日誌 第百二十三日目
「貴方は…フソウ連合は、何を考えていらっしゃるのですか?」
さっきまでの社交的な笑顔ではなく、真剣な表情でそう聞かれて僕は心の中で少し驚く。
まるで心中まで覗き込もうという貪欲さが見え隠れしているようだ。
団長のリッキード議員よりも彼女の方がはるかに手強いという青島少尉の評価は本当だと実感できる。
そして、それと同時に青島少尉の人を見る目の確かさも確認できた。
彼には、これからも外交関係でがんばってもらおう。
人を見る目と相手を客観的に判断評価できる素質は、得がたいものであり、騙し合いが当たり前の外交ではかなりの戦力になるはずだ。
おっと、今は彼女の方に答えなければ。
今の僕の相手は、目の前にいる女性なのだから…。
そんな感じで思考が横道に逸れようとするのを修正し、僕は微笑んで口を開く。
「青島少尉の言うとおり、あなたに話をつけるほうが話が進みそうですね」
僕の言葉に、彼女はニコリと笑った。
その笑顔は、いいところの素直なお嬢様のように可憐だったが、僕には狐の騙し合いが得意なずるい女の笑顔に見えた。
しかし、話し合うとしても、ここは騒がしすぎるし、話の途中で邪魔が入るかもしれない。
だから、僕は彼女を壁際の長椅子にエスコートする事にした。
壁際では、静かに談笑している者が何人かいるが、かなり空いている。
それにほとんどの視線は中央に集まっており、壁際は目立たないだろう。
そう判断して右手を手の甲を下にして差し出すと、その手にアリシア嬢は右手をかすかにのせる。
まさにどこかのヨーロッパのパーティでダンスに誘った女性が対応する時のようだ。
もっとも、ダンスタイムはないし、何より僕はダンスは出来ない。
それに今から話す事は、甘い言葉でも、愛の囁きでもなく、国の行く末が関わる責任が重く圧し掛かる話だ。
しかし、そんな話をすると言うのに、彼女は実に楽しそうである。
これはなかなか肝が据わっているというべきだろう。
リッキード議員とは本当に親子なのだろうかと言うほど違いすぎる。
とてもじゃないが、議員秘書で納まる器ではない。
そのうち、共和国で台頭するのではないだろうか。
そう思いながら、長椅子に向かって彼女をエスコートしつつ歩き出す。
その時、背中に視線を感じてちらりと視線の先を見ると、不満気味な東郷さんの顔があった。
絶対に勘違いしている。
間違いなく勘違いしている。
ああ…これは違うんだよ。
別に口説いているわけじゃない。
仕事なんだよ。
政治的な話をするだけなんだって…。
そう心の中でいい訳しつつ、彼女の視線に気がつかない振りをする。
後できちんと謝ろう。
それと誤解を解かなきゃいけないな。
そんな事を思っていると東郷さんとは違う視線をすぐ傍に感じた。
視線の先にいたのはアリシア嬢である。
困ったような表情の僕を見て、東郷さんの方をちらりと見たあと、すべてがわかったのだろう。
彼女はまるで玩具を見つけた子供のように無邪気な微笑を浮かべる。
なんか嫌な予感が…。
そう思った瞬間だった。
「あっ…」
足が躓いたのだろうか。
アリシア嬢がふらつき、僕の手にしがみついたのだ。
慌てて身体を支えるように手を添える。
それと同時に強くなる視線…。
やばい…。
東郷さん、かなり怒ってるよ…。
そう思った僕だったが、すぐにアリシア嬢にハメられたことがわかった。
しがみつきながら、アリシア嬢がまるで様子を伺うように東郷さんの方をちらりと見ていたのだ。
やられた…。
先手を取られたような気がして悔しい。
しかし、ここは我慢だ。
東郷さんには後できちんと説明するとして。
まずは、長椅子に行こう…。
長椅子について、アリシア嬢を座らせると僕もその横に座る。
そして、横目でぎろりと見返して聞いた。
「今のはわざとですね…」
すると楽しそうに口を手で押さえながら笑うアリシア嬢。
「ええ。実に楽しかったですわ。彼女にお伝えください。そんなにピリピリしていては、すぐにばれてしまうし、大切な彼氏を他の女に取られてしまうわよって…」
うーん…。
知的でかなりきちんとしたお嬢さんと思っていたが、少し修正が必要だな。
見た目よりもかなり性格は悪いようだ。
もっとも、政治とか外交はある意味騙し合いの世界だから、これくらいは当たり前なのかもしれない。
外交官とは、愛国心のある詐欺師であるとは誰が言ったんだろうか…。
ともかく、このお嬢さんは十分に素質があるようだ。
下手な事をしでかすと、こっちが丸め込まれてしまうかもしれない。
だから、僕は色々言うより直球勝負をすることにした。
「えっと…フソウ連合は、何を考えているかでしたかね…聞きたい事は…」
僕の言葉に、アリシア嬢の顔が笑顔から真剣なものに変わり頷く。
ある意味、ここでまだ笑顔なら、かなり手強いと思っただろう。
しかし、まだ経験が少ないのだろうか。
或いは、元は素直な性格なのかもしれない。
ともかく、今の彼女なら何とか僕でもなりそうだ。
僕はそう判断し、口を開いた。
「僕はこういった説明とか難しい話とかは苦手で、回りくどい事は言いません。だから、はっきりと言います。その言葉をそのまま共和国にお返ししたい。『共和国側は何を考えているか』とね」
そう返ってくるとは思っていなかったのだろう。
僕の言葉に、アリシア嬢が一瞬だが驚いた表情になったあと、僕の方をうかがう様子を見せる。
まさか質問に質問で返されるとは思っていなかったに違いない。
基本、質問に質問を返すのはあまり行儀がいい事ではないが、他にいいやり方が思いつかなかったからだ。
しかし、今の僕の心境は正にこの言葉に集約される。
だから、彼女が何か言い出す前に、僕は言葉を続けた。
「失礼だが、あのいただいた書簡では、共和国が本気で講和をするようには思えなかった。また、使者を送るというのにあの大艦隊での威圧的な態度。あれは講和ではなく、降伏勧告でもしかねないといった感じでしたね。だから、それ相当のおもてなしをさせていただきました」
僕の言葉に、砲撃された事を思い出したのだろう。
少し身体を震わせたあと、アリシア嬢が口を開く。
「あの砲撃は確かにフソウ連合の徹底した意思を感じました。そして、あなた方の力も感じさせてもらいました。だからこそ、わからないのです。あんな書簡を送り、大艦隊で蹂躙するかのように押し寄せてきた我々に、なぜこのような歓迎をして下さるのかを…」
心底わからないといった感じの表情をする彼女に、僕は言う。
「確かに貴方達は、不快な相手だ。宣戦布告もなく、大艦隊で侵攻し、またあのような失礼な書簡を送りつけ、再び大艦隊で威圧的な態度を取る。ある意味、徹底して冷遇しても構わないとも思う。しかし…」
そこまで言って言葉を止める。
「しかし?」
釣られるようにアリシア嬢の口から言葉がこぼれた。
僕はニタリと笑って言葉を続ける。
「不快であれ、迷惑であれ、貴方達は、我々が用意した規則に従い、わが国、フソウ連合を訪れたお客様だ。お客様には、それ相当の対応するが普通ではないのかな?」
僕の言葉に、アリシア嬢は驚いた表情で口を手で押さえている。
「それだけ?お客様だから…だから…」
「ええ。それだけです。ましてや、国を代表して来られた方々だ。それにあったおもてなしはしますよ。もっとも…明日の会議の時はこうはいきませんがね…」
一瞬目を大きく開いたものの、僕の言葉を吟味するように聞いてすぐに笑顔になるとアリシア嬢は頭を下げた。
「私は、いえ、私達は貴方の国を見縊っていたようです。数々の非礼をお詫びいたします。そして、明日はきちんとした対応をさせていただきますわ」
そこには、さっきまでの疑ったような表情はなかった。
僕は笑って言葉を返す。
「お手柔らかにお願いしますよ」
その言葉に二人して笑い合ったのだった。




