔のままそそくさと退出していった。
「いい雰囲気じゃないか」
ニヤニヤ笑いをしたまま、三島さんがこっちに来ると「よっこいしょ」と言いながらソファに座る。
さっきの事をいろいろ突っ込まれないようにするため、僕は苦笑して突っ込む。
「よっこいしょって…」
「なぁに、ちょっとした大仕事がなんとかなりそうなんでね。ついつい言ってしまったと思っておいてよ。今日は経過報告ってところかな。それに学校街の件もあるしね」
三島さんはそう言って脇に持っていた大きい分厚い封筒を差し出す。
それを受け取り、中身を出す。
中は幾重にも分けてとじられた書類の束であった。
「これ…結界の件での報告書ですか?」
「ああ。今までの嵐の結界を警戒用の結界に変えた場合の変化についてと、警戒する為の魔術師の理想配置図、それに必要な魔術師の総数とかかな…」
ぱらぱらと中身を飛ばし読みしながら三島さんの話を聞く。
「かなりしっかりした内容ですね」
「そりゃしっかりもするさ。魔術ってのは法則があるんだ。科学や物理に近いんだよ」
その三島さんの言葉に、僕はふと頭に浮かんだ言葉を口にする。
「等価交換って事ですか?」
「そうだね。錬金術の最も根本的な原理だし、魔術にも当てはまるかね」
「なら、僕のジオラマを現実にし、それにあわせて限定された場所とは言え、歴史改ざんまでしてしまうって…」
驚きつつそういう僕に、三島さんは苦笑した。
「ああ、あれで長年ずっと貯めてきた魔力をごっそりと失ったよ。そうだなぁ…七割は失ったかな」
そう言った後、三島さんはニヤリと口角を歪める。
結構、美人なだけに中々さまになる微笑だ。
「だけど、そのおかげで君がこの国に関わる事になり、それに君の作ったジオラマが現実化し、その戦力がフソウ連合を守る盾となった。だから、どっちかと言うと損よりも得の方が大きいかなと思うよ」
そう言い切った後、カラカラと笑う。
「そう思ってくれたなら、それに恥じないようにがんばらないといけないですね」
「ああ、その調子で頼むよ」
「ええ。それで話はこっちに戻りますが、二十四時間警戒に必要な人員はなんとかなりそうですか?」
「ああ、問題ない。警戒し、侵入者を感知するのには、それほど高い魔術の素質は必要ないし、補助の機材を使ってやるからね。一つの拠点に五人から六人を派遣出来る人数は確保している」
「五人か…。なら一人休暇で一人八時間勤務にしてある程度二人体制が維持できる状態に出来ますね」
僕の言葉に、三島さんは不思議そうな顔をする。
「二人体制にしなきゃ駄目なのかい?」
「ええ。ヒューマンエラーを少なくする為には、二人体制は必要ですね。まぁ、いざとなったら、魔術師一人と補佐の軍人一人の二人体制でもいいとは思いますが、出来れば魔術師二人体制がベストかな」
「色々考えているんだねぇ。わかった。こっちも後任の育成に力を入れて、無理なく出来るようにしていくよ」
「それで結界の変更の実施は何時頃になりそうですか?」
少し考え込む三島さん。
だが、すぐに口を開いた。
「そうだね。四月からっていうのでどうだい?」
「構いませんけど、その根拠はなんです?」
「学校街とかも一応ある程度完成し、本格的に四月から開始になったからね。それにあわせようと思ったのさ」
その言葉に、僕は笑う。
「そういうことですか。僕はてっきりいろいろ理由があるのかと思いましたよ」
「笑わなくてもいいじゃないか。実際、区切りがいいから問題ないだろう?」
「確かにそうですね」
僕はそう答えつつ、言葉を続けた。
「四月は、フソウ連合にとって大きな変化の月になりそうですね」
「ああ。期待しているよ、長官」
三島さんがニコリと笑ってそう言ってくる。
僕はその笑顔に苦笑を返す。
「僕としては、楽なのがいいんですけどねぇ…。多分、忙しくなるんだろうなぁ…」
僕の言葉に、三島さんは大笑いをしたのだった。




