キーチとマムアン その1
「ふう…なんて暑さだ…」
ギラギラと照る太陽を恨めしそうに見上げる。
確か、三十度は超えていると思う。
それにこの湿度の高さにへきへきしてしまう。
そして驚く事に今は一月である。
なのにこの温度だ。
そしてムッとするほどの湿度が拍車をかける。
汗が止まらない。
まるで最近の海軍の施設で人気のサウナ風呂にでも入っているかのようだ。
まさか任務とは言え、こんな高温多湿な地域に来るとは思わなかった。
志願したのは失敗したかなと思ってしまう。
だが、志願した以上、責任持ってやるしかない。
そう腹をくくると、街の中を歩回って人々の話を聞き、新聞や雑誌を買って読み、情報を漁る。
「しかし…暑いな…」
露天で売っていた葉を使って作られたこっちでは誰もが使ううちわみたいなものを仰ぐ。
暖かい風だが、それでも風が当たると少しはマシに思える。
今歩いているのは、この町で一番にぎやかな露天市で、簡単なテントみたいなものの下には、いろんなものを並べて売っている。
一番多いのは、食べ物関係で、簡単に食べれる料理を出す屋台みたいな店もあれば、果物や野菜、それに魚なんかの食材を売っている店もある。
店先に並んでいるなかなか面白い色合いや形をした野菜や果物、魚は見てて実に面白い。
おっといかん。
観光ではなかったんだ。
仕事、仕事っ。
そう思いつつも、この国の生活水準や文化を知る為には食べ物は大切な位置づけだ。
だから色々見て回る。
なお、ほとんどの場合、値札なんかはついていない。
店主に聞けば答えてくれるらしい。
試しに果物でも買ってみるか。
そう思い、手前にあるリンゴのような果物を手にとって、この国の言葉であるフィンダーア語で聞く。
「こいつはいくらだ?」
ちらりと店主は自分の方を見た後、ぶっきらぼうに答えた。
「100シリングだ」
シリングとは、この国の通貨単位である。
100シリングなら、フソウ連合ではリンゴ三つか四つは買える値段だ。
かなり高いんだな。
そう思いつつ、金を払おうとしたときだった。
「ぼったくるのはあんまりじゃないかな…」
そう言って私の前に立ったのは、年の頃は十歳前後の少女だった。
背中まで流れるような髪を途中でヒモで止め、涼しげなこの国独特の民族衣装を身につけている。
そして、その少女はちらりとこっちを見て店主に言う。
「それにこの人、共和国の人間じゃないわよ」
店主の視線が私をじっと見据えている。
なんかえらい眼光が鋭いな。
そう思っていると、少女が私の方を見て確認するかのように聞いてきた。
「ねぇ、おじさんっ。共和国の人じゃないよね?」
おじさんと言われて少しカチンときたものの、こんな子供相手に本気で怒ってもおとなげないだけだ。
なんとか笑顔を作って、頷きつつ返事をする。
「ああ。共和国の人間じゃないよ。私は、フソウ連合からきたんだ」
その瞬間だった。
鋭い眼光で見据えていた店主の視線が一気に柔らかくなった。
「本当か?」
「ええ。フソウ連合の北部にある地区の出ですよ」
その瞬間だった。
店主が右手で私の右手を握り締めると、バンバンと左手で肩を軽く叩いた。
「そうかっ、そうかっ。お前さん、フソウ連合の人間かっ。なら、そいつは5シリングでいいぞ」
「あ、ああ。ありがとう…」
その勢いに負けて言われるままに5シリングを払うと、店主は私を抱きしめて背中をパンパンと叩き、「お前さんの祖国に栄光あれ!」と言った。
あまりの急な変化に圧倒されていると、隣でその様子を見ていた少女が苦笑をしつつ口を開いた。
「共和国の人間は、この国では嫌われているからね」
「何でまた…」
そう聞き返すと、呆れたような顔をして少女は言う。
「知らないの?」
「何をだい?」
すると少女は仕方ないなぁといった感じで説明を始めた。
圧倒的な共和国の海軍力によって海と川を押さえられ、メインである船での流通を止められてしまった結果、国民の生活が窮乏するのを恐れたこの国の王家は、共和国の提案に従って植民地になるという苦渋の選択を選ぶしか道がなかった。
しかも共和国は無理難題を押し付け、王族をまた一人また一人と処刑していき、わずか数年の間に今や王族は先王の一人娘だけになってしまった。
王家は長く国民に愛される存在であり、また国民のために降伏した事をほとんどの国民が知っている事もあって、最初こそ我慢をしていた民衆だったが、あまりにも酷い仕打ちに共和国と共和国の人間は目の仇にされているのだという。
「そりゃ確かにああいった態度を取るわなぁ…」
思わずそう口にすると、少女は言葉を続けた。
「そうなの。だから、この国の人間がすべてあんな風に人を騙すなんて思わないで…」
その言葉には自分の祖国を変に誤解されたくないという必死な思いが感じられる。
だから安心させる為に笑って言う。
「ああ。わかっているさ。それにしても…なんでフソウ連合の人間だというと、あんなに歓迎されたのかな…」
「わからない?」
「ああ…」
「それはね、あの糞ったれな共和国海軍をコテンパンにやっつけたからよ」
まるで自分のに事のようにうれしそうに言う少女。
どうやら、共和国と帝国の艦隊がフソウ連合に敗れたのは、ここでも知られているらしい。
「そうか。それでか…。じゃあ、フソウ連合はこの国では歓迎されているんだね」
私がそう言うと、少女は複雑そうな顔をした。
「うん…まぁね」
返事も歯切れが悪い。
「なんかあるのかい?」
「ううん…それは…」
ちらりと少女の視線が店主に向けられる。
要はここでは話せないということなのだろう。
「すまない。もう一つだ」
私はそう言って、少女に果物を渡して金を店主に払う。
「えっ?!えっ?!」
果物を受け取りながらもどういうことなのかわからずにおろおろする少女に、私は茶目っ気のある表情になって言った。
「せっかくだから、この辺を案内してくれよ。この街は初めてなんだ」
「えっ?」
一瞬驚いたような顔になった少女だが、すぐに納得したのだろう。
ニコリと笑って返事を返した。
「いいわよ。案内してあげる。でも、これ一つじゃなぁ…」
「そいつは手付金だ。案内してくれたら、別にきちんと代金払うさ」
私がそう言うと、少女はじっと私を見て笑って言う。
「そうねぇ…。変な人じゃなさそうだし…。結構、かっこいいし…。いいわよ、おじさんっ」
その言葉に思わずまたコケそうになった。
いかん。このままでは…。
そう思った私はなんとか笑顔を浮かべて言う。
「私は、まだ二十五だ。だからおじさんではない」
「ふーん…。でも私から見たら一回りどころか十四も違うじゃない。やっぱりおじさんだわ」
その少女の言葉に、がくりと力が抜ける。
いかん。
どう考えても…修正は無理そうだ。
しかし、このままでは、私の心が折れそうだ。
そう思った私は、おじさん呼ばわりされるよりはマシだと判断して口を開いた。
「お兄さんといえとは言わない。だから、名前で呼んでくれ」
少女が怪訝そうな顔で聞いてくる。
「名前?」
「ああ。私の名前は、木下喜一だ」
「キーシターキーチ?」
がくっと身体から力が抜けそうになって、慌てて踏ん張った。
そして、こんどはゆっくりと発音する。
「違う、違う。キ・ノ・シ・タ キ・イ・チ だ」
「ふーん…」
少女は少し考えた後、「変な名前ね」と言って笑う。
そして、何を思ったのか私を指差して言った。
「言いにくいし、へんな名前だから、キーチでいい?」
どうやら、この国の人間には発音しにくい名前のようだ。
もう少し粘っても良かったが、ちらちらとこっちを見る店主の視線が気になって妥協する事にした。
「わかった。キーチでいいよ…」
ため息を吐き出しながら、そう言うと少女はうれしそうに告げた。
「マムアン」
確か、この国で取れる果物の名前だったと思ったが、それがどうかしたのだろうか?
きょとんとしていると、少女は少し頬を膨らませて再度言う。
「マムアンって言ってるでしょ!」
「だから…それがなんなんだ?」
思わず聞き返すと少女は言った。
「私の名前っ。私の名前はマムアンっていうの。よろしくね、キーチ」
少女は…いやマムアンはそう言うと、私の手を引っ張ったのだった。




