再会 その1
「フソウ連合の使者だと?」
バチャラは最初にその報告を聞き、ついに来たかと気を引き締める。
共和国からは、四月にフソウ連合へのアルンカス王国の引渡しが実施されるとだけしか伝達されていなかった。
またそれを裏付けるかのように、その伝達の後、国内から共和国関係の人間が潮が引くかのように一気にいなくなっている。
その変化は薄々国民達も気がついているようで、かなりいろんな噂になっているらしい。
だが、それで変な事をしでかす馬鹿はいないようだ。
すでに苦汁を舐めている現状なのだ。
これ以上、悪くなるのかどうかわからない状態でどうのこうも言っても始まらない。
それに嫌われ者の共和国の人間がいなくなって清々した。
ほとんどの者は、皆、そう思っているという報告を受けている。
おかげで不慮の事態を恐れる事もなく、フソウ連合への対応に集中できるというものだ。
実にありがたいと思う。
そして、それに答える為にも少しでもわが国の有利になる条件を引き出さねばならない。
だが、一つ問題がある。
それはフソウ連合の資料が少なすぎるという事だ。
だからこそ、今回の使者はありがたかった。
この使者から情報を引き出さねばならない。
それと同時に、失礼があった場合、この後の交渉に悪影響を及ぼさないように注意が必要だ。
そうなると、やはり姫と引き合わせねばならないだろう。
たかが一人の使者のために王族、それも唯一の生き残りであるチャッマニー姫さえも引き合いに出さねばならない事は屈辱的だが、今はそう言ってられない。
そう判断し、姫に連絡をするように伝え、王宮の最上級の応接間へと使者を案内するように命じた。
それぞれ部下達が動き、準備が整えられる。
さて…、何が出てくる事になるだろうか。
ごくりと唾を飲み込むと共和国領アルンカス(旧アルンカス王国)の宰相バチャラ・トンローは立ち上がる。
今から向かう先は、アルンカス王国を左右する戦場だ。
そう覚悟を決めて…。
しかし、その決心は使者と出会い、大きく崩れる事となった。
この男が…フソウ連合の使者だと?!
応接間に現れた男を見て、バチャラは拍子抜けしてしまった。
厳つい男か、小難しそうな中年、或いは初老の男を想像していたのだが、目の前にいたのは白い軍服を身にまとった二十代の若者だったためだ。
確かに真面目そうな好青年といった感じではあるが、こういった外交などの交渉事は、真面目だけではどうにもならない。
いかに相手に自分の条件を飲ませるか、自分の都合がいいようにするか、ある意味、化かしあい、騙しあいといった事が当たり前だ。
しかし…、まぁいいだろう。
それだけフソウ連合は、我々を舐めてかかっているという事だ。
それならそれで付け入る隙はあるだろうし、相手の油断は我々には好機である。
そう思考を切り替えると、バチャラは立ち上がって、使者を迎えた。
「ようこそ。私はこの共和国領アルンカスの宰相の任についております。バチャラ・トンローと申します。お見知りおきを…」
そう言って頭を下げると、相手も頭を下げた後、いかにも軍人らしいキビキビした態度と声で挨拶をしてきた。
「面会を許可していただきありがとうございます。自分は、フソウ連合海軍大尉木下喜一であります。今回は、フソウ連合の使者としてまいりました」
「わかりました。お話をうかがいましょう。まずはお座りください」
「ありがとうございます」
互いに席に着くとすぐに侍女がワゴンで茶を用意する。
アルンカス王国で良く飲まれているチャカという葉を使った茶だ。
普通なら始めてみるものに興味を示しそうだが、木下大尉はそれよりも侍女の方に顔を向けると頭を下げた。
「あ、恐縮です」
そう言って侍女にも頭を下げる当たり、かなり腰が低い人物なのかもしれん。
それだけでバチャラの中で彼の評価が上がる。
なんせ、傍若無人な共和国の人間と散々会ってきたのだ。
それら比べると、正に雲泥の差と言っていいだろう。
実に好感が持てる。
しかし、外交というものは、彼個人のことだけではわからない。
彼自身の評価は上昇したが、フソウ連合の評価が上がったわけではないのだから。
そんな事を考えていると、木下大尉は苦笑して口を開いた。
「しかし、この国は暑いですな」
よく見ると彼の顔には汗が浮かんでいる。
確かフソウ連合とは、温度に二十度近い差があると聞いた。
しかし、彼が来ているのは薄手とは言えきっちりとした軍服である。
多分、フソウ連合で使われている夏用の軍服だろうが、ここではあまりにも役に立たないだろう。
「我々は、これが当たり前なのですが…やはり、そう感じられますか」
「ええ。本当に。まさかここまで暑い地域に来ることになろうとは思っても見ませんでした。これは、こういった地域に対応した軍服を用意するように本国に言わなければなりませんね」
笑いつつそういう木下大尉に他意はなさそうだが、その言葉をどうしてもこの国を支配するといった感じにとってしまうのは過度な思い込みだろうか。
彼を見ているとそんなことさえ感じてしまう自分に嫌気が差しそうな気分になる。
もし、そういったところまで計算して実行しているというのなら、この木下大尉はとんでもない人物だという事になるだろうが、まぁ、それはないだろうとバチャラは判断した。
いかん。いかん…。
どうもこう言った感じの好感が持てる相手はやりづらいものだ。
どうしても、今までの共和国関係者と比較してしまう。
だから、用件を切り出すことにした。
「それで、今回はどういったご用件でしょうか?」
そう言った瞬間、笑顔だった木下大尉の顔が引き締まる。
その切り替えに、バチャラは心の中でニヤリとわらった。
使者としてこちらに来る以上、それぐらいは出来なくては困る。
これでやっと私も本気でやれそうだ。
彼に対してもっていた好意を心の奥に押し込めると心に活を入れる。
「今回、こちらに伺ったのは、共和国側から連絡があったとは思いますが、貴国の譲渡の件であります」
「ええ。聞いております。共和国から貴国のフソウ連合にわが国の全ての権利が譲渡されたと…」
そのバチャラの言葉に、木下大尉は少し残念そうな顔をして口を開いた。
「本当なら、こういった事は行うべきではないのかもしれません。しかし、こうなってしまった以上、まことに申し訳ありませんが、貴国にはこの現状を受け入れて欲しいのです」
その言葉に、バチャラは違和感を感じた。
今までの他国なら、こういった場合、こんな言い方はしないだろう。
上からの命令とし、絶対服従を強要される。
それが、世の常であり、世界のルールのはずだった。
なのに私は今、それに反する事を言われている。
だから思わず聞き返す。
「なぜ、『まことに申し訳ないが受け入れて欲しい』というのですか?なぜ。命じないのです?貴方達フソウ連合は強国であり、弱者を従わせる力がある。なのに…」
そのバチャラの言葉に、木下大尉は苦笑した。
「我々フソウ連合海軍最高司令長官であり、フソウ連合外交部最高責任者の鍋島長官がある時、フソウ連合の外交について話された事があります。その時に言われたのです。『強さは関係ない。お互いに出来ること、できない事を補い、共に栄える事こそ理想的な他国との係わり合いではないか』と…。私はそれに感動し、そうあるべきだと思いました。だからこそ、お願いしたいのです」
信じられないといった表情でバチャラは聞き返す。
「貴国は、わが国を植民地にしないのですか?」
木下大尉はニコリと笑って答える。
「うちの長官は、植民地支配をすごく嫌っていますので…」
バチャラは唖然として何も言えなくなっていた。
今まで、支配し、支配されるのが当たり前だと思っていた。
対等な立場でと言う事は考えた事はなかった。
だが、その時、ふと頭に浮かぶ言葉ある。
『我々は対等だ。確かに人の目があるときは仕方ないが、二人の時は対等だからな。なぜなら、我々は友だからだ』
それは今は亡きバチャラの親友であり、先王の言葉だった。
だから、自然と言葉が口に出た。
「つまり…フソウ連合は、我々を友としたいという事でしょうか?」
その問いに、木下大尉は頷く。
「ええ。本国の方からの指示では、貴国との友好な関係を構築せよといわれております」
そして、用意していた封筒を差し出す。
蝋で止められた封筒で、蝋の部分には菊の模様と文字がはっきりとついている。
フソウ連合の他国への外交文書として使われている蝋印だ。
前時代的ではあるが採用されている。
「今朝、送られてきたものでフソウ連合本国より貴国への提案が書かれております。ここ首都コクバンのホテルで滞在しておりますので、ご検討され返事をお知らせください」
木下大尉はそう言うと立ち上がった。
言うべき事は伝えた。
つまりはそういうことだろう。
唖然としていたバチャラだったが慌てて立ち上がり、ドアの方に付き従おうとした。
その時である。
ドアが叩かれ、告げられる。
「チャッマニー姫が来られました」
その声に、バチャラは慌てて木下大尉に言う。
「どうやら主が来たようです。よろしければ顔合わせだけでも…」
「しかし、私は一介の使者でしかありません。王族の方に会うなど…」
謙虚にそういう木下大尉に、なぜかバチャラは会わせたほうがいいと感じて言う。
「わが国と友好的な関係を構築せよといわれたのでしょう?」
そう言われてしまえば、断れなかった。
「わかりました。ご挨拶だけということで…」
そう言って木下大尉は椅子のところに戻る。
するとタイミングを計ったかのようにドアが開かれ、チャッマニー姫が侍女を一人引き連れて入室した。
自然と姫の視線が木下大尉に動き、もちろん木下大尉の視線も姫に動く。
そして、二人は…言葉を無くす事しか出来なかった。




