日誌 第百六日目 その3
駐車場にはまだかなり時間前のためか、東郷大尉の姿は見えない。
まぁ、その方が僕としては好都合がいいんだけどね。
そそくさと買ってきたものを後ろの座席に隠す。
もちろん、お土産なんかとは別の場所だ。
見つかってはこっちの目論見が全てご破算になってしまう。
準備を終えるとのんびりと車に寄りかかりながら店の入口を見る。
結構な人の出入りがある。
全員がいろんな荷物を持っており、普段よりもほとんどの人の荷物が多いのは年末のためだろう。
そういや、うちの年末年始の用意まだだったな…。
買出しまだだったけど、明日もショッピングモールは開いてるから明日でいいか…。
別にそんなに色々するつもりはないけど、年越し蕎麦の準備だけはしておかないとなぁ。
あれ食べないと大晦日って感じしないからな。
ちなみに、国営放送の歌番組は見ない派なので、こたつに入って本でも読んですごそう。
もちろん、除夜の鐘を聞いてから寝るので、神社の参拝は起きてお昼過ぎに行く予定だ。
そんな事を思っていると入口に両手にいくつもの袋を持った東郷さんの姿が目に入った。
慌てて駆け出して声をかける。
「少し持とう」
「ああ、すみませんっ。どうしても欲しいもの買ってたら…こんなになっちゃいました」
苦笑しつつそう言われて、僕は笑う。
「準備万端、抜かりはないって感じだ」
「い、いえそういうわけでは…」
慌ててそう言う姿もかわいらしいと思う。
「さて、急ごうか」
ずっと見ておきたかったが時間には限りがある。
ましてや、予約していて遅れるというのは僕のポリシーに反する行為だ。
だからそう言うと、「はいっ。遅れちゃうと迷惑かけちゃいますからね」と東郷さんも返事をする。
そして二人で荷物を車に積むと、予約を入れていたレストランに向ったのだった。
予約を入れたレストランの食事は美味しかった。
取り留めのない話や共通の友人たちの話をして楽しく食べる事ができた。
さすがに、僕は運転しなければならないからお酒は控えたが、東郷さんは最初こそ申し訳なさそうにワインを飲んでいたが、かなり気に入ったのだろう。
お代わりをしたほどだった。
頬を手に染め、蕩けたような瞳は普段では見れない色っぽさを感じる。
いや、いつも色気がないという訳ではない。
普通にしていたって色気は確かにあるものの、彼女の表情や声に引かれてそっちの方が気になってしまっているといってもいいだろう。
また、彼女のきりりとした動作一つ一つに色気を感じさせないような雰囲気があるようにも感じられる。
だから、どうしても女性としての東郷さんを感じるより前に、人間としての、僕の秘書官としての東郷さんが前面に感じられる為にそう思ってしまうのだろう。
ともかく、今の東郷さんはとても色っぽかった。
一緒にお酒を飲む約束なんてしたけど、なんか怖いような気がする…。
別に東郷さんが、ではない。
自分がだ。
勢いで…自分が抑えられないかもしれない。
そして、今のいい関係が崩れてしまうのではないかという不安。
それらが僕に怖さを感じさせている。
でも、それとは別に、僕の心の中では彼女と付き合ってもいいじゃないかという思いもある。
多分、異性として意識したのは、三人目だ。
前の二人は、こっぴどい振られ方をしてしまい、それ以来自分自身でもわかるくらいに恋愛に臆病になっている。
それではいけないのだが、今のいい関係を壊す勇気はなかった。
だから、悶々としてしまう。
いかん、いかんなぁ…。
そんな事を思っていたら、怪訝そうな顔をして東郷さんが聞いてきた。
「どうしたんですか?」
なんか声まで少し甘ったるい感じがする。
慌てて「なんでもないよ。いや。美味しそうに飲んでるなって思ってさ」と言って誤魔化す。
「ええ。すごく美味しいです。なんて銘柄なんだろう?」
「聞いてみようか?」
「はい。お値段次第ですけど、自分にご褒美として買っちゃおうかなとか思ってます」
笑いながらそう言うと再びグラスに口をつける。
そんな感じで話と食事は進み、気が付くと閉店時間が近くなっていた。
会計を済ませて二人で駐車場に出る。
もちろん、ワインの銘柄を聞く事は忘れない。
あとでネットで検索してみるか…。
そんな事を思いつつ歩いていると、すーっと当たり前のように僕の右手に東郷さんの左手が絡まって身体を寄せてくる。
びくんっ。
いきなりの事に身体が反射的に反応し、心臓が止まるかのような感覚に襲われる。
いかん。落ち着け。
そう自分自身に言い聞かせるが、その抵抗をあざ笑うかのように右手に当たる東郷さんの身体の弾力とぬくもりが伝わってくる。
「えっと…だね…東郷さん…」
ごくりと唾を飲み込み、東郷さんの方に視線を向ける。
そこには潤んだ瞳と頬を赤く染めて僕を見上げる東郷さんの顔があった。
「駄目ですか?」
そう言われて、駄目といわれるはずもなく…。
「あ、いや…だ、駄目じゃないよ…」
そう言うしかない。
そして車の助手席までエスコートしてドアを開ける。
「ふふふっ。ありがとうございます」
すごくうれしそうにそう言うと車の中に入る。
右手から東郷さんの身体の弾力とぬくもりが離れていく。
あ…。
思わず声に出そうなくらい寂しく感じてしまった。
まだ一緒にいたい。
そう思ってしまった。
いかんいかん…。
助手席のドアを閉めると少し頭を振って運転席の方に乗り込む。
後は帰るだけだ。
そう考えて、何か忘れている事を思い出す。
そうだ。
お世話になっているお礼のプレゼントがあった。
いかんなぁ。
どうも気が回っていないようだ。
お酒は飲んでないんだが、なんか熱気に当てられたような感じだ。
しかし、今渡していいのだろうか…。
そんな事を考えていると、いつまで経ってもエンジンを始動させないのが気になったのだろう。
「えっと…どうしたんですか?」
そう聞かれて、僕は腹を決めた。
後ろの席から袋を取り出し、その中に入っているピンク色の紙でラッピングされプレゼントを出す。
そして、驚いている彼女に差し出した。
「いつもお世話になっているからね。それに東郷さんのご両親だけに贈り物っていうのもおかしいし、それに、ほら…クリスマスしてなかったし…」
なんかいい訳じみた事を色々喋ったと思う。
よく覚えていないし、自分で何を言っているのかよくわからない。
しかし、それを彼女はしっかりと聞いて、そして微笑んで言う。
「要は、これ、私にプレゼントしくれているという事でいいんですよね?」
「ああ、もちろんだ。いつもありがとう」
そう言ってプレゼントを手渡す。
彼女はプレゼントを受け取ると、大事なものをやさしくつつみこむ感じで胸に抱きしめる。
「うれしいです…」
言葉は短いが、その言葉には彼女の思いが溢れんばかりに詰まっていた。
「そんなに喜んでもらえるなら、贈ったかいがあったよ」
なんか少しほっとする。
それと同時に、心が少し満たされたような満足感を感じている。
うれしそうにプレゼントの包みを抱きしめる東郷さん。
どれだけその様子を見ていただろうか。
多分、数分もたっていないと思うが、まるで時間が止まってしまったように感じていた。
しかし、窓をトントンと叩かれる音で我に返る。
「すみません。そろそろ駐車場、閉鎖したいんですけど…」
遠慮がちにお店の店員さんに言われてしまう。
「あ、すみません…」
慌ててエンジンを始動させる。
「すみません…。本当に…」
丁寧に頭を下げられる。
いえいえ。こっちも助かりました。
あのままだとなんかずっと動けないでいたような気がしましたから…。
さすがに口にはしないけど、声をかけてくれた店員さんに感謝しつつ、僕は帰宅するために車を動かし始めていた。
なお、家に帰り着く間、東郷さんは嬉しそうにプレゼントを抱きしめ続け、終いには頬ずりまでしていたのだった。
なんか…猫っぽくてかわいいと思ったのは僕だけの秘密だ…。




