第二次シマト諸島攻防戦 その4
目の前で沈められていく味方の艦艇に、テルピッツの艦橋にいる誰もが釘付けになった。
さっきまでの敵大型艦を撃沈できるという高揚感など吹き飛んでいた。
そして誰が呟いたのかはわからないが、静まり返った艦橋にその言葉は響く。
「急いで助けないと…」
その言葉が響いた瞬間、金縛りにあったかのように見入っていた乗組員達が我に返った。
そうだ…。
その通りだ。
普通なら、そう命令が下るだろう。
しかし、さっき味方を助ける為にカバーに入った相手の行動を彼女はなんといっただろうか…。
確か…『反吐が出そうな対応』と言ったではないか…。
なら、アデリナは味方を見捨てるつもりなのか?
それはあまりにも酷すぎる。
あんまりだ…。
その思考が、心を怒りに染め上げていく。
そしていつまでたっても味方を助ける指示を出さない態度についに我慢できなくなったのだろう。
艦橋にいた一人がアデリナに向って叫ぶ。
「アデリナ様っ、味方を助けないとっ」
一人が口を開くと、回りも同調して叫ぶ。
「味方を見捨てては、士気が落ちます。だから、ご再考を…」
「このままでは、全滅してしまい、我々は孤立しかねません。援護を…」
しかし、当のアデリナは、もう視線を前方に向けていた。
視線の先にあるのは、もうボロボロで一発でも当たれば間違いなく撃沈してしまうような状態の最上だった。
ギリギリと歯が軋み、その形相はもし日本なら般若と例えられるだろう。
まさに憎しみと怒りのみで構成された表情だった。
ここで、前方でのたうつ艦にとどめはさせるかもしれない。
しかし、それでは間違いなく手遅れとなり後続の艦隊は全滅するか、かなりの被害を受ける事になるだろう。
アデリナは視線をゆっくりと自分の周りに移す。
そこには、殺気じみた視線を向ける部下達の姿があった。
だんっ。
海図を載せたデスクを思いっきり叩く。
そして、アデリナは怒りを抑えつつ命じる。
「味方救援に向います。艦を戻しなさい…」
その言葉を聞いた瞬間、部下達の殺気が和らいだ。
ほっとした安心感がさっきまでのギスギスした空気を切り替えていく。
誰もが急いで味方を助けようと動き出す。
そして、テルピッツが艦首の向きを変えようとした時だった。
逃走しよたよたした動きで離れつつあった最上が右側に舵を切ったのだ。
その瞬間、アデリナの頭の中に『不味い』という警告が響く。
そして、彼女は叫んでいた。
「魚雷が来る。転舵中止。艦を敵艦に向けて垂直にせよ」
その言葉に艦橋にいた全員がぎょっとして外を見る。
そして、慌ててテルピッツは動きを止めて向きを戻す。
つまり、当たる面積を小さくする事によって避けようと思ったのだ。
だが、それは的場少佐の仕掛けた罠だった。
もう、最上はボロボロだった。
いくら重巡洋艦に転換させるつもりで艦体が造られているとはいえ、戦艦との一騎打ちはあまりにも無謀だった。
すでに機関のロ号艦本缶大型八基のうち五基が浸水と砲撃によって破壊されてしまって速力は大幅に低下し、右舷の区画のいくつかが浸水によって水没。
また、その時、四番、五番主砲はダメージを受けて使用不能。
そして、艦橋の近くに砲撃を喰らって、艦橋の三分の一を喪失。
まさに満身創痍と言っていい姿だった。
乗組員も多くが倒れ、艦橋スタッフも無傷の者はいない。
「みんな…無事か…」
床に叩き付けられ、破片で切ったのだろうか…額からは血が滲み、左肩を抑えつつなんとか立ち上がった的場少佐の声に、艦橋のあちこちから返事が返ってきた。
「何とか生きてますよ…」
「こっちもです…」
「悪運は強いみたいですね」
それぞれが互いの無事を確認しあう。
そして、視線を上げた彼らが見たものは、ただ一人、血だらけになりつつも仁王立ちでその場に立っている最上の姿だった。
彼は砲撃を喰らい、沈みかけようとする艦体を何とか踏ん張らせていた。
「最上っ、無事かっ」
的場少佐の声に、最上はなんとか答える。
「かなり不味いんですけど…何とか沈まないで踏ん張ってますよ」
「すまん…」
「謝罪は、帰ってからにしてくれませんか?今はどうやって生き残るかを考えましょう…」
脂汗を流しつつそういう最上に、「わかった」と言って的場少佐は頷き、すぐに後方に視線を向けた。
その視線の先には、こちらに向ってくるテルピッツの姿がある。
主砲が動き、こちらを狙っているのがわかる。
今の速力では、あっという間に距離を縮められてしまう。
もう少しで機雷源は突破出来るというのに、このままでは間違いなくテルピッツも機雷源を突破する。
そうなれば、後はボロボロの最上と駆逐艦の五月雨の二隻でテルピッツを相手に戦わなければならない。
しかし、その戦力では、ほぼ勝ち目はない。
唯一うまくいくと考えられるのは雷撃戦のみだが、テルピッツの火力の前に、雷撃戦に移行する前に決着はつくだろう。
我々の負けという決着が…。
しかし、どうすればいい…。
そう思った瞬間だった。
テルピッツの少し離れた後方に爆発が見える。
あれは…。
「司令、味方が…味方がやってくれたようです…」
観測員が報告してくる。
「そうか…。二人がやってくれたか…」
的場少佐はそう言うとほっとした。
これでテルピッツは後方の味方の援護に向わねばならないだろう。
我々は助かる…。
しかし的場少佐の頭の中に引っかかるものがあった。
だが、これでいいのか?
今、方向転換をすれば、テルピッツは機雷源突破は出来ず、機雷源の向こう側に足止めすることになるだろう。
しかしだ…。
それでは、魚雷を使い切った味方艦隊にテルピッツが向かう事になるのではないだろうか…。
恐らくだが、今の攻撃で装填分の魚雷は使い切っただろうし、どんなに急いで再装填もテルピッツが戻ってくるまでに間に合うとは思えない。
そうなると、彼らは砲撃でテルピッツと戦わなければならない。
その条件ではこっち以上に勝算は低い。
なら、どうすればいい…。
こっちも助かり、彼らも助かる術は…。
今、敵はどういう状態だ?位置関係は?
考えろ、考えろ…。
思考している最中に、観測員の声が響く。
「テルピッツ、回頭しています。どうやら後方の艦隊の救援に向うようです」
その瞬間、ピンときた。
下手すると向こうに行かずにこっちに向ってくるかもしれない。
だが、やる価値はある。
だから、的場少佐は真剣な表情で言う。
「最上、きついかもしれんが頼みがある」
その言葉に、苦しそうな表情の最上が答えた。
「こんな様で頼みとか…艦使いが荒い人だな…。でも、いいよ。親友の頼みだからな。出来る事なら何でもする」
「すまん。感謝する」
そう言って頭を下げる的場少佐に、最上は苦笑して言う。
「感謝も帰ってからにしてくれ。しんどいんだよ…」
「わかった。ならやってほしい事を言うぞ」
「ああ、手短に頼む…」
「艦を右向けて魚雷を撃ってくれ」
的場少佐の言葉に艦橋にいたスタッフがぎょっとした表情をする。
やっと助かるというチャンスを不意にするのかと誰もが思ったことだろう。
しかし、最上は笑う。
「いいよ。私はあなたの艦だ。あなたを信じて従うだけだ」
その言葉に動揺していた艦橋スタッフは腹をくくった。
「よっしゃ…。やりましょうぜ」
「へっへっへ…。意地を見せてやりましょう」
それらの声が上がり、皆頷く。
「よしっ。魚雷戦用意っ。右舷魚雷発射準備急げ」
「よく狙えよ」
「任せろっ…」
全員がこの一撃にかけているのが感じられる。
そして、副長が報告する。
「水雷長から報告。いけます…」
「よしっ。いくぞっ…」
こうして、右に方向を変えてわき腹を曝すような格好になりながらも最上は魚雷を放った。




