日誌 第百七日目
翌朝、六時過ぎに起きると、もう東郷さんは起きていて台所で忙しそうにしていた。
なにやら料理を作っているようだが…。
そんなことをぼーっとした頭で考えつつ聞く。
「おはよう。どうしたんだい?」
僕の問いかけに、東郷さんは笑顔で答える。
「おはようございます。いえ、少しお節でも作っておこうかと思って…。警備の人もいるし…」
よく見れば、昨日の夜にショッピングプラザで買っていた買い物袋が広げられていた。
つまり、昨日の買い物は…。
なんかぐっときた。
「ありがとう。そこまで気をかけてくれるなんて…」
「いえいえ。私がしたいから、してるだけなんで…。それに…」
少し頬を染めてぼそりと言葉を続ける。
「すごくいいもの…貰ったし…」
「あ、いや…はははは…」
今度はこっちがなんか照れてしまう。
しばしの沈黙。
そして、料理を作りながらおずおずと東郷さんが聞いてくる。
「もしかして…あの時、私の声、聞こえちゃってましたか?」
そう聞かれ、隠すこともないだろうと思い、素直に言う。
「あ、ああ…。贈り物をしたいとは思っていたから、すごく助かったよ」
その僕の言葉に、東郷さんはオタマをまるで祈るかのように両手で持ち、もじもじしている。
顔はうつむいて見れないが耳が真っ赤だという事は、多分、顔も真っ赤だろう。
やばい…。
僕まで熱が篭ってきた気がする。
顔が熱い…。
その時だ…。
ぼそりと、聞こえるか聞こえないかのほんの小さな声で東郷さんは呟く。
「やばいなぁ…。私…」
何がやばいのか…。
それは多分…。
そう思った瞬間、なぜか鍋に目がいった。
そして無意識のうちに口が動く。
「東郷さんっ、鍋っ。鍋っ、吹きこぼれそう!!」
「えっ…?!」
うつむいていた東郷さんが慌てて顔を上げて鍋の方を向いて火を弱める。
なんとか吹きこぼれは防げたものの、どうも二人きりでいたらこんな事が続きそうだと思い、僕は退散する事にした。
「なんかかえって邪魔になりそうだな。もし、手伝う必要があったら遠慮なく言ってくれよ」
僕の考えがわかったのだろう。
少しほっとした表情で、東郷さんが答える。
「は、はい。邪魔と言うわけではないんですけど…でも…その方がいいみたいですね。なにかあったら声をかけます」
「じゃあ…」
「はい…」
そう言葉を交わして台所から出て二階の部屋に戻ろうと階段に向って歩いていると前の方に人影がある。
玄関のすぐ傍の部屋、つまり警備の控え室のドアの前で、見方大尉が腕を組んでへの字口で考え込んでいた。
「やぁ、おはよう。どうしたんだい?難しそうな顔して…」
僕が声をかけると、見方大尉もすぐに挨拶を返してくる。
「おはようございます…」
そして、少し迷ったような素振りを見せた後、おずおずと聞いてくる。
「長官、少しお話、いいでしょうか?」
「ああ、構わないけど…」
僕がそう言うと、きょろきょろと辺りを見回す見方大尉。
どうやらここでは話しにくそうだ。
「僕の部屋に来るかい?コーヒーくらいはあるからさ…」
「ありがとうございます。お願いします」
そして僕と見方大尉の二人は二階に上がったのだった。
コーヒーの香りが部屋の中に広がる。
いつものお気に入りのコーヒー豆を使っている、いつものコーヒーだ。
「いい香りですね」
見方大尉はそう言ってコーヒーの香りを楽しんでいる。
確か、コーヒーは海軍の消耗品としてではあったが、フソウ連合でコーヒー豆を栽培しているわけではない。
あくまで海軍の消耗品として、魔力によって補充される品物として海軍軍人に支給されるだけだ。
その為、その量は対して多くないし、ましてや味や香りなんてあまり吟味されていないらしく、一度飲んだが香りの強いインスタントに近い感じだった。
だから長官室では、コーヒーだけでなく、紅茶もこっちから持ち込んで愛飲している。
おかげで、東郷さんから長官室に呼ばれるとうまいコーヒーか紅茶が飲めると喜んでいる者もいると聞いて苦笑した覚えがある。
「うちにある分で飲みたいなら、コーヒーは自由に飲んでくれて構わないぞ」
「いえ、それはさすがに…。食事も用意してくださっているのに…」
そう言って苦笑いする見方大尉。
東郷さんからの情報では、彼の部下の間ではここの警備の担当になると美味いメシが食えると競争率が高いらしい。
決して向こう側のメシが不味いというわけではないが、やっばりどちらかと言うとこっちの方が美味いのはいろんな調味料や料理方法がある分仕方ないし、向こうにはない料理があったりとかなり楽しみがあるようだ。
特に、今や東郷大尉がここでの食事の用意をほとんどやってくれているが、その料理の腕はかなりのものになっているから余計だろう。
「そうか…。なら、そっちの警備用にコーヒーと紅茶を用意しておくよ。それなら使いやすいだろう?」
僕の提案に、見方大尉は苦笑して口を開く。
「本当にすみません。気を使ってもらって…」
「なに気にしないでいいよ。うちの警備をしてもらっているんだ。それくらいはね」
「はい。ではありがたく…」
そう言って見方大尉は頭を下げた。
そして、おずおずと口を開く。
「実は話と言うのは…夏美の事なんです…」
「夏美?ああ、東郷大尉のことだね。彼女が何か?」
そう聞き返して、そう言えば見方大尉は親戚だったなと思い出す。
どうも頭が本調子ではないようだ。
いかんなぁ…。
そんな事を思っていると僕を見て口を開く見方大尉。
そこには冗談なんて一欠けらもなく、真剣なまなざしがあった。
「実は…長官にお聞きしたいのです」
その見方大尉の眼差しに僕の表情も引き締まっていく。
「わかった。答えれることなら答えよう…」
そこでごくりと唾を飲み込み、一呼吸置いて見方大尉は口を開いた。
「長官は、夏美の事をどう思っていらっしゃるのですか?」
いきなりの言葉に、僕はなにを言うべきか…迷う。
僕自身もまだうやむやでわかっていないことなのだから。
自分自身がわかっていないのに相手にどう伝えればいいのだろうか…。
何度も口を開きかけは閉じてを繰り返し…僕は考え込む。
彼女の事を…僕は…どう思っている?
考えれば、考えるほど答えはでないような気がした。
だから、思ってい事、感じている事を口にする。
「そうだな…。まだ僕自身もはっきり言えないんだ。なんか…こういうのは苦手というか、不得意というか…」
そう切り出して、淡々と言葉を口にしていく。
「だから、僕の感じていること、思っていることを言っていくよ」
「はい。それでかまいません…」
見方大尉は頷いて僕の言葉を持っている。
「そうだな…。いてもらわなければいけない人かな…」
「それはどういった意味でしょうか?」
そう聞き返されて、僕は苦笑して答える。
「仕事では彼女の補佐なしでは、もう回らなくなりつつあるからね。だから、いてもらわなければならない人だ」
「それだけですか?」
そう聞いてくる見方大尉の表情は険しい。
「おいおい。そうは言っていないだろう。『仕事では』って言ってるじゃないか。それ以外だってあるさ。そうだな。後は一緒にいて楽しいし、彼女の笑顔をもっと見たいと思っている。それに、なんかいつも僕の事を支えて、立ててもらえているし…。なんかこう…、彼女にするなら、ああいう女性は理想なんじゃないかなと思うこともあるかな…。だけど、すぐに告白して…というのは…まだかなぁ…ただ……そうだな……多分、異性として彼女に好意を持っているのは間違いないと思う」
不思議なもので、話していると彼女をどう思っているのか、形になっていく気がする。
要は…僕は…彼女に好意を抱いていて、惚れているのかも知れないということなんだろう。
僕の言葉に見方大尉の表情が少しほっとしたものになる。
だから、僕は聞き返す。
「でも…そういう事を聞いてどうするんだい?」
僕の問いに、少し迷っていたが、決心したんだろう。
見方大尉はゆっくりと言う。
「実は…夏美の両親から長官が夏美の事をどう思っているか、何気なく聞いておいてくれと言われまして…」
そう言われて僕は笑う。
「おいおい。これでは何気なくじゃないだろう?」
「はい。おっしゃるとおりです。でも…自分は、こういうのは…」
確かに彼にとっては、こういうのは苦手なんだろう。
だから、こうも愚直に聞いてきたのだろう。
なんか不器用で、かえって好感が持ててしまう。
「見方大尉らしいな。僕はそういう大尉の性格は嫌いじゃないよ」
「ありがとうございます」
「これで報告できそうかい?」
苦笑しつつそう聞くとわらって頷く。
そして真剣な表情で言った。
「夏美も長官に好意を持っています。ですから…よろしくお願いします」
そう言い切るとコーヒーを飲み干して、部屋を退出していった。
まさかの言葉に呆然としている僕を残して…。
昼過ぎ、僕はマシナガ本島の民間船用の港にいた。
年末だというのに、いや、年末だからだろうか。
各島を結ぶ連絡線が忙しく動き回っており、船員達も忙しそうだ。
そんな中、僕は東郷大尉を見送る為にここにいる。
別に見方大尉との会話があったわけではない。
ただ、見送りたかっただけなのだ。
「いえ。大丈夫ですよ」
そう言って断ろうとする彼女に、「荷物が多いじゃないか」と言って半ば無理やりといった感じではあったが、司令部から車を出してここまで送ってきた。
彼女は困ったような表情をしたものの、悪い気はしなかったようで上機嫌だった。
そして、肩には僕が昨日送ったショールを身につけている。
かなり気に入ってくれたようだった。
「本当に送ってもらってありがとうございます」
荷物を船のカーゴ室に載せてしまった後、埠頭に戻って来た彼女は笑いつつそう言うと僕を見る。
その眼には、うれしさと寂しさが交じり合ったような感じだと思った。
ぼーっ…。
汽笛がなる。
あと少しで出発だ。
そう言えば、出会ってから彼女はずっと傍にいてくれた。
僕をいろんなことで支えてくれていた。
今の僕があるのは彼女のおかげだ。
そんな彼女を僕は…。
「あっ。そろそろ乗り込まないといけませんね。では行って来ます」
「ああ、行ってらっしゃい」
そう言葉を交わし、彼女が船の方に歩き出す。
その時だった。
無意識のうちに…僕は後ろから彼女を抱きしめていた。
びくんっ。
彼女の身体が反応し…しかし拒否されなかった。
されるがままに僕に身を任せている。
しかし、時間はもうない…。
すーっと彼女の手が僕の手を振りほどく。
うれしそうな彼女の笑顔がそこにある。
「ふふっ。行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい…」
さっき交わした言葉とは変わらないが、込められた思いは大きく違う。
互いの好意が込められた言葉。
それを交わした後、彼女は船に乗り込んでいく。
笑顔で…。
そして、僕も笑顔でそれを見送っていた。




