父と娘
「それでは行ってまいります、お父様」
アリシアは笑ってそう言うと、フソウ連合主催の昼食会に出かけていった。
ここ最近ではほとんど着なかったはずのドレスを着て、実に楽しげに出かけていく娘の後姿にリッキードはため息を漏らす。
そして、締結した講和条約の内容に再度目を通した。
わずか一時間弱で結ばれた条約だが、しっかりとした内容になっている。
確かに、これならば妥当なラインだろう。
少しぐらいの反発はあるだろうが、それはアリシアが持って来た例の調査書類を使えば黙らせられる。
しかしだ…。
リッキードは再度ため息を吐き出す。
確かに最初の情報とは大きく食い違うほどのフソウ連合の力を見せ付けられ、修正は必要だったがここまでしっかりとやり切るとは…。
以前から娘の知識や判断力は驚いていたが、まさかここまでの決断力があろうとは思いもしない事だった。
必要な部分は確保しつつ、譲歩する部分は譲歩する。
その区別がしっかり出来ていた。
「やはり、娘の言う事が正しかったという事か…」
自然と口から言葉が漏れ、リッキードは昨晩の出来事を思い出していた。
「お父様、私は反対です。もっと現実的な提案を出してたたき台にすべきです」
今までにない剣幕でそう言われ、リッキードは狼狽する。
それはそうだろう。
ここまで反対されるとは思ってもいなかった。
酔いがかなり回ってきてはいたが、勢いをつけるために再度グラスに酒を注ぐ。
そして、リッキードはそれを一気に飲むと口を開いた。
「講和条件のたたき台は、あのままでいく。最初から譲歩しすぎると足元を見られかねない。それにだ…」
テーブルに置いたグラスにまた酒を注ぐ。
グラスの中の琥珀色の酒が明かりの光で揺らめいている。
それを見ながらリッキードは言葉を続けた。
「我らが祖国、共和国のプライドと誇りをないがしろに出来ん」
その言葉に、アリシアはイライラした表情を隠そうともせずに言い返す。
「プライド?誇り?確かに大事でしょう。ですが、今回はそんな事を言っている余裕なんてないんです。お父様だって見たでしょう。フソウ連合海軍の力を…。それに夜に行われた晩餐会の贅沢さ。あれと同じことを共和国に出来ますか?恐らく無理でしょう。多分、あそこまで出来る国は早々ありません」
「確かにフソウ連合の海軍力と国力は見せてもらった。しかしだ…」
リッキードは、そこで言葉を止めてなんとか反論を返そうとして思考をめぐらす。
しかし、いい案が浮かばない。
だから、何とか口にしたのは些細な事だった。
「確かに食事や酒は素晴らしかったが、建物はそれほど豪華ではなかったぞ」
そのリッキードの言葉に、アリシアは失望したという感じの表情をしてため息を吐き出した。
「お父様、それ、本気で言ってます?」
リッキードにだってわかっている。
消費してしまうものにどれだけ贅を尽くせるかかがその者の力を示すことを…。
他に言い訳がなく、苦し紛れにその言葉を口にしてしまった…。
だが、彼の父親としてのプライドがそれを素直に認める事を許さなかった。
注いだ琥珀の液体を、再度喉に流し込む。
もう味はわからない。
熱いモノが喉を通り過ぎていく。
ただ、その感覚だけがあるだけだ。
リッキードはグラスをテーブルに叩きつけるように置くと、怒鳴りつけるように言った。
「何を言おうともう遅い。講和のたたき上げ案は、先に送った内容を使う。これは使節団団長の決定だ」
しかし、その怒気に近い言葉と勢いにもアリシアは退かなかった。
「ですが、あの内容からでは、ほぼ間違いなく講和締結に至りません。それにもし締結できたとしても最初のたたき台が高い分、大きく譲歩しなければならないでしょう。そうすると、国民はなんと思うでしょうか。東の劣等民族国家に大きく譲歩したと思われてしまいます。そうすれば、どれだけの非難がくるか…」
そして、悲しそうな顔をしてアリシアは言葉を続ける。
「それに…お父様の名声に汚点が…」
その様子から、心底心配しているのがうかがえる。
確かにアリシアの言うとおりであり、普段のリッキードなら折れていただろう。
アリシアの提案を素直に受け入れ、難なく済ませる事がベストだと。
しかし、今の彼には、素直に受け入れる余裕が無かった。
酒が入っているということもあったが、それ以上に追い詰められていたといっていいだろう。
共和国の国民の期待、それに最初の予想と現実の差に…。
彼は自分の祖国をはるかに超えるフソウ連合という国を恐れた。
軍の力だけでなく、国力やそれ以外の点でも大きく劣っている事は、領海に入ってからの数日で散々身を持って感じさせられた。
東の…自分たちよりも劣っているとばかり思っていた民族にである。
プライドや誇りなんてものは、とっくの昔に粉砕されており、後に残ったのは恐怖だけだ。
だからこそ、見栄を張りたかった。
自分たちの方が上位であり、恐れてなどいないと思い込みたかった。
しかし、アリシアの提案を受け入れれば、それらを認める事になってしまう気がした。
だからこそ、リッキードは頑なに拒否をした。
まるで駄々をこねる子供のように…。
その父親の様子を見て、アリシアはため息を吐き出す。
もう言っても無駄とわかってしまったのだろう。
だから、少し寂しそうな微笑を浮かべて告げた。
「わかりました。お父様の意見を尊重いたしましょう…」
「そうか。わかってくれたか…」
リッキードは、ほっとした表情でそう口にした。
「はい。それよりもお父様、そろそろお休みにならないと明日が大変ですわ」
アリシアはそう言ってリッキードのテーブルにあるボトルを取り上げる。
あっという間の出来事で、酔っていたリッキードは反応できなかった。
恨めしそうに娘を見た後、深々とため息を吐き出すと苦笑する。
「わかったよ。もう休むとするよ…」
そして、ふっと懐かしいものでもみるような視線を娘に向けた。
「しかし…本当にお前は母親に似てきたな」
リッキードはボトルを取り返すのを諦めると立ち上がった。
もちろん、寝室に向かう為だ。
「ふふふっ。私、お母様からは、最近のお前はお父様に似てきたって言われていますわ」
休もうとしている父親の姿を見て、楽しそうにそう返事をするアリシア。
もうそこにはさっきまでのギスギスした雰囲気はない。
あくまで、仲の良い親子がそこにいた。
「では、お休み、アリシア」
「はい。おやすみなさい、お父様」
その後、リッキードは眠りに入ったのだが、途中目が覚める事もなく、目が覚めたのは翌日の朝十一時近くになってからだった。
何気なくみた時計の示す時間を見て、リッキードは愕然とした。
慌てて起きると、部下を呼んで身支度を整えてすぐに講和会議に向かう事を告げるも、部下の態度がおかしい。
そして、何よりいつは必ず傍にいるはずのアリシアの姿が無かった。
嫌な予感がする中、リッキードは部下に強く問い詰める。
その剣幕に押され、部下は報告した。
アリシアが、委任されたといって交渉していると…。
その報告に、リッキードはやられたと痛感する。
今更講和会議の場に行ったとしても入室は拒否されるだけだろう。
いや、拒否されるだけならいい。
もし拒否されず入室し、交渉相手の目の前で茶番を演じたらどうなるだろうか。
それは共和国の恥であり、そして間違いなくリッキードの政治生命の終わりでもあるだろう。
その為、リッキードは諦めて控え室でアリシアが帰って来るのを待つことしか出来なかったのである。
大きくため息を吐き出すと、リッキードはアリシアが出て行ったドアをじっと見る。
そして、呟いた。
「我々の時代は終わったのかも知れんな…」
それは諦めと寂しさの混じった重い重い感情に染められた呟きだった。




