アルンカス王国 首都コクバン 王宮の一室にて
「姫様、どうなされたのですか?」
侍女の一人が心配そうな顔で覗き込むようにしながら聞いてくる。
彼女の名前は、プリチャ。
美人ではないものの、愛嬌のあるかわいい感じの顔と機転がきくため、二十歳という若さで姫付き侍女を任されている。
何人かいる姫付き侍女としては最年少だが、チャッマニー姫と年齢が近いこともあり、彼女からは姉のように慕われていた。
「プリチャ…。ううん…なんでもないの…」
ベッドの上でシーツをかぶっていじけているのだからなんでもないわけではないのだが、プリチャはそれ以上聞かなかった。
チャッマニー姫は普段から大人顔負けの思考と態度を求められており、年相応の女の子として振舞えない。
その上、王家最後の生き残りと言う事もあり、その重圧とストレスは大変なものになっている。
だからこそ、こういう時は、年相応の女の子として対応するのが正しいと今までの経験でわかったからだ。
それに、この状態では、まるで貝の様に頑なで、何を言ってもやっても無駄だということもわかっている。
だから、ベッド脇の椅子に腰掛けるとプリチャはゆっくり待ち、姫が話したくなったら、相談をうける。
それが二人の…チャッマニー姫とプリチャのやり方だった。
五分ぐらい経っただろうか…。
シーツから少し隙間を空けていつもの場所にプリチャを確認すると、チャッマニー姫はぽつりぽつりと話し始めた。
フソウ連合の人と出会い、仲良くなった事。
その人と話したり、一緒にいるとすごくうれしい事。
だけど、口が滑って、余計な事を喋ってしまい、疑われてしまった事。
それらを少し落ち込んだ声で話し終わるとチャッマニー姫は大きくため息を吐き出した。
「もう、彼とは…キーチとは会えない…。でも、会えないと思うと、胸が苦しいの…」
「そうでしたか…。お忍びで街に行かれた時に、そんな事が…」
そう言えば、ここ最近は、お忍びで街に行かれる時、すごく楽しそうにされていた事を思い出す。
一応、護衛が付いていたはずだが、多分いつものごとく撒かれてしまったのだろう。
本気で逃げ回る姫様はまさに猫のようで、捕まえる事は無理だろうと思う。
だから、護衛も半分諦めかけていると聞いた。
まさにおてんば姫。
それがチャッマニー姫のもう一つの顔だ。
しかし…と思いつつプリチャはチャッマニー姫の方をちらりと見る。
多分、姫様は気がついていないのだろうが、ここはきちんと言ったほうがいいのだろうか。
少し迷ったが、自分の経験から言ったほうがいいと判断する。
だから、少し躊躇気味だがプリチャは口を開いた。
「姫様、それは初恋ではないでしょうか?」
「初恋?」
「ええ。その殿方の事を考えると胸が苦しくなるのでしょう?会いたくてたまらないのでしょう?」
その言葉にチャッマニー姫はかぶっていたシーツを勢いよくめくると、ベッドの上で座り込み、プリチャの方を見る。
その表情はとても真剣で、彼女にとっていかにこの事が大問題だという事がわかる。
「うん。そうなの…。一緒にいたいとすごく思ったりするし、彼に少しでもよく見られたいと思うわ」
そう言われ、プリチャは少し微笑みながら伝える。
「やはり、初恋だと思います」
その声は確信に満ちていた。
「そう…これが初恋なの?こんなに苦しくて切ないのが…」
「ですけど、それだけじゃないでしょう?」
「うん…」
チャッマニー姫は顔を真っ赤にして頷く。
しかし、ここで現実を言わなければならない。
プリチャの心が痛む。
彼女もチャッマニー姫を妹のように愛している。
だからこそ、言わなければならない。
得てして初恋は実らない事が多く、また相手はフソウ連合の人間ならなおさらだ。
詳しくは知らないものの、フソウ連合とわが国とでは問題があるらしい事も聞いている。
より彼女が傷つく前に現実を教えなければならない…。
だから、心を鬼として口を開いた。
「ですが、そうなって良かったと私は思っています」
姉と慕っている人物からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。
チャッマニー姫は、驚いた表情のまま固まっていた。
沈黙があたりを包み込む。
そして、やっとたどたどしく口を開くチャッマニー姫。
顔面は蒼白となり、肩が震えている。
目には涙がたまっていたが、それでも泣くまいと必死だった。
「ど、どうして…」
何とかいえたのは、それだけだった。
しかし、それでも彼女にとって、必死の末に出した言葉だ。
それをわかっているプリチャは、優しくチャッマニー姫を抱きしめるとあやすようにポンポンと肩を軽く叩く。
「得てして初恋は、実らないといわれます。もちろん、全部が全部ではないでしょう…。でも、そういう言葉があるという事は、そういうことですよ」
「プリチャもなの?」
「ええ。私も初恋は実りませんでした。私のときは、親戚のお兄さんでした。でも、彼は私が十六の時に結婚してしまいました…」
昔を思い出すかのようなプリチャの言葉に、チャッマニー姫は黙り込む。
「あの時は、わんわん泣いて、落ち込みました。でも、それではいけないと思って仕事に打ち込んだんです。そしたら…」
すーっと抱きしめていたチャッマニー姫から少し離れてプリチャはまっすぐに姫を見る。
その目には後悔はなかった。
ただただうれしい光に満ち満ちていた。
「私は、今ここにいて、姫様のお世話をする事になったんです。だから…今じゃ初恋が実らなくてよかったとさえ思っていたりします。ですが、今はそんな事を言ってもわからないかもしれません。ですから、姫様、今は我慢せず泣いてくださいませ。私でよければ胸をお貸しします…」
愛おしそうに微笑むとプリチャはぎゅっと姫を抱きしめる。
これは彼女の精一杯の慰めなのだろう。
それを感じたチャッマニー姫は、プリチャに抱きつくと我慢を放棄して泣き始める。
その泣く姫をやさしくやさしくプリチャは抱きしめるのだった。
泣き始めて実に三十分が過ぎた頃だろうか。すーっとチャッマニー姫はプリチャから離れる。
「ありがとう…。少し楽になったみたい…」
多分、それは強がりだろうとプリチャはわかっていた。
しかし、王家の、それも最後の一人である姫には、大きな責任がある。
それを彼女は必死で支えている。
その努力を邪魔したくない。
だからこそ、プリチャは微笑む。
今の彼女に同情はマイナスにしかならないと判断して…。
「それはよかったです。もしまた必要でしたら、この胸をお貸ししますわ」
少し、茶目っ気のある感じてそう言って胸をそらす。
胸のふくらみが強調され、チャッマニー姫は一瞬きょとんとした後、くすくすと笑う。
「プリチャ、その台詞、男の人に言うときっとすごくもてるわよ」
少しいつもの姫様に戻りつつあるな。
そう判断し、プリチャは少しほっとする。
だが、そういう事をおくびにも出さずに、プリチャは笑いつつ言う。
「残念ながら、この胸は、今のところ、姫様専用でございますので…」
「そうね…。ふふふっ。ありがとう…」
そして二人で笑う。
嫌な事を忘れるかのように。
だが、現実は残酷だ。
そんな二人のいる部屋にノックが響く。
「姫様、よろしいでしょうか?」
プリチャが立ち上がり、ドアに向かう。
そして少しドアを開けると、外に出てドアを閉めた。
「ここは女性の部屋です。男性が立ち入り出来ない事は知っていますね」
ドアの向こうからプリチャのきつめの声が聞こえた。
「はっ。了解しています。しかし、至急お知らせせよといわれまして…」
ふう…。
プリチャはため息の後、言う。
「わかりました。姫様には私が伝えます。それでよろしいですか?」
「はい。お願いします」
そういったやり取りがドアの向こう側であった後、困ったような表情のプリチャが部屋に戻ってきた。
「どうしたの?」
そうチャッマニー姫が聞き返すと、少し迷った様子を見せたが、プリチャは伝えられた用件を告げる。
フソウ連合の使者が、王宮に来たということを…。




